文字サイズ
小
中
大
特大
9 / 9
冬いちご、甘く実りて
「今年もいよいよね……」
英国式ティールーム・ローズメリーの女主人である桂木翠は、カレンダーの日付を確認して拳を握った。
「今年は人数も確保できたし――いけるわ!」
閉店後の薄寒い店内に、闘気がめらめらと燃え上がった。
***
「おはようございま~す!」
「おはようございます」
一年で最も日照時間が短い季節の早朝。
湊と美緒は日も明けきらぬうちから中メタセコイアの階段を抜け、ローズメリーの店先にやってきた。
そこには既に亜嵐と翠が待っていて、翠はにっこりと微笑んで二人を手招きした。
「おはよう、二人とも。今日はお願いね」
その装いは、いつもの黒いワンピースではない。
髪は緩く括られ、ボアの付いたコートはいかにも温かそうだし、裾から伸びる足はコーデュロイのパンツに包まれていた。
「うわぁ、私服の翠さんもステキ!」
「あら。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞なんかじゃないですよぉ!」
きゃぴきゃぴする女性陣を横目に、白い息を吐く亜嵐は不機嫌さを隠そうともしない。
湊は仏頂面の男に近付いて声をかけた。
「亜嵐さん、どうかしたんですか?」
「何でもない。いや、何もしていないことが問題なのだ」
小首を傾げる湊に、亜嵐は言い募った。
「レンタカーを用意すると提案したのに。なぜタクシーを呼ぶのか、私には全く理解できない」
「クリスマスを前に、命を懸けたくないからですよ」
容赦のない翠の突っ込みに、亜嵐は尚更顔を顰めた。
「待ちに待ったシーズンだし、いちごはたくさん摘みたいけれど、それも安全あってのことですからね」
「私のドライビング・テクニックに危険など――」
そのとき――。
「あ、タクシー来ましたよ」
黒いミニバンタイプの車がやってきて、四人の前にするりと停車した。
ドアが開いて、二列目に翠と美緒が乗り込む。
「ほら、亜嵐さんも!」
湊と並んで座れると知った途端、亜嵐の顔に浮かれたような笑みが貼り付いた。
全員が座席に収まり、顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「――よし。いざ行かん、いちご狩りへ!」
ゆっくりとスライドドアが閉まり、タクシーは朝日に向かって軽快に走り出した。
***
「今日行く農家さんはね、ハウスで土耕栽培をしているのよ」
「土耕栽培?」
語尾が疑問形の美緒に、亜嵐の説明モードが発動する。
「土耕栽培とは、地面に苗を植える昔ながらの栽培方法だ。それに対して近年増えているのが、高設栽培――背の高い培地に養液を満たして苗を育てる、いわゆる水耕栽培だ」
「土の方が美味しいいちごになるんですか?」
湊の問いに、亜嵐は首を横に振った。
「必ずしもそうとは限らない。土耕栽培と高設栽培、どちらにも利点がある。結局、味を決めるのは作り手の腕だ」
「そっか。じゃあ土耕栽培のいちごは、翠さんのこだわりってこと?」
美緒が首を傾げると、翠は微笑み「いいえ」と言った。
「こだわっているのは栽培方法じゃなくて味よ。三代続く土耕栽培の農家さんでね。味が濃くて、とびきり美味しいのよ」
翠が「とびきり美味しい」と太鼓判を押すいちご――それだけで、大学生たちの期待値は跳ね上がり、美緒に至ってはごくりと生唾を飲み込んだ。
そもそもこの時期のいちごはまだ高価なのだ。それでも量を確保しようというのだから、それだけでも相当熱の入れようだ。
「量り売りで買い取るから――いいわね、みんな。摘んで摘んで、摘みまくってちょうだい!」
「ラジャー!」
