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「愛しいユーリ、行ってくる。」
まだ微睡《まどろ》みの中にある早朝。
ひっそりとした声でそう言って、うとうとしている私の額にそっとキスが落とされる。
王様の黄金色の髪が私の頬をくすぐり、香《こう》の香りがふわっと私を包む。
目覚めてから一週間。
まだほとんどをベッドで過ごしているが、あれから徐々に私の体力も回復している。
王様は執務を執務室でするようになったが、寝起きを別邸でしてなるべく私の側を離れたがらない。
私がまだ眠っているかなり早朝から執務をし、夕食前には終わらせてここに速攻帰ってくる。
そして、私のベッドの横にテーブルを用意させ、一緒に食事をとる。
食後は一緒に本を読んだり、広いベッドの上で景色や絵画などの画集を広げ寄り添って一緒に見ながらこの国のいろいろな話を聞かせてくれる。
それから毎日欠かさないのが、私を口説《くど》くこと。
好きだ。好きだ。愛している。お前がいないと生きていけない、などなど。それはもう明け透けに恥ずかしいほどに。
目覚めた翌日、自己紹介をした直後「愛しいユーリ」と言われたが、息をするように自然だったので思わず聞き流してしまったくらいだ。
私が一呼吸置いて「え?!」って顔をしていたら、王様まで「え?」ってなった。
小さな泣きぼくろのあるエメラルド色の瞳の目を驚かせ、美しい顔をキョトンとさせる様子をかわいいと思ってしまったのは内緒だ。
慌てた王様の言い訳としては、眠ったままの私に何度も何度も言っていたから告白した気になっていたらしい。
そうは言われても私にすれば、ほとんど面識のなかった王様が私を好きになる要素がどこにあったのかと驚くばかりだった。
だけど、「急なことではないっ!」と、初めて対面した時から、後宮の部屋で私を見つけるまでの気持ちを時間をかけて一つ一つ全部教えてくれた。
私の様子を見にここに通っていた話しには驚かされた。
中でも「寝顔を見に来たことも……」と教えてくれ、「どうしても間近で会いたかったのだ。ユーリの寝顔はあどけなく可愛らしい。」と照れながら微笑《ほほえ》ましいエピソードのように話していたが、私の脳裏にはストーカーの文字が浮かび、かなり引いた。
でも、納得したこともある。王様と近くで接するようになって気付いた香の香り。
茶会で初めて薫ったとき前から知っていたように思ったけど、それもそのはずだ。庭での読書や散歩から別邸に戻ったときに仄《ほの》かに薫っていた。夜、浅く目が覚めたときにも。
ずっと、放っておかれていると思っていたけど、いつもいつもそっと見守られていたんだ。
長身でガタイがいいのに女神のように美しい人。
後宮の廊下から遠目で見た時はドキリともしなかった。でも今は、私に一生懸命に気持ちを伝えようとしたり、早朝から執務をして疲れているはずなのに寄り添って画集を見ながら丁寧に説明してくれる、そんな声を側で聞き、香の香りに包まれているうちに、いつの間にか私の心臓はトクトクと早く打ち始めるようになった。
でも、……コレが何なのか、
コレが、『愛している』と言うことなのか……
――――分からない。
恋愛も知らず、中学生でこの世界に来た。
読んでいた漫画のヒロインは、好きな人といる時はいつも顔を真っ赤にして胸がドキドキと高鳴っていた。
恋愛って、そんな情熱的な感じじゃないんだろうか?
私もきっとそういう恋愛をするのだと思っていた。
王様が私に向ける視線は自惚《うぬぼ》れでもなんでもなく、美しいエメラルド色の瞳に熱を感じる。本当に私のことが好きなんだと分かる。
体が辛《つら》かった時、ずっと側にいて頭を撫で、声をかけ、手を握り、逝《い》かないでくれと泣いた人。
私は、王様の愛を信じようと思う。
それじゃあ……私はどうなんだろう?
でも、いまこの胸の鼓動は激しいものではないけど、確かに以前とは違う気持ちが灯《とも》っているんだと思う。
王様が側にいると安心するし、一緒にいて楽しいし、落ち着く。
でも、コレは恋なの?
こういう穏やかな恋もあるの?
