【本編完結】妹に婚約者を寝取られましたが、幼馴染の冷徹公爵に溺愛されています

藍沢真啓/庚あき

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幼いころに誓った庭園を二人で

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 ヘルフリート殿下の襲来から一夜明け、私とラファエルは馬車に揺られていた。行先は王都北西に位置するヴェルテ侯爵邸。私が敬愛する祖父母が住む屋敷だった。

「エル……本当に出仕しなくても良かったのでしょうか」
「構わん。昨日あれだけの仕事を俺に押し付けてきたんだ。フリートもたまには机で大人しく仕事すればいい」

 鼻をふんと鳴らし、不機嫌にそう言い放つラファエルに、私は困ったように笑うしかなかった。

(まあ……エルに大量の仕事を任せて、アインハルト公爵邸にやってきたからね。人に仕事投げておいて、自分は出かけるのは、私でも気分よくないわ。エルの気持ちも分かるのだけど……)

 不安が顔に出ていたのだろう。ラファエルの大きな手が、私の右手を包むように握ってくる。

「ディナ、顔色が優れないようだが、大丈夫か? 昨日の騒ぎで疲れてしまったのか?」

 いいえ、と首を横に振って、ラファエルの手の上に左手を重ねる。ゴツゴツした大人の男の人らしい手に、どこかホッとした。

「おじい様とおばあ様にお会いするのが久しぶりで。今は幸せになった姿を見せることに、少し緊張しているだけです」

 微笑んでみせると、ラファエルは表情自体は変わらないものの、瞳に深い安堵を見せていた。彼は私がヒルトマン子爵家で、どれほど孤独な時間を過ごしていたかを知っているからこそ、祖父母との繋がりを何よりも尊重してくれているのだろう。

 左手の薬指で輝くオパール色の石を見つめると、ラファエルと最後に過ごした時間が、鮮やかに脳裏に浮かんだ。

『ディナ……もう、ここには来られないんだ』

 当時は今と比べて表情が分かりやすく、ラファエルは今にも泣きそうに顔を歪めていた。

『もう……エルに会えないの?』
『ごめん、ディナ』

 ラファエルと出会った頃、彼は公爵家嫡男でありながら生まれつき膨大な魔力を制御できず、感情が高ぶると周囲を無意識に凍らせていた。いつか大切な人を凍らせてしまうのでは、と怯えていた少年だった。私もラファエルと同じように、自身の天正魔法の制御ができず、祖父母のもとに頻繁に通っていた。私たちはそこで出会った。

 あの日もそうだった。私に別れを告げたラファエルは、月見草の庭に逃げ込んでしまった。月の魔力を蓄えた花は、夜になると仄かな光で輝き、幻想的な光景だ。ヴェルテ侯爵邸の奥にあるこの庭は、私とラファエルの秘密の花園だった。

 ラファエルは花に埋もれるようにして、膝を抱えて泣いていた。彼の周りだけ彼の体から漏れた魔力によって、花は氷の中に閉じ込められてしまった。

『エル』

 私は静かに彼に近づき、慰めようと手を伸ばそうとした。

『触れるな、ディナ。俺に触れたら、君まで凍らせてしまう』

 だからここから逃げてくれ、と懇願する彼の声は震えていて、言葉とは違う意味に感じた。自分から離れないで……と。ラファエルの全身で叫んでいた。

『エル、大丈夫よ。私の魔法を見て』

 この頃ようやく制御できるようになった天正魔法を展開した。目の前に浮かんだ巨大な光の天秤。私はその左皿に。彼の荒ぶる魔力をそっと乗せた。

『天秤よ、計って。エルの苦しみを半分、私に預けて』

 ふわり、と光の粒子が、ラファエルから溢れ出す冷気を包み込み、天秤へと流れていく。想像以上の魔力が私の肩にのしかかり、私は必死で冷気の圧力に耐えた。これ以上ラファエルが悲しまないように、少しでも彼が幸せになるようにと、固く握った拳を胸に押し当てながら祈った。私はきっと、昔からラファエルが好きだったのだ。だから、苦しむ彼を見たくなくて、辛くても彼の魔力を半分預かりたかった。

『ディナ!』

 ラファエルは私の体を引き寄せ、強く抱きしめる。肩口が少し濡れている気がする。泣いてるの?

