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第一話:毒と甘やかし、そして追放
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リリアは知っていた。この家で、自分は甘やかされてなどいない。ただ、都合よく利用されているだけだと。
(今日も、このポーションが役立てば……)
早朝の凍えるような空気の中、リリアは錬金術工房の片隅で、最後の仕上げに集中していた。手のひらで淡く光る小瓶。その輝きは、リリアが前世の知識とこの世界の錬金術を融合させ、土壌内の微生物活性化と特定の触媒反応による栄養素の最適化を突き詰めた証。男爵領の薬草栽培を支える「土壌活性ポーション」は、一般的な活性剤の実に十倍の効果を持つ。
「リリア!まだか!?」
荒々しい声が工房に響く。婚約者であるユリウスの声だ。彼が催促しているのは、今日舞踏会で披露する『美容ポーション』。これもリリアが作った。塗布した瞬間に肌の艶が改善され、翌朝には数年若返ったかのような効果をもたらす。皮膚細胞の新陳代謝を促進し、特定の酵素反応を促すその効果は、王都の社交界で密かに評判となっていた。
「はい、ユリウス様。今、参ります」
リリアは素早く小瓶を籠に入れ、工房を出た。廊下に出ると、ユリウスが眉間に皺を寄せ、苛立たしげに腕を組んでいた。隣には、異母妹のアメリアが艶やかなドレスを揺らし、勝ち誇ったような顔で立つ。
「遅いぞ、リリア。お前のような役立たずは、これくらいしか能がないのだから、せめて与えられた仕事くらいは迅速にこなせ」
ユリウスの言葉は、いつもナイフのようにリリアの心をえぐった。男爵家の庶子であるリリアは、元々自己評価が低い。この世界で錬金術の才能を見出した時、これで誰かに必要とされる、愛されるかもしれないと喜んだ。だから、蔑まれても、ユリウスやアメリア、義母のために尽くしてきた。完璧であれば、いつか認めてもらえる、そう信じて。
「ごめんなさい、ユリウス様。こちらが美容ポーションです」
リリアが差し出すと、ユリウスはぞんざいに受け取った。
「ふん。まあいい。どうせお前のような薄汚い庶子には、このような素晴らしいポーションを作る資格はない。これもアメリア様が考案なされたのだからな」
アメリアがクスクスと笑う。彼女はリリアの成果を自身のものと偽り、名声を得ていた。その瞳には、常にリリアへの根深い劣等感と嫉妬が宿る。
(私に、これほどの才能があったなら……!)
幼い頃、アメリアが懸命に努力して成功した小さな錬金術実験を、リリアが何気なく再現して褒められた。その瞬間から、アメリアの心には「努力では決してリリアには敵わない」という絶望と恨みが生まれたのだ。男爵夫人からの「この家を継ぐのはお前だ。リリアの才は利用しろ」というプレッシャーも、アメリアの心を歪ませた。リリアはただ、工房の奥で秘薬を作り続けるだけの存在だった。
「まったく、この私に恥をかかせるなよ。いくらお前が地味で魅力がなくても、婚約者である以上、体面は保たねばならんのだからな」
ユリウスの言葉に、リリアは俯いた。心を込めて作ったものが全て他人の手柄にされ、自分自身の存在価値を否定される。その繰り返しだった。家門の存続という義務感に縛られ、自身の無能さからくる焦りをリリアへの支配で隠そうとするユリウスは、リリアの真の価値など理解しようともしなかった。
(私は、ここにいるしかない……)
リリアは唇を噛みしめた。彼らの言葉が真実であり、自分には何の価値もないという「嘘」が、心を深く支配していた。
その日の舞踏会は、リリアにとって地獄だった。招待客ですらない彼女は、厨房の裏口から入り、隅で給仕の手伝いをさせられた。聞こえてくるのは、アメリアがリリアの作ったポーションをさも自分が考案したかのように語り、貴族たちから賞賛されている声。そして、ユリウスがそれを得意げに補足する声。
(ああ、もう。本当に疲れた……)
人目のないテラスに出て、リリアは冷たい夜風に当たった。満月が煌々と輝き、森の向こうには不気味なほど大きく、暗い影が見えた。王都から遠く離れたこの男爵領では、魔獣の被害が絶えない。特に、あの森の奥には「氷の公爵」と呼ばれるゼフィール・ディ・ルクス公爵が領主として君臨する広大な領地があるという。彼は王国最強の魔術師でありながら、その冷徹さゆえに近づく者はおらず、広大な領地には魔獣がうごめいていると噂されていた。
