【完結】恋につける薬は、なし

ちよのまつこ

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53混乱

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 飼葉小屋の戸を開けたけど誰もいない。

「奥さん、奥さん?エマですけど…」

(あれ?いない?…でも、こんなところで奥さんの手伝いってなんだろ?
それにしても、伝えにきてくれた女の子…。癖のある茶色い髪の子…あんな子隣村にいたかな?去年は見かけなかったけど…)

 後ろに人が来た気配がしたので何気に振り返った。

「奥さ、」

(え、どうしてハンスさんが…)

「ハ、ンスさん?」

「エマ…」

(なんか雰囲気が、怖い…)

 遠くで宴会の声が聞こえる。
 でもそれが、余計にここには他に誰も来ないのだと思い知らされる。

 ハンスが一歩ずつ近づいてくる。

 得体の知れない恐怖で無意識に後ずさった拍子に足がもつれ、飼い葉小屋の中に倒れ込んでしまった。

 土を踏む音にハッと前を向くとハンスが戸口から入って近づいてくる。

(こっ怖い!どうしよう!)

「お、落ち着いてください。どうしたんですか?
いつものハンスさんらしくないですよっ!」

「エマは強引な奴が好きなのか?」

「ええっ!何のことですか!?」

(目つきが怖いんだけどっ!)

 恐怖で手足に力が入らない。
 汚れなど気にしていられず、お尻を引きずりズリズリと後退る。

 するといきなり飛びかかるようにのしかかられた。
 顔が首筋に寄せられる。

「やっ、嫌ーーッ!!」

 気弱そうに見えてもやっぱり男の力にかなわない。何も気遣ってはいられない。手足を力の限り振り回し引っ掻いて首を激しく振った。
 必死に振り回す手に何か触れた。とっさにそれを掴んでとにかく振り回した。

 ガッ!!とそれがハンスに当たり力が緩んだ隙にハンスの下から這い出し逃げ出す。

が、腰がたたないっ!

 手にあった桶を放り出し、這いながら小屋から出ようとすると、ハンスの手が足首を掴んだ。

「嫌ァァァーーーッ!!」

 振り向くと額から血を流し無言でハアハアと荒い息を吐くハンスが這いずって足首をすごい力で掴んでくる。

「キャーーーーーッ!!嫌ァァァーーーー!!」

「コラーッ!!やめんか、ハンスッ!!」

 いきなりの怒号に慌てて顔を上げると鬼の形相の村長が仁王立ちに立っていた。

「こんのっ、バカ息子がっ!!」

 村長が手に持っていた角材で、顔面血だらけのハンスの腕を叩いてエマから離し、さらに馬乗りになり殴りかかる。

 すぐに村人たちに止められたが、ハンスはうつ伏せにぐったり倒れて動かない。

 冷めやらない恐怖と助かった安心感にエマの顔は涙と鼻水で崩壊した。

「すまないっ!息子がとんだことを!本当にすまない!!」

 村長は地面に手を着いて何度も頭を下げたが、おもむろにガバッと顔を上げると、今度は必死の形相で、「エマ!それがっ…」と身をのりだし叫んだ。

「山が火事だ、家の方角で山が燃えとるんだ!!」

 村の女性に支えられて広場まできて見た光景は、さほど高くないなだらかな山の中腹にオレンジ色の光が揺らめいていた。
 確かに家のある場所だ。

(明日戻ろうと思っていたのに。
なんで?!
あんな火の気のないところで!?)

「急げー!早くしろ!燃え広がるぞ!!」

 呆然と山を見上げている間に周りでは宴会を中止してたくさんの男達が手に斧と縄を持ち、準備できたものから次々と山へ近道の細い林道に向かっていく。
 延焼を防ぐために木を切り倒すのだ。

 すると今度は村の入り口から村人が何やら叫んで走って来た。

「騎馬だ!たくさんの騎馬がすごい速さで来るぞー!」

 村長は、「何がどうなっとるんだ!?」と混乱しながらも、「とにかく、女、子供は建物の中に入れ!!残った男は何でもいいから道具を取れ!」と叫ぶ。

 その声を皮切りに、あたりが大混乱し始める。
 近隣の村人も合わせてたくさんの人たちが一斉に逃げ出す。
 宴会の料理や皿がテーブルから落ちても蹴飛ばし、踏みつけ、我先にと思い思いに駆け出し、手近な建物にとにかく隠れる。

 多くの男達は火事を見つけたと同時に山へ向かっているため、村に残っていた男手はわずかしかいなかった。
 村の入り口に荷車でバリケードをつくり、農具を手に持ち腰が引けながらも男たちが立ちはだかる。

