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消えない罪
消えない罪(6)
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それから彼は、どこで何をしているのか、ちょくちょく、家をあけるようになった。仕事も休むようになったけど、かわりに、3万とか5万とか、どこからか持って帰ってくる。
「パチンコで勝ったんや」
彼はそういうけど、持って帰ってくるのは、決まって会社休んでる日で、パチンコではないことは、私もわかっていた。
そんな生活が半年ほど続いて、私たちの生活は、少しずつ、楽になり始めている。
「聡子ちゃん、その口紅の色、かわいいねえ」
化粧品もろくに買えなかった私。久しぶりに、ちょっと高い口紅をつけて、会社に行くと、みんなにチヤホヤ、褒めてもらえる。
「郵便局行ってきます」
私は上機嫌で事務所を出て、郵便局へ。切手と印紙を買って戻ると、駐車場に、パトカーが3台、停まっていた。
「真由美さん、これ、なんかあったん?」
「ああ、聡子ちゃん。それがな、お金、盗まれたんやて。ほら、三日前に回収した3000万、金庫に入れたやつ」
「え、でも、確かに金庫に入れましたよね。鍵もかけたし……」
「そうやねんけど、金庫、あけられとったんやて、今から、全員取り調べされるらしいわ。嫌やなあ、もうあんなん受けたないわ」
金庫やぶり……まさか、龍二? ちがう、もう金庫からは足洗ったってゆうてたし、絶対やらんって約束したもん。心臓がバクバクと音をたてて、手が震える。どうしよう、龍二、一昨日から帰ってきてないし……
「次、野江聡子さん、いらっしゃいますか」
女の刑事さんに連れられて、私は応接室へ。中には、人相の悪い刑事が偉そうに座っていた。
「やっぱりなあ、野江やないか」
刑事はあの事件のとき、取り調べをしてたひとりで、めっちゃイヤなやつやったんを覚えてる。
「えらい地味なって、形だけは改心しとるみたいやなあ」
「宮川さん、お久しぶりです。出世したんですか、前おうた時はぺーぺーやったみたいやけど」
刑事は舌打ちをして、腕を組んだ。
「それで、おまえか」
「はあ? なんでやねん、そんなわけないやろ」
城田さんはめっちゃええ人やけど、他の刑事はめっちゃ嫌い。
「証拠だしてこいや!」
「おまえ、誰に向かって口きいてんねん!」
「まあまあ、野江さん、落ち着いて。お金のこと、話してくれる?」
女の刑事さんに抑えられて、私は椅子に座り直した。
「三日前、社長が回収金やって持って帰ってきはったんで、先輩の明石さんと金庫に入れました」
「お金は、いつも金庫に入れるの?」
「100万以上はすぐ銀行に持っていくんですけど、今回は金額も大きいし、社長が自分で持っていくからって、金庫に入れたんです」
「鍵は? 誰がかけたの?」
「あの金庫は、オートロックで、扉を閉めたら、勝手に鍵もかかるんです。閉まったことは、明石さんと、扉をガチャガチャして確かめました。ちゃんと閉まってました、ほんとです」
「その鍵は誰が持ってるの?」
「社長の奥さんです。どこにあるんかは知りませんし、私らが開けることはありません」
「お金があること、知ってた人は誰?」
「社長と、社長の奥さんと、明石さんと、私と……4人やと思います」
「他におるやろう」
宮川がそう言って、私は思わず口籠った。
「おまえ、誰かに喋ったやろ?」
どうしよう……正直に言わんと、余計にややこしなるかな……
「野江さん、誰かに話したの?」
「そ、その……カレシに……」
「桐山龍二か」
「ゆうたけど、そのなんていうか、3000万もお金見たん初めてやったから、すごいって、そんな程度で……」
「彼、なんかゆうえた?」
「すごいなって、ゆうてました。普通でした」
「彼はいまどこにいてるの? 会社にはいてないみたいやけど」
宮川が嫌な目つきでこっちを見てる。ほんま、こいつの目嫌いや。
「わかりません」
「三日前から休んでるみたいやけど?」
「ほんま、知らないんです。家にも帰ってきてなくて……」