「頑張りましょうね、亜嵐さん!」
タクシーの車内で、突として『いちごハンター・チームローズメリー』が結成される。
やる気満々の三人を横目に、亜嵐は小さくため息を漏らした。
***
「えっ、どうして……」
ビニールハウスがいくつも並ぶ田舎道でタクシーを降りた一行は、ぽかんと口を開けた。
というのも――。
「いやぁ、オリーさんにはかなわんなぁ」
「ハウス一つ分、どうぞたくさん採っていってくださいね」
作業着の上にダウンジャケットを着込み、寒そうに手を擦り合わせる中年夫婦と朗らかに談笑していたのは、亜嵐の従兄にしてイギリスで会社を経営するオリヴァー・ウェストフィールド氏だった。
オリーはローズメリー一行を見ると、破顔一笑した。
「やあ! やっと来たか、みんな。ふふふ、オーナーさんに話はつけておいたよ。左から二つ目のビニールハウスが、今日の私たちの狩場だ!」
爽やかに腕を広げて宣う金髪のハンサム・ガイに、四人の目が揃って細まる。
「えっと、オリーさんも誘ってたんですか? 翠さん」
「いいえ。日本に来ているなんて聞いていなかったもの」
「それでもいるとか……えぇー、胡散臭過ぎだよ」
足を止めてこそこそ話す三人の前に一歩出ると、亜嵐は「そんな気がしていました」と言った。
「あら、亜嵐さんが呼んだの?」
「まさか。ただ予感というか、この男なら現れてもおかしくないと思っていただけです」
その言葉に、オリーの顔はぱぁっと光り、湊の顔はむっと渋くなった。
「はっはっは、アラン。それは以心伝心というやつだよ。さすがは我が弟だな」
「虫の知らせだ。慣用句は正しく使うように」
オリーを睨みつけたそのとき。
ふと、コートを引っ張られた気がして亜嵐が振り返ると、すぐ後ろに湊が立っていた。
その頬は不満げに、ぷくっと膨らんでいる。
「亜嵐さん。早く行かないと、摘みきれませんよ」
「あ、ああ。そうだな、早々に取り掛かるとしよう」
「オリーさんも。おかしなこと言ってないで、ちゃんと働いてくださいね」
ちらりとオリーに視線を送り、湊はぷいっと顔を背けた。
湊にしては珍しい行動に、翠と美緒は顔を見合わせてくすりと笑った。
「いやぁ、いじめるつもりはなかったんだけどな」
確信犯の笑みを浮かべるオリーをひと睨みして、亜嵐はコホンと咳払いをした。
そして改めて、高らかに宣言した。
「では諸君。いざ――ハンティング開始だ!」
***
「やだよぉ、オリーさん。オバさんをからかっちゃダメだよ~」
「ノー、ノー。からかってなどいません。素晴らしい味わいのいちごに、魅力的なレディのみなさん。ここはまるで天国ですよ」
「あっはは! ほら、ミルクもっと使いなよ」
農園のお姉さま方と輪になって、追加のコンデンスミルクをもらうオリーをチラ見して、湊はため息を吐いた。
オリーはまったく動く様子を見せず、採ってもらった完熟いちごを味わっている。
一方で、コートを脱いだ翠と美緒はもくもくと収穫を続けており、特に美緒の手つきは驚くほど正確で素早かった。
「びっくりだわ。私にこんな才能があったなんて」
呟く間も手は動き続ける。瞳は爛々と輝き、頬は紅潮している。
その様子に、翠はいたく満足げだ。
「俺ももっと頑張らないと……」
あらためて気合を入れた湊の耳に、熱心な哲学者のような声が届いた。
「見たまえ、湊。このいちごの完璧な調和を。――大きさ、芳香、そして色彩。どれ一つ欠けても成立しない。まさに理想形だ」
うっとりとした亜嵐の声音に、湊は苦笑した。
(そこまで気にしなくても。今日のいちごは全部ジャムにするって、翠さん言ってたし)
