君と番になる日まで

藍沢真啓/庚あき

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凄辰の薄月

4-紅龍

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 ベンチコートのポケットに入れていたスマートフォンが鈍く震えるのに気づいた。紅龍は撮影スタッフにそのまま準備を進めるように告げ、離れた場所に移動すると端末をポケットから抜き出した。画面に浮かぶ名前を見て、思わず呟きが漏れる。

「……白糸教授?」

 慧斗の上司である白糸とは、以前紅音の担任保育士の事件の際、何かあった時のために連絡を交換していた。もしかして、慧斗に何かあったのだろうかと、逸る気持ちで画面をタップした。

『紅龍さん、突然連絡して申し訳ございません。本日、慧斗君は欠勤するようなことを言っていませんでしたか?』
「いや、今日は俺も撮影で学園に。その時に慧斗と紅音も一緒に車で送っているが……慧斗は来てないと?」
『はい。いつも私より早く来て準備をしている子ですし、そもそも無断で欠勤するタイプではありませんので』

 白糸の言葉にザッと血の気が引く。
 慧斗がいない。一体どこに?
 朝も普通に紅音と一緒に保育園に向かう背中が思い出される。何も変わらない一日だと、また夕方にはふたりと会えると信じて疑っていなかった。
 それが……

「今からそちらに向かう!」

 受話口越しに紅龍の名を叫んでいる声が聞こえたが、そんな事を気にしている余裕はない。紅龍はスタッフや俳優たちを集めて急遽撮影をストップする旨だけを告げ、車に乗り込むキーを回した途端、アクセルを思い切り踏んだ。
 撮影関係者だけに許されたゲートを通り、整備された山道を走る。学園側とは反対の位置にあるが、このルートはまず車が通らない場所なのもあって、五分ほどで職員駐車場へと着くことができた。
 ここまで来れば教授棟まで走れば一分もかからない。
 時折学生の目が向けられたが、いちいち気にしている暇はない。
 一瞬、紅音を連れてくるべきだったかと脳裏に浮かんだものの、下手に我が子に無用な心配をかけたくなくて、そのまま教授棟に飛び込んだ。連絡と入れ違いで慧斗がいると願いながら。

「失礼する!」
「王さん!」

 しかし、慧斗の姿はどこにもなかった。広い教授室に白糸が消沈した様子でデスクに座っている。そしてその傍らには秋槻理事の姿があった。

「秋槻理事」

 どうしてここに、という疑問は、白糸が今回の事態を察して呼んだと気づく。
 一緒に敷地まで来た筈の慧斗の姿がないのだ。何らかの事件性を鑑みて、責任者である理事が立ち会うのは当然だろう。

「白糸教授から連絡を貰って、すぐに学園のセキュリティを調べました。慧斗君は……彼は学園を出たと」
「え?」

 仕事に真面目な慧斗が、これから就業だというのに、職場である学園を出た?

「正門の警備が、忘れ物をした、と慧斗君がそう言ったそうです」

 警備に言った慧斗の言葉にも疑問を持つ。仕事に必要な物は鞄に全て入っている。もし万が一忘れ物が本当だとしても、先に白糸に連絡するはずだ。恩師に砂を掛けるような人間ではない、とこの場にいる全員が知っている。

「忘れ物? 慧斗は出かける前に、いつも忘れ物がないかチェックしている。しかも普段使わない物まで鞄に入れてるんだ」
「ええ、それで不審に思いまして、正門前に設置している監視カメラを確認しました。こちらです」

 秋槻が取り出したのは、タブレットに初期からインストールされている、動画アプリだった。

「再生します。もしお気づきになりましたら、自由に止めてください」
「分かった」

 前にも学園の安全のために至るところに監視カメラを設置していると聞いていた。
 紅龍は食い入るようにタブレット画面を覗き込む。解像度もよく、鮮明に映っている登校風景の中に、慧斗の姿を見つけた。警備員に声を掛けられて振り返った慧斗は、何か笑って話し、それから軽く会釈をしてバスに乗り込んだ。ここに来るバスは一ルートだけだ。駅からの直通のルート。つまり、慧斗は駅に向かったことになる。
 紅龍はたった数十秒の映像の中に違和感を見つける。
 紅音と一緒に降りた時に着ていたコートとスーツ。それからいつもの通勤鞄は相変わらず膨らんでいる。だが、慧斗が抱えているあの茶封筒は? あれはどこから出てきた物だ。

「この茶封筒に見覚えはあるか?」

 紅龍はその映像をスクショして、ふたりにも分かるように、親指と人差し指でピンチアウトする。
 高解像度の画像はボケることなく、慧斗の胸にある茶色の封筒を表示していた。

「いえ、学校名も入ってないようですし、市販の封筒じゃないでしょうか」
「紅龍さんとわかれてからとなると、保育園で何か書類でももらったのでしょうか」
「それなら学園の物を使うんじゃないのか?」
「一度確認してみます」

