冬の一陽

聿竹年萬

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少年期 港町小旅行編

(38)足取りは軽やかに

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 ロンゴミニアドの南方には田園風景が広がっている。


「王都の大胃袋はこの大農耕地帯が満たしています。南方に伸びる大街道アルタガより西はセゴン湖を頼りに麦を栽培し、所により野菜、果物と種々の農作物が育まれています。街道より東は酪農を中心として、羊、牛、豚が放牧ないし舎内で育成されています。ちょうど、ほらあそこで馬に乗って牛を誘導しているのが見えますね」


 ドロシーの指さした先には槍を片手に馬を駆り、牛を追い立てる女の姿があった。器用に馬を繰り縦横無尽に動き回っている。


「凄いですね……。あんな動き僕にも出来るようになるでしょうか」


「貴方にならできますよ。きっと努力を怠らなければ」


 ドロシーが優しく肯定してくれる。それだけで「必ずできるようになるのだ」と強く心に思える。師の言葉は魔力を帯びているのかもしれない。


 二人は一頭の馬に跨りドロシーが手綱を持っている。フィンはドロシーの背後に跨り師の腰を掴んでいた。フィンはまだ乗馬を手習いしておらず馬上から手を引いてもらわなければ鞍に跨ることもできなかった。


「そろそろ速足にしたいのでもっと私とくっ付いてください。慣れないうちは私に密着して馬の歩調に合わせて体重移動しないと酔いますよ?」


 ドロシーはそう言うと事も無げにフィンの右手を自分の胴に回させ、「ほら、ここで手を組んでください」と言う。
 フィンの鼻先はドロシーの帽子に突っ込んでしまう。前が見えない。


「ああ、すみません」


 ドロシーは帽子の位置を直し、顎紐を少しきつく締めた。師の大きな帽子はフィンの鼻先を離れた。


「では行きますよ。慣れるまでは口を開かないようにした方がいいでしょう。舌を噛みかねませんから」


 言うや否や「お願いね、リキア」と馬リキアに声をかける。リキアは速度を上げ始め、王都ロンゴミニアドが遠のいていく。青色の畑が波を打つ。風が肌を撫でる感触が心地よい。


 思えば遠くに来たものだと不意に感じる。故郷の村を離れロンゴミニアドで暮らすようになって早半年になる。こちらの生活にもだいぶ慣れたように感じる。ただその大きな契機が学長の言葉であったことは認めたくなくとも認めざるを得ない。今は感謝を本人に伝える気持ちになれないがいずれはこの座りの悪さも解消されるのだろうか。


 リキアはリズミカルに走っていく。前後への奥行ある運動と上下のリズミカルな動きに最初は揺さぶられる具合であったが先生の体重移動に体を合わせているうちに馴染んできた。少しずつ楽しくなってくる。


 フィンが馬の歩容に適応したと察して、ドロシーが口を開く。


「港町カーライルは武器製造、宝飾、他各種金属、貴石加工業の発達した街で、ロンゴミニアドを超える工芸都市です。また海産物、ドワーフのアナグラから仕入れたレアメタル、レアアースの取引も盛んで経済規模はロンゴミニアドに次ぎます。フィンは海を見るのはこれが初めてでしょうか」


「はい。果てなく塩水だけが続く世界の端だと本で読んだだけです」


「学ぶと見るとでは得られる情報も質も異なります。貴方が読んだ本と想像の海とで答え合わせをしてもいいですし、本にあったことを忘れて海に触れてもいいでしょう。また、海の周りの生活、労働、食べ物、どんなものにだって興味を発揮してください」


 この大陸は実に広大なのだな、とフィンは考えるでもなく感じていた。自分が故郷で生活していたときに身にかかっていた閉塞感は一体なんであったか。王都ロンゴミニアドはやはり大きく、城下の飲食店、書店、雑貨屋、武器屋、服飾品店、全てを回りきるのに自分の人生だけでは足りなさそうなくらいなのに、世界にはまだまだ多くの都市があるのだという。あの村の外に都市がいくつもあることくらい情報として知っていたが、こうして実際に外に出て訪問するまで自分はその事実を実感していなかったのだと思うと不思議な感覚だった。


「本当に、世界は広いんですね」


 馬の脚は本当に早い。ロンゴミニアドがすっかりあんなにも遠くて、少し青みがかって見える。美術史の講義で学んだ空気遠近というものだろうかと思い出す。
 この速度で馬が走ってなお果てに届かない世界を知ることができてよかったと思うと同時に、そんな世界に手を引いて連れ出してくれたドロシーのことを思うと、堪らない気持ちになって、ついついフィンは師の胴に回した腕に力を込めてしまう。


「先生、もっと速く駆けることはできますか?」


「ええもちろん。とはいえリキアも疲れてしまうから……少しだけですよ」


 ドロシーはフィンの手を軽く撫でてから手綱を持ち直し馬を駆る。蹄が力強く地面を蹴る音が響く。


 ぐんぐんと前に引っ張られる感覚にフィンは堪らなく楽しくなって声を出して笑いだしてしまう。


「あはははっ! すごいですね! すごく楽しいですね! 先生!」


 心の底から楽しんでいる弟子の様子を背中に感じつつ、師匠の様子はさながら安堵するようであった。


 港町カーライルでの一週間ばかりの小さな旅行に向かう二人の出発の日のことであった。
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