「一緒に暮らしてるのね?」
「はい……電話してもつながらんくて……あの、でも、龍二、そんなことしません。盗みも金庫もやらんって、約束したんです!」
「なるほどなあ、グルか」
「ちがう! ほんまにちがう! 私も知らんし、龍二も絶対ちがう!」
「おまえらみたいな人間の言うこと、誰が信じるんや。桐山は組入りしたそうやないか。やっぱり、カスはカスや、更正なんかできんねや」
「なんやて、おまえ、もっかいゆうてみい!」
私は、思わず宮川の襟を掴んでいた。
「なんや、殴るんか? ええで、殴れや。公務執行妨害で、二度と出てこれんようにしたろか?」
我慢、我慢や、ここでこんなやつ殴って、また刑務所送りにでもなったら……
手を離した私に、宮川はふん、と鼻をならした。
「やっぱりヤクザ殺した女はちがうなあ、怖い怖い」
「今度は刑事殺そか?」
「野江さん、今日はこれでいいです。もし桐山さんから連絡があったら、ここに連絡して」
女の刑事さんからもらった名刺は、すぐに捨てた。部屋に戻ったら、ボロボロ、涙が流れる。こういうことなんや、城田さんが言うてたこと、我慢せなあかんってこと……
夜になって、雨が降り出した。夏が終わるのか、すごい雨で、私はぼんやり、樋から流れる雨水を眺めている。
「龍二、どこいったんよ……」
そう呟いた時、ベランダの窓が開いて、びしょびしょの黒い塊が飛び込んできた。
「な、なに!」
「しっ! 俺や、でかい声だすな。下で刑事が張っとる」
「あ、あんた、どこいってたん。それより、大変やで、今会社でな……」
「知ってるよ、金盗まれたんやろ?」
彼はカーテンの影に隠れて、ベランダの下を伺ってる。
「あんたとちゃうよな?」
彼は黙って、バスタオルと着替えをとりに行った。
「龍二、あんた、疑われてんで、わかってんの?」
服を着替えた彼は、髪の毛を拭きながら、タバコをくわえた。
「俺や」
「嘘やろ!」
「でかい声だすなて」
「だって、もうやらんって、約束したやん。それやし、社長にはお世話になってるやん、なあ、今からお金返しにいこ、返して、謝ろ。私も一緒に行くから」
でも、彼はなにも言わない。黙ったまま、煙を吐き出して、灰皿に押し付けた。
「なあって、聞いてんの?」
「やったんは、確かに俺や。そやけど、俺は頼まれただけや」
「頼まれたって、誰に?」
「社長や」
「なんで? なんで社長が……」
「俺、辞めるて言いに行ったんや。ヤクザなってもたし、このままやったら、社長に迷惑かかるから……そしたら、社長……先物に手出して失敗して、明日までに金払わんとあかんって言い出して、それで、あの3000万を出してほしいって、頼んできた。俺も、社長には世話なったし、恩返しやおもたんや」
龍二は、濡れたジャンバーから、ぐしゃぐしゃの封筒を出した。
「100万ある。聡子、ここは出ろ。しばらく、それで生活してくれ、足りんかったら、また持ってくるから」
「このお金、なんなん? どっから持ってきたん!」
「社長がくれたんや」
「社長が……」
「先物のことが落ち着いたら、ちゃんと返すつもりや、ゆうてた。たぶん、たまたま奥さんが見つけて、通報してもたんやろ」
彼は時計を見て、押し入れの中の衣装ケースをごそごそし始めた。
「なに探してるん」
「聡子、待っとけよ」
出してきた紙袋の中には、茶色い紙に包まれた黒いものがあった。
「これで、人生逆転や」
「そ、それ、本物なん?」
「ああ、ヒットやって、うまいこといったら幹部になれるかもしれん。幹部になったら、聡子、ええ暮らしできるからな」
ちがう、そんなこと、私、いらん。私の欲しかった幸せ、そんなんとちがう。
「好きやで、聡子、愛してる」
彼はズボンのベルトに拳銃を差し込んで、荒く、痛いくらい、キスをした。
「行くわ」
「龍二、あかん、いかんといて」
「そんな顔すんな、俺が下手うつわけないやろ」
「私な、私、あんたがおるだけで、あんたがいてくれるだけで……」
「幸せにするからな」
外の雨は激しくなっていた。外からはザーザーと雨音しか聞こえない。彼は黒いパーカーのフードをかぶって、そのまま、ベランダから消えてしまった。
