Dusty Eyes

葉月零

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愛しき傷

愛しき傷(2)

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 その後、梅木は送検されて、起訴されることになった。梅木の殴った傷が致命傷にはなったけど、既往症もあったことから、傷害罪で終わりそうな感じだ。
 俺と御堂は事件の報告に来たけれど、聡子はいなくて、車で待ちぼうけをくらっている。
「日曜日だからいると思ったけどなあ、電話してから来たらよかったな」
「そうだね……ちょっと眠い、寝てていい?」
 相変わらず、くだらない事件ばかり起きて、中津の負担を減らそうと、俺たちはほとんど休みなしだ。
「来たら起こして」
 隣を見ると、御堂はもう目を閉じて、寝ているようだ。よほど疲れてるのか、まあ、こいつにしては頑張ってるからなあ。
 外は涼しくなったけど、車の中にいると、日差しが心地いい。俺もつい、うとうとしていたらしく、窓をたたく音で飛び起きた。
「あっ、すみません!」
 クレームかと思い、慌ててネクタイを直したら、聡子が中を覗き込んでいた。
「やっぱり辰巳さんだ」
「どうも、ご無沙汰しておりました。事件の報告にきたんですが、お忙しいですか」
「ううん、全然、どうぞ」
 聡子は、初めて会った日と同じカーディガンを羽織って、エントランスで俺たちを待っている。手にはコンビニの袋があって、少し寒そうにしている。
「おい、御堂、起きろって。聡子が帰ってきた」
「うーん、ああ……俺……寝とく」
「寝とくって……しょうがねえな、じゃあ、行くからな」
 なんだよ、あんなに熱上げてたくせに、もう冷めちまったか。
「すみません、お待たせしました」
「御堂さんは?」
「それが、このところ激務でね、仮眠を……」
 ふうん、と言って、聡子は部屋へ入れてくれた。テーブルには空のペットボトルと食べかけのポテトチップスがそのままあって、ソファには、家着か、何かスエットぽいものがあって、慌てて丸めて部屋に投げ入れた。
「コーヒーでいい?」
「いえ、おかまいなく」
 相変わらず、殺風景な部屋だ。ぎこちなくソファに座ると、スマホが震えた。
『今回は俺の負け、がんばってね!』
 御堂からのメッセージに、慌てて窓の下を覗くと、車が走り出すところだった。
 や、やられた、御堂のやつ!
「どうかした?」
「いや、別に……」
 聡子はテーブルにコーヒーを置いて、ソファに座った。
「忙しいのに、わざわざありがとうございます」
 俺もソファに座って、ぎこちなくコーヒーを啜る。こうなると、意識してしまう。ああ、もう早く帰りたい。
「灰皿、いる?」
「い、いえ、結構……」
 黙ったままの俺に、聡子も黙ってコーヒーを啜る。しばらく、重い空気が流れて、聡子が口を開いた。
「社長、どうなるの?」
「社長? あっ、ああ、社長ね! そう、そうだ、起訴になったから、これから裁判になる。長く恐喝されてたって過去もあるし、本人も反省してるし、執行猶予はつくかもしれない」
「そう……会社はね、もう荒れちゃって……みんな辞めちゃったのよ。元々、社長はあんまり従業員に好かれてなかったけど、だからといってよね、お世話になったのに」
「キミは、大丈夫なのか?」
「うん、社長が帰ってくるまで、私だけでもがんばらないとね。元はと言えば、私のせいでこうなったんだから」
「過去のことは? 知られてしまったんじゃないのか?」
「……仕方ないよね、事実なんだから……」
「辛い思いをしてるんだな」
「自分がやったことだもん」
 聡子は無理に笑顔を作ったけど、どうしようもないくらい、寂しい顔だった。だけど、俺にはどうしてやることもできない。そんな会社やめちまえって、そう言いたいけど、辞めてどうするんだ。この体じゃ、他で働くのも難しいだろう。
「もう、辰巳さんとも会えなくなるのね」
「何かあれば、いつでも相談にのるよ」
「先生はね、往診に来てくれるの」
「だから、何かあれば……」
「時々、ご飯したり、カフェに行ったりもするの」
 そう言って、聡子は三角座りになった。顔を膝に埋めて……ぐずぐずと鼻をすする。
「野江さん、あの……どうしたの」
「なんでもない」
 なんでもないのに泣いたりしないだろう。なんで泣いてるんだ? くっそ、どうしたらいいか全然わかんねえよ!
「今回のことで辛い立場になったのなら、どうにか力になるよ。なんでも相談してくれ」
 でも、聡子は首を横に振るだけだ。
「私……どうしたらいいかわかんなくて……わかってるの、ダメってことくらい……」
「ダメって、何が?」
「辰巳さんにとっては、なんでもないことだったと思うの。でも……私……忘れられなくて……」
 もしかして、あのことか……
「ご、ごめん、傷つけたよな、そのなんていうか……あの時は、どうかしてた。本当に申し訳なかったと思ってる」
「そうよね……私なんて……」
 聡子はティッシュで鼻をかんで、立ち上がった。
「いろいろ、お世話になりました」
 まだ乾かない目のまま、リビングのドアを開けた。少し、冷えた空気が入ってくる。
「もう帰って、用は済んだでしょ?」
 どうしたらいい、もしこのまま帰ったら、きっと、聡子とはこれきりになってしまう。それでいいはずだけど、でも、そうはしたくない。いろんなやつが俺に頭を下げて、みんな彼女から身を引いていく。俺も身を引くか? あんな風に、寂しそうに泣いてる女を残して、俺も……