その時、テラスの扉が開き、ユリウスとアメリアが憤怒の形相で立っていた。
「リリア!お前、一体何をした!?」
ユリウスがリリアの腕を掴み、乱暴に引き寄せる。アメリアも口汚く罵った。
「あんたの作った美容ポーション、貴族のおば様が肌荒れを起こしたわ!これじゃ、私の顔が丸潰れじゃないの!役立たず!」
「え……そんなはずは……」
リリアは呆然とした。完璧に作ったはずだ。まさか、誰かが意図的に毒を混ぜたのだろうか?だが、そんなことを言っても信じてもらえない。いつもそうだ。
「言い訳するな、この無能めが!お前はいつもそうだ!役立たずのくせに、これ以上男爵家の名を貶める気か!?」
ユリウスの剣幕に、リリアはすっかり萎縮してしまった。「ごめんなさい」としか言葉が出ない。
「もういい!お前のような失敗作は、我が男爵家には不要だ!」
ユリウスはリリアを突き飛ばした。リリアはよろめき、テラスの手すりにぶつかる。
「ユリウス様!?何を……」
「お前との婚約を破棄する!そして、今すぐこの家から出て行け!お前のような厄介者を置いておく場所はない!」
その言葉は、リリアの心に深い傷を負わせた。利用価値がなくなった途端、ゴミのように捨てられる。自分が信じてきた「完璧になれば愛される」という「嘘」が、目の前で砕け散った。
「そうよ、あんたなんかいらない!あんたの錬金術だって、実は誰にでもできる簡単なものだったんでしょう?私たちがいくら真似しても大したものは作れなかったけれど、きっと基礎しか教えてくれなかったのよ!どこかの野良錬金術師にでも拾ってもらいなさい!」
アメリアの言葉は、リリアの胸を抉った。そう、彼らはリリアの錬金術の真の価値も、希少性も理解していなかった。リリアの錬金術は、誰にでも真似できるような生易しいものではない。だが、それを証明する術も、力も、今のリリアには何もない。
ユリウスは衛兵に命じ、リリアの荷物を持たせ、そのまま夜の森の入り口に捨て置いた。
「二度と男爵領に近づくな!さもなくば、ただでは済まないと思え!」
冷たい夜風が吹き荒れる中、リリアはただ立ち尽くしていた。全てを失った。行き場もなく、ただ絶望に打ちひしがれるばかりだった。
(私は、一体どうすれば……)
心の中の「嘘」が、ささやく。
(やはり、私は何の価値もない人間なんだ……)
その時、暗い森の奥から、けたたましい咆哮が響いた。冷たい風が、生臭い匂いを運んでくる。リリアは思わず顔を上げた。闇の中から、二つの巨大な光が、こちらに向かってくるのが見えた。
魔獣だ。
本能的な恐怖に、リリアは叫ぶことも忘れ、その場に縫い付けられたように立ち尽くした。
「……っ!」
死を覚悟した瞬間、巨大な影がリリアに迫った。その目は血のように赤く、鋭い牙が月の光に鈍く光る。
(ここで、終わるのか……?)
逃げなければ。そう頭では理解していても、身体は鉛のように重く、一歩も動かせない。しかし、その時、リリアの脳裏に、この工房で作り続けた数々のポーションの姿がよぎった。これが消えてしまう。この才能が、誰にも知られずに終わってしまう。
「……っ!」
リリアは震える手で、籠の中の小瓶に手を伸ばした。土壌活性ポーション。これを撒けば、一瞬でも魔獣の気を引き、逃げる隙を作れるかもしれない。理不尽な追放に遭っても、彼女の「錬金術師としての矜持」が、絶望の中でわずかな光を灯した。
その時、肌を刺すような冷気と共に、異様な魔力の気配が森を覆った。
「愚かな魔獣どもめ。私の領地で、何をしている」
冷徹で、感情を一切含まない声。だが、その声には、有無を言わせぬ絶対的な威圧感が宿っていた。同時に、青白い魔力の光が森を照らし、巨大な魔獣の動きがぴたりと止まった。
リリアの目の前に、一人の男が立っていた。月の光を背に、すらりとした長身が闇に浮かび上がる。彼の背後には、先ほどの魔獣とは比較にならないほど巨大で、漆黒の毛並みを持つ、威容を放つ獣が控えていた。その獣は、まるで巨大な狼のようにも、はたまた獅子のようにも見えたが、纏う魔力は比べ物にならないほど強大だった。
男の顔は、あまりにも美しかった。だが、その端正な容貌には、一切の表情がなく、冷たい氷の彫刻のようだった。噂に聞く「氷の公爵」――ゼフィール・ディ・ルクス公爵。
彼はリリアを一瞥すると、その冷たい瞳を巨大な魔獣に向けた。
「今すぐ立ち去れ。さもなくば、命はない」
公爵の言葉に、先ほどまでリリアを襲おうとしていた魔獣たちが、恐怖に怯え、一目散に森の奥へと逃げ去っていく。
(助けて……くれた?)
