君と番になる日まで

藍沢真啓/庚あき

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凄辰の薄月

5-紅龍

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 ホテルの前に車を乗り捨て、走ってエントランスに入った紅龍へと、待機していてくれたのだろうか支配人が駆け寄ってくる。

「王様、こちらです」
「すまない、感謝する」

 ホテルスタッフが確認したが、見張りらしき人物は見当たらなかったそうだ。紅龍は万が一を考えて、スタッフ専用エレベーターで目的の階にたどり着くと、既に到着していた椿と壱岐と合流する。

「早かったな」
「ああ、丁度ホテルで会合があったんだ。それで支配人から情報を手に入れた」
「お前の悪運の良さに感謝するしかないな」
「秘蔵の一本で手を打つぞ」
「考えておく」

 軽口を叩きながら、紅龍は支配人が用意してくれた、ホテルの制服に袖を通す。少し袖と裾が足りないが文句を言っている場合ではない。
 ホテルスタッフの大半がベータだという。アルファと体格が違うのだから仕方ないだろう。

「それであいつらは出てきたか?」
「いいや、俺たちがここに来てからは猫の子一匹通ってない。しかも防音性が高いからな、中で何が行われてるかも把握できないのがキツイな」
「……」

 ギリ、と歯を噛み締める紅龍の前に、支配人がコーヒーを置いてくれた。
 二十四時間サービスが行き届くように、スタッフの控え室がある。仮眠できるベッドやシャワー室があり、簡単な調理ができるようにミニキッチンも据えられていた。
 雑然としているが、香ばしい香りに紅龍の唇から吐息がようやく落とされた。

 このフロアは上流階級のアルファが番とヒートを過ごすために年間契約している者も多い。そのため遮音性や防臭性が高く、音も匂いもまず漏れることはない。
 あの時も伊月にはアルファ用の抑制剤を服用させた上で、長時間の滞在を許さなかった。元々慧斗の妖艶な姿を他人に見せるつもりもなかったし、あの控えめで甘い香りフェロモンを独占したいのもあった。

「ところで支配人。このフロアで滞在している客はいるのか?」
「たまたまですが、峯浦様がお泊りになっている部屋以外には、どなたもいらっしゃいません。なかなかにない機会でしたので、フロア全体のメンテナンスをしようと考えておりました。しかし、本来であれば当ホテルは一見さんの宿泊はできないのです。それが、フロントが新人で、王様の紹介というのを鵜呑みにしたようで」
「それで宿泊を許可した、という訳だな」
「申し訳ございません。その者には厳重注意いたしますので」

 部下のミスに消沈している支配人に「それはそちらで」とひと言だけ返し、壁越しに紅龍の視線は慧斗がいるであろう部屋に注がれた。

「支配人」
「はい、王様」
「ほぼ確実にこのフロアに損傷が出るかもしれない。一応、他の客に許可を貰ってくれないか。なんなら全額俺が保証すると言ってもいい。あとでリストを渡してくれるか」
「……かしこまりました。ですが元々メンテナンスを予定しておりましたので、わたくしから皆様にご説明をさせていただきます」

 紅龍の発言ににこやかに微笑む支配人だが、これだけの上客を扱うホテルの支配人は胆力がなければ務まらないと感心する。それに多分他の客たちもおおごとにしないだろうと椿は予測する。
 アルファから番を奪うということは、ある意味戦争を起こすといっても過言ではない。
 伊月と峯浦がそこまでの考えで行動を起こしているとは思えないが、紅龍の本音は今すぐにでも慧斗を助けに向かいたい。
 しかしそんな勝手なことをすれば、損害を出さないよう動いてくれる椿や、協力してくれる支配人に泥を塗ることになる。
 その椿は壱岐に色々指示を飛ばし、壱岐が部下にフロアマップを指さしながら何か言っている。それぞれの配置について話しているのだろう。 
 支配人は客に説明と承諾を得るために顧客名簿のある支配人室へと戻っていった。
 逸る気持ちを飲み込むようにコーヒーで喉を潤す。
 本音を言えば、今すぐにでもあの部屋に飛び込んで慧斗を救い出したい。だが、中で何が行われているか分からないうえに、伊月や峯浦の他に誰かいる可能性だってある。

