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「………………女だよ」

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こいつはきっと舞台役者だろう。舞台栄えしそうな容姿をしている。青年というよりも少年という言葉が似合うあどけなさが残っている顔立ちだ。下睫毛が長く、猫のような吊り上がった目元が印象的だ。

それにしてもこの乙女ゲーム、軍人に役者ってずいぶんキャラクターに一貫性がないな。

「もう公演は終わったんだから関係者以外は早々に出て行って欲しいんだけど。それとも握手?サイン?ここまで押しかけるなんて最近の客はずいぶん厚かましくなったものだよ」

少年は泣き顔を見られたことで赤面しそっぽを向いてしまった。
プライドの高そうなガキだ。なんだかめんどくさそう。

「いえ、私たちは違います。あ、あの大丈夫ですか?」

放っておけばいいのに、リーゼロッテは少年の顔を覗き込むようにしてハンカチを渡した。

「いらない」

少年はハンカチを横目で見た後、再び顔を背けた。

「あの、どこか具合が悪いんですか?」

リーゼロッテは顔を歪めている少年の顔色を心配そうに窺う。

おいおい。どう見ても具合悪そうに見えないだろ。
あんたの中では泣いている人間=気分が悪いになるのかよ。
絶対、別の理由だろ。

「バカにしてんの?僕は役者だよ。体調管理は常に完璧に気を遣っているに決まってるじゃん。ていうかあんたには関係ないし」

少年は刺々しい物言いでリーゼロッテを突き放す。

いちいち勘に触るな。私も人のことは言えないけど。

「役者さん、だったんですか?」

「はぁ?何、あんた僕のこと知らないの?」

私も知らねぇよ。

「さっきの舞台にも出てたんだけど」

オレンジ色の髪が汗を拭き取ったばかりの湿った肌に張り付いている。これはさきほど舞台で身体を動かしていた証拠だろう。

それにしてもこいつ舞台に出ていたか?出会うか出会わないか敏感になっていた攻略キャラクターが舞台に上がっていたらすぐ気づいたはずだ。序盤から中盤に差し掛かったあたりはウトウトしながらも起きており、一応、視線を舞台の上に向けていた。もしかして、終盤あたりから登場したのか。
それにしてもこの鮮やかなオレンジ色の髪、見覚えがある。男にしては少し高い声もどこかで聞いた。

たしか………。

「もしかして、『ブーツをはいたネコ』のネコの役を演じていましたか?」

私よりもさきにリーゼロッテが察したらしい。
そうだ。あのネコだ。あのネコの毛色と少年の髪が同じ色をしている。声もだ。
おさらく動物に変身できる『ノア』なんだろう。

「はぁ」

少年はその問いに答えるかわりにため息を漏らす。

「最悪だ。観客からは気づかれないし、泣き顔は見られるし、なにより観客に居眠りされるし、本当最悪だよ」

「居眠りって」

リーゼロッテはチラっと私を見た。

「前の席にいたんだよその客。すっごく目立ってた。寝息まで聞こえてたんだから」

もしかしてなくても私のことだろう。まさか壇上に寝息まで聞こえていたなんて。
それが私だとはまだ気づいていないみたいだ。

「すっごい仏頂面で眺めていたと思いきや、いつのまにか眠ってたんだよ」

確実に私だな。

「寝るんだったらここに来る意味ないだろって感じだよ」

別に好き好んで来たわけじゃないし。

「なんか死んだ魚みたいな目で見ていた。すっごい性格悪そうだった」

眠かったんだから目が半開きになってたんだよ。
でも、それだけで性格悪い?寝てただけで性格悪い?

「ほんと、変な男の客だったんだけど――」

「………………女だよ」

無意識に口から発していた。性格悪いは否定しない。実際口悪いって自覚している。
でも、さきほどの発言に聞き流せないものがあった。

「は?」

少年は突然私が言葉を遮ったため怪訝な顔を向けてくる。

「オマエの目は節穴か」

「は、オマエ?」

私は被っていた帽子を取った。わかりやすく判断できるように髪を掻き上げる。

「もしかしてっ」
少年は気づいたようだ。前方にいた寝息をかいていた失礼な客が目の前にいるということを。

「男じゃなかったんだ」

壇上からは私が男に見えたのか。確かに公演中は薄暗かったから、はっきりとした容貌はわからなかったかもしれない。なにより、髪の毛だって短い。でも、まさか男子に見間違えられるとは予想外だ。
私って髪短くしたら男子に間違えられるのか。

(元の世界では絶対ショートヘアにしない)

「髪短くてもちゃんと女の子だよね、一応」
(だからオマエは黙ってろ)

いちいち、口を出してくるうさぎを睨み付ける。

「あの、ごめんなさい」

リーゼロッテはぺこりと頭を下げた。
なんであんたが謝るんだ。

「は?」

ほら、あの少年も私と同じこと考えてるぞ。

「居眠りはマナー違反だって知っていたのに、ちゃんと起こすべきでした。役者の方にそれほど不快に感じられていたなんて」

たしかに居眠りはマナー的には良くないと聞く。シリアスなシーンで寝息やいびきが聞こえたら周りの客は興ざめすることがあるからだ。

「あんたが謝るのはおかしいだろ」

少年は頭を下げているリーゼロッテに言い放った。

「でも………」

リーゼロッテは私に何かを訴えかけるような視線を送る。

「だからって私は謝んないけど」

マナー違反だってわかっていたけど別に悪いなんて思ってない。こっちは眠くなったから寝ただけだ。普通、公演中に眠った客がいちいち役者の下に出向いて謝らないだろう?せいぜい『せっかくお金払ったのに、眠っちゃったな』って内心悔やむくらいだ。役者に対しての謝意はない。
そもそも客の寝息一つで乱されるほうが役者として半人前だと思う。

「ていうか、こっちが謝ってほしいくらなんだけど」

「謝る?僕が?」

少年はその言葉を聞いた途端、眉をひそめた。

なんだこいつ、謝ることが一つもないと思っているのか。

「そこまで言う義理ないわ、自分で考えろ」

腕組みしながらぴしゃりと言い放つ。私たちがファンだったとしてもその態度はどうなんだ。いきなり『厚かましい』って普通言うか?実際に芸能人がファンに対してそんな辛辣な態度で接したら炎上ものだ。干される可能性だってある。

「そんなに泣き顔見られるの嫌だった?見知らぬ女に八つ当たりするくらい。男の泣き顔って初めて見たけどみっともないことこの上ないな」

「………っ!」

私の言葉でカッとなったようで目を見開いた後、睨み付けてきた。ふるふると再び赤面し、そっぽを向いてしまった。

「レ、レイ」
「行こう、リーゼロッテ。付き合ってらんない」

私は少年が何か言い返す前に戸惑い気味のリーゼロッテの腕をぐいっと引っ張った。

「私ら、道草食ってる場合じゃないだろ。ウィル探さないと。ここにはいないんだからさっさと出るぞ」

「ええ」

私が声を潜ませながら言うとリーゼロッテはゆっくりと頷いた。私たちは少年が引き止める暇も与えずホールを小走りしながら出た。
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