神と穢れの紙一重

白湯の氷漬け

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違和感の警鐘

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 翌日、叔父と私は袴に身を包み、儀式の準備を昼前から始めた。集まった村の力自慢達やその家族が、私に気づくと笑顔で声をかけてくれた。
 髭の濃い筋肉質の壮年に、頑張れと背中をはたかれる。大量の弁当を抱えた夫人は、立派になってと頬に手を添えている。
 彼らに指示する叔父は背筋を伸ばして声を通らせ、昨日とは別人のようだった。村を不安にはさせまい、という神主の使命感がそうさせているのだろう。私は自然とえりを正した。

 境内の掃除に取り掛かる。雑務といえ手抜かりがあってはならない。鳥居から遠く離れたところにある祠まで行き、その下の石畳を入念に磨いていると、不意に祠に違和感を覚えた。
 手を止めてその木目ひとつひとつを視線でなぞる。すう、と冷たい風が脚を這い上がる。眼の動きを止めて凝視する。両開きになっている祠の扉がおかしい。黒い鉄の取っ手がひとつ無くなっている。

 息が詰まる。ざあっと梢がさざめく。手を伸ばす。雪が指先にまとわりつく。残ったもう一つの取っ手は冷えて、ひた、と中指に吸い付いた。

「祐一、終わったか」

 ざっと雑巾を掴んで立ち上がった。深呼吸をして振り返ると、叔父が怪訝そうな顔をしてこちらを伺っていた。はい、と声を張り上げると、休憩だから家においでと去っていく。見送ってからもう一度祠を見てもやはり取っ手は無かったが、さっきほど不思議には思わなかった。

 すーっと歯の隙間から空気を吸い込む。まだ鼓動が耳元に響いていた。

 家に入ると、手伝いの婦人が廊下の角から現れた。湯呑が二つ乗ったお盆を受け取り、炬燵で休んでいた叔父の隣に座る。

「お疲れさま」

 熱いお茶を受け取った叔父は上機嫌に見えた。私も一口含み、儀式自体について深く教えてほしいと頼んでみる。息の交じった声で、しかし明朗に叔父は語りだした。

「祀っているのは夜の神であり月の神である、というのは知っているな。月は暦となり時を刻む。つまり祀っているのは時の神ともいえるのだ。
 これは冬から春へ夏へと、時を進める儀式だ。そして滞りなく時が進んだと分かるのは、そうさせた我々儀式に携わる者達だけ。ほかの者はこの異常に関わるすべてを忘れ、何もなかったかのように過ごしてゆく。長い冬は勿論、儀式を行ったことや、関わったものすべてを忘れてしまう。
 それがこの儀式の神髄なのだ。今が正常だと、幸せなのだと感じないことこそ真の幸せ。知らない方が幸福なこともある」

 叔父は湯呑みを両手で愛おしく包み、物思うように目を閉じた。なぜ儀式の性質を知っているのかと聞くと、薄ら目を開けて呟いた。

「先々代であるお前の曽祖父から教わった」
「先々代……それは今のように続いた雪を終わらせた、というあの?」

 声が上ずった。友人が最後に話していた人だ。

「よく知っているな。あの時、一匹の獣が穢されたことが原因で、冬が長引いてしまったらしい。儀式も元凶であるその獣の事も、誰一人覚えなんだから眉唾物と思っていたが。その獣の様子を聞いていたからこそ、今回因子を突き止められたというもの」
「その曾祖父について何か知りませんか」

 前のめりになると、叔父は正座をほどいて座りなおし、小首を傾げた。

「さあなあ、儀式のやり方は口伝され、自分のことについてすらあまり話さない人だったからなあ。あんなに熱心だった日記だって、はてどこだか……気になるのか」
「はい、調査取材云々と言っていた人が二月に居なくなったでしょう、名前はあつ──」
「──あの余所者か」

 叔父は日本酒でもあおるように勢いよく飲み干した。炬燵の布団をはぎ、突いて出た咳にかまわず廊下へ出ていく、その背中を慌てて追う。
 さっき気にかかることを言い漏らしていた。

「穢れに侵された獣が長い冬の原因って、」叔父は大股で遠ざかってゆく、「今回は何がどう穢されたというのですか」

 矢継ぎ早に声を投げても、口外するなよと顔をしかめられるばかりだった。

 先に境内に戻った叔父は、手伝ってくれた村の皆に感謝を述べていた。休憩前と変わらぬ雰囲気だったが、彼らを鳥居で見送り終えるまで、目を合わせてはくれなかった。
 私にも余裕がなかった。自分が今から執り行う儀式は何をはらんでいるのかという疑念も、友人を拒絶するようなあの師匠の素振りも、水に墨を垂らしたように胸中に広がって、集中を戻せずにいた。
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