欠陥品、と吐き捨て婚約破棄したあなたへ

椎名シナ

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アレクシスの剣、帝国の正義

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 ◆リゼット

 ヴァイスハルト邸が、さながら帝国の命運を左右する作戦司令部と化してから数日。帝都の空には依然として不吉な赤い月が浮かび、それはまるで、これから始まるであろう血で血を洗う戦いを静かに、しかし嘲笑うかのように見下ろしている。

 だが、私の心は、兄たちとエルンスト様の揺るぎない支援と、そして私自身の中に芽生えた確かな覚悟によって、嵐の前の海のように、静かに、しかし力強く凪いでいた。

「リゼット、ジュリアンが開発した新型の魔導増幅器と、お前の精神を守るための防御結界符の準備が整ったようだ。そして、カイルからもたらされた情報によれば、ゲルハルト公爵とアストレアの残党どもが、今宵、あの廃教会の地下墓地で、何らかの『儀式』の最終段階に入る可能性が高いという」

 アレクシス兄様が、いつになく厳しい、しかしその奥に弟妹への深い愛情を滲ませた表情で、私にそう告げた。彼のその蒼氷の瞳は、既に戦場を見据える将軍のそれだ。

 その手には、帝国騎士団総長の象徴である、白銀に輝く長剣が握られている。それは、ただの武器ではない。帝国そのものの正義と秩序を体現するかのような、荘厳なまでの輝きを放っていた。

「儀式…やはり、セレスティーナ王女が、あの『異形の化け物』を完全に召喚しようとしているのでしょうか…?」

「その可能性が高い。そして、ゲルハルト公爵は、その『化け物』の力を利用して、帝都に未曾有の混乱を引き起こし、その隙に皇帝陛下を暗殺、あるいは傀儡とし、自らが帝国の実権を握ろうと画策しているのだろう。あまりにも短絡的で、そして何よりも愚かしい計画だが、追い詰められた鼠が猫を噛むこともある。我々は、あらゆる可能性を想定し、万全の態勢で臨まねばならん」

 兄の言葉には、絶対的な自信と、そして油断のない警戒が同居している。

「ジュリアンは、廃教会の周囲に既に魔力遮断と探知妨害の結界を張り巡らせている。我々の動きが、外部に漏れることはない。そして、カイルの『影』たちが、地下墓地への安全な潜入経路を確保し、内部の罠や敵の配置についても、ある程度の情報を掴んでいる。だが、最深部に潜むという『化け物』と、黒魔術を操るセレスティーナ王女の力は、依然として未知数だ」

 アレクシス兄様は、卓上に広げられた廃教会の地下墓地の見取り図を指し示した。

 それは、カイル兄様の「影」たちが命懸けで手に入れたものであろう、詳細かつ精密なものだったが、最深部だけは、まるで不吉な闇に包まれたかのように、曖昧な記述しかされていない。

「リゼット、お前に託す任務は、繰り返しになるが、極めて危険だ。エルンスト卿と共に、カイルが確保した潜入経路から地下墓地の最深部に可能な限り近づき、お前の『真実の鏡』の魔力で、セレスティーナが召喚しようとしている『化け物』の正体、弱点、そして彼女の黒魔術の核となる部分を探り出してもらう。それが判明し次第、即座に撤退し、我々に情報を伝えろ。決して、深入りはするな。お前の役目は、あくまで『眼』となることだ」

「はい、アレクシス兄様。肝に銘じますわ」

「そして、お前たちが情報を持ち帰るのと同時に、あるいは、万が一お前たちの身に危険が迫ったと判断した場合には、私と、そして選りすぐりの帝国騎士団の精鋭たちが、地下墓地に突入し、そこに潜む全ての悪を一掃する。ゲルハルト公爵の屋敷にも、既にジュリアンの手の者が潜入し、奴が今回の騒乱に関与したという動かぬ証拠を掴む手筈になっている。奴が帝国の敵であると確定し次第、皇帝陛下の御名において、アレクシス・フォン・ヴァイスハルトが、この剣で奴に正義の鉄槌を下す!」

 兄のその言葉は、まるで帝国そのものの意思を代弁するかのように、厳粛で、そして揺るぎない決意に満ちていた。この国を、そして民を愛する彼の高潔な魂が、悪を許さないと叫んでいるかのようだ。