分からない……
王様もきっと気づいているはず。
私が、王様と同じモノを返せていないことを。
こんなに愛してもらって大切にしてもらっているのに、同じだけの想いを返せていないことが申し訳ないとさえ思う。
愛って、育《はぐく》むものだと聞いたことがある。
今の気持ちを大切にしていけば情熱的なモノに変わるのかな?
分からない……
微睡から目覚めてベッドの中で横になりながらそんなことをつらつらと考えていると、ノックの音が三回聞こえた。
「ユーリ様、お目覚めですか?おはようございます。お加減はいかがでしょう?」
マリアさんの優しい声。
「おはよう。大丈夫よ。」
マリア…女官長。まだ呼び慣れないかな。
ああ、この人に相談出来たらいいのに……
でもマリアさんは王様の乳母だった人。
きっと考え過ぎだと説得されそうな気がする。
体調が良くなっていくと同時に、私のこの思いは段々大きくなっていく。
このまま王様の愛情をただ受け取っていればいいのだろうか、それが、幸せなことなんだろうか。
マリアさんは微笑みながら「ようございました。」と言うと、バルコニーに繋がるガラス扉の大きなカーテンに手をかけた。
朝の光がスッと室内に差し込む。
今日もいい天気のようだ。
カーテンを一気に開けて差し込むだろう、眩しいくらいの朝日を覚悟して目を細めた……が。
ソレは、一瞬の出来事だった。
マリアさんがカーテンを開け、ガラス扉の向こう側に人影を見つけた瞬間、ガラスの割れる音がしたかと思うと、マリアさんがドサリと倒れこんでしまった。
人影は割れた穴からガラス扉の鍵をガチャリと回して扉を開けると、ガラスの破片をジャリッと踏みながら私の座るベッドへと歩み寄る。
ただ、呆然と見ていることしかできない私。
朝日を背に浴びて、ベッドの間近まで来た侵入者を緩慢《かんまん》な動作で見上げる。
だが、サファイアのような蒼い瞳と目が合った瞬間、暗転。目を布のようなもので覆われベッドのシーツごと抱え上げられた。
体に伝わるのは、大きな男の胸の厚みと走る振動。
唯一自由な耳から聞こえるのは、激しい剣尖《けんせん》の音と怒号《どごう》。
まるで戦場の中を走り抜けているようだ。
頭が混乱し過ぎて声が出ない。思いつくことは、いつの間にこの別邸にこんなに人がいたのだろうか、ということ。
この時の私は、まさか自分が誘拐されているのだとは思いもしなかったのだ。
……――――――「おう…さま……」
「ユーリ?どうした?疲れたか?」
王様は私の小さな声も聞き漏らさず、説明していた画集から顔を上げるとエメラルド色の瞳を心配げに揺らし、私の顔を覗き込む。
「王様もちゃんと休んで下さいね。私も…あなたが大切なんです。」
私は王様に微笑みかける。
「っ、……ああ、わかった。」
王様は一瞬大きく目を見開くと、すぐに頬を赤くしながらくすぐったそうに笑い私を抱き寄せる……――――――
「気づいたか?姫。」
え?
―――……王様?
ひめって…?
「姫よ、気分はどうか?薬を嗅《か》がせたのでしばらく眠っていたのだ。気分は悪くないか?」
「……え、」
夢……だった?
てっきり王様だと思って見上げると、サファイアブルーの瞳の目元と鼻だけを出した覆面男だった。
ガタガタと揺れる馬車の中、私はその人の膝の上に座り。横抱きにされている。
目鼻立ちしか分からないが、それでもこの覆面の下が超絶顔がいいことが想像できた。
何この人っ!!
てか、ここどこ?!
キョロキョロと見回すが、馬車の窓のカーテンは閉められ、僅《わず》かに光りが入るだけでどこを走っているかなど分からない。
だが、猛スピードで走っていることだけは分かった。
脳裏に、朝の情景が蘇る。
マリアさんがカーテンを開けたら人が外に立っててっ!
それから、マリアさんが倒れて……
ああ、マリアさんっ!どうなったんだろう!?
私……誘拐されたんだ…この人に!