 秋槻は断りを入れてどこかに連絡をしている。話の流れからして保育園にだろう。数言会話をしたあと、

「保育園では何も渡していないそうです。ただ」

 紅龍に言ってもいいのか悩んだように言葉を濁す。

「なんだ」
「慧斗君からの申し出で、いつもの時間より一時間ほど早くお迎えに行くと言われたそうです。担任がこっそり紅音君に尋ねたところ、どうやら王さんに内緒でおやつを食べに行くと」

 となると、慧斗の忘れ物を取りに行くのはイレギュラーな事象ということだろうか。
 顎に指を添え思案していると、白糸のデスクにある電話が空気を変える。白糸は手で我々を制してから、受話器を持ち上げた。
 最初は淡々と受け答えしていたが、次第に怪訝に眉を歪める様子に、紅龍は首を傾げる。

「ちょっと待っててください。……秋槻理事、うちの大学部の生徒が、慧斗君のことで私に会いたいと警備員から申し出が。それも泣きながらだそうで」

 眉尻を下げて困ったように告げる白糸に、紅龍は秋槻と顔を見合わせた。


 秋槻が許可を出し、白糸教授室に案内された大学生は紅龍の姿を見て頬を染めたが、すぐに秋槻に問いただされて青ざめた顔で慧斗と邂逅した時の話をしだした。
 どうやらこの女子大学生はパパ活をしていたそうで、ある日クラブで遊んでいた際に男ふたりから脅迫まがいの話を受けたという。
 彼女は当初否定したようだが、彼らは女子大学生の素性を調べたと断言した。いつでもこれを表に出すことができると。
 それで学校にも家にも内緒にして欲しかったら、この封筒を白糸教授秘書の御崎慧斗に渡すよう言ってきたそうだ。女子大学生もそんな簡単なことで秘密にしてくれるならと承諾したが、やはり後悔の念が押し寄せてきたと、涙ながらに訴えていた。

「その男ふたりの特徴は」

 いつもならファンサービスも苦ではないが、今は慧斗の事で頭が一杯なせいで、冷たく低い声音で尋ねる。メディアに見せる王紅龍と違う様子に、女子大学生はビクリと怯えたものの、すぐに男ふたりの容姿を告げた。
 それはやはりというか、峯浦と……かつての片腕だった伊月の特徴と一致した。

 女子大学生の懺悔を聞いた秋槻理事は、追って処分を連絡すると告げた。絶望しきった彼女を、警備員が伴って部屋から連れ出すと、重い空気だけが残った。

「この件は俺が動く。警察には知らせないでくれ」
「ですが……」
「学園には迷惑がかからないようにする」

 紅龍はすっとソファから立ち上がると、教授室を出て行く。後ろから引き止める秋槻の声が聞こえたが、そんな事でいちいち足を止める気になれない。
 歩きながらスマートフォンを取り出し、玲司と椿、それから弐本で雇っている探偵にそれぞれ連絡を取った。
 椿と玲司には慧斗が攫われた事を。
 探偵には契約の解除を。
 一般人である探偵がこれ以上踏み込むには危険が多すぎる。ここが潮時だろう。
 もちろん、長年の功績を讃えて、ギャラは弾むつもりだ。


 何箇所か思い当たる場所を巡ってみたが、そのどこにも慧斗はいなかった。
 防犯カメラで駅まで向かったのは分かっている。もしかしたら、電車に乗った可能性もあると思い、紅龍は沿線添いに車を走らせた。
 車が都心に入ろうかという頃。やはりというか人海戦術に長けた椿から第一報が届いた。

『灯台もと暗しだった。お前が弐本に来た時に泊まっていたホテルに奴らいるらしい』
「それは本当か?」
「支配人が、偶然伊月を見かけたそうだ。それで宿泊名簿を調べたら、峯浦の名前で泊まっているだと』
『峯浦は家を出されたんじゃないのか。それに伊月も一族から放逐されたはずだぞ」
「どうやら、伊月はお前の名前を使って裏で暗躍していたようだな。ウチの派閥じゃないから、情報が出るのが遅れた。多分、お前と俺が繋がってるのを掻い潜ってって所だな」

 ハンドルを握りながら、フリーハンドモードで話していた紅龍は、苦みばしった顔で舌打ちする。
 自分や慧斗を調べている時に峯浦の事を知ったのだろう。それで使えると判断して、峯浦に声を掛けた。部屋も峯浦名義で取ったのも、いざという時全てを峯浦に被せて逃げる算段に違いない。
 昔から狡猾だと思っていたが、一族を追われ、なりふり構わなくなったか。

「とりあえず、椿の所の兵隊を貸してくれ。それから、玲司に情報の共有を頼む」
『お前はどうするんだ』
「当然、慧斗を助けに行く」
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