君と番になる日まで

藍沢真啓/庚あき

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清明の払暁

「おかーさん、おとーさん!」
「おわっ」

 衝撃的な紅龍の話に驚いている間に、学園の端にある保育園に入った途端、紅音が弾丸のように飛び込んでくる。まだ復調していない体には、元気の塊な紅音の飛びつきに対応できず、後ろに傾いでしまう。
 が、紅龍の腕が慧斗と紅音を難なく受け止めてくれた。
 先日年長さんになり、ひしひしと息子の成長を感じる。
 広い紅龍の胸が背中に当たる。大の男ひとりを揺らぐことなく支えてくれ、アルファの番の頼もしさに胸が温かくなった。

「こら、紅音。まだ慧斗はしんどいんだから、飛び込んだら危ないだろう?」
「ごめんなさい、おかーさんだいじょーぶ?」

 大きな赤い瞳が潤んで慧斗を見上げる。本当に可愛いな、と胸の中で微笑ましい気持ちに満たされながら、慧斗は艶々な黒髪をそっと撫でた。
 紅音には入院から今日まで不要な心配や責任を負わせたと後悔をしている。
 今更、タラレバを言っても仕方ないが、きっとこれからも紅音に対して懺悔し続けるだろう。

「うん、大丈夫だよ。でも、急に飛び出したら、紅音も痛いしお友達も怪我しちゃうかもしれないだろう? だから、気を付けようね」

 眉を下げてしょんぼりする紅音が「はぁい」と消沈して返した。紅龍も苦笑しながらも、慧斗の手の上から紅音の頭を撫でている。
 一度は自分から拒絶した家族の構図。
 この形になって一年も経っていないから、本当に良かったのか慧斗自身には判断できなかったが、少なくとも再会する数年を思えば自然なのではと感じていた。

「さ、家に帰ろうか……と、誰だ?」

 切り出した紅龍の声を遮るように、彼のスマートフォンから着信を知らせる音が流れる。紅龍は「すまない」と片手を顔の前に立てると、むっすりとした声で話しかけていた。
 だんだんと不機嫌に眉をしかめる紅龍に、慧斗も紅音も首を傾げる。
 彼はその立場上、ここまで感情を顔に出さない筈なのに、と怪訝に思う慧斗の耳に「まだその話はしていない」や「慧斗の体調を考えてから話すつもりだ」と不遜を吐き出す声が聞こえる。
 しばし応酬が続いていたようだが「もう少し待っててくれ」と強く言い切ると、通話を終わらせただけでなく、電源まで落としてしまった。
 なんとなく誰と話しているか想像がつくが、けんもほろろな態度に慧斗は苦笑する。だが、内容に思い当たらなくて、慧斗の心中に不安の波紋が広がった。

「ねー、おかーさん」

 コートの裾を引っ張って意識を向けてくる紅音に、どうかした? と慧斗は柔らかに返す。我が子に不安要素を知られる訳にはいかない。

「おとーさん、ぷんぷんなの?」
「んー、どうなんだろうね」
「ぷんぷんするとおなかすくってせんせーがいってたよ。おとーさん、おなかすいちゃったのかな」

 紅龍の不機嫌を判じた方向違いな紅音の言葉に、慧斗は思わず吹き出した。
 子供というのは案外大人の言葉を吸収しているのだなと、肩を震わせながらも小さな成長に喜びを隠せなかった。
 同時に小さな不安も吹き飛んでしまったようだ。
 子供の存在というのは、底抜けに幸せを齎してくれる。

「それなら、何か食べてから帰ろうか」
「うんっ。ぼくね、れーじさんのけーきがたべたい!」
「そっか。それなら、おとーさんに玲司さんのお店に連れてって、って言ってごらん?」
「そーするー」

 紅音の小さな手を握って内緒話する慧斗と紅音を、通話を終えた紅龍が「どうした?」と聞いてくるのがおかしくて、慧斗はこの幸せを手放さなくて良かったと笑みを深めた。

 多少のイレギュラーはあったものの担任から報告や業務連絡を聞き、紅音は保育園に残る友達に元気に手を振って保育園を後にした。


 瀟洒なインテリアでまとめられたカフェの個室で、希望していた筈のケーキを前にした紅音は、口をへの字にしたまま不機嫌を滲ませていた。
 一度マンションに帰ってから着替えているからか、服装のせいで体は子供頭脳は大人な名探偵が、難事件に立ち向かっているように見える。

「れーじさんのけーき……」
「仕方ないでしょ、今日は玲司さんも桔梗さんもおうちの用事で、お店お休みしているんだから」
「わかるけど……れーじさんのけーきたべたかったの……」
「ほら、紅音は苺好きだろう? 食うか?」
「たべる……」

 アミューズブーシュのひとつにアスパラと苺とチーズを使ったサラダがあり、宝石のような赤く艶々した苺をフォークで刺した紅龍が宥めるように紅音に問いかける。
 口元に寄せられた赤い果実を、紅音は大きな口を開けて食べ、もっもっと顎を動かしている。好物を貰った嬉しさからか、紅音の眉間に寄っていた皺が取れ、もうひとつ食べたいと強請っている。紅龍も嫌な顔せず、最後の一個の苺をフォークに再び刺して、躊躇いなく紅音の口に押し込んだ。