「龍二……いかんといて……」
もっと、もっと必死に止めたらよかった。力づくで、止めたらよかった。
「桐山! 待て!」
外から刑事の声が聞こえて、雨の中、パトカーがサイレンを鳴らす。いっそ、いっそここで捕まってくれたら……
窓辺で蹲って泣いていたら、突然、ドアが開いた。立っていたのは、宮川だった。
「野江、桐山は」
「しらん」
「そうか、ほんならちょっと、署まで来てもらおか」
何年かぶりに、パトカーに乗った。外はずっと大雨で、なにも見えない。龍二、どうなったんかな、ちゃんと逃げたんかな……
明け方になって、家に帰されて、その日は昼から会社に行った。会社の中では、龍二が盗んだことになってて、みんな私の顔を見て、ひそひそやってる。
「聡子ちゃん、社長が話あるって」
「はい、すぐ行きます」
「……桐山くん、ほんまなん? あんなに真面目にやっとったのに、信じられへんわ……聡子ちゃん、大丈夫?」
真由美さんは本気で心配してくれてるみたいやった。
「大丈夫、真由美さん、ありがとう」
社長室には、落ち着かない様子で、社長がうろうろしていた。
「あー、聡子ちゃん……桐山から、なんか聞いてるか?」
「これのことですか」
私は、あのぐしゃぐしゃの封筒を出した。社長は青くなって、床に手をついた。
「すまん、すまんかった! こんなことになるとは思わんかったんや、すぐ、返すつもりやったんや」
「それやったら、そないゆうてくださいよ、警察に、龍二は悪ないって」
「そ、そうやねんけどな……その……」
なんや、このおっさんも、ええ人やおもてたけど、結局自分のことしか考えてへんやん。中学の先生とおんなじやな、しょうもない。
「これは、聡子ちゃんがつこたらええで」
「いりません」
「聡子ちゃん、頼む、このことは……」
「言いません。もういいですか」
そのまま、もう誰も信じられなくなって、私は会社も辞めてしまった。安いスナックでバイトを始めて、ボロアパートで、龍二の帰りを待ってたけど、彼は結局、連絡もないまま、帰ってこない。三か月くらい経った頃、城田さんから、龍二が逮捕されたことを聞いた。
何度か会いに行ったけど、いつも面会拒否で、彼は会ってくれなかった。手紙を書いても、返事もない。もしかしたら、他に女ができたんかもしれん。もう私のことなんか……忘れてしまったんやろな……
「パチンコで勝ったんや」
彼はそういうけど、持って帰ってくるのは、決まって会社休んでる日で、パチンコではないことは、私もわかっていた。
そんな生活が半年ほど続いて、私たちの生活は、少しずつ、楽になり始めている。
「聡子ちゃん、その口紅の色、かわいいねえ」
化粧品もろくに買えなかった私。久しぶりに、ちょっと高い口紅をつけて、会社に行くと、みんなにチヤホヤ、褒めてもらえる。
「郵便局行ってきます」
私は上機嫌で事務所を出て、郵便局へ。切手と印紙を買って戻ると、駐車場に、パトカーが3台、停まっていた。
「真由美さん、これ、なんかあったん?」
「ああ、聡子ちゃん。それがな、お金、盗まれたんやて。ほら、三日前に回収した3000万、金庫に入れたやつ」
「え、でも、確かに金庫に入れましたよね。鍵もかけたし……」
「そうやねんけど、金庫、あけられとったんやて、今から、全員取り調べされるらしいわ。嫌やなあ、もうあんなん受けたないわ」
金庫やぶり……まさか、龍二? ちがう、もう金庫からは足洗ったってゆうてたし、絶対やらんって約束したもん。心臓がバクバクと音をたてて、手が震える。どうしよう、龍二、一昨日から帰ってきてないし……
「次、野江聡子さん、いらっしゃいますか」
女の刑事さんに連れられて、私は応接室へ。中には、人相の悪い刑事が偉そうに座っていた。
「やっぱりなあ、野江やないか」
刑事はあの事件のとき、取り調べをしてたひとりで、めっちゃイヤなやつやったんを覚えてる。
「えらい地味なって、形だけは改心しとるみたいやなあ」
「宮川さん、お久しぶりです。出世したんですか、前おうた時はぺーぺーやったみたいやけど」
刑事は舌打ちをして、腕を組んだ。
「それで、おまえか」
