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託された知識
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『二月十日 祐一君が訪ねてきた。あんまり久しぶりでつい、見つからない日記の話をしてしまった。降りやまない雪を止めた先々代の日記。この村の例の祀り神への信仰が、なぜこれほど熱心なのかを知る手がかりになりうる。
ここに住んで数年、調べてないといったら一ヵ所しかない。腹は括った。明日の早朝なら誰もいないだろう』
文をなぞるほど鼓動が速くなっていく。姿を消したのは二月十三日だ。夢中で紙を床に広げていく。
文字は滲み、最後の数枚は弱弱しくミミズの這ったようだったが、私は縋りつくように字を追った。
『二月十一日 今帰ってきた、何から書いたらいいか分からない。例の日記は見つけたが、興奮と後悔が入り混じっている。
日記によると、祀っているのは時を司る土地の守り神で、しかし元々は祟り神だったという。太陰暦が元なため、時間の齟齬が起きるようないわゆる怪異現象が、月夜に多発するらしい。
文献には対処法だという儀式について書かれている。満月の真夜中に行う。最後に湖に身体を浸す。穢れとは濃縮された神気であるから、それが蓄積された椿を予め祠に供えておき、それから食すことで、身体に神気を宿す。儀式の初めから終わりまで、生きた者は一人でなければならない。
気になるのは、現神主が教わったという儀式と内容がまるで逆であることだ。現神主は「時を進める儀式」だと言っていた、その逆ということは……。
まだ調査の余地があるが、この方法でやったという記録が残り、こうして今まで何事もなく過ごしてきたことをみると、効果的だといえるだろう。』
『問題は、祠だ。日記は祠の中にあった。その場で写真に収めていると突風が吹き荒れ、手を滑らせた。カメラが開いたままの祠の戸にぶつかって、戸が鈍い音とともに外れて落ちた。
慌てて拾い上げたが、片方の取っ手、開閉部分の金具とその周りを壊してしまった。
村の人々はただ信仰しているのではない、祟りを恐れて祀り上げている。日記と取っ手を中に入れ、戸をはめてきたが、壊してしまった、僕は』
『二月十一日・追 胃が食べ物を受け付けない。さっき食べたもの以上に吐き出してしまった。皮膚の下がひどく乾いていく感覚がする。今日明日は雪だが、明後日の晩は月が良く見えてしまうらしい。
震えが止まらない。お腹がすいた。食べたくない』
『二月十二日 朝起きたら、寝る前に閉めたはずのカーテンが開け放たれ、窓から光が差していた。夜中には月光が入り込んでいただろう。それを見て、僕に明日は無いのだと、漠然と、しかし確信めいたものを悟った。
打開策が必要だ。満月の夜ギリギリまで誰の眼にも触れず、これを伝える方法が』
最後の一枚は『祐一君へ』と始まっていた。蝶を抱くようにやさしく手に取る。
『こんな形になってしまってすまない。僕は何と言って花瓶を渡したか分からないが、これを割ってくれた時こそ、君に身勝手な頼みができる時だと思う。これは神を鎮める儀式に盾突く、僕の最後の抵抗だからだ。
一昨日は後悔を書き殴ったが、それは冒涜にあたる行為に依るものであって、知ってしまったことに対してではない。人間は時間の積み重ねで成っている。何かを知った以降は、それを知らなかった自分に戻ることはできない。そういった時間の蓄積や差異が、人をその人たらしめる。そうやって生きてきた僕の時間を、僕だけは否定したくはない。
もう長くない、僕は神に連れられるから、時が来たらこの日記の儀式を成功させてくれ。
託すだなんて無責任な行為を、どうかゆるしてほしい。君はどうか、後悔のありませんように』
読み終えるころ、手紙の上側は乾き始めていた。濡れた頬を肩に擦りつける。はっ、と息を吸って止め、腹に力を溜めて立ち上がる。
棚から儀式用の装束を取り出し、しゅるしゅると帯を解き始めた。指が恐れでこわばっても、何度も練習した着方を体が覚えている。立派に身を包み、彼の日記を胸元に仕舞って落ちていた椿を拾い上げ、戸に手をかける。少しためらって、しかし首を振り、開け放って神社に急いだ。
