Dusty Eyes

葉月零

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醒めない夢

醒めない夢(1)

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「今朝はどうも、八田です」
 痩せた男は、イライラした様子で名刺を出した。
「あ、ああ、野江さんの! 辰巳です、お電話では失礼しました」
 えのき……いや、ダメだ、笑いそう。マジでえのきじゃん。
「何か?」
「い、いえ、失礼。そちらは?」
「弁護士の風間先生です。先生は、冤罪事件に尽力されておられます」
 出たよ人権派、またややこしい……胡散臭いと思った。
「風間です。単刀直入にお伺いします。今回の事件、野江聡子さんは無関係ではないんですか? それなのに連行するなんて、どう考えてもおかしいでしょう。野江さんの過去の犯罪歴から、適正な捜査もせずに、犯人だと決めつけているんじゃないんですか?」
「連行って、違いますよ。被害者の着信履歴に野江さんのものがありました、野江さんにお話を伺ったところ、自分が関与しているかもしれない、と仰ったので、ご同行いただいたまでです。参考人として、こちらへ護送しました。何もおかしくないでしょう、あくまで、任意同行です」
「なるほど、それでは、聴取はどこで行われましたか。適正に行われたか、後ほど調書開示を請求しますよ」
「結構です。聴取は取調べ室です。特に無理な取調べは行っていません、時間も適正です」
「あなたが担当を?」
「いえ、別の人間が担当しました。私と一緒に護送した人間です。取調べには女性警察官も立ち会っています」
「その方にお会いしたい」
「あいにく、今は捜査に出ています。適正な捜査のために、尽力していますから」
 えのきと社会派は顔を見合わせた。
「いいでしょう。私が弁護を担当します、ご本人にお会いしたいのですが」
 うわ、まずいな……
「いや、それが……」
「面会拒否はできませんよ」
「体調を崩されて、その、入院を……」
「なんだと! それで、容態は!」
 えのきは真っ赤になって、立ち上がった。
「熱が、高いとか……取調べ中に、体調を崩し、迅速に病院へ搬送しました」
「彼女は免疫力がかなり低下していて、環境の変化ですぐに体調が悪化するんですよ。精神的なものもあります。かわいそうに、取調べが辛かったんだな……すぐに会いたい、病院はどこですか」
「あの、それは……」
「できないっていうのか、僕は主治医だぞ!」
 なんで俺が怒鳴られなきゃいけないんだ? そんなことしらねえだろ、マニュアル通りにやってるだけだ!
「まあ、八田さん、落ち着いて。聞いてる限りでは、特に違反はないように思えますから、ルール的には仕方ないでしょう。ただね、辰巳刑事、彼女には配慮すべき項目がありますから、そこのところは、よろしくお願いしますよ」
「もちろんです、八田先生、すみませんが、こちらへ彼女の診療データをいただけますか。担当の医師へ渡します」
「彼女は非常にセンシティブだ、くれぐれも、無理はさせないでくださいよ、命に関わりますから」
「承知しました」
 