リリアは混乱と安堵の中で、その場にへたり込んだ。公爵は彼女に何の関心も示さず、ただ静かに、背後の漆黒の獣の頭を撫でていた。巨大な魔獣は、公爵の指に甘えるように喉を鳴らす。
まるで、大きな猫のようだ。そのギャップに、リリアは思わず息をのんだ。そして、公爵の隣で、あの巨大な魔獣が、リリアの方をじっと見つめていることに気づいた。その瞳は、威嚇する色ではなく、どこか好奇心と、微かな喜びを宿しているように見えた。
公爵が、ようやくリリアに視線を戻す。その冷たい視線に、リリアは思わず身をすくませた。
「……まさか、こんな場所で君の魂の光を見出すとはな……私と共に来るか?」
公爵の言葉に、リリアは息をのんだ。彼が自分を知っている?いや、そんなはずは。
「なぜ……私を……?」
リリアは声にならない問いを、ただ公爵の背に投げかけた。
公爵は、リリアが握りしめていた小瓶、つまり彼女の錬金術で作られた土壌活性ポーションと美容ポーションの入った籠をちらりと見た。そして、隣の漆黒の魔獣「アルバス」が、リリアの足元にそっと鼻を寄せ、甘えるようにすり寄るのを静かに見下ろした。
「……君のような無防備な女が、夜の森にいるとはな。だが、君の光は、この闇に埋もれさせておくには惜しい」
公爵はそう呟くと、リリアの目を見据え、氷のような声で続けた。
「……私と共に来るか?」
その言葉は、リリアの絶望に、一条の光を差したように感じられた。
(今日も、このポーションが役立てば……)
早朝の凍えるような空気の中、リリアは錬金術工房の片隅で、最後の仕上げに集中していた。手のひらで淡く光る小瓶。その輝きは、リリアが前世の知識とこの世界の錬金術を融合させ、土壌内の微生物活性化と特定の触媒反応による栄養素の最適化を突き詰めた証。男爵領の薬草栽培を支える「土壌活性ポーション」は、一般的な活性剤の実に十倍の効果を持つ。
「リリア!まだか!?」
荒々しい声が工房に響く。婚約者であるユリウスの声だ。彼が催促しているのは、今日舞踏会で披露する『美容ポーション』。これもリリアが作った。塗布した瞬間に肌の艶が改善され、翌朝には数年若返ったかのような効果をもたらす。皮膚細胞の新陳代謝を促進し、特定の酵素反応を促すその効果は、王都の社交界で密かに評判となっていた。
「はい、ユリウス様。今、参ります」
リリアは素早く小瓶を籠に入れ、工房を出た。廊下に出ると、ユリウスが眉間に皺を寄せ、苛立たしげに腕を組んでいた。隣には、異母妹のアメリアが艶やかなドレスを揺らし、勝ち誇ったような顔で立つ。
「遅いぞ、リリア。お前のような役立たずは、これくらいしか能がないのだから、せめて与えられた仕事くらいは迅速にこなせ」
ユリウスの言葉は、いつもナイフのようにリリアの心をえぐった。男爵家の庶子であるリリアは、元々自己評価が低い。この世界で錬金術の才能を見出した時、これで誰かに必要とされる、愛されるかもしれないと喜んだ。だから、蔑まれても、ユリウスやアメリア、義母のために尽くしてきた。完璧であれば、いつか認めてもらえる、そう信じて。
「ごめんなさい、ユリウス様。こちらが美容ポーションです」
リリアが差し出すと、ユリウスはぞんざいに受け取った。
「ふん。まあいい。どうせお前のような薄汚い庶子には、このような素晴らしいポーションを作る資格はない。これもアメリア様が考案なされたのだからな」
アメリアがクスクスと笑う。彼女はリリアの成果を自身のものと偽り、名声を得ていた。その瞳には、常にリリアへの根深い劣等感と嫉妬が宿る。
(私に、これほどの才能があったなら……!)
