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第四話 深紅のプディング
「お待たせして申し訳ない」
「あ、亜嵐さん……!」
グラスを置いて席を立つと、亜嵐さんは俺を安心させるように微笑んだ。
「湊、約束したのにすまなかった」
「仕事だったんだから、しょうがないですよ」
すると亜嵐さんは目尻を下げたが、次の瞬間、俺の背後に目を向けて表情を戻した。
「そちらのレディーにも、お詫びする」
「……えぇー……すっごい顔面偏差値……」
思わず零れた白石さんの呟きに、亜嵐さんの表情がぴしりと固まる。
「その言われようは、あまり気持ちの良いものではないな」
「あっ、ご、ごめんなさい!藤宮くんに先に聞いてたのに、その……想像以上だったから、つい。だって、ビックリするほどの超絶美形なんだもん。そうよね!?藤宮くん!」
「えっ!?あぁ、うん!そうなんです。亜嵐さんは、今まで俺が出会った誰よりもカッコいいです!」
助け船ではなく、俺の本心だ。
その気持ちが伝わったのか、亜嵐さんは口元を手で隠し、わざとらしく咳払いした。
「んふっ――失礼。私は西園寺亜嵐。食文化を研究する傍ら、フードライターとしても活動をしている。湊とも、その縁で親しくさせてもらっている」
夏らしい薄手のブルーシャツに、アイボリーのパンツ。
胸ポケットには色の薄いサングラスが覗いている。
洗練された紳士に「親しくさせてもらっている」などと言われて喜ぶ俺をよそに、二人の自己紹介は粛々と進んでいった。
「初めまして、白石美緒です。あの、藤宮くんからは外見と名前しか聞いてなくて。外国の方だったんですね」
「湊は人を外見で判断しないので、つい忘れてしまうのだろう。私はこう見えて、クォーターでしてね」
形だけ笑みを浮かべているのに、瞳はまるで氷点下。
(亜嵐さん、怖いって……!)
雰囲気を変えねばと思ったそのとき。
場を仕切るプロフェッショナルの声が割って入った。
「亜嵐さん、もうちょっと愛想よくできないの?藤宮くんが困っているわよ。ほら、皆さん座ってくださいな。亜嵐さんもアイスティーでいいかしら?」
「おっと。それでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
一気に緊張が和らぐ。
しかしそのまま腰を下ろそうとした俺は、亜嵐さんに腕を引かれた。
「湊は――こちらだ」
指し示されたのは、亜嵐さんの隣。
首を傾げると、彼はさも当然のように言った。
「今日は湊からの依頼で白石女史をお迎えした。となれば、君はホスト側に座るべきだろう?」
なるほど、確かにその通りだ。
席を移し「ふぅ」と息をついたところで、白石さんと目が合う。
彼女は面白いものを見たように、にやりと笑った。
「ふーん……そういうことかぁ」
「え?何が?」
「んーん、別に。ただね、さっきも言ったけど。私、大切なのは何をどう信じて生きるかだと思ってるから、偏見とかは持たないの」
「……?」
白石さんの発言の真意が捉えられない。
意味を聞こうとしたそのとき――隣から「……ほう」と感心した声が漏れた。
「君はなかなか見どころがある。柔軟な発想と共感は、自らの可能性を広げる第一歩だ」
「だって結局は、自分に正直にしか生きられないですもん」
二人の視線が交錯する。
亜嵐さんはふっと笑みを浮かべ、軽やかに三度、手を打った。
「私の非礼を許して欲しい、ミス・美緒。あなたはとても聡明で興味深い人物だ」
ふふんと胸を張る白石さんと、機嫌を直した様子の亜嵐さん。
二人の間にだけ見えない橋が架かったようで、胸の奥にわずかな焦燥が走る。
(……まあ、打ち解けてくれたなら、それでいいけどさ)
ちりっと走った痛みを、俺は見ないことにした。
そんな俺を置き去りにして、二人の会話は自然に続いていく。
「それで、西園寺さん。今日、見せてくれるものって何ですか?」
「ああ、それなら……ちょうど出てきたようだ」
亜嵐さんが視線を送った先には、ワゴンを押して近づいてくる翠さんの姿。
「お待たせしました」
柔らかな声とともにテーブルに置かれた皿を見て、思わず息を呑む。
「……何ですか、これ……」