「はあ? なんでやねん、そんなわけないやろ」
城田さんはめっちゃええ人やけど、他の刑事はめっちゃ嫌い。
「証拠だしてこいや!」
「おまえ、誰に向かって口きいてんねん!」
「まあまあ、野江さん、落ち着いて。お金のこと、話してくれる?」
女の刑事さんに抑えられて、私は椅子に座り直した。
「三日前、社長が回収金やって持って帰ってきはったんで、先輩の明石さんと金庫に入れました」
「お金は、いつも金庫に入れるの?」
「100万以上はすぐ銀行に持っていくんですけど、今回は金額も大きいし、社長が自分で持っていくからって、金庫に入れたんです」
「鍵は? 誰がかけたの?」
「あの金庫は、オートロックで、扉を閉めたら、勝手に鍵もかかるんです。閉まったことは、明石さんと、扉をガチャガチャして確かめました。ちゃんと閉まってました、ほんとです」
「その鍵は誰が持ってるの?」
「社長の奥さんです。どこにあるんかは知りませんし、私らが開けることはありません」
「お金があること、知ってた人は誰?」
「社長と、社長の奥さんと、明石さんと、私と……4人やと思います」
「他におるやろう」
宮川がそう言って、私は思わず口籠った。
「おまえ、誰かに喋ったやろ?」
どうしよう……正直に言わんと、余計にややこしなるかな……
「野江さん、誰かに話したの?」
「そ、その……カレシに……」
「桐山龍二か」
「ゆうたけど、そのなんていうか、3000万もお金見たん初めてやったから、すごいって、そんな程度で……」
「彼、なんかゆうえた?」
「すごいなって、ゆうてました。普通でした」
「彼はいまどこにいてるの? 会社にはいてないみたいやけど」
宮川が嫌な目つきでこっちを見てる。ほんま、こいつの目嫌いや。
「わかりません」
「三日前から休んでるみたいやけど?」
「ほんま、知らないんです。家にも帰ってきてなくて……」
「一緒に暮らしてるのね?」
「はい……電話してもつながらんくて……あの、でも、龍二、そんなことしません。盗みも金庫もやらんって、約束したんです!」
「なるほどなあ、グルか」
「ちがう! ほんまにちがう! 私も知らんし、龍二も絶対ちがう!」
「おまえらみたいな人間の言うこと、誰が信じるんや。桐山は組入りしたそうやないか。やっぱり、カスはカスや、更正なんかできんねや」
「なんやて、おまえ、もっかいゆうてみい!」
私は、思わず宮川の襟を掴んでいた。
「なんや、殴るんか? ええで、殴れや。公務執行妨害で、二度と出てこれんようにしたろか?」
我慢、我慢や、ここでこんなやつ殴って、また刑務所送りにでもなったら……
手を離した私に、宮川はふん、と鼻をならした。
「やっぱりヤクザ殺した女はちがうなあ、怖い怖い」
「今度は刑事殺そか?」
「野江さん、今日はこれでいいです。もし桐山さんから連絡があったら、ここに連絡して」
女の刑事さんからもらった名刺は、すぐに捨てた。部屋に戻ったら、ボロボロ、涙が流れる。こういうことなんや、城田さんが言うてたこと、我慢せなあかんってこと……
夜になって、雨が降り出した。夏が終わるのか、すごい雨で、私はぼんやり、樋から流れる雨水を眺めている。
「龍二、どこいったんよ……」
そう呟いた時、ベランダの窓が開いて、びしょびしょの黒い塊が飛び込んできた。
「な、なに!」
「しっ! 俺や、でかい声だすな。下で刑事が張っとる」
「あ、あんた、どこいってたん。それより、大変やで、今会社でな……」
「知ってるよ、金盗まれたんやろ?」
彼はカーテンの影に隠れて、ベランダの下を伺ってる。
「あんたとちゃうよな?」
彼は黙って、バスタオルと着替えをとりに行った。
「龍二、あんた、疑われてんで、わかってんの?」
服を着替えた彼は、髪の毛を拭きながら、タバコをくわえた。
「俺や」
「嘘やろ!」
「でかい声だすなて」
「だって、もうやらんって、約束したやん。それやし、社長にはお世話になってるやん、なあ、今からお金返しにいこ、返して、謝ろ。私も一緒に行くから」
でも、彼はなにも言わない。黙ったまま、煙を吐き出して、灰皿に押し付けた。
「なあって、聞いてんの?」
