女神回収プログラム ~口外できぬ剣士の秘密と、姫への永誓~

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

文字の大きさ
161 / 389
伝説の終わり──もうひとつの始まり

【89】身命を賭して(2)

しおりを挟む
 沙稀イサキが目を開けると、一面の闇が広がっていた。上半身に泉の感覚がなく、左手で探ってみれば、水位は膝までだ。水に触れている感覚はあるが、清めたときのような冷たさはふしぎとない。──そう、意識は懐迂カイウに辿り着いた。
 どうせ何も見えないなら目を開けていても仕方ないと、沙稀イサキは瞳を閉じる。一歩、また一歩と歩く。けれど、水の音は聞こえてこない。予想通り、意識だけのこの空間には音が存在しないらしい。精神力の強さを試されているようで、沙稀イサキはフッと笑う。──これごときで平常心を失うほど、生ぬるい想いではないと。恭良ユキヅキへの想いは愚か、恭良ユキヅキが向ける想いも揺るがず、疑う余地もない。
 沙稀イサキの歩みに迷いはなく、しっかりと進んでいく。

 一方、恭良ユキヅキの意識も懐迂カイウに来ていた。周囲を闇に包まれ、何も見えない。けれど、今にも水が口に入りそうなほどに水位が高い。呼吸が必要かの判断をするほど冷静でもいられず、温度は感じないがそれどころでもない。何とか溺れないようにと、精一杯背伸びをして口を水面より上へと向ける。
 けれど、このままでもいられない。恭良ユキヅキは思い切って一歩、踏み出す。すると、すっぽりと顔を、頭上を泉で包まれてしまった。
 まるで穴に落ちたかのように、足は何にも届かず。それは、どこまでも落ちていくような感覚で──恭良ユキヅキは沈みながら身を丸め、ふと思う。
 その水は、不安の強さなのだと。
 足がつかないほど深く、落ちていくのは恐怖に溺れそうなのだと。
 水が頬を、髪を、腕をどんどんすり抜けていく。どこまでも沈んでいきそうな感覚に陥りながらも、そもそも、どうしてここにいるのかを思い出す。
 ──ああ、そうだ。
 沙稀イサキへの強い想いを、いつも差し出してくれるやさしい手を恭良ユキヅキが思い出したとき、ふと、足が地についた。丸めていた体をゆっくりと伸ばし、立ち上がる。
 ふしぎな感覚だった。先ほどまでの水位が嘘かのように、腰までしか浸かっていない。
 ──あの感覚は……私の弱さが感じさせた幻だったんだ。
 信じるものを思い出した恭良ユキヅキは、沙稀イサキを想い歩き始める。



 視覚も聴覚も失われた状態になり、どのくらいが経っただろうか。時間という概念を失いそうな空間で、沙稀イサキは右手で確かに何かに触れた。それに、沙稀イサキはドキリとした。
 ちょうど、そのとき。恭良ユキヅキは何かが右肩に当たった気がした。
 揺れていた泉が、一瞬、静まる。──このとき、求める人がそこにいると確信した。
 沙稀イサキは更に一歩踏み出し、恭良ユキヅキは右へと体を向け、両手を伸ばし合う。
 触れ合う肌と肌は、見えなくとも愛しい人がここにいるという証。抱き合い喜びを分かち合うと、どちらともなく顔を近づけ、ひとつになることを願うように唇を重ねる。
 刹那、激しい光に包まれる。ギラギラとした閃光の中、ふたりは互いのやさしい笑みを確かに見ていた。

 別々の部屋で、ふたりは同時に瞳を開いた。そこは横になった玉座のようなものの上。先ほどまでの光景が夢ではないと瞬時に判断し、上半身を急いで起こす。白い布で素早く身を隠し、すぐさま部屋の扉を開ける。
 扉を開いた先には、相手の入った部屋の方を向いたそれぞれがいて。そこに立っているのは幻ではなく、もちろん姿を持った存在あるもので──感極まったふたりは走り出す。
沙稀イサキ!」
恭良ユキヅキ!」
 身を包んでいた白い布が、フワリと飛んだ。互いに手を伸ばし合ったためだろう。
 求めさまよった人との再会を心の底から喜び、抱き締め合う。足の力が抜け、その場でしゃがみ込むほど。自然と重なる唇。戻った五感が理性を飛ばす。無心に求め合う幸福に夢中になっていく。幸せは加速し、体を熱くさせ──と、そこへ。
沙稀イサキ様! 恭良ユキヅキ様!」
 必死に止めようとする大臣の声。その、幼いころから耳にしていた声は、沙稀イサキに正気を取り戻させた。
 恭良ユキヅキと一切の隔たりなく密着している現実に、沙稀イサキはのけぞりそうになる。けれど、離れれば恭良ユキヅキの肌を他の男にさらすことになるわけで。沙稀イサキは耳の先まで真っ赤になりながらも、グッと恭良ユキヅキを抑え込むように抱き締める。
「来るな! それ以上近づくなっ!」
 恭良ユキヅキの体をさらすなど、沙稀イサキには耐えられない。ただ、その反応は恭良ユキヅキにはおかしかったのか、強く抱き寄せる沙稀イサキの腕の中でクスクスと笑う。──恭良ユキヅキにとって大臣は『男』ではない。沙稀イサキの反応は恭良ユキヅキにしてみれば過剰反応。
 沙稀イサキは急激に気恥ずかしさを感じる。こんな状況で、焦っているのは沙稀イサキの方なのだから。
「大臣、すぐに行くから。何もしないから! これから婚儀の支度に行く。だから、安心して待っていて」
 沙稀イサキには、恭良ユキヅキを抱き締めながら大臣が去るのを待つしかない。
 もし、懐迂カイウの儀式が存在しなかったとしても、沙稀イサキ恭良ユキヅキにバージンロードを歩いてもらうまで、その純潔を守りたいという気持ちがあった。沙稀イサキにとっては、それが恭良ユキヅキに対する誠意だ。