涼やかなガラスの大皿に鎮座しているのは、見たこともない色鮮やかなデザートだ。
植木鉢をひっくり返したような愛らしいフォルム。
その表面は濃いルビーのような赤に染め上げられ、滴るような艶めきを放っていた。
周りにはイチゴ、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー……色とりどりのベリーが散らされ、瑞々しい香りを漂わせている。
ひと目で「しっとりしている」とわかるその佇まいは、未知の食感を予感させた。
「藤宮くん、これはね……」
翠さんが説明を始めようとすると、亜嵐さんは静かに手を上げ、言葉を継いだ。
「湊、ミス・美緒。これは『サマープディング』――イギリスで夏の定番とされる、果実のデザートだ」
「サマー……プディング?」
プディング――その響きが、記憶の隅に引っかかる。
「プディングって……プリンのことですか?」
「えっ、これプリンなの!?」
白石さんが目を丸くする。
すると亜嵐さんと翠さんは顔を見合わせ、ふっと笑みを浮かべた。
「さすがは湊だ。確かに日本では、プディングといえばカスタード・プディング――いわゆるプリンを思い浮かべる人が多いだろう。だがイギリスでは、もっと広義に『プディング』という言葉を使うのだ」
「プディングは、本来蒸し料理を指す言葉なの。でもこれはパンとベリーで作ったもので、蒸してはいないのよ」
「……はぁ」
理解しきれずにいると、亜嵐さんはふわりと微笑んで上を指さした。
「帰りに二階へ寄っていきたまえ。資料がある」
「それって、私も誘ってくれてます?それともレディーに『ひとりで帰れ』って言ってるんですか?」
白石さんの挑むような言葉に、翠さんがぷっと噴き出した。
「ふふっ、その通りね。今日はだめよ、お二人さん。資料はまた日を改めてね」
「は、はい……」
「これは失礼した」
一瞬の沈黙の後、全員でひとしきり笑う。
場の空気は一変し、打ち解けて和やかになった。
「じゃあ、あとは亜嵐さんにお任せするわね。どうぞ冷たいうちに召し上がってくださいな」
安心したように微笑むと、翠さんは涼やかな足取りでカウンター奥へと戻っていった。
***
「では、紳士淑女に振る舞おう」
あらためて亜嵐さんがナイフを手に取り、プディングに刃を入れる。
途端、ジュワっと赤いソースが染み出した。
現れた断面には、びっしりと果肉が詰まっている。
「うわぁ……すっごくきれい……」
白石さんが感嘆の声を上げる。
亜嵐さんは淡々とプディングを皿に取り分け、散らばったベリーを添えていった。
「生クリームはお好みで」
そう言って、クリームが入ったピッチャーを、そっと白石さんの方へと押しやる。
小さな気遣い一つにも大人の余裕が滲んで、そんなところも格好いい。
「じゃあ……っと」
白石さんがプディングに、たらりと生クリームをかけた。
赤と白のコントラストが映えて、女王のような風格に甘さが加わる。
華やかでありながら、どこか可憐さも備えたデザートが、目の前に完成した。
「うわぁ、いただきます」
白石さんはフォークを手に取り、一切れをそっと口へ運んだ。
「……っ!すごっ……!」
見開いた目がキラキラと輝く。
そしてすぐにおかわりのフォークを差し込んだ。
俺も自分の皿からプディングをすくい、口に運ぶ。
「……っ!!」
これまで食べたことのない食感に、フォークを持つ手が小さく震えた。
果汁をたっぷり含んだパンは驚くほどジューシーで、甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
イチゴの甘やかな香りにブルーベリーの奥行き、ラズベリーの華やかな酸味が重なり合い、最後に生クリームが全てを柔らかく包み込む。
(何だ、これ……ものすごく美味しい!)
向かいの白石さんの頬も、興奮で紅潮している。
「ベリーの宝石箱だよ!こんなの、初めて食べます!」
二人揃って極上の味に、頬っぺたを押さえて笑みが零れ落ちる。
亜嵐さんは満足げにその様子を見て、ワイングラスを置くような仕草でフォークを休めた。
「それは重畳。もっとも、これはただのデザートではない。実はサマープディングは――療養食なのだよ」
「……え?」
療養食?
