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エピローグ

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 戴冠式から二ヶ月が過ぎ、ノアーサは臨月を迎えた。
 今朝方、腹部の痛みで目が覚めた。どれくらい時間が過ぎた事だろう。微弱な痛みがずっと続いている。
「奥様。先程、リラン助産師を呼びましたからね」
 背もたれのある椅子でリタに腰を擦られながら、痛みに堪えている。
 二人の子供を産んだ経験のある侍従メイドのリタは、出産前から、この日に向けて、出産に必要なものや子育ての準備をしてくれた。
 母親のいないノアーサにとって、自分より十歳年上で、子育て経験のある彼女が側にいる。彼女には随分と助けられた。
「リタ。僕は何をしたらいい」
 カノイが心配で、訪ねる。正直、何も出来ないのは解っているのだが、そう呟いてしまう。
「普段通りに。初産は時間がかかります。まだ、破水も来ておりませんよ」
「カノイ。私は大丈夫」
 ノアーサは痛みに堪えながらそう答えた。
「旦那様。お仕事に向かわれて下さい。何かあったら、すぐに連絡致します」
「解ったよリタ。ノアーサ。とにかく無事に産まれてくれる事を願っているから」
 そういって、カノイはノアーサの手を握りしめた。
「三人で逢おう。待ってるよ」
 そう言うと、部屋を出て行く。今日はノアーサの事が気になって仕事に、専念出来ないだろう。
「ご主人様。大丈夫です。お戻りになる頃にはきっと、産声をあげておりますよ。」
  執事のロバートが、産まれたら連絡をすると伝え、カノイを送り出した。
 
       ※

「リラン団長。ノアーサちゃんの家に向かったわよ。いよいよ出産ね」
 秘書であるヘンリエッタが、執務室にいるノアーサの父に伝える。
「ノル。お前、今年に入って三人目の孫のお爺ちゃんだぞ」
 同じく、執務室にいるアベルが話しかけてきた。
「カエサルやミランダも生きていたなら、初孫だな」
 ノアーサの父が、思い出したようにそう呟いた。
「ローズが生きていたなら、一緒に出産に立ち会ったでしょうね。外科医で、帝王切開をこなしていたもの」
三人が亡き親友の事を思い出して語り合った。
「あいつらの棺の前で、俺たち誓ったよな。『自分たちが生きている間に、今の国王ヘンリーの時代を終わらせて、子供たちを自由にしてやる。』って」
アベルが、三年前の事を思い出し、そう語った。
「簒奪に成功して、あの子たちは、自由と幸福を掴んだわ。もうじきパパとママよ」
 ヘンリエッタが、答えた。
「これで良かったのかノル。あの子らは戻って来たが、息子はタルタハの王配になってしまったんだぞ」
 アベルの言葉にノアーサの父は頷く。
「アンは良い嫁だよ。女王になる前の彼女を知っているから、私はノルマンの選んだ道を信じたい。只、初孫は、私の孫ではなく、タルタハの世継ぎ。逢いに行けないのは寂しいが」
「娘の孫なら、いつでも逢えるじゃない」
 そう、言うとヘンリエッタは思い出したように立ち上がった。
「今日は、非番をとるわ。ノアーサちゃんの出産に立ち会うの。ミランダとローズの代わりよ」
 言うが早いか、執務室を出て行こうとする。
「直ぐには産まれないだろうから、貴方たちは勤務時間が終わった頃に来て」
 そう言うと、彼女はノアーサのいる屋敷へと向かった。
 彼女の決断と行動力の早さに、慣れてしまっているのか、二人は彼女を見送る。
「ノル。仕事終わったら、娘の所に行ってやれ」
 アベルに言われ、ノアーサの父はそのつもりだと答えた。

       ※

 夕刻を過ぎて、カノイが屋敷に戻って来ると、ヘンリエッタが屋敷の居間で、待っていた。
「カノイ君。昼前に破水したけど、まだ、産まれていないわ」
 ヘンリエッタがそう伝える。
「初産は時間がかる。もう十時間近くになるわね。部屋に行っても無駄よ。何もできないわ」
 そう言われても、気になって仕方ない。分娩部屋近くの廊下まで様子を見に行く。
「ノアーサちゃん。ゆっくり息を吐いて。大丈夫、赤ちゃんも出て来ようと、必死なのよ」
 リラン団長の声が響いた。
「痛いっ。おかあさん・・・」
「大丈夫、ちゃんと産まれてくるわ。きっと、ローズ先生も貴女を見守っている。大丈夫。ゆっくり息を吐いて」
 扉の外から、ノアーサの声と、リランの励ます声が聞こえる。
 ヘンリエッタの言う通りだ。痛みに耐えている妻に自分は何もしてあげられない。
「ノアーサちゃん、頭が見えてきた、頑張って。あとひと息よ。深く呼吸したら、そのまま力きんで」
 リランの声を聞きながら、ヘンリエッタのいる居間に戻ろうとしている時に産声が響いた。

