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第二話:氷と炎の出会い
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意識が浮上すると、リリアは柔らかいベッドに横たわっていた。視界に映るのは、豪奢な天蓋と、見慣れない天井の装飾。あの夜の森での出来事が、夢ではなかったと悟る。
(公爵が……助けてくれた?)
身体を起こすと、全身を包む上質なローブの感触に驚いた。男爵家では決して触れることのなかった、きめ細やかな生地。部屋は広大で、壁には精巧なタペストリーが飾られ、窓からは手入れの行き届いた庭園が見える。
「お目覚めになられましたか、リリア様」
柔らかな声に振り返ると、初老の女性がティーセットを手に立っていた。公爵邸の侍女だという彼女は、リリアを咎めるような視線を一切向けず、ただ穏やかな微笑みを浮かべていた。
「公爵様が、リリア様を客間にお連れするよう、ご指示なさいました。どうぞ、温かいお茶を」
リリアは戸惑いながらもカップを受け取った。その間にも、侍女はリリアの体調を気遣い、必要なものはないかと尋ねる。男爵家で受けてきた冷遇とは、あまりにもかけ離れた待遇だった。
(なぜ、こんな私を……?)
公爵は昨夜、リリアの「魂の光」について語っていた。そして、彼の屋敷で自由に錬金術の研究をすることを許された。侍女の案内で通された研究室は、これまでリリアが使っていた工房とは比べ物にならないほど広かった。壁一面に珍しい薬草や鉱物が並び、見たこともない複雑な蒸留器や調合器が揃っている。
(ここは、錬金術師にとって、夢のような場所だわ……!)
リリアの心に、忘れかけていた探求心が蘇る。彼女は早速、王都で肌荒れを引き起こした美容ポーションの残骸を調べ始めた。原因は、精製過程で混入した不純物。おそらく、アメリアかユリウスが、より効果を出そうと余計なものを混ぜたか、あるいはリリアが工房から締め出された隙に、試作品ではない粗悪なものを提出したのだろう。
怒りよりも、錬金術師としての使命感が勝った。この素晴らしい設備があれば、真のポーションの改良ができる。彼女は黙々と研究に没頭した。公爵は一切の制約を設けず、必要な素材を惜しみなく提供した。彼の言葉は少ないが、リリアの疑問には的確な助言を与え、彼女の成果を正当に評価した。
ある日、リリアが完成したばかりの高品質な土壌活性ポーションを手に、庭園の枯れた一角を眺めていると、公爵が静かに現れた。
「そのポーションは……驚くべき効果を持つと聞く。我が領地の荒れた土地も、君の手にかかれば再生できると?」
「はい。土壌内の微生物相を最適化し、必要な元素の吸収を促進することで、どんな痩せた土地でも豊かな農地へと変えられます」
リリアが説明すると、公爵は興味深げに頷いた。
「君の錬金術は、過去の文献にある『真なる錬金術師』の再来を感じさせる。私が求めていた、理論と応用に基づいたものだ」
その言葉は、リリアの胸に温かい光を灯した。男爵家では、誰もがリリアの錬金術を「誰でも真似できるもの」と過小評価し、成果だけを奪っていった。だが、この公爵は、その「仕組み」にまで興味を持ち、深く理解しようとしている。何よりも、彼女の「論理的な思考」と「探求心」そのものを認めてくれている。
「ありがとうございます……」
リリアは素直に感謝の言葉を口にした。
公爵邸での日々は、リリアの心を少しずつ溶かしていった。彼女は公爵の領地経営に深く関わる中で、彼の厳格さの裏にある民への深い責任感、そして孤独を知るようになる。公爵は言葉少なだが、その行動から滲み出る信頼と、何よりもアルバスの存在が、リリアの凍てついた心を温めた。
漆黒の巨大な魔獣、アルバスは、リリアにのみ懐いた。公爵には忠実だが、彼に対してさえ滅多に見せない甘え方を、リリアには惜しみなく見せる。リリアが研究室で作業していると、いつの間にかそばで丸まって寝息を立てていることもあった。
ある日の夕方、庭園のベンチでアルバスの頭を撫でていたリリアの隣に、公爵が静かに座った。
「アルバスが、ここまで懐くのは珍しい。君の魂の光が、彼を引き寄せるのだろう」