 ああ、あーあ、疲れた。もういやだ、辞めたい。タバコでも吸いに行くか。
 今日もまた、陽が沈んでいく。毎日毎日、何やってんだろうな。屋上から、東京の街を見下ろす。ビルの窓から、忙しなく人が動いているのが見える。みんな何やってんだろ。こんな狭い箱ん中で、時間に追われて、ストレス抱えながら、何が楽しいんだ? いっそ飛び降りちまえば、楽になるのかな。いや、ダメだ。飛び降りと飛び込みは、税金の無駄使いだからな。死んでまでストレス抱えるなんか、バカバカしい。定年まであと15年か……結構長いじゃねえか。こうやって時間を過ごして、行き着く先はなんだ? 警備員か、探偵か、地域のパトロールか? くだらねえな……
「おい、やめろ!」
 後ろから羽交い締めにされて、驚いて振り向くと、青い顔の御堂がいた。
「おちつけ、一真、一旦おちつこう」
「違うよバカ、下を見てただけだ」
「な、なんだよ、びっくりさせんなよ……てっきり、飛び降りるのかと思ったよ」
 なんだ、こいつ、俺のこと心配してくれてんのか?
「そんなことするわけないだろう。これ以上仕事増やしたら、恨まれるわ」
 俺たちはベンチに座って、タバコに火をつける。すっかりあたりは暗くなって、ビルの灯りがギラギラと光っている。
「聞き込み、収穫は?」
「特にないなあ、現場の公園はホームレスが住みついてたらしくて、夜中に人がいるのは珍しくないみたいだ」
「そうか、都会はそんなもんだな」
「マンションの防犯カメラに、12時前に出ていく彼女の姿が映ってた。戻ってきたのは1時ごろだ。マンションから公園までは歩いて10分くらいだから、死亡推定時刻から逆算すると、時間的には合ってることになる」
「そんな夜中にひとりで出て行くなんて、女にも問題があるだろう」
「本当にストーカーされてたのなら、怖くて出ていくのもわかる」
「おまえ、あのホームレスが本気でストーカーしてたと思うか? 金に決まってんだろ。車からサラ金の督促状がたんまり出てきたし、着歴も督促の電話ばっかりだった。金でもせびられてたんじゃないか、あの女も」
「なんで」
「それを調べるのがおまえの仕事だろうが」
「調べていいの? クローズって言ったけど」
「仕方ねえだろ……」
 あんなややこしいやつに嗅ぎ付けられたら、やるしかないからな。
「気が変わったんだ、改心したの?」
「野江聡子の主治医ってやつが、ややこしいのを連れてきた。人権派の弁護士だ、冤罪がどうとかって」
「主治医が? なんで」
「わかんねえけど、つきあってんじゃねえか? 男のほうはえらく必死だった。あの部屋もそうだけど、普通に事務で働いてて、あんなとこ住めるなんかおかしいだろう。社長との関係も不自然だ。水商売やってたみたいだし、金持ちのパトロンが何人かいるんだろう」
「そうかな、そんなふうには見えないけど」
「御堂、おまえさ、捜査はテキトーだけど、人を見る目だけはあるはずだろう。惚れてんのかしらねえけど、曇っちまったか?」
「曇ってるのは、一真、おまえのほうだよ」
 御堂は、2本目のタバコを取り出した。
「濁ってるって言ったほうがいいかな」
「きれいごとで事件は解決できねえよ。どいつもこいつも……人権派も言ってたよ、マエがあるから、犯人だって決めつけて、ろくに捜査もしてないんじゃないかって」
「その通りじゃん」
「決めつけてるわけじゃない、本人が自分だと言ってるんだから、それでいいだろって言ってんだよ」
「マエがあるからだろ?」
「それは……」
 何も言い返せなかった。でも、ひとつでも多く立件したいんだよ。タバコの箱は、空になっていた。ああ、コンビニで買っときゃよかった。
「ほれ」
 御堂が一本、差し出してくれた。
「わ、悪いな」
「昔さ、よくタバコわけわけしたよね。お互い、金なくてさ。ほら、あのラーメン屋、覚えてる? チャーハンセット500円の」
「ああ、あのまずくもうまくもない店な、まだやってんのかな」
「俺さあ、あの頃、一真に憧れてた」
「はあ? なんだよ、キモいな」
「怖いものなんかないって感じでさ、上の言うことは聞かないし、勝手に捜査してバンバン検挙する。腕っぷしも強いし、射撃も抜群、体もデカいし、年下だけど、かっこいいなって思ってた」
「若かったんだよ、バカだっただけだ」
「俺がキャリアから外れたのは、一真と一緒に仕事したかったからなんだよね。おまえと現場でいるの、楽しかったからさ」
 そうなんだよな、俺もこいつと、一緒に仕事するの、楽しかった。俺とは正反対のやつだけど、なぜか気が合う。どんな時もクールで、穏やかで、スタイリッシュ。人当たりがよくて、取調べや聞き込みが得意な御堂に俺も、やっぱり、憧れてた。でも、もう昔の話だ。今はもう……そんな自分は捨てた。
「出世なんか興味ないくせに、無理すんなよ」
「おまえに何がわかるんだよ、俺は……無難にやりたいだけだ。この10年、無難にやってたらこうなっただけだ。出世なんかどうでもいいよ、でもな、こうなったらやらなきゃ仕方ないだろう。俺のデスクを見ろよ、いつまでも減らない書類で溢れてる。新人は使えない、中津はあれでも母親だ、無理はさせられねえ、おまえは毎日女とデートだろ? おまえらがやらない雑多な仕事はどうすりゃいい、俺がやらなきゃしょうがないだろう。そのためには、くだらない案件になんか時間かけてられない」
 御堂は、不思議そうな目で俺を見た。
「ごめん、そんなに仕事抱えてるって、知らなかった」
「デスクを見りゃわかんだろうが!」
「いや……ただ、汚いだけかと思ってた」
 き、汚い……だけ?
「ロッカーも汚いから……散らかすタイプなのかなって、みんなたぶん、そう思ってる」
「家に帰ってないから、洗濯物がたまってるだけだ!」
「ああ、そっか……結婚したほうがいいのになって、みんなで言ってたんだけど……」
 け、結婚……こんな状態で結婚なんか……ダメだ、笑けてきた、汚いだけって……
「気がつかなくて、ごめん」
「い、いや、ああ、もういいよ、そうか、汚いだけか!」
 なんだよ、じゃあ俺は、ひとりでハムスターみたいに、くるくる走ってただけか。バカバカしい、どうでもよくなってきた。
 腹かかえて笑う俺につられて、御堂も笑い出して、俺たちは屋上で、おっさんふたり、爆笑する。こんなに笑ったのはいつぶりかな?
「これからは、何でも言ってよ、ひとりで抱えんなって」
「別に構わねえよ、現場はもう出たくないしな」
 本音は、そうなんだよ。管理職になったのは、現場にあまり出たくないからだ。
「あれ、まだ気にしてんだ」
「……二度と同じことを繰り返したくないだけだ」
「だからといって、捜査の手を抜くのは、間違ってるだろ。どんな小さな案件でも、最善を尽くす、それが警察官の使命だろ?」
 使命、か……そんな言葉、忘れたフリしてたな。
「はい、これ」
 御堂は、メモを一枚、差し出した。
「桐山龍二? 誰だよ」
「中ちゃんが昔のツテ使って探し出してくれた。聡子ちゃんの元カレ」
「でもこいつ、ヤクザだろ? ヤクザが警察官に喋るか?」
「そこは、元暴対辰巳様のウデじゃん」
「え、俺に行けって? ヤクザに捜査協力ってのはなあ、出張許可出ないかも」
「もう、めんどくさいな! それじゃ、休暇で行けよ。有給溜まってんだろ? 息抜きしてこいよ」
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