幼い頃、アメリアが懸命に努力して成功した小さな錬金術実験を、リリアが何気なく再現して褒められた。その瞬間から、アメリアの心には「努力では決してリリアには敵わない」という絶望と恨みが生まれたのだ。男爵夫人からの「この家を継ぐのはお前だ。リリアの才は利用しろ」というプレッシャーも、アメリアの心を歪ませた。リリアはただ、工房の奥で秘薬を作り続けるだけの存在だった。
「まったく、この私に恥をかかせるなよ。いくらお前が地味で魅力がなくても、婚約者である以上、体面は保たねばならんのだからな」
ユリウスの言葉に、リリアは俯いた。心を込めて作ったものが全て他人の手柄にされ、自分自身の存在価値を否定される。その繰り返しだった。家門の存続という義務感に縛られ、自身の無能さからくる焦りをリリアへの支配で隠そうとするユリウスは、リリアの真の価値など理解しようともしなかった。
(私は、ここにいるしかない……)
リリアは唇を噛みしめた。彼らの言葉が真実であり、自分には何の価値もないという「嘘」が、心を深く支配していた。
その日の舞踏会は、リリアにとって地獄だった。招待客ですらない彼女は、厨房の裏口から入り、隅で給仕の手伝いをさせられた。聞こえてくるのは、アメリアがリリアの作ったポーションをさも自分が考案したかのように語り、貴族たちから賞賛されている声。そして、ユリウスがそれを得意げに補足する声。
(ああ、もう。本当に疲れた……)
人目のないテラスに出て、リリアは冷たい夜風に当たった。満月が煌々と輝き、森の向こうには不気味なほど大きく、暗い影が見えた。王都から遠く離れたこの男爵領では、魔獣の被害が絶えない。特に、あの森の奥には「氷の公爵」と呼ばれるゼフィール・ディ・ルクス公爵が領主として君臨する広大な領地があるという。彼は王国最強の魔術師でありながら、その冷徹さゆえに近づく者はおらず、広大な領地には魔獣がうごめいていると噂されていた。
その時、テラスの扉が開き、ユリウスとアメリアが憤怒の形相で立っていた。
「リリア!お前、一体何をした!?」
ユリウスがリリアの腕を掴み、乱暴に引き寄せる。アメリアも口汚く罵った。
「あんたの作った美容ポーション、貴族のおば様が肌荒れを起こしたわ!これじゃ、私の顔が丸潰れじゃないの!役立たず!」
「え……そんなはずは……」
リリアは呆然とした。完璧に作ったはずだ。まさか、誰かが意図的に毒を混ぜたのだろうか?だが、そんなことを言っても信じてもらえない。いつもそうだ。
「言い訳するな、この無能めが!お前はいつもそうだ!役立たずのくせに、これ以上男爵家の名を貶める気か!?」
ユリウスの剣幕に、リリアはすっかり萎縮してしまった。「ごめんなさい」としか言葉が出ない。
「もういい!お前のような失敗作は、我が男爵家には不要だ!」
ユリウスはリリアを突き飛ばした。リリアはよろめき、テラスの手すりにぶつかる。
「ユリウス様!?何を……」
「お前との婚約を破棄する!そして、今すぐこの家から出て行け!お前のような厄介者を置いておく場所はない!」
その言葉は、リリアの心に深い傷を負わせた。利用価値がなくなった途端、ゴミのように捨てられる。自分が信じてきた「完璧になれば愛される」という「嘘」が、目の前で砕け散った。
「そうよ、あんたなんかいらない!あんたの錬金術だって、実は誰にでもできる簡単なものだったんでしょう?私たちがいくら真似しても大したものは作れなかったけれど、きっと基礎しか教えてくれなかったのよ!どこかの野良錬金術師にでも拾ってもらいなさい!」
アメリアの言葉は、リリアの胸を抉った。そう、彼らはリリアの錬金術の真の価値も、希少性も理解していなかった。リリアの錬金術は、誰にでも真似できるような生易しいものではない。だが、それを証明する術も、力も、今のリリアには何もない。
ユリウスは衛兵に命じ、リリアの荷物を持たせ、そのまま夜の森の入り口に捨て置いた。
「二度と男爵領に近づくな!さもなくば、ただでは済まないと思え!」
冷たい夜風が吹き荒れる中、リリアはただ立ち尽くしていた。全てを失った。行き場もなく、ただ絶望に打ちひしがれるばかりだった。
(私は、一体どうすれば……)
心の中の「嘘」が、ささやく。
(やはり、私は何の価値もない人間なんだ……)
その時、暗い森の奥から、けたたましい咆哮が響いた。冷たい風が、生臭い匂いを運んでくる。リリアは思わず顔を上げた。闇の中から、二つの巨大な光が、こちらに向かってくるのが見えた。
魔獣だ。
本能的な恐怖に、リリアは叫ぶことも忘れ、その場に縫い付けられたように立ち尽くした。
「……っ!」
死を覚悟した瞬間、巨大な影がリリアに迫った。その目は血のように赤く、鋭い牙が月の光に鈍く光る。
(ここで、終わるのか……?)