ハンティング開始早々、「私は量より質を重視する!」と宣言した亜嵐は、たわわに実る畝をうろうろしては、その中から「これは!」といういちごを採取している。
そして一つ選ぶたびに、いちいち湊に見せに来るのだ。
まったく戦力にはなっていないものの、亜嵐が厳選したいちごは本当にどれも最高で、湊は素直に感嘆の声を上げた。
「うわぁ、それもすごく美味しそうですね!」
「ふふ。では味見をしよう。さっきは私だったから、今度は湊の番だ」
つやつやの真っ赤ないちごを湊の手のひらに置いて、亜嵐はにっこりと微笑んだ。
ミルクをつけず、そのままで頬張ると――。
「……っ! 甘っ!」
強い甘みと、きゅんとした酸味が、口いっぱいに広がる。
いちご特有の濃い香りが鼻に抜けて、湊は思わず頬っぺたを押さえた。
「最高に美味しいです!」
「うむ。――では私は、次の宝石を探してこよう」
ひらひらと手を振り離れていく亜嵐に、湊も手を振り返す。
ステップを踏むような亜嵐と、どこかのんびりとした湊を見遣って、翠は「あの二人は期待できないわね。主に亜嵐さんが」と呟き、ため息を吐いた。
***
「うふふ、大漁ね」
山積みになったいちご箱を前に、翠の顔には達成感が滲んでいた。
その後ろでは美緒が腰を叩きながら、「良い汗かいたわ!」とタオルで額を拭いている。
亜嵐は満面の笑みで、湊はややばつが悪そうに腹をさすった。
「ところでこの量……どうやって持って帰るんですか?」
「タクシーを二台呼べばいいかしら」
頬に手を当て、翠が首を傾げていると――。
ブロロロ、ブォン。
一台のピックアップトラックが、ビニールハウスの前に横付けされた。
見るからに国産車ではない。大きな車体は光を受けて、鈍い輝きを放っている。
「えっ、何この車! どういうこと?」
美緒は目を丸くして、一歩退いた。
青いドアがゆっくりと開き、サッと降り立ったのは――。
「オリーさん!?」
「ははっ。帰りの足は準備済みさ!」
燦々とした笑顔を浮かべて親指を立てたオリーに、亜嵐以外の三人がわっと沸き立った。
「まあ、オリーさん。今日のエースね!」
「胡散臭いのにグッジョブ!」
「すごいです、オリーさん!」
「ふふん、私だってやるときはやるのさ」
四人は順番にハイタッチを交わした。
そして湊と美緒、翠とオリーに別れて、リレー形式でトラックの荷台にいちご箱を積んでいく。
その間、亜嵐は腕を組み、憤慨した様子でトラックを睨みつけていた。
「アラン。子どもみたいに拗ねていないで、早く乗りなよ」
いちごを積み終え、車のエンジンをかけたオリーが、亜嵐に声をかけた。
けれど亜嵐はそっぽを向いたままだ。
「……ふん。私は電車で帰る」
「何を言ってるの、亜嵐さん。藤宮くんの隣なら空いてるわよ?」
「エースでグッジョブですごい男の車になど、乗りたくありません!」
むきになって背を向けた亜嵐の耳に――ジャリッ。
未舗装の砂利道を歩く音が聞こえた。
「亜嵐さん」
その声に振り返ると、コートを羽織った湊が歩み寄ってくるところだった。
「湊?」
「亜嵐さんが電車で帰るなら、俺もそうします」
「湊――何を言っている!?」
狼狽する亜嵐の腕を取り、湊は「だって」と続けた。
「俺、亜嵐さんと今日の話をしながら、一緒に帰りたいんです。だから、亜嵐さんが車に乗らないなら、俺もそうします」
途端、逆立った猫のようだった亜嵐は、しゅんとおとなしくなった。
弱々しい目で、湊の顔を窺う。
「ここから電車でとなると、帰宅時間は保証できない。……構わないのか?」
「それは亜嵐さんだって同じでしょう?」
「だが……君は今日、私と違ってたくさん収穫していた。疲れている君に、そんな無理はさせたくない」
(自覚あるのかよ!)