 エマも女たちと近くの土壁の家に入り、壁が崩れた小さな隙間から外を覗いた。

 村の入り口の方向からはドドドドドドッと馬が駆ける音、山からはガンゴンガンゴンと木を切る音が響いてくる。

 汗が流れ、固唾を飲む。

 周りの女性や子供達も肩を寄せ合って誰も何も話さない。
 音は聞こえるのに、耳が痛いほどの静寂を感じる。

 すると男達の慌てる声が聞こえた。

「や!あれは…」

「まさか!こんな村に?!」

「とにかく、荷車をどけろ!!」

 村の入り口から駆け込んで来たのは、一乗の貴族の馬車、そして、数人の旅装束の者たちと十人ほどの軍服を着た兵士らの騎馬の集団だった。
 集団は、村の広場まで来ると馬を降り落ち着かせた。

 建物に隠れていた女たちも恐る恐る広場に戻っていく。エマも女たちの後に続いた。
 ついさっきの緊張感が嘘のように、こんな田舎ではお目にかかれない凛々しい兵士たちの姿に女性たちは遠巻きに見てそわそわしている。

「この村の代表者は誰か」

  兵士の隊長らしき人が村人たちに呼びかけると村長が進み出た。

「わ、私でございます!」

「我々は、この村の警護に来た」

「け、いご?警護?この村をでございますか?」

「そうだ、この村を賊が襲う可能性があるため、警護せよとのある方のご命令だ。
あの山火事も村を混乱させるためのものかも知れん。
村人は火事の鎮火にあたれ、我々は賊を迎え撃つ。女や子供は建物の中へ避難しろ」

 隊長が指示を出すが、賊と聞いて村長も村の男達も何がどうなっているのか訳が分からないとオロオロするばかりだ。

 すると、馬車の扉がガチャリと開いた。
 降りて来たのは…

(あ、ああっ!ルイス王子のご側室候補のご令嬢!?)

 夕闇に篝火だけの明かりの中、白い肌の色と軽装なドレスだがクリーム色の絹の光沢が、スポットライトが当たったように光を反射していた。

 ざわついていた村人全員が静まり返り釘ずけになる。

「ここにエマ・ハーストはおりますか?」

 美しい声が辺りに響く。

 誰かがエマの背中をグイッと押し出した。
 ご側室候補とエマの間に道が出来る。

 全ての視線がエマたちに集中しているのが見なくてもわかる。

 ご側室候補が、混乱で宴会のゴミだらけの石畳をものともせず足早に向かってきた。
 そして、棒立ちで見ているしかないエマの前まで来ると、さらに身を乗りだし耳元で小声でおっしゃった。

「ルイス王子様のご命令できました。
賊の狙いはあなたです。さっさとこの場を収めなさい」

(ええっ!王子様!?)

 目を見開いてご側室候補を見るが、早くやれと顎をクイッとしゃくってくる。

 やれと言われればやるしかない。

「村長さん、皆さん、とにかく、この方たちの言う通りにしましょう。男の人は山へ!女性と子供は家へ!」

 動きましょう!と手をパンパン!と大きく叩いた。

 とにかく今やることだけを簡潔に言うと、みんなやっと動き出した。

 すると今度は村の裏側の山道から松明をかざした複数の馬が駆け降りてくる音が響いてきた。

「賊だっ!みんな早く避難しろ!!」

 兵士たちは素早く馬に乗り、剣を抜くと村の裏手目指して次々と駆け出した。

(次から次へと何なの?!)

 とにかく、ご側室候補の手を取って村長の家に向かってかけだすと、旅装束の人たちも彼女を守るように周囲を囲みながら走った。

 エマたちが家にかけこむと、ほぼ同時に村長の奥さんが台所の方からかけこんできた。

「エマ!」

「奥さん!大丈夫でしたか?!」

「ええ、ええ。大丈夫よ。
ああ、エマ、ごめなさいね!このとおり許して!」

 そう言うと、奥さんは突然エマの両手を取り膝を付く。

「え?え?ああ!その、もう大丈夫です。大丈夫ですから、ね、ね?」

(奥さん、ハンスさんのこと誰かから聞いたんだ…)

「ハンスさんは大丈夫なんですか?」

(村長さんにボコボコにされてたけど。)

「大丈夫よ。あの子は飼い葉小屋に縛って閉じ込めてあるから」

「……そう、ですか。
あの、奥さん、こちらは王都の貴族のご令嬢様です」

「カトリーヌ・フォン・マスよ」

(そうそう、名前、カトリーヌ様だった。)

 従者は五人いて、表と裏の出入り口二手に分かれ、賊が来ないか窓から覗いて警戒している。

 剣尖の音と怒号、石畳を踏み鳴らす蹄の音、そして、山から木を打つ響きが聞こえる。

(怖い、本当に殺し合いをしてるのかな。)

 エマは震えそうな二の腕をさすった。

(私を狙ってるって言ってたけど、どういうことだろう。
それに、王子様、カトリーヌ様、山火事、賊?賊ってどういうこと?それぞれの点が全く繋がらない。)

 エマたち女性三人はダイニングの椅子に座り、誰もが無言で事態が収まるのをじっと待った。
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