【完結】縁起モノの私と王様

ちよのまつこ

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 王太子は頬を撫でられ極上の笑みを向けられて固まっている私の手を取り、ダイニングテーブルにエスコートする。

 席に座ると、遅い昼食が運ばれてきた。

 だが、なんの抵抗もせずに王太子にいいように従っている自分への困惑と、病み上がりの体力不足で食事はあまり喉を通らない。
 王太子は心配げにもっと食べよと言うが、やはりこの人は誘拐犯なのだからと、風邪で寝込んでいた話までぺらぺら喋ることはないとささやかな抵抗をする。
 ならば菓子はどうかと言われ、最初に連れてこられた部屋に移動した。

 今は、お菓子を横目に温かい紅茶を啜《すす》っている。
 王太子は、ソファに座る私の横に当然のように座り、体をこちらに向けて長い足をゆったり組んで黒髪をまた一房取り弄《もてあそ》んでいる。

 相変わらずドキドキとして緊張し、落ち着かないことこの上ない。

さっきから何なの?コレ。
やっぱりアレなの?
私が?
この王太子を?
誘拐犯を?
ダメダメダメダメ……
でもっ、恋って…こういうものじゃないの、かな……
心臓が煩《うるさ》いほどドキドキして、目も合わせられないくらいに緊張して……理性じゃどうにもならなくて…
……私、この人に恋…しているの?

それじゃ、王様は?

 ふと、王様がみせてくれた泣いた顔や笑った顔が脳裏に浮び、ツキリと胸が痛んだ。

「何を考えている?」

 間近で王太子の声がして思わずティーカップを取りこぼしそうになった。王太子は私の手からカップを抜き取るとテーブルの上にそっと戻す。

「日が暮れてからユーリをこの国から連れ出す。沖合いに大型船を待たせてある。そこまで小舟で行って乗り換える。」

 王太子は私を自分に向き合わせると両手を握る。

「ユーリ、攫ってでも貴女が欲しかった。手荒なことをして本当にすまないと思っている。
一目見たときから私はユーリに恋をした。このまま私の国へ一緒にきて欲しい。」

 そう言うと、王太子はサファイアブルーの瞳を不安げに揺らし、私の応えを待つ。

どうしよう。
逝《い》かないでと泣いた王様の顔がどうしてもちらつく。
必死で引き止めるもう一人の私がいる。
それなのに、私、この人にこんなに魅了《みりょう》されてる。

 私の葛藤《かっとう》が手に取るように分かったのだろう。
 王太子はふっと笑って表情を和らげた。

「相手は大国の王。小国の王太子の私相手ではすぐに返事は無理だとわかっていた。悩んでもらえただけでも嬉しい。
だが、ユーリが嫌だと言っても連れて行く。必ず。」




 日が暮れるまでのひとときほどの間、ここでゆっくりするようにと言い置いて王太子は部屋を出て行った。

 部屋に残された私は王太子の言葉を繰り返し思い返している。

 ――大国の王と小国の王太子――

二人の身分を天秤にかけていると思われた。そんなこと、頭の片隅にも思いつきもしなかったのに。

でも、それは身分制度のあるこの世界での当たり前なのかも知れない。
後宮の姫君たちが権力や財力のある王様に群がるように、男性もまた自分に有利でより価値のある女性を求めるのだろう。

私が王様か王太子かで悩んでいると思っているということは、王太子もそう言う目で女性を選んでいるということ。
王太子は、人を一人の個人として見ない人、ということ……

何度も触れてきた私の黒い髪。
もしも、明日突然白くなれば王太子はそれでもあんなに熱く私に語りかけてくるだろうか。

それじゃ、王様は?
王様も『瑞兆』としての私しか見ていない?
王様は……違う。
きっかけは容姿だったとしても、王様は『ユーリ』を見てくれている。
王様は私を特別な力なんてない普通の女の子だと分かってくれている。

胸が痛い…
泣きたくなるようなこの痛みは何?
愛されているって、また思い知った申し訳なさ?
いったい、何なの?!

 窓から見える空に夕闇がせまっていた。



***

 王宮を発って、騎馬での移動中にも情報はもたらされた。

 海方向へ逃走した馬車を追った護衛たちからだった。
 彼らは馬車を東部沿岸部の貿易港付近まで追跡したが、途中賊の一味《いちみ》と思われる者たちに阻《はば》まれ見失ってしまったらしい。そこで、貿易港を有する街の警備隊本部に駆け込み難を逃れ伝令を出し、道中その伝令と我々が鉢合わせすることになった。
 護衛たちは、貿易港付近の貴族の別荘地を捜索中とのことだった。

 ユーリを乗せた馬車の行き先はすぐに判明した。

 各家に潜入している者たちからの報告が王宮から伝書鳩で伝えられた。

 報告されたのは、ある子爵。
 もともと密貿易の疑いがあり調べさせていた家だった。子爵は海外の名品を収集する趣味があり、それが高じて、海外の歴史遺産にまで手を出し盗品などを密輸し国内の収集家に売りさばいている疑いだ。

 赤の王太子と子爵が急速に接近したのは、あの大舞踏会の頃。
 赤の王太子の妹姫を後宮に送り込む際、奴は我が国の習慣などに明るい国内の貴族の娘を侍女としてつけた。それが、子爵の娘だった。

 後宮入りは国内の伯爵以上の娘も数名いたが、それより下の爵位の娘は手をあげられない。後宮入りできる可能性は外国の姫君の私設侍女となり私の目に止まること。
 子爵は、あわよくば娘が私に見初められ妃になり子をもうけ、王子なら次代の王の外戚《がいせき》になる夢でも見たのかも知れない。

 他の貴族の娘たちも似たり寄ったりの方法で後宮に入っていたため、両者の関係はあまり目立つものではなかった。

 後宮を閉めてからは、赤の王太子の妹姫は国へ帰らず子爵家に滞在し、国内の主だった貴族たちの夜会を渡り歩いているようだ。ターゲットを有力貴族の嫡男たちに切り替えたか。
 子爵の方も、娘が赤の王太子の側妃にでもなればという思惑があるのだろう。

 現在、全ての関係者がこの街にいる。子爵は地元の商人と商談中、赤の王太子の妹姫と子爵の娘は地元名士の婦人と茶会中、赤の王太子は…ユーリとともに子爵の別荘……

 黄昏色《たそがれいろ》に空が染まりはじめた。もうすぐ日が暮れる。

もう半日もユーリと離れている。
ユーリ、いまどうしているのか……

 目前の机上では別荘の見取り図、その周辺の地図を大きく広げ、王宮から連れてきた近衛兵の精鋭たち、ユーリの護衛隊たちと馬車を追ってきた護衛、港の警備隊たちの皆が、別荘急襲の作戦を立てている。
 別荘の見取り図……この何処かにユーリと赤の王太子が共にいる。そう思うと、剣を抜き机ごと叩き割りたい衝動に駆られるが、拳を握りぐっと堪《こら》える。

夜になれば、子爵所有の浜辺から小舟に乗り、沖合いの大型船に乗り換えるつもりだろうが、そうはいかない。沖合いの船の存在などとうに見通し済みだ。
奴《やつ》がユーリを連れ出すその時、彼女を必ず取り戻す!
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