Dusty Eyes

葉月零

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甘い香り

甘い香り(4)

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 ふう、スッキリした。シャワーを浴びて、シャツを着替えて、取調室へ。そろそろ、終わったかな。
「で、終わった?」
 取調室の前で、中津が鬼のような顔で立ってる。おいおい、相当機嫌悪いじゃねえか。
「なに、あれ」
 中では、御堂と聡子が楽しくお喋り中。
「あれが容疑者?」
「まあ、そのはずなんだけど……」
「真面目にやれって言ってこいよ、辰巳」
「いやまあ、あれはあれで、あいつのやり方だから……」
 って、そもそも、指揮官は俺なんだけどなあ。
「中津、おまえにまかせる」
 ため息をついて、デスクへ退散。
「うわっ、また増えてんじゃねえか!」
 デスクの上には、未処理の書類が山積みになっている。ああ、やってもやっても終わらない、また頭痛がしてきた。
「鎮痛剤は……」
 引き出しの中の鎮痛剤は、すでに空になっていた。この前買ったとこなのに……ゴミ箱に向かって投げるけど、縁に当たって、結局拾いに行くことに。何やってんだ、俺は。
「一服しに行くか」
 ワンフロアにひとつあった喫煙所は閉鎖されて、今は裏口か屋上か、どっちかになってしまった。屋上に向かう階段で、会計課の女が追いかけてきた。
「辰巳さん! やっとつかまえた」
「ああ、精算? まだできてないんだよ、もうちょい待って」
 もう半年前から立替えたままだ。早くしないと、期限切れになってしまう。
「違います、これ、ダメですよ」
 女は精算書をつきだした。スーツ代……26万だと?
「これ、俺じゃないだろ、ほら、御堂悠介って書いてある」
「何言ってるんですか、ここに、辰巳さんの承認印がありますよね、辰巳さんから、返してください!」
「し、しらないよ、押した覚えがない」
「でも押してあるじゃないですか! なんのための承認制度なんですか、次回からはちゃんと精査してから承認お願いしますね!」
 くっそー、なんで俺があんなガキみたいな女に説教くらわなきゃいけないんだ? 御堂のやつ、絶対許さねえ! だいたい、26万のスーツってなんだよ、通ると思ってんのか? ああ、頭痛がひどくなってきた。一服より、鎮痛剤買いに行くかな……財布、取りに行かねえと。
 デスクに戻ると、後ろから、肩をたたかれる。今度はなんだよ。
「辰巳くん」
「あっ、ああ、課長、おつかれさまです!」
「どう、がんばってる?」
「はい、がんばっております」
「そうかなあ、本気でがんばってるかなあ」
 なんだよ、嫌味な言い方しやがって。
「この班、検挙率、落ちてない?」
 来たか……そうなんだよなあ、あの船橋のおかげで、成績はガタ落ちなんだよ。もっとまともな新人入れてくれよ……
「いや、あの、新人教育にちょっと手間取りまして……」
「言い訳になるか! いいか辰巳、おまえを班長にしたのは俺なんだよ、俺の顔を潰す気か?」
「いえ、とんでもありません!」
「ならば死ぬ気でがんばれ! 死んでも検挙しろ!」
「はい! 辰巳一真、死ぬ気で頑張らせていただきます!」
「よし、それでこそ辰巳だ。がんばれよ、期待してるからな。あ、でもくれぐれも、パワハラはなしだからな」
 どの口が、パワハラとか言ってんだよ。てめえがパワハラの標本じゃねえか。あー、もうやってらんねえ。これ以上がんばったら、ほんとに死ぬわ。
 もういい、書類書類。とにかく、一枚でも減らさないと。あーあ、俺はこんなことやるために警察官になったんじゃないんだけどなあ。