頭がどんどんクリアになってくると、目の前にいる男を唖然と見上げる。
「あなたは誰?何故こんなこと…?マリアさんは?!」
こんな幼稚な言葉しか出ないことが情けない!
「貴女の瞳は深淵《しんえん》のような黒だな。見つめていると吸い込まれるようだ。」
薄暗い馬車内で覆面の男は私の質問を無視し、瞳を覗き込むように顔を寄せる。
「『瑞兆』の姫よ。あの大舞踏会で貴女を初めて見たときは体が震えたぞ。この髪、この瞳、素晴らしい。」
熱く語りながら髪を一房取り、私の瞳を覗き込む男に心臓がドキリと跳ねた。
『何に』かは分からないが、とにかく『何か』に耐え切れず、両手で胸板を押し、膝から降りようともがいたが、またあっさり抱き込まれる。
「そのように怯《おび》えずとも良い。私は貴女をずっと望んでいたのだ。どうか大人しく私の国へ来て欲しい。」
そう言って私の手をそっと握りながら、またサファイアブルーの瞳でひたりと視線を合わせてきた。
途端に心臓がありえない速さでドキドキと打ち始め、顔が熱い。
両手で顔を覆ってしまいたい衝動にかられるが、抱き込まれているので下を向いてしまうのが精一杯だ。
頭の上から「ふふふふ、なんと初心《うぶ》な……」と上機嫌な声がした。
なにコレ……
誰かも分からない、ましてや誘拐犯だっての!
でも、でも…こんなドキドキ、王様には感じなかった。
――――コレって……
イヤイヤイヤイヤ、ダメでしょ、ダメ、絶対ダメッ!
最近思い悩んでいた答えに行き着きそうになって、慌てて思考を切り替える。
そ、それより!
王様どうしてるだろ……
連れ去られる時、あちこちで剣の音が聞こえた。
この人、国へ来てくれって言ってるけど、行ったらさすがにダメなのは私でもわかる。
なんとなくこの人、どこかの国の地位のある人のような……
このまま連れて行かれたら、王様の所にはもう帰れない気がする。
帰れない……
――――――帰る?
私は王様の後宮に入ったから…『帰る』でいいんだよね…?
王様のところは――――『私の帰る所』で、いいん……だよね?
まだ微睡《まどろ》みの中にある早朝。
ひっそりとした声でそう言って、うとうとしている私の額にそっとキスが落とされる。
王様の黄金色の髪が私の頬をくすぐり、香《こう》の香りがふわっと私を包む。
目覚めてから一週間。
まだほとんどをベッドで過ごしているが、あれから徐々に私の体力も回復している。
王様は執務を執務室でするようになったが、寝起きを別邸でしてなるべく私の側を離れたがらない。
私がまだ眠っているかなり早朝から執務をし、夕食前には終わらせてここに速攻帰ってくる。
そして、私のベッドの横にテーブルを用意させ、一緒に食事をとる。
食後は一緒に本を読んだり、広いベッドの上で景色や絵画などの画集を広げ寄り添って一緒に見ながらこの国のいろいろな話を聞かせてくれる。
それから毎日欠かさないのが、私を口説《くど》くこと。
好きだ。好きだ。愛している。お前がいないと生きていけない、などなど。それはもう明け透けに恥ずかしいほどに。
目覚めた翌日、自己紹介をした直後「愛しいユーリ」と言われたが、息をするように自然だったので思わず聞き流してしまったくらいだ。
私が一呼吸置いて「え?!」って顔をしていたら、王様まで「え?」ってなった。
小さな泣きぼくろのあるエメラルド色の瞳の目を驚かせ、美しい顔をキョトンとさせる様子をかわいいと思ってしまったのは内緒だ。
慌てた王様の言い訳としては、眠ったままの私に何度も何度も言っていたから告白した気になっていたらしい。
そうは言われても私にすれば、ほとんど面識のなかった王様が私を好きになる要素がどこにあったのかと驚くばかりだった。
だけど、「急なことではないっ!」と、初めて対面した時から、後宮の部屋で私を見つけるまでの気持ちを時間をかけて一つ一つ全部教えてくれた。
私の様子を見にここに通っていた話しには驚かされた。
中でも「寝顔を見に来たことも……」と教えてくれ、「どうしても間近で会いたかったのだ。ユーリの寝顔はあどけなく可愛らしい。」と照れながら微笑《ほほえ》ましいエピソードのように話していたが、私の脳裏にはストーカーの文字が浮かび、かなり引いた。
でも、納得したこともある。王様と近くで接するようになって気付いた香の香り。
茶会で初めて薫ったとき前から知っていたように思ったけど、それもそのはずだ。庭での読書や散歩から別邸に戻ったときに仄《ほの》かに薫っていた。夜、浅く目が覚めたときにも。
