君と番になる日まで

藍沢真啓/庚あき

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清明の払暁

 徒歩で行くと強く出る慧斗を、紅龍は有無を言わさず車に押し込め、学園の職員専用の駐車場に滑り込む。その間十分弱。文句をすべて言い終えることもなく到着し、モヤモヤとしたものを飲み込むしかなかった。

「ほら、慧斗」

 わざわざ助手席に回り、手を差し伸べてくる紅龍にため息しつつ、彼なりの思いやりなのだと素直に大きな掌に自分の手を乗せる。
 包み込まれる温もりに、自分はいつしか安堵を覚えるようになったのか、と慧斗は自問自答する。

 一番最初に会った夜の街では、戸惑いと困惑しかなかった。
 紅龍のことなんてひとつも知らず肌を重ね、番契約を交わした。
 結果、紅音という愛おしい存在が結実した。

 二度目は去年の初夏。どういう経緯かは知らないが、映画の撮影で学園の旧学舎を使用したいと、理事長室に訪れたのを応対した時。
 まさか理事から紅龍の通訳を任させるなんて思わなかったが。
 それものちのち考えれば、出会った時から弐本語が堪能だった男の通訳とは、と憤慨したけど上手く丸め込められて。
 そこから坂道を転がるように紅龍との接点が増え、紅音にも紅龍が父親だとバレて。
 触れる彼の熱にドキドキしては、自分を否定し続けた。

 意見が合わず何度も諍いを起こした。だけど紅龍は慧斗を否定することなく、包み込んでくれた。

 そして……慧斗が本当の意味で安堵を覚えたのは、峯浦と伊月に脅迫されてひとり陣地に乗り込んだあと、暴力と促進剤で意識を失い病院へと運ばれたあと。
 目を覚ました慧斗の目の前で、泣きそうに顔を歪める紅龍に抱きしめられ、もうひとりで頑張らなくてもいいのだと知った。
 この人に凭れてもいいのだと、安らいでもいいのだと、温かい涙の雨に濡れながらそう感じることができたのだ。

「どうした? 体が辛いのか?」

 ぼんやりしているせいで、過保護が加速している紅龍を不安にさせてしまったらしい。

「いや、紅龍の手が暖かくて心強いな、って思って」
「っ!?」

 脳内で考えていた言葉そのままが唇からまろびでてしまい、それを聞いた紅龍の顔がパッと朱に染まる。滅多にない表情を目の当たりにした慧斗は、つられて同じように顔を赤く色づかせた。

「なんで顔真っ赤にしてるんだ?」
「~~っ、自分からやっておいて、突き放すとか。これがツンデレというヤツか」

 しっかり慧斗の手を握ったまま、反対の手で顔を覆う紅龍に、慧斗はほんのりと頬を染めたまま首を傾げる。

「ほら、バカなこと言ってないで、紅音を迎えに行こう?」
「あ、あぁ……無自覚なのが怖い……」
「まだ言ってる」

 呆れた視線で紅龍を流し見た慧斗は、紅龍の長い腕が腰を引き寄せるに任せて、保育園へと足を進めることにした。

 秋槻学園は高台の山という立地条件なのもあり、まだ桜の花が枝を淡いピンクで着飾っている。ハラハラと落ちる花びらを楽しみながら、慧斗はふと思い出したことを口にした。

「紅龍」
「ん?」
「きっと気分悪くすると思うけど、峯浦先生とあのマネージャーだった人は、あれからどうなったんだ?」

 慧斗の手を包むように握られた紅龍の手がピクリとこわばる。
 慧斗は知っていた。今回の事件で一番紅龍が不安や焦燥に駆られていることを。
 それでも入院先に現れた伊月の義弟を含め、慧斗は真相を知りたかった。
 端緒は自らの行動によるものだから、最後まで責任を取りたかった。

 紅龍は赤い瞳を不安に揺らし、慧斗を窺う。言葉にしていいのか迷っているようだ。

「紅龍、俺は大丈夫。どうしても辛いなら話さなくてもいいけど、渦中にいた俺が何も知らないままでいるのは嫌だから」
「慧斗……」

 腰に回った紅龍の手をポンポンと軽く叩く。安心させるように、自分は大丈夫だからと教えるように。

 紅龍はしばらく目を伏せて地面を見つめていたが、深く長いため息をついたあと口を開いた。
 その姿はこの短時間に一気に歳を経たように疲れたものだった。

「まずは実行犯の峯浦だが、先日裁判で判決がでたそうだ。営利目的の略取で実刑十年プラス、」
「プラス?」
「あぁ、アルファの威圧と促進剤を使用してのレイプ未遂も含めて、亀頭球の切除も含まれた」
「っ」