 ホギャァァァ・・・

「え、産まれた」
その声は居間にいるヘンリエッタにも聞こえたらしく、カノイのいる廊下に駆けつけて来た。
「ノアーサちゃん。おめでとう。産まれたわよ」
 リランの声が、部屋の扉越しに聞こえる。それ以上に大きな産声が響き渡っていた。
 扉が開いて、侍従メイドのリタが現れる。彼女は長い時間、ノアーサの出産に立ち会ってくれたようだ。
「旦那様。おめでとうございます。女の子です」
「女の子。そうか。それで、ノアーサは大丈夫?」
「はい。母子共に元気ですよ」
 リタはそう言うと、ノアーサが出産した部屋へと一反戻り、布に包まれた赤ん坊を抱いて、カノイの元に連れて来た。彼女の腕の中で、元気な産声が響いている。
「カノイ君。抱いてあげて。貴方の娘よ」
ヘンリエッタがそう言うと、リタの腕からカノイの腕へと、小さな命が渡された。
  カノイが抱き上げると、泣き止んで、うっすらと目を見開く。その瞳の色に、思わずカノイは涙ぐんでしまう。 
 亡き母、ミランダと同じく碧い瞳と、赤毛の髪だ。強く抱きしめずにはいられなかった。

 産まれたばかりの小さな命は今、自分の腕の中で、人生の一歩を歩み始めたのである。
「ちっちゃい。僕の娘」
「おめでとう。今日からお父さんよ」
 ヘンリエッタがそう、声をかけた。間もなくして、リランがカノイを部屋へと呼んだ。ノアーサと面会が出来るようだ。
  部屋にヘンリエッタと共に入ると、整えられたベッドの上で、ノアーサが横になっていた。
「ノアーサちゃん、頑張ったわね。おめでとう」
 ヘンリエッタが、寝ている彼女に語りかける。
そう一言告げると、カノイに気遣い、彼女は部屋を出て行った。
 カノイは娘を抱いたまま、ベッドの脇に備えてある椅子に腰掛ける。

「ノアーサ。頑張ったね。元気な女の子だ」
そう言うと、ノアーサの寝ているベッドの横に並べるように娘を置いた。
 出産で疲れているのだろう。まだ起き上がる事が出来ない。それでも、赤子の方に体を向ける事はできた。
「やっと逢えた。嬉しい。これからよろしくね」
 そう言いながら赤子に手を伸ばして小さな指に触れる。その小さな指がギュッとノアーサの人差し指を握りしめた。嬉しくて涙ぐむ。
「僕たちの娘だよ。ありがとうノアーサ。僕に家族を作ってくれて」
 カノイが喜んでくれている。
「髪の色と目の色はお義母さんミランダ譲りね。お義母さんが帰ってきたみたい」
「僕も、そう思った。でも、くせっ毛は、君の血を引き継いだようだね」
「この子の名前、何て名付けようか」
 ノアーサがそう、訪ねてきた。
「僕はこの子が、母さんの生まれ変わりのような気がしているんだ」
「私もそう思う。前に話したでしょう。夢の事。お義母さんミランダが『もうすぐ逢える』って」
「覚えているよ。その時から、産まれて来る子に、母さんの名前からとって名付けようと、決めていた名前があるんだ」
カノイはそういって、眠っている娘にそっと触れる。
「カミラなんてどうかな」
そう言うと、娘が笑ったように思えた。
「素敵ね。カミラ。この子は私たちの命の結晶だわ」
 その時、リランがカノイに話しかけてきた。
「カノイ君。ノルディック総長が見えたんだけど、孫に逢わせてもいいかしら」
 ノアーサの父が、孫の誕生に駆けつけて来たようだ。
「ノアーサ。お義父さんに、この子を抱かせてあげてもいいかな」
「お願い。ヘンリエッタさんにも御礼を言って欲しいな。ずっと、出産を見守ってくれていたから」
 そう言うと、カノイは娘のカミラを抱いて、親族の集まる居間へとつれて行く。
「ノアーサちゃん。今日はゆっくり休んでね。子育ては、これからが大変よ」
 助産師のリランが、出産後の片付けを終えて、そう語りかけた。
「リラン団長。ありがとうございます」
二人のお母さんローズ・ミランダもきっと喜んでいるわ」
 そういって、彼女に休むように言うと、部屋を出て行く。部屋の扉が開くと同時に、部屋の外で、賑やかな声が漏れてきた。我が子の誕生を祝福して、知人が駆けつけてくれたようだ。
 出産は命懸けと聞いてはいたが、確かに陣痛を逃れる方法は我慢しかなかった。貧血もあって体力がかなり消耗している。今は、眠くてたまらない。ノアーサは、そのまま深い眠りへと落ちていった。
「ノアーサ」
 彼女が 眠る部屋に、カノイは娘を抱いて、連れ戻って来た。出産から、一時間以上が経過して、来客も帰っていった。
  リラン団長からは、『母親と赤ん坊は出産で疲れているだろうから、今夜は起こさないようにと』言われていたので、カノイはノアーサの眠る横に娘を置き、自分も川の字にベッドに横になった。
 「父さん。生きていたら、喜んでくれたかな」
 産まれたばかりの娘の手に人差し指で触れた。
 後ろに人の気配を感じて振り替える。部屋は薄暗く、窓から月明かりが差し込んでいた。
 月明かりが差し込む薄暗い部屋に、亡き父の姿が浮かび上がってきた。