 しばらくして、人の気配がなくなったと気づく。念のため沙稀イサキは振り返る。誰もいないと安心したのか、強く抱き締めていた腕の力をゆるめる。
恭良ユキヅキ、ちょっと待っていて」
 冷静になっても尚、顔の赤味はひかない。沙稀イサキ自身も気づいているからこそ、照れた様子なのだろう。
 スッと体を離し半回転してから立ち上がると、まずは後ろに落ちている白い布を拾う。身を隠し、恭良ユキヅキに近づくとそれを頭からかけ、自身は恭良ユキヅキの背後にある白い布を身にまとう。
 恭良ユキヅキが頭にかかった布を手繰り寄せたころ、沙稀イサキは背後にいて。恭良ユキヅキは布を身に巻かずに抱きつく。──そんな無邪気なことをされ、沙稀イサキは慌てた。
 ただ、慌ててばかりもいられない。次の儀式もまた、ふたりにとって大事なことだ。沙稀イサキは、手際よく彼女の体に布をかける。そうして、愛しさを噛み締めて強く抱き寄せる。
「ね、行こう?」
 恭良ユキヅキ沙稀イサキを引き止めるように更に抱きつく。沙稀イサキは更に照れるが──照れて慌てる沙稀イサキを、恭良ユキヅキは決してからかっているわけではない。わがままで甘えても、受け止めてくれる大きな愛を心地よく感じている。こんな状況下でも、欲望に走らず恭良ユキヅキを守ろうとしてくれる彼が、愛おしくてたまらなかった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

愛されないと吹っ切れたら騎士の旦那様が豹変しました

蜂蜜あやね
恋愛
隣国オデッセアから嫁いできたマリーは次期公爵レオンの妻となる。初夜は真っ暗闇の中で。 そしてその初夜以降レオンはマリーを1年半もの長い間抱くこともしなかった。 どんなに求めても無視され続ける日々についにマリーの糸はプツリと切れる。 離縁するならレオンの方から、私の方からは離縁は絶対にしない。負けたくない! 夫を諦めて吹っ切れた妻と妻のもう一つの姿に惹かれていく夫の遠回り恋愛(結婚)ストーリー ※本作には、性的行為やそれに準ずる描写、ならびに一部に性加害的・非合意的と受け取れる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。 ※ムーンライトノベルズでも投稿している同一作品です。

お嬢様と執事は、その箱に夢を見る。

雪桜
恋愛
✨ 第6回comicoお題チャレンジ『空』受賞作 阿須加家のお嬢様である結月は、親に虐げられていた。裕福でありながら自由はなく、まるで人形のように生きる日々… だが、そんな結月の元に、新しく執事がやってくる。背が高く整った顔立ちをした彼は、まさに非の打ち所のない完璧な執事。 だが、その執事の正体は、なんと結月の『恋人』だった。レオが執事になって戻ってきたのは、結月を救うため。だけど、そんなレオの記憶を、結月は全て失っていた。 これは、記憶をなくしたお嬢様と、恋人に忘れられてしまった執事が、二度目の恋を始める話。 「お嬢様、私を愛してください」 「……え?」 好きだとバレたら即刻解雇の屋敷の中、レオの愛は、再び、結月に届くのか? 一度結ばれたはずの二人が、今度は立場を変えて恋をする。溺愛執事×箱入りお嬢様の甘く切ない純愛ストーリー。 ✣✣✣ カクヨムにて完結済みです。 この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。 ※第6回comicoお題チャレンジ『空』の受賞作ですが、著作などの権利は全て戻ってきております。

最愛の番に殺された獣王妃

望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。 彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。 手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。 聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。 哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて―― 突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……? 「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」 謎の人物の言葉に、私が選択したのは――

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

処理中です...