 それはつまり強制的にアルファの体の機能を失くし、ベータ化させる処置。
 アルファとして育ったこんにちまでの教示も何もかもを奪われ、体はベータとして生きなくてはならないということ。
 思っていたより重刑だったことに慧斗の顔から血の気が引く。

「そんな……俺のせいで」
「違う。あの男はアルファという責任のある性でありながら、それを笠に着て慧斗を我が物にしようとしたんだ。番のいるオメガを力でねじ伏せる行為は重罪だ」
「……」

 自分から聞きたいと紅龍に切り出したものの、峯浦の未来を奪ってしまったことに、どう返していいのか分からない。

「慧斗が気にやまなくてもいい。あいつは裁判でも慧斗を運命だと虚偽を喚いていた。これは凛が診断書を提出しているから、あいつが刑を軽くするための方便だと判断されている」

 そう、と慧斗は呟く。

 峯浦がどうして自分に対して妄執を抱いたのか、結局分からないまま。
 紅音を可愛がってくれる、優しくて頼もしい先生だと思っていたからこそ、残念で仕方がない。
 ただ、紅音の心に傷をつけたことについては、慧斗も彼を許すつもりはない。

「それから伊月とヤツの義弟についての話だが。もし、聞きたくないならこれで終わりにすることもできるが……」
「いや、自分から切り出したことだから、最後まで聞くよ」

 のどかな春空の下でする会話ではないが、こんな時でないと紅音の耳に入る可能性だってある。これ以上、この件で紅音に強いストレスを与えることは避けたかった。

「大丈夫」

 そう言って紅龍を見上げれば、なんとも形容しがたい表情をした紅龍が目を逸らす。固く目を閉じて何か熟考していたようだが、先ほど以上に深いため息を吐いたあと、慧斗の頭を丸みに沿うように撫でた。

 それから桜の散る下を歩きながら慧斗は紅龍の話に耳を傾ける。
 伊月の義弟が慧斗を襲った凶行のあと、紅龍は約束通り彼を伊月に会わせたそうだ。
 伊月は弐本国の国籍を持っていなかったのもあり、司法は紅龍の本国に任せる予定だったそうだ。しかし、紅龍の父――王零龍がどう話し合いをしたかは不明だが、伊月と義弟の身柄は彼によって保護されたという。
 というのも、再会を果たした伊月と義弟が番契約を結んでしまったのが要因らしい。

「どうやらふたりは運命だったらしい。お互いに強い抑制剤を服用していたのが原因で、そうと気づくのがかなり遅くなってしまったようだが」

 本当に最後のさいごまで迷惑を掛けられて辟易する、と紅龍がため息まじりに呟く。

「でも、運命同士って抑制剤服用していても、それだって気づくんじゃ……」

 自分と紅龍がそうだったように。玲司と桔梗がそうだったように。
 運命との絆は、人間ひとが作った抑制剤では抑えきれないと思っていた。
 だからこそ、伊月と義弟が運命の番にも拘らず、今日までそのような関係にならなかった事が不思議だったのだ。

「伊月の義弟は養子だったのだが、通常であれば十三の時に判定されるはずの第二次性を幼少期時点で確定されたそうだ。そのため養子となったと聞いている。伊月はその時点でアルファだと判定されていたため、義兄弟となったもののほとんど顔を合わせたことがないそうだ」
「つまり、元々物理的距離がある中で抑制剤を服用していたから……」
「お互いに運命だと気づくことがなかった」
「ああ」

 吐き出すように息を落とす紅龍の顔はなぜだか疲れたように見える。ある意味振り回されているような物だしな、と慧斗は紅龍に憐憫の視線を向けていると。

「それで紆余曲折を経て番になってしまったふたりだが」

 歯切れの悪い紅龍が言い淀んだ言葉に、今度は慧斗が疲れた顔になった。

「今、あいつらは弐本国籍を取得して、別名を名乗って両親の傍仕えをしている」
「はい?」
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