翠と美緒が、心の中でだけ大声で突っ込む。
そんなことは露知らず、湊が「それでも亜嵐さんと一緒がいいです」と言い切ると、とうとう亜嵐は組んだ腕を解いて大きく息を吐いた。
「――わかった。私も車に乗ろう」
「亜嵐さん!」
「オリー、この借りはすぐに返す」
「オゥ、私は何も貸したつもりはないけれどね?」
薄い雲から、冷えた午後の太陽が覗いている。
明日から寒波が来ると、ニュースのキャスターが言っていた。
「春になったらまた来ますね!」
手を振る農家の皆に、湊と亜嵐は窓越しに手を振り返した。
そして青いピックアップ・トラックは、横浜への帰路についたのだった。
***
<おまけ>
「それにしてもオリーさんたら、準備が良くてびっくりよ」
「ははっ、もっと褒めていいんだよ?」
「すごい車……こんなレンタカーもあるんだぁ」
「いや、これは私の車だよ」
「え?」
「しばらく日本で仕事をするんだ。荷物を積める車が欲しくて買ったんだよ」
「…………(買った? こんなゴツイ車を?)」
「ところでアランは静かだけど、どうかしたのか?」
「オリー」
「ん?」
「次のサービスエリアで運転を変わってくれ。私の運転技術を、ぜひみんなに披露したい」
「…………(オリーさん、サービスエリアは全部無視して!)」
「…………(ラジャー!)」
秘密はいつもティーカップの向こう側 TEACUP TALES
冬いちご、甘く実りて / 完
◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側
本編もアルファポリスで連載中です☕
ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
英国式ティールーム・ローズメリーの女主人である桂木翠は、カレンダーの日付を確認して拳を握った。
「今年は人数も確保できたし――いけるわ!」
閉店後の薄寒い店内に、闘気がめらめらと燃え上がった。
***
「おはようございま~す!」
「おはようございます」
一年で最も日照時間が短い季節の早朝。
湊と美緒は日も明けきらぬうちから中メタセコイアの階段を抜け、ローズメリーの店先にやってきた。
そこには既に亜嵐と翠が待っていて、翠はにっこりと微笑んで二人を手招きした。
「おはよう、二人とも。今日はお願いね」
その装いは、いつもの黒いワンピースではない。
髪は緩く括られ、ボアの付いたコートはいかにも温かそうだし、裾から伸びる足はコーデュロイのパンツに包まれていた。
「うわぁ、私服の翠さんもステキ!」
「あら。お世辞でも嬉しいわ」
「お世辞なんかじゃないですよぉ!」
きゃぴきゃぴする女性陣を横目に、白い息を吐く亜嵐は不機嫌さを隠そうともしない。
湊は仏頂面の男に近付いて声をかけた。
「亜嵐さん、どうかしたんですか?」
「何でもない。いや、何もしていないことが問題なのだ」
小首を傾げる湊に、亜嵐は言い募った。
「レンタカーを用意すると提案したのに。なぜタクシーを呼ぶのか、私には全く理解できない」
「クリスマスを前に、命を懸けたくないからですよ」
容赦のない翠の突っ込みに、亜嵐は尚更顔を顰めた。
「待ちに待ったシーズンだし、いちごはたくさん摘みたいけれど、それも安全あってのことですからね」
「私のドライビング・テクニックに危険など――」
そのとき――。
「あ、タクシー来ましたよ」
黒いミニバンタイプの車がやってきて、四人の前にするりと停車した。
ドアが開いて、二列目に翠と美緒が乗り込む。
「ほら、亜嵐さんも!」
湊と並んで座れると知った途端、亜嵐の顔に浮かれたような笑みが貼り付いた。
全員が座席に収まり、顔を見合わせて笑みを浮かべる。