「刑事としての用は済んだ」
「そう、ご苦労さまでした」
「でも、個人的な用は済んでない」
「個人的って何よ」
「とりあえず、座ってくれよ」
 口を尖らせて、ドアを閉めて、ソファに三角座り。
「あの日のことは、本当に申し訳なかった。職務から逸脱した行為だったし、責任を問われても仕方がない」
「そんな難しいこと言われてもわかんない」
「だけど、軽い気持ちじゃなかった。好きかと言われれば、好きだと答えられたけど、あの時は……そんな勇気はなかった。俺は恋愛経験も少ないし、女が苦手なんだ。恋人もいないし、遊び相手もいない。正直にいうよ、女を抱くのは、酒に酔った勢いで、何があったかすら覚えていない。この年になって情けないけど……こんな俺だから、軽々しく好きだなんて言えなかった。だけど、キミのことは……なんて言うか、どうにか力になりたい、俺が守れるならって、そう思ってる……警察官としてじゃなくて、ひとりの、その、男として……惚れてる、キミに。ひとりの女性として、恋愛感情を持ってる」
 聡子はまた、膝に顔を埋めて、ぐずぐずと鼻をすする。手探りでティッシュの箱を探してるけど、どうやら届かない場所に移動したらしい。
「ここだよ」
 隣に座って、ティッシュの箱を渡してやった。
「辰巳さんのこと、好きなの」
「俺も好きだよ」
「でも……迷惑かけるってわかってるの」
「そんなこと、俺はどうでもいい。覚悟はあるよ、でも、キミにも嫌な思いをさせるかもしれない。その覚悟をしてくれるなら、絶対に守ってみせる。それに、俺はこんなやつだから、なんていうか……気の利いたことも言えないし、してやれない。だけど、真剣に考えてる、遊び半分の恋愛はできない。重いかもしれないけど、それが俺だから……」
 聡子は、あの写真を見つめた。親友と2人で笑う、あの古い写真。
「雅子……許してくれるかな……私ね、幸せになっちゃいけないって……幸せになったら、また誰かを傷つけるんじゃないかって……」
「俺も同じだよ、だけど、それで許してもらえるわけじゃない。たとえ不幸の道を進んでも、罪が消えるわけじゃない。忘れなければ、いいんじゃないかって、そう思うんだよ」
 またあの匂い。甘い匂いだ……
「こういうとき、なんて言っていいかわからないけど……シンプルに付き合ってください、でいいのかな」
 俺の言葉に、聡子は思わず笑ってしまったようだ。涙を拭ってやると、いつもの笑顔で、彼女は、うん、と頷いた。
「慣れてなくて、こういうの、苦手なんだよ……次はどうしたらいいか……」
「もう、ムードのない人ね」
 聡子は笑って、体をすり寄せた。なるほど、次の手順はそういうことか。
 抱いた肩は痩せていて、首元に大きな痣が見える。傷だらけの女、不幸を背負った女……
 触れた唇は、あの夜より、ずっと柔らかくて、篠原くんとは全然違う。やっぱり、俺は女の方が、いや、この聡子が、いいらしい。
「こんな私……本当にいいの?」
「ああ、こんな俺だけどな」
 俺たちは似ているのかもしれない。握った手は火傷の痕がボコボコ感じる。長い髪の隙間から、視点の合わない左目が見えて、俺は、その傷だらけの女を、弱りきった聡子を、思いっきり抱きしめた。もう一度、キスをしようとしたけど……これだよ、邪魔しやがって!
「ごめん、電話が……」
 聡子はまだ濡れた目のまま、くすくすと笑った。
「なんだよ!」
「もう、まだ聡子ちゃんとこ? 変な男が暴れてるって、住所送るからね、早くこいよー」
 これだから刑事はダメなんだよ。
「何回も見たけど、初めて触った。結構重いのね」
 ふと見ると、聡子が警察手帳を持っていた。
「あっ、ダメダメ、それ、ダメだから」
「ソファに落ちてたの」
 やばい、またなくすとこだった。
「あんまり、制服似合ってないね」
「よ、余計なお世話だ」
 それは昔から言われてんだよなあ。普通、こういう制服って、誰でもかっこよくなるんじゃないのか? それもあって、私服の刑事に早くなりたかったんだよ。
「ごめん、事件だわ、行かねえと」
「うん、気をつけてね」
「俺、こういう感じなんだよ……悪いな」
 うん、と笑って、今度は、玄関まで見送ってくれる。
「ねえ、一真って呼んでいい?」
「す、好きに呼べよ」
 なんて、女に名前で呼ばれるなんて、何年ぶりだ!
「いってらっしゃい、一真」
 そう言って、聡子はほっぺたにチューを……うわ、なんだ、いってらっしゃいのチューはこんなにいいもんなのか!
「も、もう一回……」
「もう、何言ってるの! じゃあ、特別にオマケね」
 ああ、幸せ……やる気出てきた、よし、すぐに検挙だ。
「いってくるよ、さ、さ、さ……聡子」
 ぎこちない俺に聡子はケラケラと笑って、手を振ってくれた。
 さてと、住所はと。と、待て。俺……車なかったんだ!
「ああ、御堂か……」
「早く来いよ、中ちゃんがキレる前にさあ」
「わかってるよ、あのさ……俺、アシなくて……」
「あっ、そうだった! ごめんごめん、うっかりしてたわ!」
 はあ、かっこつかねえな。とはいえ、ここでウロウロしてるのもなあ。なんかチラチラ見られてるし、仕方ない、もっかい入れてもらうか……
 インターホンを鳴らすと、聡子が不思議そうな声で出てきた。
「どうしたの、忘れ物?」
「いや……たぶん、俺が忘れ物……」
 こんな俺だけど、聡子、末長く面倒見てくれ。
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