ずっと、放っておかれていると思っていたけど、いつもいつもそっと見守られていたんだ。
長身でガタイがいいのに女神のように美しい人。
後宮の廊下から遠目で見た時はドキリともしなかった。でも今は、私に一生懸命に気持ちを伝えようとしたり、早朝から執務をして疲れているはずなのに寄り添って画集を見ながら丁寧に説明してくれる、そんな声を側で聞き、香の香りに包まれているうちに、いつの間にか私の心臓はトクトクと早く打ち始めるようになった。
でも、……コレが何なのか、
コレが、『愛している』と言うことなのか……
――――分からない。
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読んでいた漫画のヒロインは、好きな人といる時はいつも顔を真っ赤にして胸がドキドキと高鳴っていた。
恋愛って、そんな情熱的な感じじゃないんだろうか?
私もきっとそういう恋愛をするのだと思っていた。
王様が私に向ける視線は自惚《うぬぼ》れでもなんでもなく、美しいエメラルド色の瞳に熱を感じる。本当に私のことが好きなんだと分かる。
体が辛《つら》かった時、ずっと側にいて頭を撫で、声をかけ、手を握り、逝《い》かないでくれと泣いた人。
私は、王様の愛を信じようと思う。
それじゃあ……私はどうなんだろう?
でも、いまこの胸の鼓動は激しいものではないけど、確かに以前とは違う気持ちが灯《とも》っているんだと思う。
王様が側にいると安心するし、一緒にいて楽しいし、落ち着く。
でも、コレは恋なの?
こういう穏やかな恋もあるの?
分からない……
王様もきっと気づいているはず。
私が、王様と同じモノを返せていないことを。
こんなに愛してもらって大切にしてもらっているのに、同じだけの想いを返せていないことが申し訳ないとさえ思う。
愛って、育《はぐく》むものだと聞いたことがある。
今の気持ちを大切にしていけば情熱的なモノに変わるのかな?
分からない……
微睡から目覚めてベッドの中で横になりながらそんなことをつらつらと考えていると、ノックの音が三回聞こえた。
「ユーリ様、お目覚めですか?おはようございます。お加減はいかがでしょう?」
マリアさんの優しい声。
「おはよう。大丈夫よ。」
マリア…女官長。まだ呼び慣れないかな。
ああ、この人に相談出来たらいいのに……
でもマリアさんは王様の乳母だった人。
きっと考え過ぎだと説得されそうな気がする。
体調が良くなっていくと同時に、私のこの思いは段々大きくなっていく。
このまま王様の愛情をただ受け取っていればいいのだろうか、それが、幸せなことなんだろうか。
マリアさんは微笑みながら「ようございました。」と言うと、バルコニーに繋がるガラス扉の大きなカーテンに手をかけた。
朝の光がスッと室内に差し込む。
今日もいい天気のようだ。
カーテンを一気に開けて差し込むだろう、眩しいくらいの朝日を覚悟して目を細めた……が。
ソレは、一瞬の出来事だった。
マリアさんがカーテンを開け、ガラス扉の向こう側に人影を見つけた瞬間、ガラスの割れる音がしたかと思うと、マリアさんがドサリと倒れこんでしまった。
人影は割れた穴からガラス扉の鍵をガチャリと回して扉を開けると、ガラスの破片をジャリッと踏みながら私の座るベッドへと歩み寄る。
ただ、呆然と見ていることしかできない私。
朝日を背に浴びて、ベッドの間近まで来た侵入者を緩慢《かんまん》な動作で見上げる。
だが、サファイアのような蒼い瞳と目が合った瞬間、暗転。目を布のようなもので覆われベッドのシーツごと抱え上げられた。
体に伝わるのは、大きな男の胸の厚みと走る振動。
唯一自由な耳から聞こえるのは、激しい剣尖《けんせん》の音と怒号《どごう》。
まるで戦場の中を走り抜けているようだ。
頭が混乱し過ぎて声が出ない。思いつくことは、いつの間にこの別邸にこんなに人がいたのだろうか、ということ。
この時の私は、まさか自分が誘拐されているのだとは思いもしなかったのだ。
……――――――「おう…さま……」
「ユーリ?どうした?疲れたか?」
王様は私の小さな声も聞き漏らさず、説明していた画集から顔を上げるとエメラルド色の瞳を心配げに揺らし、私の顔を覗き込む。
「王様もちゃんと休んで下さいね。私も…あなたが大切なんです。」
私は王様に微笑みかける。
「っ、……ああ、わかった。」
王様は一瞬大きく目を見開くと、すぐに頬を赤くしながらくすぐったそうに笑い私を抱き寄せる……――――――
「気づいたか?姫。」
え?