せがれよ。立派になったな」
 これは夢に違いない。それでも嬉しかった。
「父さん」
 カノイの亡き父、カエサルは王国騎士団の制服姿でそこに立っていた。
カノイはベッドから起き上がり、父へと近づく。
「お前が帰ってくる時まで、待ってあげられなくてすまなかった。倅よ。頑張ったな。お前は、私が誇る自慢の息子だ」
「父さん」
 そう言うと、自分の産まれたばかりの娘を抱いて連れてくる。
「父さんの孫だよ。カミラと名付けた」
 父に、産まれたばかりの娘を見せた。彼女はぐっすり眠っている。
「かわいいだろう。母さんの面影がある。この子に、僕たちのような寂しい思いはさせない。我が子の成長を見守りながら育てて行くよ。父さんから引き継いだ領地も守ってゆく。だから、見守っていて欲しい」
 息子カノイの言葉を聞いた父、カエサルは、産まれたばかりの孫娘の頬にそっと触れた。
「倅よ。お前も父親になったんだな。私は、お前に何もしてやれなかった。だが、この子には、お前たちが愛情を注いでやれる。大切に育てて行くんだぞ」
「待って、父さん。話したい事が沢山あった。僕は、父さんから受けた愛情を決して忘れない。父さん、側にいて欲しかったよ」
 カノイは娘を抱き締めながらそう、叫び続けた。
「側でいつも見守っていたさ。お前たちの人生はこれからだ。家族を、お前たちを見守り、支えてくれた人たちに、感謝してこれからも生きてゆくんだ」
 父の姿が霞んでゆく。別れの時がきたのだろう。気がつけば、ベッドの横で娘が泣き喚いていた。
 ノアーサが起き出して我が子を抱き、母乳を与え始める。
「ノアーサ」
 直ぐ様、カノイは起き上がった。
「起こしてしまったわね。大丈夫、お乳を飲ませて、オムツを替えたらまた、この子は眠るわ」
 乳幼児は、朝も昼も関係なく手がかかるので体力勝負だと、彼女は母乳を飲ませながら、カノイに話してくれた。
「直ぐには母乳も出ないの。それでも凄い勢いで吸い付いてくる。生きようとしているのね。私も、この子が乳首を吸ってくれなきゃ、母乳の出る体にならないのよ」
  そう、言いながら、彼女は娘に乳房を吸わせている。
「ノアーサ。さっき、父さんがここに来ていたんだ。夢だったけど、この子の誕生を喜んでいたよ」
 カノイは彼女の背中に手を伸ばし、二人を抱き締める。

「ノアーサ。カミラ。これからもずっと一緒だよ」
 カノイとノアーサの長女、カミラ・フォンミラージュ。この後、女性騎士として成長してゆくのだが、それは、また別の物語サーガで語る事としょう。
                                       
                                                 終 

【あとがき】

 最後までご講読ありがとうございました。
 初めまして、「アスケニアサーガ」の原作者茶房庵さぼうあんと申します。
 カノイとノアーサのサーガは今回で終わりますが、このあと外伝を書いておりますので、あと暫く、お付き合い頂けたらと思います。
 
 


 

 
 

 

 

 


    
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