公爵はそう言うと、わずかに目元を緩ませ、アルバスの顔を慈しむように撫でた。人間には冷徹な「氷の公爵」が、アルバスにだけ見せるその穏やかな表情は、リリアを驚かせた。そして、公爵のその表情に、リリア自身の心が温かくなるのを感じた。
「公爵様は、アルバスを、本当に大切にしていらっしゃるのですね」
リリアが微笑むと、公爵は一瞬、はっとしたように表情を引き締めたが、すぐに視線をアルバスに戻し、静かに語り出した。
「……かつて、私は、信頼していた者に裏切られた。私の研究成果を奪われ、その責任を負わされた。その時、知ったのだ。感情は弱さであり、他人に期待しても、結局は裏切られるだけだと。心を閉ざし、力だけを信じて生きてきた。私にとって、アルバスだけが、唯一、無条件に信じられる存在だった」
公爵は、そこで言葉を切った。それは、彼が初めてリリアに、己の「嘘」の根源を明かした瞬間だった。
「だが……君が来てから、アルバスは、より活発になった。そして、私自身も、君の錬金術、君の探求心を見て……」
公爵は言葉を選び、不器用ながらも、リリアへの信頼を伝えようとしていた。彼の視線には、凍てついた氷の奥に秘められた、微かな熱情が見えた。
(この人は、私を、ありのままの私を、認めてくれている……)
リリアの心に、深く根付いていた「完璧でなければ愛されない」という「嘘」が、ゆっくりと、音を立てて崩れていくのを感じた。公爵の無条件の承認と、アルバスの純粋な甘えが、彼女の自己否定の心を溶かしていく。
その頃、王都から遠く離れた男爵領では、異変が起きていた。リリアがいないことで、土壌活性ポーションの在庫は底をつき、薬草畑はみるみるうちに痩せ細っていった。収穫量は激減し、領地は困窮の一途を辿る。美容ポーションの品質も安定せず、かつてアメリアが社交界で得た名声は、悪評へと転じ始めていた。彼らはリリアの錬金術を「誰でも真似できる簡単なもの」と過信していたため、模倣しようとしては失敗を繰り返し、その無能さが具体的に露呈し始めていたのだ。
「公爵様。領地の錬金術師として、貴女の功績を王都へ報告せねばならない」
公爵の言葉に、リリアは息をのんだ。王都。あの忌まわしい記憶が蘇る。再び人前に出ることへの恐怖が、リリアの心を揺さぶった。
(また、利用されるだけなのでは?私の才能は、結局、誰かの道具でしか……)
リリアの心が揺れ動く。完璧でなければ愛されないという古い「嘘」が、再び顔を覗かせる。公爵の隣に立つ自分は、本当に相応しいのだろうか?
公爵は、リリアの僅かな動揺を察したのか、静かに彼女の手を取り、力強く、そしてどこか優しげに言った。
「心配ない。君は、君のままで美しい。そして、私が君を守る」
公爵の言葉に、アルバスが優しくリリアの膝に頭を乗せた。その温かさに、リリアの心に再び温かい光が灯る。
(もう、あの『嘘』に囚われない。私は、私自身の意志で、この人と共に歩む)
リリアは深く頷いた。王都への旅が、彼女の新たな一歩となることを、心の底から決意していた。
(公爵が……助けてくれた?)
身体を起こすと、全身を包む上質なローブの感触に驚いた。男爵家では決して触れることのなかった、きめ細やかな生地。部屋は広大で、壁には精巧なタペストリーが飾られ、窓からは手入れの行き届いた庭園が見える。
「お目覚めになられましたか、リリア様」
柔らかな声に振り返ると、初老の女性がティーセットを手に立っていた。公爵邸の侍女だという彼女は、リリアを咎めるような視線を一切向けず、ただ穏やかな微笑みを浮かべていた。
「公爵様が、リリア様を客間にお連れするよう、ご指示なさいました。どうぞ、温かいお茶を」
リリアは戸惑いながらもカップを受け取った。その間にも、侍女はリリアの体調を気遣い、必要なものはないかと尋ねる。男爵家で受けてきた冷遇とは、あまりにもかけ離れた待遇だった。
(なぜ、こんな私を……?)
公爵は昨夜、リリアの「魂の光」について語っていた。そして、彼の屋敷で自由に錬金術の研究をすることを許された。侍女の案内で通された研究室は、これまでリリアが使っていた工房とは比べ物にならないほど広かった。壁一面に珍しい薬草や鉱物が並び、見たこともない複雑な蒸留器や調合器が揃っている。
(ここは、錬金術師にとって、夢のような場所だわ……!)