「一真、ちょっと」
 次はなんだよ、邪魔すんなって。
「なに、取調べ、終わったのか?」
 振り返ると、御堂が気まずそうに立っていた。
「それがさ……ちょっとまずいことに」
「なんだよ、あ、おまえ、スーツ代とか精算出してだろ。さっき会計の女が持ってきたぜ? 勝手に人の印鑑押しやがって、俺がどやされたじゃねえか。だいたい、スーツ代26万ってなんだよ、バカじゃねえのか!」
「現場で汚れたから新しいの買ったんだよ。印鑑くれって言ったら、勝手に押せって言ったのはおまえだろうが」
「知るか! とにかく、これはダメだからな」
「そんなことより、まずいんだって」
「だから何がだよ」
「聡子ちゃんが倒れた」
 は? 倒れた?
「なんで、上機嫌にお喋りしてただろう」
「そうなんだけど、急に寒気がするって言って震え出して……医務室に連れて行こうとしたら、そのまま倒れちゃって」
「今はどうしてんだよ」
「中ちゃんが医務室に付き添ってる」
「まずいな、あの女、朝から体調が悪いって言ってたしな……無茶はしてないだろう?」
「あたりまえだろ、俺がそんなことするかよ」
 こんな御堂だけど、取調べだけは、めっちゃうまい。特に女の容疑者に、無理をするなんかありえない。
「ダメだね、入院だって」
 中津が戻ってきて、ため息をついた。
「かわいそうに、熱が高いんだよ。なんかうなされてた」
「熱の原因は? 風邪か?」
「わからないけど、抗生剤がどうとか言ってた。抵抗力が弱いんだとよ」
 抗生剤……薬って、そうだったのか。体が弱いって言ってたしなあ。
「しばらく取調べは無理だね」
「マジか、ああ、ついてねえな」
 3人でため息をついていると、新人が帰ってきた。
「おつかれさまです! 班長、野江聡子の経歴書です!」
 おっそ。どんだけかかってんだ。
「ありがとう、がんばったね」
 最近の新人は、いちいち褒めないといけない、らしい。
「あの、時間なので、帰っていいですか」
「あー、そうか、ごめん、船橋くん。悪いんだけど、もう少しいてくれないかな、もちろん、残業にするから。ほら、殺人事件だしね、人手が……」
 こんなやつでも、弁当くらい買いに行けるだろう。
「うーん……家族の具合が悪くて、病院に連れて行きたいんですが……」
「家族? 親御さんか?」
「いえ、犬です」
 い、犬!
「受付時間が3時までなので、もう出たいんです、よろしいですか」
「わかった、大事にな、早く帰ってやれ」
 そして、もう二度と俺の前に現れんな!
 3人で新人を見送って、正しいねえ、と中津が呟いた。もう忘れよう、あいつのことは、いないものとしよう。
「御堂、取調べ、どうだったんだよ」
「言ってることは、一応スジは通ってるけど、作られたって感じかな。ただ、誰か庇ってるって感じでもないんだよなあ」
「認めてんのか、やったって」
「朝言ってた通りだよ。公園に呼び出されて、突き飛ばして、転んで頭を打った」
「傷は2ヶ所あっただろ? その話は?」
「出ないな、知らないんじゃないか?」
「……誘導しろよ」
「誘導? どういう意味だよ」
「2発目だよ、2回ころばなかったか、とか、とにかく、傷が2個あればいい」
 ふたりは俺の顔をしらけた顔で見てる。
「言いたいことはわかる。でも、この案件は、あの女で決まりだ、終わらせろ」
「ちょっと、あんた本気で言ってんの?」
「殺しのマエがあるんだろ? 本人も認めてるんだ、もういいじゃねえか。正当防衛がつけば、罪にはならねえよ」
 あの女には悪いけど、こんなくだらない案件に時間をとってる暇はない。やらなきゃいけないことが山盛りなんだよ。
「そもそも、このまま送検すれば、証拠不十分で釈放だ。退院したら、さっさと送検しろ。それより中津、おまえにはやって欲しいことがたんまりあるんだよ、なあ、わかるだろ? おまえだけが頼りなんだ」
「知らないね、辰巳、見損なったよ。あんたそこまで落ちた?」
「俺は忙しいんだよ! 毎日毎日、くだらない事件に呼び出されて、昨日だってそうだ、帰ろうとしたら、酔っ払いのケンカだよ、そんなの交番の仕事だろ? 今回もそうだ、ホームレスが勝手に死んだだけだ、どうだっていいだろう、誰が悲しむんだよ! いいか、とにかく検挙だ。送検した後は手放しだ。さっき言われたんだよ、検挙率が落ちてるって。新人も使えねえし、増員もダメ、3人でやるしかねえだろ? 頼むよ、もっと効率的にやろうぜ」
「ホームレスだって人間でしょ? 悲しむとか悲しまないとか、そういう問題じゃない。マエがあろうとなかろうと、捜査は丁寧に、真実を見つけるまでやる、それが刑事の仕事じゃないの?」
「きれいごと言ってんじゃねえよ! これは命令だ、この案件はクローズだ!」
「つきあってらんないわ、御堂、行こうか」
「どこ行くんだよ、報告していけ」
「聞き込みだよ! 辰巳班長様!」
 中津はイスを蹴り飛ばして、ドカドカと出て行った。
「一真、おまえの言ってることは、わからないでもない」
「だろ? さすが、御堂、やっぱり男は違うな。女は融通がきかねえ」
「だけど、完全に間違ってる。その経歴書読んで、感想文提出ね。班長、聞き込み、いってまいります」
 わざとらしく敬礼して、御堂も出て行ってしまった。
 なんなんだよ! 俺が悪いっていうのか! 俺が何したっていうんだよ、こんなに頑張ってるのに……腹減ったな、そういや、朝からなんも食ってねえわ。やっぱりコンビニ行くか。
 外に出ると、日差しはさらに強くなっていた。また夏が来るのか、暑いのは苦手なんだよなあ。
 コンビニでサンドウィッチとアイスコーヒーを買った。どこでも食べれるように、無意識に選んでしまう。あとは鎮痛剤と。そういや、俺、有給どれだけ残ってんのかな。休みなんかいつからとってないんだ? 温泉でも行って、ゆっくりしたいなあ。
 デスクの書類をかき分けて、パソコンをたたきながらサンドウィッチをかじる。あー、もうやめようかな、管理職なんてなるんじゃなかったよ。
「辰巳、来客」
 そう声をかけられて、受付を見ると、男がふたり立っている。
「一般人だ、丁寧にな」
 わかってるよ、うるせえ!
「お待たせしました、辰巳です」
 来客は、痩せたスーツの男と、髭面の胡散臭い男だった。
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