逃げなければ。そう頭では理解していても、身体は鉛のように重く、一歩も動かせない。しかし、その時、リリアの脳裏に、この工房で作り続けた数々のポーションの姿がよぎった。これが消えてしまう。この才能が、誰にも知られずに終わってしまう。
「……っ!」
リリアは震える手で、籠の中の小瓶に手を伸ばした。土壌活性ポーション。これを撒けば、一瞬でも魔獣の気を引き、逃げる隙を作れるかもしれない。理不尽な追放に遭っても、彼女の「錬金術師としての矜持」が、絶望の中でわずかな光を灯した。
その時、肌を刺すような冷気と共に、異様な魔力の気配が森を覆った。
「愚かな魔獣どもめ。私の領地で、何をしている」
冷徹で、感情を一切含まない声。だが、その声には、有無を言わせぬ絶対的な威圧感が宿っていた。同時に、青白い魔力の光が森を照らし、巨大な魔獣の動きがぴたりと止まった。
リリアの目の前に、一人の男が立っていた。月の光を背に、すらりとした長身が闇に浮かび上がる。彼の背後には、先ほどの魔獣とは比較にならないほど巨大で、漆黒の毛並みを持つ、威容を放つ獣が控えていた。その獣は、まるで巨大な狼のようにも、はたまた獅子のようにも見えたが、纏う魔力は比べ物にならないほど強大だった。
男の顔は、あまりにも美しかった。だが、その端正な容貌には、一切の表情がなく、冷たい氷の彫刻のようだった。噂に聞く「氷の公爵」――ゼフィール・ディ・ルクス公爵。
彼はリリアを一瞥すると、その冷たい瞳を巨大な魔獣に向けた。
「今すぐ立ち去れ。さもなくば、命はない」
公爵の言葉に、先ほどまでリリアを襲おうとしていた魔獣たちが、恐怖に怯え、一目散に森の奥へと逃げ去っていく。
(助けて……くれた?)
リリアは混乱と安堵の中で、その場にへたり込んだ。公爵は彼女に何の関心も示さず、ただ静かに、背後の漆黒の獣の頭を撫でていた。巨大な魔獣は、公爵の指に甘えるように喉を鳴らす。
まるで、大きな猫のようだ。そのギャップに、リリアは思わず息をのんだ。そして、公爵の隣で、あの巨大な魔獣が、リリアの方をじっと見つめていることに気づいた。その瞳は、威嚇する色ではなく、どこか好奇心と、微かな喜びを宿しているように見えた。
公爵が、ようやくリリアに視線を戻す。その冷たい視線に、リリアは思わず身をすくませた。
「……まさか、こんな場所で君の魂の光を見出すとはな……私と共に来るか?」
公爵の言葉に、リリアは息をのんだ。彼が自分を知っている?いや、そんなはずは。
「なぜ……私を……?」
リリアは声にならない問いを、ただ公爵の背に投げかけた。
公爵は、リリアが握りしめていた小瓶、つまり彼女の錬金術で作られた土壌活性ポーションと美容ポーションの入った籠をちらりと見た。そして、隣の漆黒の魔獣「アルバス」が、リリアの足元にそっと鼻を寄せ、甘えるようにすり寄るのを静かに見下ろした。
「……君のような無防備な女が、夜の森にいるとはな。だが、君の光は、この闇に埋もれさせておくには惜しい」
公爵はそう呟くと、リリアの目を見据え、氷のような声で続けた。
「……私と共に来るか?」
その言葉は、リリアの絶望に、一条の光を差したように感じられた。
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