「――よし。いざ行かん、いちご狩りへ!」
ゆっくりとスライドドアが閉まり、タクシーは朝日に向かって軽快に走り出した。
***
「今日行く農家さんはね、ハウスで土耕栽培をしているのよ」
「土耕栽培?」
語尾が疑問形の美緒に、亜嵐の説明モードが発動する。
「土耕栽培とは、地面に苗を植える昔ながらの栽培方法だ。それに対して近年増えているのが、高設栽培――背の高い培地に養液を満たして苗を育てる、いわゆる水耕栽培だ」
「土の方が美味しいいちごになるんですか?」
湊の問いに、亜嵐は首を横に振った。
「必ずしもそうとは限らない。土耕栽培と高設栽培、どちらにも利点がある。結局、味を決めるのは作り手の腕だ」
「そっか。じゃあ土耕栽培のいちごは、翠さんのこだわりってこと?」
美緒が首を傾げると、翠は微笑み「いいえ」と言った。
「こだわっているのは栽培方法じゃなくて味よ。三代続く土耕栽培の農家さんでね。味が濃くて、とびきり美味しいのよ」
翠が「とびきり美味しい」と太鼓判を押すいちご――それだけで、大学生たちの期待値は跳ね上がり、美緒に至ってはごくりと生唾を飲み込んだ。
そもそもこの時期のいちごはまだ高価なのだ。それでも量を確保しようというのだから、それだけでも相当熱の入れようだ。
「量り売りで買い取るから――いいわね、みんな。摘んで摘んで、摘みまくってちょうだい!」
「ラジャー!」
「頑張りましょうね、亜嵐さん!」
タクシーの車内で、突として『いちごハンター・チームローズメリー』が結成される。
やる気満々の三人を横目に、亜嵐は小さくため息を漏らした。
***
「えっ、どうして……」
ビニールハウスがいくつも並ぶ田舎道でタクシーを降りた一行は、ぽかんと口を開けた。
というのも――。
「いやぁ、オリーさんにはかなわんなぁ」
「ハウス一つ分、どうぞたくさん採っていってくださいね」
作業着の上にダウンジャケットを着込み、寒そうに手を擦り合わせる中年夫婦と朗らかに談笑していたのは、亜嵐の従兄にしてイギリスで会社を経営するオリヴァー・ウェストフィールド氏だった。
オリーはローズメリー一行を見ると、破顔一笑した。
「やあ! やっと来たか、みんな。ふふふ、オーナーさんに話はつけておいたよ。左から二つ目のビニールハウスが、今日の私たちの狩場だ!」
爽やかに腕を広げて宣う金髪のハンサム・ガイに、四人の目が揃って細まる。
「えっと、オリーさんも誘ってたんですか? 翠さん」
「いいえ。日本に来ているなんて聞いていなかったもの」
「それでもいるとか……えぇー、胡散臭過ぎだよ」
足を止めてこそこそ話す三人の前に一歩出ると、亜嵐は「そんな気がしていました」と言った。
「あら、亜嵐さんが呼んだの?」
「まさか。ただ予感というか、この男なら現れてもおかしくないと思っていただけです」
その言葉に、オリーの顔はぱぁっと光り、湊の顔はむっと渋くなった。
「はっはっは、アラン。それは以心伝心というやつだよ。さすがは我が弟だな」
「虫の知らせだ。慣用句は正しく使うように」
オリーを睨みつけたそのとき。
ふと、コートを引っ張られた気がして亜嵐が振り返ると、すぐ後ろに湊が立っていた。
その頬は不満げに、ぷくっと膨らんでいる。
「亜嵐さん。早く行かないと、摘みきれませんよ」
「あ、ああ。そうだな、早々に取り掛かるとしよう」
「オリーさんも。おかしなこと言ってないで、ちゃんと働いてくださいね」
ちらりとオリーに視線を送り、湊はぷいっと顔を背けた。
湊にしては珍しい行動に、翠と美緒は顔を見合わせてくすりと笑った。
「いやぁ、いじめるつもりはなかったんだけどな」