 今いるのは副都心にあるホテルに併設された会員制のカフェ。
 夏に行った寒川家の別荘のような洋館で、各室を借りきりで使用できる。
 カフェと銘打っているものの、フルコースを堪能することができ、手腕を振るうシェフは玲司と以前同じレストランで修行していたそうだ。
 洗練された料理や軽食がテーブルに並ぶのを見て、紅龍から説明を聞いた慧斗はなるほどと頷いた。一口食べたスモークサーモンのサンドウィッチに使われたソースが、舌に馴染んだ感じがしたからだ。
 慧斗はもぐもぐと小麦の香りがするパンと、蕩けるスモークサーモンとソースのケッパーを堪能しながら、目の前の親子を眺める。
 家では交代で紅音の食事介助をしているが、外食の時は紅龍が率先して紅音を隣に座らせて、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
 以前は紅音とふたりで玲司の店や、ファミレスに行く時には、スープパスタや麺類を頼んでもすぐに食べることができなかった。どうしても紅音の空腹を満たすのが優先、自分がやっと食べれる頃には、汁は冷めて麺が伸びきったものを掻き込む感じで。
 それが今では紅龍が率先して紅音の世話をしてくれるから、温かくて美味しい食事を取れるようになっていた。
 紅音とふたりの生活が嫌だった訳ではない。でも、こうしてゆっくり食事を取れる環境に、小さな幸せを感じていた。

「おかーさん?」
「慧斗? ぼんやりしてどうした?」

 ふたりの怪訝な声にハッと我に返った慧斗の前で、同じ顔が心配そうに見つめている。
 慧斗の両親も、姉も、慧斗がオメガだと知った途端、蛇蝎のごとく慧斗を忌避してきた。ヒートで体調を悪くしようが、学校でオメガだといじめられ、雨の日に傘を隠されて濡れて帰って風邪をひいても、こんなふうに慧斗を心配してくれることはなかった。
 ただ、祖母だけが慧斗を優しい眼差しで、枯れて乾いた手で看病してくれた。
 祖母と似た温もりを感じる赤い瞳がよっつ、心底慧斗を慮っていた。それだけで幸せに頬が緩む。

「幸せだなって」

 慧斗がそう言葉をこぼせば、紅龍と紅音はふたりして目を会わせ、それから満面の笑みをこちらへと向けてきた。

 和やかで幸せが溢れる午後のお茶会。
 大きく切り取られた窓から陽が燦々と部屋を満たし、穏やかな時間が流れる。
 ずっとこの優しい時間が続くと信じて疑わなかった慧斗の願いはすぐに崩さえることとなった。


 夕飯を食べれるか心配になるほど、たっぷり好物をおなかに収めた紅音は、現在紅龍に縦抱きにされて一緒にフロントにいる。カフェ自体は別棟にあるが、支払いは本館のフロントでやるらしい。慧斗は離れた場所にあるソファに腰を下ろし、ぼんやりとふたりの背中を眺めていた。

 本館も三方を天井まであるガラスが並んでいるからか、まだ明るい時間もあって陽の光がフロント全体を照らしている。ふと天井にあるベネチアングラスで作られたシャンデリアがキラキラと光を反射して、虹色のプリズムが浮かんで綺麗だ。

『わたし、虹の文字が名前にあるから、きっと誰よりも幸せになれるわ。慧斗もそう思うでしょ?』

 不意に子供の頃に聞いた言葉が思う浮かぶ。確か慧斗が小学低学年の時、姉の凛虹りこがふんぞり返って言い放っていたと記憶している。
 確かに彼女はベータの両親にとって初めての子供で、長子信仰によって随分と可愛がられていた。
 彼女が欲しいと言えば買い与え、どこかに行きたいと言えば無理に休みを取って連れて行って。
 逆によっつ離れた慧斗は、生まれた時から大人しい気質だったからか、あまり構ってもらった覚えがない。姉の要望に合わせ出かける時は、きまって祖母の家に預けられることが多かった。

 親が恋しい子供の頃は寂しいと思う気持ちがあったものの、彼らは決まって『お姉ちゃんの約束が先だから、慧斗は我慢しなさい』と口々に諌めてくる。いつしか諦めが強くなり、祖母に依存していった。
 それも慧斗がオメガだと判定されたのを家族に知られた途端、一気に瓦解して慧斗は家族という輪から弾き出されたのだが。
 おかげで愛情を注いでくれた祖母の元で生活できたのは不幸中の幸いだった。
 それに丁度その頃初めてのヒートで、とあるトラブルに巻き込まれたのもあって、あの土地から離れる良いきっかけだったのかもしれない。

(そもそも両親以上に、姉の横暴で不遜な態度が、子供の頃から苦手だったんだ。俺の物を当たり前のように略取し、自分の物は不要になった時だけゴミ箱に捨てるように俺に渡してきた。俺がオメガだと知るやいなや、汚物を見るかのように見下し、悪態を吐いたことは今も忘れるなんてできやしない)

 せっかく楽しい時間を過ごしたというのに、余計な過去を思い出したせいで、胸に小さな黒い染みができたような気がして眉をひそめる。
 そんな過去が呼び水となってしまったのか、俯く慧斗の頭上から「もしかして慧斗?」と女性の声がして、慧斗はゆるりと顔を上げる。
 どこか慧斗に似た分かりやすいブランドをこれみよがしに身につけたベータの女性が、慧斗を蔑むように見下ろしていた。

「あら、やっぱり慧斗じゃない。オメガのあんたがどうしてこんな高級ホテルにいるのよ」
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