知った者としてやり遂げてみせる、それが最大の供養と思った。
ここに住んで数年、調べてないといったら一ヵ所しかない。腹は括った。明日の早朝なら誰もいないだろう』
文をなぞるほど鼓動が速くなっていく。姿を消したのは二月十三日だ。夢中で紙を床に広げていく。
文字は滲み、最後の数枚は弱弱しくミミズの這ったようだったが、私は縋りつくように字を追った。
『二月十一日 今帰ってきた、何から書いたらいいか分からない。例の日記は見つけたが、興奮と後悔が入り混じっている。
日記によると、祀っているのは時を司る土地の守り神で、しかし元々は祟り神だったという。太陰暦が元なため、時間の齟齬が起きるようないわゆる怪異現象が、月夜に多発するらしい。
文献には対処法だという儀式について書かれている。満月の真夜中に行う。最後に湖に身体を浸す。穢れとは濃縮された神気であるから、それが蓄積された椿を予め祠に供えておき、それから食すことで、身体に神気を宿す。儀式の初めから終わりまで、生きた者は一人でなければならない。
気になるのは、現神主が教わったという儀式と内容がまるで逆であることだ。現神主は「時を進める儀式」だと言っていた、その逆ということは……。
まだ調査の余地があるが、この方法でやったという記録が残り、こうして今まで何事もなく過ごしてきたことをみると、効果的だといえるだろう。』
『問題は、祠だ。日記は祠の中にあった。その場で写真に収めていると突風が吹き荒れ、手を滑らせた。カメラが開いたままの祠の戸にぶつかって、戸が鈍い音とともに外れて落ちた。
慌てて拾い上げたが、片方の取っ手、開閉部分の金具とその周りを壊してしまった。
村の人々はただ信仰しているのではない、祟りを恐れて祀り上げている。日記と取っ手を中に入れ、戸をはめてきたが、壊してしまった、僕は』
『二月十一日・追 胃が食べ物を受け付けない。さっき食べたもの以上に吐き出してしまった。皮膚の下がひどく乾いていく感覚がする。今日明日は雪だが、明後日の晩は月が良く見えてしまうらしい。
震えが止まらない。お腹がすいた。食べたくない』
『二月十二日 朝起きたら、寝る前に閉めたはずのカーテンが開け放たれ、窓から光が差していた。夜中には月光が入り込んでいただろう。それを見て、僕に明日は無いのだと、漠然と、しかし確信めいたものを悟った。
打開策が必要だ。満月の夜ギリギリまで誰の眼にも触れず、これを伝える方法が』
最後の一枚は『祐一君へ』と始まっていた。蝶を抱くようにやさしく手に取る。
『こんな形になってしまってすまない。僕は何と言って花瓶を渡したか分からないが、これを割ってくれた時こそ、君に身勝手な頼みができる時だと思う。これは神を鎮める儀式に盾突く、僕の最後の抵抗だからだ。
一昨日は後悔を書き殴ったが、それは冒涜にあたる行為に依るものであって、知ってしまったことに対してではない。人間は時間の積み重ねで成っている。何かを知った以降は、それを知らなかった自分に戻ることはできない。そういった時間の蓄積や差異が、人をその人たらしめる。そうやって生きてきた僕の時間を、僕だけは否定したくはない。
もう長くない、僕は神に連れられるから、時が来たらこの日記の儀式を成功させてくれ。
託すだなんて無責任な行為を、どうかゆるしてほしい。君はどうか、後悔のありませんように』
読み終えるころ、手紙の上側は乾き始めていた。濡れた頬を肩に擦りつける。はっ、と息を吸って止め、腹に力を溜めて立ち上がる。
棚から儀式用の装束を取り出し、しゅるしゅると帯を解き始めた。指が恐れでこわばっても、何度も練習した着方を体が覚えている。立派に身を包み、彼の日記を胸元に仕舞って落ちていた椿を拾い上げ、戸に手をかける。少しためらって、しかし首を振り、開け放って神社に急いだ。
知った者としてやり遂げてみせる、それが最大の供養と思った。
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