 その時、執務室の扉が静かに開き、ジュリアン兄様とカイル兄様、そしてエルンスト様が入ってきた。

 ジュリアン兄様の手には、美しい銀細工が施された、私の左目の色と同じ深い紫水晶が嵌め込まれたチョーカーと、数枚の護符のようなものが握られていた。

「リゼット、これが、お前の『祝福』の魔力を安定させ、かつ増幅させるための新型魔導増幅器だ。首筋の魔力循環経路に直接作用し、精神集中の持続時間を飛躍的に高める効果がある。そして、これらの護符は、黒魔術や精神汚染からお前の魂を守るための、ヴァイスハルト家秘伝の防御結界符だ。私が特別に調整し、お前の魔力と最も同調しやすいように仕上げておいた。これらを身につけていれば、万が一、セレスティーナの邪悪な魔力に触れたとしても、お前の精神が完全に汚染されることはないはずだ。…だが、過信は禁物だよ、リゼット。相手は、既に人としての道を踏み外した『何か』なのだから」

 兄の優しい声と、その瞳に宿る私への深い愛情が、私の心を温かく包み込む。このチョーカーと護符は、兄の知恵と技術、そして何よりも私を守りたいという強い想いの結晶なのだ。

 カイル兄様は、いつものように不敵な笑みを浮かべていたが、その手には、私の手のひらに収まるほどの小さな、しかし鋭い輝きを放つ黒曜石の短剣が握られていた。

「リゼット、これは、ヴァイスハルト家に代々伝わる『影断ちの短剣』だ。物理的な切れ味は大したことねえが、悪霊や呪詛といった、実体のないものを断ち切る力があると言われている。まあ、気休めかもしれねえが、無いよりはマシだろう。それと、これを持っていけ」

 そう言ってカイル兄様が私に投げ渡したのは、小さな革袋だった。中には、目眩まし用の煙玉や、強力な閃光を発する魔導具、そして非常用の解毒薬など、彼の「影」たちが使う護身用の道具が一式入っている。

「いいか、リゼット。お前の役目は、あくまで情報を持ち帰ることだ。だがな、万が一、本当に万が一の事態が起きたら…その時は、ためらうな。自分の命を最優先に考えろ。お前がいなくなったら、俺たちは…いや、この帝国は、本当に光を失っちまうんだからな」

 兄のその言葉は、普段の彼の軽薄な口調からは想像もつかないほど、真摯で、そして切実な響きを伴っていた。

 その赤い瞳の奥に、私への深い愛情と、そして私を失うことへの恐怖が、隠しきれないほどに揺らめいているのが見えた。

 そして、エルンスト様は、私の前に進み出て、その力強い手で私の両肩を掴んだ。その真摯な瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。

「リゼット…いや、リゼット嬢。私は、騎士として、そして…一人の男として、必ずや君を守り抜くと誓った。この任務が、どれほど危険なものであるか、想像に難くない。だが、君が帝国のために、そして我々の未来のために戦おうというのなら、私もまた、その覚悟を共に背負おう。君の『眼』が真実を映し出すその時まで、私は君の傍を片時も離れはしない。そして、いかなる闇が君を脅かそうとも、この剣で必ずやそれを打ち払ってみせる」

 彼の言葉は、熱く、そして力強い。その瞳には、私への絶対的な信頼と、そして何よりも深い愛情が宿っている。  

 その想いが、私の最後の迷いを断ち切り、そして未知なる恐怖へと立ち向かうための、最大の勇気を与えてくれた。

「ありがとう存じます、エルンスト様。そして、兄様たち。このリゼット・フォン・ヴァイスハルト、必ずや皆様のご期待に応え、この帝国の闇を祓い、勝利を持ち帰ることを、この隻眼に誓いますわ」

 私は、ジュリアン兄様から受け取ったチョーカーを首に飾り、護符をドレスの内側にそっと忍ばせた。

 そして、カイル兄様から渡された短剣を腰に差し、エルンスト様の差し出す手を、力強く握り返した。

 アレクシス兄様が、静かに、しかし力強く宣言した。

「…よし。これより、ヴァイスハルト家は、帝国の敵、ゲルハルト公爵とその一派、及びアストレア残党に対し、断固たる制裁を開始する! 目標は、廃教会の地下墓地に潜む全ての悪の根源の排除、及びゲルハルト公爵の身柄確保! 【白銀の三槍】の名において、そして何よりも、リゼットの勇気と帝国の正義のために! 各自、抜かるなよ!」

「「「御意!!」」」

 兄たちの、そしてエルンスト様の力強い返事が、執務室に響き渡った。

 帝都の闇に、ヴァイスハルト家の、そして【白銀の三槍】の、最後の戦いの火蓋が、今まさに切られようとしていた。

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