「やったんは、確かに俺や。そやけど、俺は頼まれただけや」
「頼まれたって、誰に?」
「社長や」
「なんで? なんで社長が……」
「俺、辞めるて言いに行ったんや。ヤクザなってもたし、このままやったら、社長に迷惑かかるから……そしたら、社長……先物に手出して失敗して、明日までに金払わんとあかんって言い出して、それで、あの3000万を出してほしいって、頼んできた。俺も、社長には世話なったし、恩返しやおもたんや」
龍二は、濡れたジャンバーから、ぐしゃぐしゃの封筒を出した。
「100万ある。聡子、ここは出ろ。しばらく、それで生活してくれ、足りんかったら、また持ってくるから」
「このお金、なんなん? どっから持ってきたん!」
「社長がくれたんや」
「社長が……」
「先物のことが落ち着いたら、ちゃんと返すつもりや、ゆうてた。たぶん、たまたま奥さんが見つけて、通報してもたんやろ」
彼は時計を見て、押し入れの中の衣装ケースをごそごそし始めた。
「なに探してるん」
「聡子、待っとけよ」
出してきた紙袋の中には、茶色い紙に包まれた黒いものがあった。
「これで、人生逆転や」
「そ、それ、本物なん?」
「ああ、ヒットやって、うまいこといったら幹部になれるかもしれん。幹部になったら、聡子、ええ暮らしできるからな」
ちがう、そんなこと、私、いらん。私の欲しかった幸せ、そんなんとちがう。
「好きやで、聡子、愛してる」
彼はズボンのベルトに拳銃を差し込んで、荒く、痛いくらい、キスをした。
「行くわ」
「龍二、あかん、いかんといて」
「そんな顔すんな、俺が下手うつわけないやろ」
「私な、私、あんたがおるだけで、あんたがいてくれるだけで……」
「幸せにするからな」
外の雨は激しくなっていた。外からはザーザーと雨音しか聞こえない。彼は黒いパーカーのフードをかぶって、そのまま、ベランダから消えてしまった。
「龍二……いかんといて……」
もっと、もっと必死に止めたらよかった。力づくで、止めたらよかった。
「桐山! 待て!」
外から刑事の声が聞こえて、雨の中、パトカーがサイレンを鳴らす。いっそ、いっそここで捕まってくれたら……
窓辺で蹲って泣いていたら、突然、ドアが開いた。立っていたのは、宮川だった。
「野江、桐山は」
「しらん」
「そうか、ほんならちょっと、署まで来てもらおか」
何年かぶりに、パトカーに乗った。外はずっと大雨で、なにも見えない。龍二、どうなったんかな、ちゃんと逃げたんかな……
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「聡子ちゃん、社長が話あるって」
「はい、すぐ行きます」
「……桐山くん、ほんまなん? あんなに真面目にやっとったのに、信じられへんわ……聡子ちゃん、大丈夫?」
真由美さんは本気で心配してくれてるみたいやった。
「大丈夫、真由美さん、ありがとう」
社長室には、落ち着かない様子で、社長がうろうろしていた。
「あー、聡子ちゃん……桐山から、なんか聞いてるか?」
「これのことですか」
私は、あのぐしゃぐしゃの封筒を出した。社長は青くなって、床に手をついた。
「すまん、すまんかった! こんなことになるとは思わんかったんや、すぐ、返すつもりやったんや」
「それやったら、そないゆうてくださいよ、警察に、龍二は悪ないって」
「そ、そうやねんけどな……その……」
なんや、このおっさんも、ええ人やおもてたけど、結局自分のことしか考えてへんやん。中学の先生とおんなじやな、しょうもない。
「これは、聡子ちゃんがつこたらええで」
「いりません」
「聡子ちゃん、頼む、このことは……」
「言いません。もういいですか」
そのまま、もう誰も信じられなくなって、私は会社も辞めてしまった。安いスナックでバイトを始めて、ボロアパートで、龍二の帰りを待ってたけど、彼は結局、連絡もないまま、帰ってこない。三か月くらい経った頃、城田さんから、龍二が逮捕されたことを聞いた。
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