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脱出成功
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「あと30秒です」
「うげっ」
息を吐く暇も許さないように玖月が淡々と告げる。雫は急いで立ち上がり、スポーツバックを肩にかけると三つのバケツを1回で持ち運びできるように重ね合わせ、裏手まで走る。
雫は3つ重ねたバケツを外し、一番大きいバケツを裏返しにして塀に付ける。
「あっ、傘」
雫は思わずといった声を出し、急いで来た道を戻る。倒れている傘を乱暴に掴み、走りながら傘を裏手に放り投げた。
「あと16秒」
「やっば」
時間のロスをしてしまった。焦りのせいか動き回っているせいか、心臓の脈打つ音が異様に速い。早い理由が藍の体だからなのか、それとも雫が入ったせいなのかはわからない。
今はただ、この五月雨家から脱出することに集中する。その一心だけだ。
雫はスポーツバックを肩から外し塀の向こう側に投げ入れようと目線を上げる。スポーツバックは制服や革靴、体を拭いたタオルをしまっているため少し重い。しかし、投げられないほどの重さではない。反動をつければ塀の向こう側に投げ入れられる。
雫は2、3回スポーツバックをゆらゆら揺らすという反動をつけ、塀の向こう側目掛けて投げた。スポーツバックは勢いをつけたおかげか塀に引っかかることなく、飛び越えた。
飛び越えたことを確認すると次は裏返しにしたバケツに目をやる。
「あと10秒です。9、8………」
傍に立つ玖月がカウントダウンを口にする。
雫はバケツに乗ろうと膝を大きく曲げる。藍の全身は同じ年代の平均女子よりも小さい。そのため、かなり大きく膝を曲げなければいけなかった。雫は膝にぐっと力を込め、バケツをガタガタと鳴らしながら1回で上に乗ることに成功した。
バケツは塀にピタリと付けていた。塀は目の前にある。
この塀を飛び越えれば脱出成功だ。雫は片足を塀の上に乗せた。
「………4………3………」
両足を塀の上に乗せると、膝を大きく曲げて飛び降り、道路であるコンクリートの上に着地した。
「………1………0」
玖月のカウントダウンが終わったと同時に藍の身体から雫の魂が弾かれた。
「うおっ」
バチンと静電気が体中に駆け巡ったかのような衝撃に雫はふらふらと体を揺らし、その場に座り込んだ。
「玖月くん、ひどいよ」
雫はむすっとした顔で玖月を見る。
「ひどい?」
「抜けるときこんなに体がビリビリするなんて聞いてないよ」
「言いませんでした?」
「言ってないよ」
「事前に言っていたらやめていたんですか?」
「心構えの問題だって」
体中を駆け巡る衝撃は一瞬だった。肩を外したかのような尾を引くようなものではない。
それでも事前に知っているか知らないかでは違う。
「それにしても」
雫は立ち上がり、己の掌を見つめる。
未だに振り続けている雨。霊である雫の体には濡れず、雨はただすり抜けて地面に落ちた。瞼に雨粒が落ちることがもうないので視界がクリアになり、己の掌も見やすく感じた。
「やっぱり、なんか違う。今の霊体と生身の体って」
掌を見つめながら握ったり開いたりを繰り返す。
今の状態は藍の体の入る前の状態。鈍く肩に纏っていた肩の痛みや足の裏にひりひり感じていた痛みは最早、なかった。雨のせいで張り付いていた着衣の不快感もなくなったため、不思議と爽快感もある。
「なんていうか………重さ?生々しさ?入った瞬間頭のてっぺんから足のつま先まで血の巡りの温かさを感じたっていうか………う~ん、うまく言えないや」
「それが生者と死者の違いですよ」
抽象的な言い回しかできない雫に玖月はきっぱりと言い放った。
「ふうん。まさかこれほどはっきり“違う”ってわかるくらい差があるなんて入る前は思わなかったよ」
「はっきりと死者に違いがわからないとこの能力は意味がないんです。これは説明したはずですが」
「聞いていたよ、聞いていたけどさ。正直こうも差があるなんて思ってなかった」