確信犯の笑みを浮かべるオリーをひと睨みして、亜嵐はコホンと咳払いをした。
そして改めて、高らかに宣言した。
「では諸君。いざ――ハンティング開始だ!」
***
「やだよぉ、オリーさん。オバさんをからかっちゃダメだよ~」
「ノー、ノー。からかってなどいません。素晴らしい味わいのいちごに、魅力的なレディのみなさん。ここはまるで天国ですよ」
「あっはは! ほら、ミルクもっと使いなよ」
農園のお姉さま方と輪になって、追加のコンデンスミルクをもらうオリーをチラ見して、湊はため息を吐いた。
オリーはまったく動く様子を見せず、採ってもらった完熟いちごを味わっている。
一方で、コートを脱いだ翠と美緒はもくもくと収穫を続けており、特に美緒の手つきは驚くほど正確で素早かった。
「びっくりだわ。私にこんな才能があったなんて」
呟く間も手は動き続ける。瞳は爛々と輝き、頬は紅潮している。
その様子に、翠はいたく満足げだ。
「俺ももっと頑張らないと……」
あらためて気合を入れた湊の耳に、熱心な哲学者のような声が届いた。
「見たまえ、湊。このいちごの完璧な調和を。――大きさ、芳香、そして色彩。どれ一つ欠けても成立しない。まさに理想形だ」
うっとりとした亜嵐の声音に、湊は苦笑した。
(そこまで気にしなくても。今日のいちごは全部ジャムにするって、翠さん言ってたし)
ハンティング開始早々、「私は量より質を重視する!」と宣言した亜嵐は、たわわに実る畝をうろうろしては、その中から「これは!」といういちごを採取している。
そして一つ選ぶたびに、いちいち湊に見せに来るのだ。
まったく戦力にはなっていないものの、亜嵐が厳選したいちごは本当にどれも最高で、湊は素直に感嘆の声を上げた。
「うわぁ、それもすごく美味しそうですね!」
「ふふ。では味見をしよう。さっきは私だったから、今度は湊の番だ」
つやつやの真っ赤ないちごを湊の手のひらに置いて、亜嵐はにっこりと微笑んだ。
ミルクをつけず、そのままで頬張ると――。
「……っ! 甘っ!」
強い甘みと、きゅんとした酸味が、口いっぱいに広がる。
いちご特有の濃い香りが鼻に抜けて、湊は思わず頬っぺたを押さえた。
「最高に美味しいです!」
「うむ。――では私は、次の宝石を探してこよう」
ひらひらと手を振り離れていく亜嵐に、湊も手を振り返す。
ステップを踏むような亜嵐と、どこかのんびりとした湊を見遣って、翠は「あの二人は期待できないわね。主に亜嵐さんが」と呟き、ため息を吐いた。
***
「うふふ、大漁ね」
山積みになったいちご箱を前に、翠の顔には達成感が滲んでいた。
その後ろでは美緒が腰を叩きながら、「良い汗かいたわ!」とタオルで額を拭いている。
亜嵐は満面の笑みで、湊はややばつが悪そうに腹をさすった。
「ところでこの量……どうやって持って帰るんですか?」
「タクシーを二台呼べばいいかしら」
頬に手を当て、翠が首を傾げていると――。
ブロロロ、ブォン。
一台のピックアップトラックが、ビニールハウスの前に横付けされた。
見るからに国産車ではない。大きな車体は光を受けて、鈍い輝きを放っている。
「えっ、何この車! どういうこと?」
美緒は目を丸くして、一歩退いた。
青いドアがゆっくりと開き、サッと降り立ったのは――。
「オリーさん!?」
「ははっ。帰りの足は準備済みさ!」
燦々とした笑顔を浮かべて親指を立てたオリーに、亜嵐以外の三人がわっと沸き立った。
「まあ、オリーさん。今日のエースね!」
「胡散臭いのにグッジョブ!」
「すごいです、オリーさん!」
「ふふん、私だってやるときはやるのさ」
四人は順番にハイタッチを交わした。
そして湊と美緒、翠とオリーに別れて、リレー形式でトラックの荷台にいちご箱を積んでいく。