その意外な言葉に、俺と白石さんのフォークが止まった。
「あ、亜嵐さん……!」
グラスを置いて席を立つと、亜嵐さんは俺を安心させるように微笑んだ。
「湊、約束したのにすまなかった」
「仕事だったんだから、しょうがないですよ」
すると亜嵐さんは目尻を下げたが、次の瞬間、俺の背後に目を向けて表情を戻した。
「そちらのレディーにも、お詫びする」
「……えぇー……すっごい顔面偏差値……」
思わず零れた白石さんの呟きに、亜嵐さんの表情がぴしりと固まる。
「その言われようは、あまり気持ちの良いものではないな」
「あっ、ご、ごめんなさい!藤宮くんに先に聞いてたのに、その……想像以上だったから、つい。だって、ビックリするほどの超絶美形なんだもん。そうよね!?藤宮くん!」
「えっ!?あぁ、うん!そうなんです。亜嵐さんは、今まで俺が出会った誰よりもカッコいいです!」
助け船ではなく、俺の本心だ。
その気持ちが伝わったのか、亜嵐さんは口元を手で隠し、わざとらしく咳払いした。
「んふっ――失礼。私は西園寺亜嵐。食文化を研究する傍ら、フードライターとしても活動をしている。湊とも、その縁で親しくさせてもらっている」
夏らしい薄手のブルーシャツに、アイボリーのパンツ。
胸ポケットには色の薄いサングラスが覗いている。
洗練された紳士に「親しくさせてもらっている」などと言われて喜ぶ俺をよそに、二人の自己紹介は粛々と進んでいった。
「初めまして、白石美緒です。あの、藤宮くんからは外見と名前しか聞いてなくて。外国の方だったんですね」
「湊は人を外見で判断しないので、つい忘れてしまうのだろう。私はこう見えて、クォーターでしてね」
形だけ笑みを浮かべているのに、瞳はまるで氷点下。
(亜嵐さん、怖いって……!)
雰囲気を変えねばと思ったそのとき。
場を仕切るプロフェッショナルの声が割って入った。
「亜嵐さん、もうちょっと愛想よくできないの?藤宮くんが困っているわよ。ほら、皆さん座ってくださいな。亜嵐さんもアイスティーでいいかしら?」
「おっと。それでお願いします」
「かしこまりました。少々お待ちくださいね」
一気に緊張が和らぐ。
しかしそのまま腰を下ろそうとした俺は、亜嵐さんに腕を引かれた。
「湊は――こちらだ」
指し示されたのは、亜嵐さんの隣。
首を傾げると、彼はさも当然のように言った。
「今日は湊からの依頼で白石女史をお迎えした。となれば、君はホスト側に座るべきだろう?」
なるほど、確かにその通りだ。
席を移し「ふぅ」と息をついたところで、白石さんと目が合う。
彼女は面白いものを見たように、にやりと笑った。
「ふーん……そういうことかぁ」
「え?何が?」
「んーん、別に。ただね、さっきも言ったけど。私、大切なのは何をどう信じて生きるかだと思ってるから、偏見とかは持たないの」
「……?」
白石さんの発言の真意が捉えられない。
意味を聞こうとしたそのとき――隣から「……ほう」と感心した声が漏れた。
「君はなかなか見どころがある。柔軟な発想と共感は、自らの可能性を広げる第一歩だ」
「だって結局は、自分に正直にしか生きられないですもん」
二人の視線が交錯する。
亜嵐さんはふっと笑みを浮かべ、軽やかに三度、手を打った。
「私の非礼を許して欲しい、ミス・美緒。あなたはとても聡明で興味深い人物だ」
ふふんと胸を張る白石さんと、機嫌を直した様子の亜嵐さん。
二人の間にだけ見えない橋が架かったようで、胸の奥にわずかな焦燥が走る。
(……まあ、打ち解けてくれたなら、それでいいけどさ)
ちりっと走った痛みを、俺は見ないことにした。
そんな俺を置き去りにして、二人の会話は自然に続いていく。
「それで、西園寺さん。今日、見せてくれるものって何ですか?」
「ああ、それなら……ちょうど出てきたようだ」
亜嵐さんが視線を送った先には、ワゴンを押して近づいてくる翠さんの姿。
「お待たせしました」
柔らかな声とともにテーブルに置かれた皿を見て、思わず息を呑む。
「……何ですか、これ……」
涼やかなガラスの大皿に鎮座しているのは、見たこともない色鮮やかなデザートだ。
