傭兵から商売を始めたら、いつの間にか領主になっていた件

篠の目

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第110章 血に沈む砦と策略の影

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 フィルードはわずかに首を振り、チェリルに座るよう促した。
「チェリル百人隊長。今回の敵はこれまでとは格が違う。夜襲部隊を無闇に危険へ晒すわけにはいかない。……下手をすれば、ボア・マンに包囲されるぞ。絡め取られた時点で終わりだ。あの巨獣どもの膂力を知っているだろう?」
 チェリルは短く息を呑み、真剣な面持ちで頷いた。
「問題ありません。空がもう少し暗くなったら、兄弟たちを率いて下へ向かいます。」
 フィルードは黙って頷いた。だがその胸中では、戦略盤を睨むようにいくつもの思考が交錯していた。
 ――この戦は、ただの防衛戦では終わらない。奴らの目的が何か、見極めねばならない。
 皆が夕食を終えた頃、チェリルは死体の搬送に向かおうとしていた。
 その瞬間、谷の入り口が突如として橙色の光に包まれた。大量のかがり火が灯され、部族の戦士たちが恐る恐る薪を運んでいる。
 木製の城壁全体が炎の照り返しに晒された。
 フィルードは奥歯を噛み締め、静かに息を吐く。
 ――やるな。夜襲を封じるだけでなく、死体の処理まで妨害する気か。獣人どもにしては、随分と頭を使う……。
 この群れは、今までの烏合の衆とは明らかに違う。
 それを悟った瞬間、背筋を冷たいものが走った。
 今回の大軍は、過去に滅ぼした部族の報復なのか。それとも、獣人上層部が本格的に動き始めたのか。
 もし後者なら――この領地はもう、永遠に安寧を得られないだろう。
 死体を焼き払うという選択肢は取れなかった。外壁は丸太で組まれており、火を放てばこちらの防衛線そのものを焼くことになる。
 焦燥を押し殺しながら、フィルードは周囲を見渡した。目の端に、盾の影に潜んでいる獣人兵の姿が映る。
 怒りが、戦略の理性を一瞬突き破った。
 彼は弓を引き抜き、無言のまま狙いを定めた。
 短い弦音。次の瞬間、獣人の四肢が貫かれ、悲鳴が谷に響いた。
 距離はわずか数十メートル。
 フィルードは素早く軽弓へ持ち替え、無駄なく矢を放ち続けた。
 中級魔法使い見習いとなった今の彼の腕力なら、この程度の軟弓で数十射は容易だ。
 同時に、彼は射撃精度の高い傭兵七、八名にも命じた。
 矢が夜空を切り裂き、炎光に照らされた獣人の影が次々と崩れ落ちていく。
 しばらくして、かがり火の周囲は混乱に陥った。
 火を見張っていた獣人たちは次々と逃げ出し、悲鳴が連鎖する。
 だがその直後、さらに大きな咆哮が響いた。
 ――ボア・マンの制裁だな。逃げた兵を斬ったか。
 再び、別の部族の戦士たちが怯えた様子で現れ、薪を投げ込み、すぐさま退却した。
 だがフィルードの矢は容赦しない。闇に紛れた彼の射撃は正確無比だった。
 一晩中続いたこの小競り合いで、彼は敵に五十人以上の負傷者を出させた。
 夜が明けるころ、ほんの一瞬まぶたを閉じたその時――角笛が鳴り響いた。
 攻城が再開されたのだ。
 今回は様相が違った。獣人たちは武器だけでなく、背に大きな袋を担ぎ、そこには土や丸太が詰め込まれていた。
 その光景を見て、フィルードは額を押さえた。
 ――やはりか。やつら、本気で死体と土で城壁を埋めるつもりだ。
 突撃してくる部族の戦士たちは、もはや戦士ではなかった。
 処刑場へ向かう囚人のように足を引きずり、絶望を浮かべたまま突き進む。
 中には泣き叫びながら崩れ落ちる者もいた。
 城壁の上から見下ろすフィルードたちは、もはや屠殺者のようだった。
 石、丸太、投槍――あらゆる武器が降り注ぎ、戦場は再び血に染まった。
 正午を過ぎる頃、城壁下の死体はまた厚く積み上がり、数百の命がそこで潰えた。
 そして悪い兆候が現れる。死体や瓦礫の山が、すでに城壁の三分の一の高さにまで達していたのだ。
 ――このままでは数日ももたぬ。だが、奴らの損耗も限界だ。
 二度の攻城で、敵は千人以上を失っていた。
 それでも、午後になると戦列を整え直し、土煙を上げていた。
 遠くから眺めると、さらに五つの中規模部族が支援に来ている。
 追加戦力、約千五百。
 フィルードは目を細めた。
 ――殺すより補充のほうが速い。奴ら、補給線が完全に機能しているな……。
 つまり、ボア・マンはこの領地を落とす気だ。本気で。
 午後の間、敵は攻撃を仕掛けず、代わりに遠方で木を切り出していた。
 カンカンという打撃音が響き続け、やがて巨大な木製の筏が形を成した。
 それを見た瞬間、フィルードの脳裏に電流が走る。
 ――木排(もくはい)か……。防御を突破せず、直接埋め立てに出たか。
 三日目、数百の獣人が木製の筏を掲げて突撃してきた。
 五十人から六十人の部族戦士がその下で支え、内部には土嚢を抱えた兵が隠れている。
 それは明確に計算された動きだった。無駄な死者を減らしながら、確実に埋め立てを進めるつもりなのだ。
 ――……この中に、指揮官がいるな。愚かではない。
 城壁下に筏が到達し、獣人たちは土を降ろすとすぐに退却する。
 上からの石塊は厚い板に弾かれ、ほとんど効果を与えられない。
 フィルードと千人隊長たちは眉を寄せた。
 「団長様、彼らにこんな真似を続けさせるわけにはいきません。兄弟たちを率いて突撃を――!」
 ブルースの目は血走っていた。ユリアンも同意の声を上げる。
 だがフィルードは即座に首を振る。
 「駄目だ。今出れば、包囲網に飲み込まれる。こちらから救援は出せない。」
 そう言ってケビンを振り返った。
 「後方へ走れ。奴隷たちに命じて、丸太を三本束ね、重石を増やせ。粗製の筏がどこまで耐えられるか……見せてもらおう。」
 まもなく、加重された丸太がいくつも完成し、城壁上に運び上げられた。
 敵の突撃と同時に、それを落とす。
 轟音とともに木製の筏が真っ二つに砕け、内部の獣人兵が地面に叩きつけられた。
 二本目の丸太が落ちる頃には、筏は完全に崩壊。
 さらに投槍が雨のように降り注ぎ、辛うじて生き残った獣人も次々と倒れていく。
 わずかに残った戦士たちは、恐怖に顔を歪めながら逃げ出した。
 それでもボア・マンの首領は怒り狂い、再び突撃を命じる。
 夕暮れまで続いた戦いの果てに、獣人たちはまた五百の死体を積み上げただけで、ほとんど成果を得られなかった。
 ――死体の山は高くなった。だが、それだけだ。
 フィルードは無言のまま、赤黒く染まった大地を見下ろした。
 風が吹くたびに、血と鉄の匂いが砦を包み込む。
 その眼差しの奥で、彼は静かに次の策を練り始めていた。
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