その間、亜嵐は腕を組み、憤慨した様子でトラックを睨みつけていた。
「アラン。子どもみたいに拗ねていないで、早く乗りなよ」
いちごを積み終え、車のエンジンをかけたオリーが、亜嵐に声をかけた。
けれど亜嵐はそっぽを向いたままだ。
「……ふん。私は電車で帰る」
「何を言ってるの、亜嵐さん。藤宮くんの隣なら空いてるわよ?」
「エースでグッジョブですごい男の車になど、乗りたくありません!」
むきになって背を向けた亜嵐の耳に――ジャリッ。
未舗装の砂利道を歩く音が聞こえた。
「亜嵐さん」
その声に振り返ると、コートを羽織った湊が歩み寄ってくるところだった。
「湊?」
「亜嵐さんが電車で帰るなら、俺もそうします」
「湊――何を言っている!?」
狼狽する亜嵐の腕を取り、湊は「だって」と続けた。
「俺、亜嵐さんと今日の話をしながら、一緒に帰りたいんです。だから、亜嵐さんが車に乗らないなら、俺もそうします」
途端、逆立った猫のようだった亜嵐は、しゅんとおとなしくなった。
弱々しい目で、湊の顔を窺う。
「ここから電車でとなると、帰宅時間は保証できない。……構わないのか?」
「それは亜嵐さんだって同じでしょう?」
「だが……君は今日、私と違ってたくさん収穫していた。疲れている君に、そんな無理はさせたくない」
(自覚あるのかよ!)
翠と美緒が、心の中でだけ大声で突っ込む。
そんなことは露知らず、湊が「それでも亜嵐さんと一緒がいいです」と言い切ると、とうとう亜嵐は組んだ腕を解いて大きく息を吐いた。
「――わかった。私も車に乗ろう」
「亜嵐さん!」
「オリー、この借りはすぐに返す」
「オゥ、私は何も貸したつもりはないけれどね?」
薄い雲から、冷えた午後の太陽が覗いている。
明日から寒波が来ると、ニュースのキャスターが言っていた。
「春になったらまた来ますね!」
手を振る農家の皆に、湊と亜嵐は窓越しに手を振り返した。
そして青いピックアップ・トラックは、横浜への帰路についたのだった。
***
<おまけ>
「それにしてもオリーさんたら、準備が良くてびっくりよ」
「ははっ、もっと褒めていいんだよ?」
「すごい車……こんなレンタカーもあるんだぁ」
「いや、これは私の車だよ」
「え?」
「しばらく日本で仕事をするんだ。荷物を積める車が欲しくて買ったんだよ」
「…………(買った? こんなゴツイ車を?)」
「ところでアランは静かだけど、どうかしたのか?」
「オリー」
「ん?」
「次のサービスエリアで運転を変わってくれ。私の運転技術を、ぜひみんなに披露したい」
「…………(オリーさん、サービスエリアは全部無視して!)」
「…………(ラジャー!)」
秘密はいつもティーカップの向こう側 TEACUP TALES
冬いちご、甘く実りて / 完
◆・◆・◆
秘密はいつもティーカップの向こう側
本編もアルファポリスで連載中です☕
ティーカップ越しの湊と亜嵐の物語はこちら。
秘密はいつもティーカップの向こう側の姉妹編
・本編番外編シリーズ「TEACUP TALES」
シリーズ本編番外編
・番外編シリーズ「BONUS TRACK」
シリーズSS番外編
・番外SSシリーズ「SNACK SNAP」
シリーズのおやつ小話
よろしければ覗いてみてください♪
感想 1
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
ミュート中です
解除
あなたにおすすめの小説
【完結】毎夜、幼馴染の元へ通う夫へ。完璧な妻の仮面は返上いたします
【祝】HOTランキングランクイン!たくさんの応援ありがとうございます!