『エル……泣かないで。私があなたの魔力を半分だけでも預かったから、少しは生きやすくなるわ』
『あたたかい……ディナの光は、どうしてこんなに温かいのだろう。きっと、君の魔法は、君の優しい気持ちだからかな』

 これまでラファエルの両親ですら、彼の魔力の強さ故に、親子としての触れあいがなかったそうだ。ラファエルは私を抱きしめたまま、自分を蝕まない他者の体温に触れ、安心したのか眠りについた。

 天正魔法の本質――それは単なる計量ではない。世界の不均等を正し、誰かの重荷を半分背負うための側面もある。私は自身の魔法の意味を、この時初めて月見草の香りと共に知った。

「……ディナ? 到着したが、気分でも悪いのか?」
「……え?」

 ラファエルの声で、私は過去の記憶から今に意識を戻した。

「いいえ。大丈夫よ、エル」

 にこりと微笑むと、ずっと繋がれたままの手に、彼はそっと口づけを落としてくれた。



「ディアナ!」

 ラファエルにエスコートされながら馬車から降りると、祖母が満面の笑みで駆け寄ってくる。その後ろに立つ祖父も、嬉しそうに目を細めているのが見えた。

「おばあ様、長く顔を見せなくてごめんなさい」
「そんなことを謝らなくてもいいの。あなたの元気そうな姿を見られて、安心したわ」

 祖母は泣き笑いで私をギュウッと抱きしめ、五年ぶりの再会を大いに喜んでいるようだった。

「ラファエル君も……いや、アインハルト公爵も随分と大きくなられた。ディアナを、愚息……ヒルトマン子爵たちから救ってくれて感謝します」
「いえ、礼を言うのはこちらのほうです。十年前、俺がディナに渡した指輪を守ってくれて、ありがとうございます。おかげで、ディナと同じ時を歩む事ができたのですから」

 そう言って、ラファエルは私を見ながら微笑んでいた。たぶん、他の人が見たら、あまり表情が変わっていないかもしれないが、私だけ彼が微笑んでいるのがわかった。

「さあさあ、こんな所で立ち話も無粋だわ。お茶の準備をしているの。アインハルト公爵様もディアナもどうぞ」

 祖母が私たちを茶席として用意した四阿ガゼボに案内してくれた。時期ではないため、月見草は咲いていなかったけど、私とラファエルは穏やかで幸せな時間を過ごすことができた。

 帰りに少しだけ、祖父に許可をもらった私とラファエルは、屋敷の奥にある月見草の花園へと向かう。花の盛りは初夏のため、今は寒々とした光景が広がっているが、小さな噴水や古びたベンチのどれもが懐かしく感じた。

「……実は、あの頃からディナが好きだった」

 ぽつりと隣から聞こえた告白は、今にも風に消えそうに弱々しい。私はラファエルの手を握り「知ってたわ」と囁くように返した。

「だって、私の初恋もエルだったもの。でなきゃ、あんな半分でも膨大な魔力を預かるなんてしなかったわ」
「……そうか」
「ええ。そうよ」

 包まれるようにラファエルに抱きしめられ、私の幼かった初恋がこの場所で成就したことに、胸の中は喜びに震えた。

 有意義なお茶会を終え、祖父母とはまた会いに来る約束をし、ラファエルと共に馬車に乗り込もうとしたその時。

(……?)

 奇妙な視線を感じて、動きを止めた。

(いったいどこから……)

 キョロキョロと視線を動かしていると、侯爵邸の敷地近く、木々の影に見覚えのある男が立っているのに気付いた。

(エドガー? なぜ、こんなところに)

 質素な外套に身を包んでいたエドガーは、以前はもっと伯爵子息らしい高慢さが滲んでいたのに、今は飢えた野良犬のように暗く濁った目で私を見ていた。

「ディナ?」
「いえ、なんでもないわ。早く行きましょう、エル」

 私は首を振り、エドガーの視線を払うと、馬車に乗り込んだ。


 ◆ ◆ ◆

【エドガー視点】

 王都の南東部にあるヒルトマン子爵邸。ヴェルテ侯爵家から戻ったエドガーは、玄関ホールに入った途端、陰鬱な空気に眉をひそめる。お金もなく、乗り合い馬車で帰ってきた身には、疲労が余計に蓄積するようだ。重いため息をついていると、年老いた家令が慌てて寄ってきた。