「紅龍、いいか」
「あ、ああ」

 ふと思考の森に彷徨っていた所で、椿の低い声が紅龍を現実に引き戻す。

「ひとまず、奴らも飲まず食わずじゃあ生きられないだろう。基本的にこのホテルは持ち込み禁止だからな。伊月もそれは理解しているはずだ」
「つまり、ルームサービスを注文した時が突入のチャンスだと言いたいのか」
「ご明察。ここのフロアはテーブルセッティングも含めて、スタッフがふたりひと組で動く。対応はうちの組の連中にさせるから、扉が開いたらすぐに飛び込め」

 紅龍の隣に座り、少し冷めたコーヒーカップを片手で持ち上げ飲み込む友人を横目に、その連絡が今すぐにでも来て欲しいと願うばかりだ。
 もう何度もこんな場所で立ち止まっているくらいなら、すぐにでも部屋に飛び込んで、慧斗を救い出したい衝動にとらわれていた。反面、急襲などして慧斗の身になにかあったら、生きていけない。最悪自分の立場も忘れて、伊月や峯浦の命を奪いかねない。
 理性と本能がせめぎ合っている中、紅龍が着ていた制服のぽけっとが鈍く振動するのに気づいた。多分スマートフォンが着信を知らせるものだろう。
 震源に手を突っ込み取り出すと、画面には玲司の名が無機質に浮かんでいた。

「玲司、何かあったのか」
『それはこちらのセリフです。椿から聞きました。今の状況は?』
「ああ、椿の作戦で待機中だ。下手に飛び込んで慧斗の身に何かあったら、あいつらの命の保障ができないからと」
『懸命な判断ですね。ダメですよ、慧斗君や紅音君を抱きしめる手を血で汚したら』

 玲司の言葉は妙に重みがあって、紅龍は玲司の諫言を素直に受け取った。
 悪友の中で玲司が一番、アルファの本能が強く出ている。それは感情の振り幅が極端に揺れると制御できないほどである。普段は穏やかな人間を演じているのは、自分の獣の部分を押さえ込む術なのだろう。

「分かっている。そう簡単に楽にさせるつもりはない。それに伊月に関しては我が家で処分を決める。あいつは温情で一族追放にしたのに自暴自棄になって慧斗を巻き込んだ。番を傷つけようとするあいつを、俺は許すつもりはない」

 必死に怒りを抑えて本音を吐露すれば、玲司から「そうでしょうね」と同意が返ってくる。

『僕でも桔梗君が同じ目に遭ったら、迷うことなく動きますからね。多分、椿も龍も同じじゃないでしょうか。唯一の番の危機に動けないなんて、アルファではありませんから』

 アルファはその特性から複数人のオメガと番うことができる。しかし、運命と称する唯一のオメガと番った時には、それ以外に目を移すことはない。その分、アルファの執着を一手に受け止めるから、オメガは大変だとも聞く。
 だが裏切る事は絶対にない。番を包み込み、いつでも笑っていられるように環境を整える。そして外敵には全方位で牙を向けて威嚇する。それでも厚顔無恥で自尊心ばかりが高いだけの馬鹿が、アルファの隙を狙ってオメガを攻撃する。
 今回の例はそういった類のものだった。
 峯浦は慧斗に拒絶され、紅龍にアルファの力で負けた。噂では峯浦は実家を追い出され、地に落ちたと聞いている。自分を追い落とした原因を慧斗と紅龍だと勘違いして、逆恨みしたと推測できる。
 伊月は仕事に厳しいがその分野心も強く持っていた。身内を紅龍の番にしようと画策していたのに、紅龍が慧斗と出会ってしまい、更には番契約まで結んでしまった。
 長年紅龍の傍にいた伊月は、自分の計画――義妹を使って王家を乗っ取る――が暗礁に乗り上げると感じて、慧斗を排除しようとした。
 しかし自分の番を金で別れさせようとした伊月を、紅龍は最初は怒りはしたものの、数日の謹慎で許すつもりだった。当時は狭い弐本でひとりの人間を探すのは容易いとタカをくくっていたのもある。
 だが伊月は紅龍の温情も忘れ、義妹を紅龍の寝所に裸で潜り込ませ、挙句には発情促進剤まで服用させるという念の入れようで自身の欲望を果たそうとした。流石に紅龍の人格を無視した行動に、紅龍の両親だけでなく、一族の大半が伊月や義妹を糾弾。結局伊月の一族は王家の元で手にした財を持って逃げた。