社交界で「理想の夫婦」と称えられるグランヴェル伯爵夫妻。だが実態は、毎夜幼馴染の愛人の元へ通う夫レオナルドと、一人冷たいベッドで眠るアメリアの「白い結婚」だった。
愛人に金品を貢ぎ、妻を「冷たい飾り」と見下す夫。しかし彼は知らなかった。己が誇る「優秀な領地経営」を担っていたのが、アメリアの頭脳だったことを――。
限界を迎えたアメリアの知的な罠が弾ける時、偽りの夫と愛人に完膚なきまでの絶望が襲いかかる!
※ハッピーエンド保障
※全5話完結しました
専業主婦十年、夫と息子に「何もしてない」と言われたので、自分の名前で稼ぐことにした
「お母さん、何もしてないじゃん」
小学四年生の息子に言われた。翌朝、夫も言った。そっちは家にいるだけだろ、と。
専業主婦十年。渡される生活費は白い封筒の月3万円。家の通帳は見たこともない。
期限切れのファンデーションを塗り、フォロワー48人のアカウントに写真を上げた。「ダメ出しお願いします」。止まらない通知の中に、短い返信が一つ。
――ひとつずつでいいよ。
早朝の新聞配達に、時給1200円の品出し。夜は簿記の参考書を開いた。額面22万円の雇用条件通知書。初めてのPR案件は、2万5千円。
その秋、夫が昼に誰と会っているかを知った。離婚届は12月24日。
一年後、私の会社の月商は500万円、フォロワーは200万人。港区のタワーマンションの鍵は、私の名前で受け取った。
「家にいるだけだろ」と言った人が、その数字を口にする番が来る。
この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。
全9話。
後宮の棘
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。
☆完結しました☆
スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。
第13回ファンタジー大賞特別賞受賞!
ありがとうございました!!
あやかし警察おとり捜査課
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
俺と黒騎士とまどかさん
いつ頃からか、通勤途中にすれ違う女性を意識するようになった高坂和真。
毎日1、2秒の出会いをいつしか心待ちにするようになる。
そんなある日、打ち合わせに行った会社にいたのは、例の彼女だった。
これは運命なのだろうか。
全7話の短編です
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
不倫妻への鎮魂歌 ―サレ夫が選んだ、最も残酷で静かな復讐―
「サレ夫、再生。不倫妻、転落。──その代償は、あまりに重い。」
「嘘で塗り固めた20年より、真実で歩む明日がいい。」
失って初めて気づく、守られていた日々の輝き。
46歳の美香にとって、誠実な夫と二人の息子に囲まれた生活は、退屈で窮屈な「檻」だった。若い男からの甘い誘惑に、彼女は20年の歳月を投げ打って飛び込んだ。 しかし、彼女が捨てたのは「檻」ではなく「聖域」だったのだ。 不倫、発覚、離婚、そして孤独。 かつての「美しい奥様」が、厚化粧で場末のスナックのカウンターに立つまでの足取りと、傷つきながらも真実の幸福を掴み取っていく夫・徹の再生を描く。 家族とは何か、誠実さとは何か。一通の離婚届が、二人の人生を光と影に分かつ。
あまりさんののっぴきならない事情
強引に見合い結婚させられそうになって家出し、憧れのカフェでバイトを始めた、あまり。
充実した日々を送っていた彼女の前に、驚くような美形の客、犬塚海里《いぬづか かいり》が現れた。
「何故、こんなところに居る? 南条あまり」
「……嫌な人と結婚させられそうになって、家を出たからです」
「それ、俺だろ」
そーですね……。
カフェ店員となったお嬢様、あまりと常連客となった元見合い相手、海里の日常。