「おかえりなさいませ、エドガー様」
「リリアたちはどうしている?」
「旦那様たちは今、リリア様の寝室にいらっしゃいます」
「そう。分かった」

 他の使用人たちは辞め、唯一の家令に短く言葉を返すと、ほこりが積もってくすんだ色の絨毯を歩く。ディアナがいた頃は、豪奢な調度品に囲まれた部屋や廊下は、この短い間に姿を消してしまった。それもこれも、散財癖のあるリリアや義両親のせいだ。とんだはずれ籤を引いたものだと、内心で悪態をつき、エドガーの足はリリアの寝室に向かった。

「……ううっ……、気持ち悪いわ。ねえ、お父さま、早く高名な医者を呼んでよ。それから、部屋のリネンも前のように絹のシーツにして欲しいの。わたしの肌が荒れちゃうわ!」

 部屋の外からでも聞こえてくるリリアのキャンキャンとわめく声は、エドガーの嫌悪感を積み重ねていくばかりだ。我が子を身籠っている娘だというのに、女にも腹の子にも愛情はなくなってしまった。

 足を止め、中に入るべきか悩んでいると、リリアの父――ヒルトマン子爵が苛立ったように叫ぶ声が聞こえた。

「医者など呼ぶ金がどこにある! ランベルト伯爵からの援助もなくなり、国からの支援も打ち切られてしまった。そのせいで、商会の取引もどんどんなくなっているんだぞ!」

 ガシャン、とグラスが割れる音がこちらまで聞こえる。癇癪を起こした子爵が、グラスを投げたのだろう。二人ぶんの女性の短い悲鳴も一緒に耳に入った。しかし、次に聞こえたヒルトマン子爵夫人の罵倒に、エドガーの頭の中は真っ赤に染まった。

「本当。それもこれも、エドガー様がランベルト伯爵家から廃籍されたのが悪いのよ! 伯爵子息だから、何かしら伝手があると思っていたのに……全く目論見が外れてしまったじゃないの!」

 自分たちは悪くない、全てはエドガーのせいだと金切り声で喚くヒルトマン親子の罵倒に、エドガーは爪が皮膚に食い込むほど手を握る。ヒステリックに叫ぶリリア。自分を役立たずと罵る義父母。エドガーはふいに先ほど見た光景が脳裏をよぎった。

(ディアナ……)

 アインハルト公爵所有の、豪華な馬車に乗る彼女は、自分が知っていた彼女と違っていた。質の良いドレスを纏い、肌は真珠のように輝く。装飾も控えめながらも高価なもので、特に左の薬指にあった遊色に輝く魔石は、かなり貴重な物だろう。そんな魔石に負けないほど光るディアナは、かつて『扱いやすい女』と揶揄していた娘ではなくなっていた。

(ああ……そうか。僕に嫉妬してほしくて、アインハルト公爵と結婚したのか。それなら、物語の王子のように、冷徹な公爵から君を救ってあげるよ)

 エドガーは唇を歪ませ、自室に向かって歩き出す。

(ディアナ、君は元々僕の物なんだ。あんな冷徹な公爵よりも、僕のほうが君を幸せにできる。君だって、そう思っているだろう……?)

 自室に入ると、ベッドサイドに置いた箱を持ち上げる。飾り気のない箱には鍵穴もなく、普通であれば開けることも不可能だ。エドガーは手を翳すと、蓋に魔法陣が浮かび上がる。耳の中でパキンと音が鳴り、箱の蓋が自然と開かれた。中にある偽造したランベルト伯爵家の紋章紙を指先でなぞる。貴族の家紋を偽造することは罪なのは分かっている。だけど発覚しなければいいだけだ。

(これを使って、彼女の情を突き、罠に誘い込む)

 にやりと笑い、エドガーはひとりごちた。

「僕のほうが君を理解していることを教えてあげるよ、ディアナ」

 王都を包む夕闇が、エドガーの野心を深淵へといざなう中、破滅の序曲はすぐそばに忍び寄っていた。
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