「俺が間違っていたのか……?」

 胸に浮かんだ後悔が言葉となって口から出る。

『あなたがそう思うなら、思えばいいでしょう。その代わり、もう二度と慧斗君にも紅音君にも会わせるつもりはありません』
「な、なにを……」
『だってそうでしょう? 同族の方はあなたよりも自分の野望を優先した。本来であれば主を追い落とそうなんて考えもしないでしょう。その時点であなたの傍にいる資格すらない。保育士の彼はただの子どもの癇癪と同じです。欲しい物が入らないから、強引な手を取ってでも求めた。下手に大人で知恵があるから、体から陥落させようなんて馬鹿な考えが浮かんで実行までしてしまった。起因はあなたにも関係あるかもしれませんけど、実行すると決めたのは彼らです。慧斗君にもあなたにも紅音君にも非はありませんよ』
「玲司……」

 悪友の中で一番アルファ性が強いためか、紅龍だけでなく椿も壱岐も龍も玲司に強く出られない。長年、慧斗を紅龍すらも隠したのだ、口では色々言っているが玲司は慧斗たちを身内として扱っているのが分かる。
 だから保護者として紅龍に喝を入れたのだろう。
 反省している所で、ふと外が騒がしいのに気づいた。

 椿、と声を掛けると「少し待ってろ」と手で制され、椿が部屋の外に出て行くのを見送る。しかし、すぐに閉じた扉が開かれた。

「紅龍、伊月を確保した! すぐに部屋に入れ!」
「あ、ああ!」

 弾けるように立ち上がるとすぐさま廊下に飛び出す。椿の部下に取り押さえられて必死に抵抗する伊月を横目に、大きく開かれた客室に突入した。
 記憶を頼りにリビングへと飛び込めば、右手にある寝室の光景が目に入った。
 全裸のアルファの下で、片足にスーツのズボンを引っ掛けた細く白い脚。抵抗する様子もなく、伸ばされたままベッドの上にあった。

「慧斗!!」

 紅龍は弾丸のようにアルファの男へと近寄り肩を掴むと、勢いのままその体を横に薙ぐ。投げ出された男はやはり峯浦だった。しかし、その様子は性交していたものとは感じなかった。
 嫌な予感に慌てて慧斗の傍に行く。白く眠っているかのような慧斗の姿に、紅龍の心臓の音が激しくなっていった。

「慧斗……?」

 暴力を受けたと分かる顔は腫れて痛々しい。腹にも腕にも痣が浮かんでいて、涙が出そうになる。
 そっと伸ばした手で頬を撫でる。やけに冷たい。慧斗、と今度は軽く頬を叩くが、なんの反応も返ってこず、背中に冷たい汗が伝っていく。

「慧斗、起きてくれ。遅くなってすまない、迎えに来たから、一緒に帰ろう?」

 何度も起床を促し、紅龍が慧斗の頬を叩いても、呻く声もなく身じろぎもしない。
 そっと抱き起こすが、ぐったりと力の入っていない慧斗の体に、紅龍の血が一気に下がっていった。
 絶望が紅龍を飲み込む。
 揺さぶっても、なにをしても慧斗が目を覚ますことはなかった。

「慧斗……慧斗!!」
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