リリアの心に、忘れかけていた探求心が蘇る。彼女は早速、王都で肌荒れを引き起こした美容ポーションの残骸を調べ始めた。原因は、精製過程で混入した不純物。おそらく、アメリアかユリウスが、より効果を出そうと余計なものを混ぜたか、あるいはリリアが工房から締め出された隙に、試作品ではない粗悪なものを提出したのだろう。
怒りよりも、錬金術師としての使命感が勝った。この素晴らしい設備があれば、真のポーションの改良ができる。彼女は黙々と研究に没頭した。公爵は一切の制約を設けず、必要な素材を惜しみなく提供した。彼の言葉は少ないが、リリアの疑問には的確な助言を与え、彼女の成果を正当に評価した。
ある日、リリアが完成したばかりの高品質な土壌活性ポーションを手に、庭園の枯れた一角を眺めていると、公爵が静かに現れた。
「そのポーションは……驚くべき効果を持つと聞く。我が領地の荒れた土地も、君の手にかかれば再生できると?」
「はい。土壌内の微生物相を最適化し、必要な元素の吸収を促進することで、どんな痩せた土地でも豊かな農地へと変えられます」
リリアが説明すると、公爵は興味深げに頷いた。
「君の錬金術は、過去の文献にある『真なる錬金術師』の再来を感じさせる。私が求めていた、理論と応用に基づいたものだ」
その言葉は、リリアの胸に温かい光を灯した。男爵家では、誰もがリリアの錬金術を「誰でも真似できるもの」と過小評価し、成果だけを奪っていった。だが、この公爵は、その「仕組み」にまで興味を持ち、深く理解しようとしている。何よりも、彼女の「論理的な思考」と「探求心」そのものを認めてくれている。
「ありがとうございます……」
リリアは素直に感謝の言葉を口にした。
公爵邸での日々は、リリアの心を少しずつ溶かしていった。彼女は公爵の領地経営に深く関わる中で、彼の厳格さの裏にある民への深い責任感、そして孤独を知るようになる。公爵は言葉少なだが、その行動から滲み出る信頼と、何よりもアルバスの存在が、リリアの凍てついた心を温めた。
漆黒の巨大な魔獣、アルバスは、リリアにのみ懐いた。公爵には忠実だが、彼に対してさえ滅多に見せない甘え方を、リリアには惜しみなく見せる。リリアが研究室で作業していると、いつの間にかそばで丸まって寝息を立てていることもあった。
ある日の夕方、庭園のベンチでアルバスの頭を撫でていたリリアの隣に、公爵が静かに座った。
「アルバスが、ここまで懐くのは珍しい。君の魂の光が、彼を引き寄せるのだろう」
公爵はそう言うと、わずかに目元を緩ませ、アルバスの顔を慈しむように撫でた。人間には冷徹な「氷の公爵」が、アルバスにだけ見せるその穏やかな表情は、リリアを驚かせた。そして、公爵のその表情に、リリア自身の心が温かくなるのを感じた。
「公爵様は、アルバスを、本当に大切にしていらっしゃるのですね」
リリアが微笑むと、公爵は一瞬、はっとしたように表情を引き締めたが、すぐに視線をアルバスに戻し、静かに語り出した。
「……かつて、私は、信頼していた者に裏切られた。私の研究成果を奪われ、その責任を負わされた。その時、知ったのだ。感情は弱さであり、他人に期待しても、結局は裏切られるだけだと。心を閉ざし、力だけを信じて生きてきた。私にとって、アルバスだけが、唯一、無条件に信じられる存在だった」
公爵は、そこで言葉を切った。それは、彼が初めてリリアに、己の「嘘」の根源を明かした瞬間だった。
「だが……君が来てから、アルバスは、より活発になった。そして、私自身も、君の錬金術、君の探求心を見て……」
公爵は言葉を選び、不器用ながらも、リリアへの信頼を伝えようとしていた。彼の視線には、凍てついた氷の奥に秘められた、微かな熱情が見えた。
(この人は、私を、ありのままの私を、認めてくれている……)
リリアの心に、深く根付いていた「完璧でなければ愛されない」という「嘘」が、ゆっくりと、音を立てて崩れていくのを感じた。公爵の無条件の承認と、アルバスの純粋な甘えが、彼女の自己否定の心を溶かしていく。
その頃、王都から遠く離れた男爵領では、異変が起きていた。リリアがいないことで、土壌活性ポーションの在庫は底をつき、薬草畑はみるみるうちに痩せ細っていった。収穫量は激減し、領地は困窮の一途を辿る。美容ポーションの品質も安定せず、かつてアメリアが社交界で得た名声は、悪評へと転じ始めていた。彼らはリリアの錬金術を「誰でも真似できる簡単なもの」と過信していたため、模倣しようとしては失敗を繰り返し、その無能さが具体的に露呈し始めていたのだ。
「公爵様。領地の錬金術師として、貴女の功績を王都へ報告せねばならない」
公爵の言葉に、リリアは息をのんだ。王都。あの忌まわしい記憶が蘇る。再び人前に出ることへの恐怖が、リリアの心を揺さぶった。
(また、利用されるだけなのでは?私の才能は、結局、誰かの道具でしか……)
リリアの心が揺れ動く。完璧でなければ愛されないという古い「嘘」が、再び顔を覗かせる。公爵の隣に立つ自分は、本当に相応しいのだろうか?
公爵は、リリアの僅かな動揺を察したのか、静かに彼女の手を取り、力強く、そしてどこか優しげに言った。
「心配ない。君は、君のままで美しい。そして、私が君を守る」
公爵の言葉に、アルバスが優しくリリアの膝に頭を乗せた。その温かさに、リリアの心に再び温かい光が灯る。
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