雫は拳を握り締めながら苦笑した。もしもの時のために事前に玖月が雫に説明を受けていた内容は送り人の能力の一つである「強制媒介」。
それは霊を人間の中に憑依させる能力。
この能力の意義はすなわち、霊の未練の消化。
ほとんどの霊は狭間に自動的に送られるが、例外も存在する。死ぬ直前、人生を左右するほどの未練が霊に残っている時、その土地に縛り付けられてしまい狭間に向かうことができない場合がある。
送り人は霊をあの世に送ることが仕事。つまりその場に縛り付けられ、動けない原因である未練を取り除くことも業務の一環に入っている。
担当の送り人はその未練を断ち切られるため、強制媒介を使うことが多い。未練の種類にもよるが、この能力で大抵の霊の未練を消化させることができる。
例えば事故のせいで歩行することができず、己の足で立つことを望みながらも生涯を終えてしまった霊のために強制媒介で人間の体に憑依させ、生前叶えることができなかった望みを叶えさせる。霊の未練を消化することに成功するとその場から動けないでいる霊を離れさせることができる。
玖月も霊の未練を消化させるため強制媒介を幾度か使っている。
「それにしても5分て………5分て………短すぎだって」
「僕は送り人になってまだ2年程度なんです。新人というよりもまだ、研修生のような扱いです。強制媒介に限らず、送り人の能力の権限はまだ最低限のものしか与えられていません。より多くの権限を持つためには多くの実績を積まないといけないんです」
「研修生とか実績とか、ほんと会社みたいだ。まぁ、何にしても脱出できて本当によかったよ」
雫は己の家を見上げながら、足をゆっくり進めた。
一見、住宅街に馴染んでいるがその実、殺し屋一家が住まう危険な家。
侵入者には一切の情けも容赦もない。もし、見つかりでもすれば女だろうが子どもだろうが顔見知りだろうが関係なく捕縛され、尋問という名の拷問が待っていたはずだ。この家に住んでいるすべての人間の容赦のなさを熟知している雫は藍が脱出できたことにほっと胸を撫でおろした。
雫は進めていた足ピタリと止めた。
雫の視線の先には座り込んたままの藍がいた。
「うげっ」
息を吐く暇も許さないように玖月が淡々と告げる。雫は急いで立ち上がり、スポーツバックを肩にかけると三つのバケツを1回で持ち運びできるように重ね合わせ、裏手まで走る。
雫は3つ重ねたバケツを外し、一番大きいバケツを裏返しにして塀に付ける。
「あっ、傘」
雫は思わずといった声を出し、急いで来た道を戻る。倒れている傘を乱暴に掴み、走りながら傘を裏手に放り投げた。
「あと16秒」
「やっば」
時間のロスをしてしまった。焦りのせいか動き回っているせいか、心臓の脈打つ音が異様に速い。早い理由が藍の体だからなのか、それとも雫が入ったせいなのかはわからない。
今はただ、この五月雨家から脱出することに集中する。その一心だけだ。
雫はスポーツバックを肩から外し塀の向こう側に投げ入れようと目線を上げる。スポーツバックは制服や革靴、体を拭いたタオルをしまっているため少し重い。しかし、投げられないほどの重さではない。反動をつければ塀の向こう側に投げ入れられる。
雫は2、3回スポーツバックをゆらゆら揺らすという反動をつけ、塀の向こう側目掛けて投げた。スポーツバックは勢いをつけたおかげか塀に引っかかることなく、飛び越えた。
飛び越えたことを確認すると次は裏返しにしたバケツに目をやる。
「あと10秒です。9、8………」
傍に立つ玖月がカウントダウンを口にする。
雫はバケツに乗ろうと膝を大きく曲げる。藍の全身は同じ年代の平均女子よりも小さい。そのため、かなり大きく膝を曲げなければいけなかった。雫は膝にぐっと力を込め、バケツをガタガタと鳴らしながら1回で上に乗ることに成功した。
バケツは塀にピタリと付けていた。塀は目の前にある。
この塀を飛び越えれば脱出成功だ。雫は片足を塀の上に乗せた。
「………4………3………」
両足を塀の上に乗せると、膝を大きく曲げて飛び降り、道路であるコンクリートの上に着地した。
「………1………0」