―――……王様?
ひめって…?
「姫よ、気分はどうか?薬を嗅《か》がせたのでしばらく眠っていたのだ。気分は悪くないか?」
「……え、」
夢……だった?
てっきり王様だと思って見上げると、サファイアブルーの瞳の目元と鼻だけを出した覆面男だった。
ガタガタと揺れる馬車の中、私はその人の膝の上に座り。横抱きにされている。
目鼻立ちしか分からないが、それでもこの覆面の下が超絶顔がいいことが想像できた。
何この人っ!!
てか、ここどこ?!
キョロキョロと見回すが、馬車の窓のカーテンは閉められ、僅《わず》かに光りが入るだけでどこを走っているかなど分からない。
だが、猛スピードで走っていることだけは分かった。
脳裏に、朝の情景が蘇る。
マリアさんがカーテンを開けたら人が外に立っててっ!
それから、マリアさんが倒れて……
ああ、マリアさんっ!どうなったんだろう!?
私……誘拐されたんだ…この人に!
頭がどんどんクリアになってくると、目の前にいる男を唖然と見上げる。
「あなたは誰?何故こんなこと…?マリアさんは?!」
こんな幼稚な言葉しか出ないことが情けない!
「貴女の瞳は深淵《しんえん》のような黒だな。見つめていると吸い込まれるようだ。」
薄暗い馬車内で覆面の男は私の質問を無視し、瞳を覗き込むように顔を寄せる。
「『瑞兆』の姫よ。あの大舞踏会で貴女を初めて見たときは体が震えたぞ。この髪、この瞳、素晴らしい。」
熱く語りながら髪を一房取り、私の瞳を覗き込む男に心臓がドキリと跳ねた。
『何に』かは分からないが、とにかく『何か』に耐え切れず、両手で胸板を押し、膝から降りようともがいたが、またあっさり抱き込まれる。
「そのように怯《おび》えずとも良い。私は貴女をずっと望んでいたのだ。どうか大人しく私の国へ来て欲しい。」
そう言って私の手をそっと握りながら、またサファイアブルーの瞳でひたりと視線を合わせてきた。
途端に心臓がありえない速さでドキドキと打ち始め、顔が熱い。
両手で顔を覆ってしまいたい衝動にかられるが、抱き込まれているので下を向いてしまうのが精一杯だ。
頭の上から「ふふふふ、なんと初心《うぶ》な……」と上機嫌な声がした。
なにコレ……
誰かも分からない、ましてや誘拐犯だっての!
でも、でも…こんなドキドキ、王様には感じなかった。
――――コレって……
イヤイヤイヤイヤ、ダメでしょ、ダメ、絶対ダメッ!
最近思い悩んでいた答えに行き着きそうになって、慌てて思考を切り替える。
そ、それより!
王様どうしてるだろ……
連れ去られる時、あちこちで剣の音が聞こえた。
この人、国へ来てくれって言ってるけど、行ったらさすがにダメなのは私でもわかる。
なんとなくこの人、どこかの国の地位のある人のような……
このまま連れて行かれたら、王様の所にはもう帰れない気がする。
帰れない……
――――――帰る?
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