植木鉢をひっくり返したような愛らしいフォルム。
その表面は濃いルビーのような赤に染め上げられ、滴るような艶めきを放っていた。
周りにはイチゴ、ブルーベリー、ラズベリー、ブラックベリー……色とりどりのベリーが散らされ、瑞々しい香りを漂わせている。
ひと目で「しっとりしている」とわかるその佇まいは、未知の食感を予感させた。
「藤宮くん、これはね……」
翠さんが説明を始めようとすると、亜嵐さんは静かに手を上げ、言葉を継いだ。
「湊、ミス・美緒。これは『サマープディング』――イギリスで夏の定番とされる、果実のデザートだ」
「サマー……プディング?」
プディング――その響きが、記憶の隅に引っかかる。
「プディングって……プリンのことですか?」
「えっ、これプリンなの!?」
白石さんが目を丸くする。
すると亜嵐さんと翠さんは顔を見合わせ、ふっと笑みを浮かべた。
「さすがは湊だ。確かに日本では、プディングといえばカスタード・プディング――いわゆるプリンを思い浮かべる人が多いだろう。だがイギリスでは、もっと広義に『プディング』という言葉を使うのだ」
「プディングは、本来蒸し料理を指す言葉なの。でもこれはパンとベリーで作ったもので、蒸してはいないのよ」
「……はぁ」
理解しきれずにいると、亜嵐さんはふわりと微笑んで上を指さした。
「帰りに二階へ寄っていきたまえ。資料がある」
「それって、私も誘ってくれてます?それともレディーに『ひとりで帰れ』って言ってるんですか?」
白石さんの挑むような言葉に、翠さんがぷっと噴き出した。
「ふふっ、その通りね。今日はだめよ、お二人さん。資料はまた日を改めてね」
「は、はい……」
「これは失礼した」
一瞬の沈黙の後、全員でひとしきり笑う。
場の空気は一変し、打ち解けて和やかになった。
「じゃあ、あとは亜嵐さんにお任せするわね。どうぞ冷たいうちに召し上がってくださいな」
安心したように微笑むと、翠さんは涼やかな足取りでカウンター奥へと戻っていった。
***
「では、紳士淑女に振る舞おう」
あらためて亜嵐さんがナイフを手に取り、プディングに刃を入れる。
途端、ジュワっと赤いソースが染み出した。
現れた断面には、びっしりと果肉が詰まっている。
「うわぁ……すっごくきれい……」
白石さんが感嘆の声を上げる。
亜嵐さんは淡々とプディングを皿に取り分け、散らばったベリーを添えていった。
「生クリームはお好みで」
そう言って、クリームが入ったピッチャーを、そっと白石さんの方へと押しやる。
小さな気遣い一つにも大人の余裕が滲んで、そんなところも格好いい。
「じゃあ……っと」
白石さんがプディングに、たらりと生クリームをかけた。
赤と白のコントラストが映えて、女王のような風格に甘さが加わる。
華やかでありながら、どこか可憐さも備えたデザートが、目の前に完成した。
「うわぁ、いただきます」
白石さんはフォークを手に取り、一切れをそっと口へ運んだ。
「……っ!すごっ……!」
見開いた目がキラキラと輝く。
そしてすぐにおかわりのフォークを差し込んだ。
俺も自分の皿からプディングをすくい、口に運ぶ。
「……っ!!」
これまで食べたことのない食感に、フォークを持つ手が小さく震えた。
果汁をたっぷり含んだパンは驚くほどジューシーで、甘酸っぱさが口いっぱいに広がる。
イチゴの甘やかな香りにブルーベリーの奥行き、ラズベリーの華やかな酸味が重なり合い、最後に生クリームが全てを柔らかく包み込む。
(何だ、これ……ものすごく美味しい!)
向かいの白石さんの頬も、興奮で紅潮している。
「ベリーの宝石箱だよ!こんなの、初めて食べます!」
二人揃って極上の味に、頬っぺたを押さえて笑みが零れ落ちる。
亜嵐さんは満足げにその様子を見て、ワイングラスを置くような仕草でフォークを休めた。
「それは重畳。もっとも、これはただのデザートではない。実はサマープディングは――療養食なのだよ」
「……え?」
療養食?
その意外な言葉に、俺と白石さんのフォークが止まった。
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