玖月のカウントダウンが終わったと同時に藍の身体から雫の魂が弾かれた。
「うおっ」
バチンと静電気が体中に駆け巡ったかのような衝撃に雫はふらふらと体を揺らし、その場に座り込んだ。
「玖月くん、ひどいよ」
雫はむすっとした顔で玖月を見る。
「ひどい?」
「抜けるときこんなに体がビリビリするなんて聞いてないよ」
「言いませんでした?」
「言ってないよ」
「事前に言っていたらやめていたんですか?」
「心構えの問題だって」
体中を駆け巡る衝撃は一瞬だった。肩を外したかのような尾を引くようなものではない。
それでも事前に知っているか知らないかでは違う。
「それにしても」
雫は立ち上がり、己の掌を見つめる。
未だに振り続けている雨。霊である雫の体には濡れず、雨はただすり抜けて地面に落ちた。瞼に雨粒が落ちることがもうないので視界がクリアになり、己の掌も見やすく感じた。
「やっぱり、なんか違う。今の霊体と生身の体って」
掌を見つめながら握ったり開いたりを繰り返す。
今の状態は藍の体の入る前の状態。鈍く肩に纏っていた肩の痛みや足の裏にひりひり感じていた痛みは最早、なかった。雨のせいで張り付いていた着衣の不快感もなくなったため、不思議と爽快感もある。
「なんていうか………重さ?生々しさ?入った瞬間頭のてっぺんから足のつま先まで血の巡りの温かさを感じたっていうか………う~ん、うまく言えないや」
「それが生者と死者の違いですよ」
抽象的な言い回しかできない雫に玖月はきっぱりと言い放った。
「ふうん。まさかこれほどはっきり“違う”ってわかるくらい差があるなんて入る前は思わなかったよ」
「はっきりと死者に違いがわからないとこの能力は意味がないんです。これは説明したはずですが」
「聞いていたよ、聞いていたけどさ。正直こうも差があるなんて思ってなかった」
雫は拳を握り締めながら苦笑した。もしもの時のために事前に玖月が雫に説明を受けていた内容は送り人の能力の一つである「強制媒介」。
それは霊を人間の中に憑依させる能力。
この能力の意義はすなわち、霊の未練の消化。
ほとんどの霊は狭間に自動的に送られるが、例外も存在する。死ぬ直前、人生を左右するほどの未練が霊に残っている時、その土地に縛り付けられてしまい狭間に向かうことができない場合がある。
送り人は霊をあの世に送ることが仕事。つまりその場に縛り付けられ、動けない原因である未練を取り除くことも業務の一環に入っている。
担当の送り人はその未練を断ち切られるため、強制媒介を使うことが多い。未練の種類にもよるが、この能力で大抵の霊の未練を消化させることができる。
例えば事故のせいで歩行することができず、己の足で立つことを望みながらも生涯を終えてしまった霊のために強制媒介で人間の体に憑依させ、生前叶えることができなかった望みを叶えさせる。霊の未練を消化することに成功するとその場から動けないでいる霊を離れさせることができる。
玖月も霊の未練を消化させるため強制媒介を幾度か使っている。
「それにしても5分て………5分て………短すぎだって」
「僕は送り人になってまだ2年程度なんです。新人というよりもまだ、研修生のような扱いです。強制媒介に限らず、送り人の能力の権限はまだ最低限のものしか与えられていません。より多くの権限を持つためには多くの実績を積まないといけないんです」
「研修生とか実績とか、ほんと会社みたいだ。まぁ、何にしても脱出できて本当によかったよ」
雫は己の家を見上げながら、足をゆっくり進めた。
一見、住宅街に馴染んでいるがその実、殺し屋一家が住まう危険な家。
侵入者には一切の情けも容赦もない。もし、見つかりでもすれば女だろうが子どもだろうが顔見知りだろうが関係なく捕縛され、尋問という名の拷問が待っていたはずだ。この家に住んでいるすべての人間の容赦のなさを熟知している雫は藍が脱出できたことにほっと胸を撫でおろした。
雫は進めていた足ピタリと止めた。
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