Dusty Eyes

葉月零

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エピローグ

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 私たちが一緒に暮らし始めて、一年が過ぎようとしていた。私は仕事を辞めて、家事をして、彼の帰りを待つ毎日。忙しいみたいで、あまり家にはいてくれない。寂しい時もあるけど、家にいるときはいつも優しくて、まるで、昔の恋人との生活みたいに、幸せを感じてる。
 その日は梅雨の終わりで、強い雨が降っていた。雨に濡れた彼が帰ってきて、玄関でタオルを渡す。
「蒸し暑いなあ」
「先にお風呂はいる?」
「そうだな……一緒にはいろうか」
 一緒にお風呂に入って、一緒にご飯を食べて、少し、晩酌して。ベッドルームの窓ガラスには、強い雨が打ちつけて、少し怖いくらい。まるで、あの夜みたい。あの人が消えてしまった、あの雨の夜。
「すごい雨ね。なんだか怖い」
 あなたも、消えないよね? 怖くなった私は胸の中に潜り込む。でも彼は、優しく抱きしめてくれる。
「梅雨の終わりはこんなもんさ、大丈夫だよ」
 優しいキスをして、彼の体に包まれて、うとうとし始めた時、電話が鳴った。誰だろう、こんな時間に……番号は、大阪? なんだか嫌な予感がする。
「誰から?」
「わかんない、知らない番号……」
「俺が出ようか」
「うん、お願い」
「はい……ええ、辰巳です。聡子の夫ですが……えっ? そうですか……本人に伝えます……わかりました。この番号でいいですか? ……また連絡します」
 彼は少しため息をついて、電話をきった。
「なに? 誰から?」
「聡子、落ち着いて聞いてくれ」
「なんなの?」
「今の電話は、大阪の警察からだ」
 警察? 警察からなんで電話なんて……
「お母さんが、亡くなったらしい」
「そう……」
「徘徊しているところを、車にはねられたそうだ。身元の確認にきて欲しいって」
「行かないわ」
「聡子……俺も行くから」
「行ってもわからない。最後にあの人を見たのは18の時よ、それから一度も会ってない。今更見たって、わかんないわよ」
 そうよ、あんな母親……あの時、あの事件が結審した時、冷たく見放したあの目、今でも忘れない。クスリに狂って、子供を殴って……
「許せないか」
「知らない人よ」
 母親の訃報は、まるで他人の訃報だった。ただ、死んだということを知っただけで、何の感情もない。
「死んだとなると、いろいろ手続きもある。確認はできないと言っておくけど、大阪には一度いかないといけないな」
 彼は淡々とそう言った。こんな私を責める様子もなく、淡々と。こんなふうに、なにもかも許してくれるから、私、またあなたに甘えてしまう。
「一緒に行くから、なにも心配しなくていい」
「忙しいでしょ、ひとりでいくわ」
 なんて強がってみても、全部、わかってくれるんだから。
「有給がたまってる。こんな時くらいじゃないと、使えないからな」
 優しく笑って、髪を撫でてくれた。窓の外で、雷が鳴り始めたから、そのせいにする。
「怖いの」
「雷だなあ……ひどい雨だ。呼び出しがあるとマジで嫌だ」
 彼は笑って、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「俺たちはふたりだからな、大丈夫だ」

 大阪へ行く日、小雨の中、私たちは、東京駅へ。この八重洲口で、雅子を待ってた。つい昨日のことのような気もするし、遙か昔のことのような気もする。ただひとつ、確かなことは、もう雅子はいないってこと。
 新幹線の中は冷房が効いて、少し肌寒い。私は彼に体を寄せて、ずっと震えていた。
「寒くないか?」
 彼はジャケットをかけてくれた。いつもの彼のにおいと、タバコのにおいがして、彼に抱きしめられてるみたい。ずっと手を握ってくれてるけど、私は落ち着かない。
「気分悪い? 顔色がよくないな」
「うん……ちょっと、トイレ行ってくるね」
 洗面台で手を洗って、鏡を覗く。
「いや……」
 見えないはずの左目に、雅子がいる。夢、いつもの夢と同じ……顔を上げた雅子の顔は潰れていて、血塗れの男の顔に変わる。
「金返せ……」
 男の血塗れの手が伸びてきて、私の肩に……
「やめて! 離して!」
 振り払った手は、車掌さんの手だった。鏡の中には、制服の車掌さんがいる。
「お客様、大丈夫ですか、何かありましたか?」
 自動ドアが開いて、一真の姿が見えた。
「大丈夫か、しっかりしろ」
 ガタガタと体が震えて、涙が止まらない。
「お騒がせしました、申し訳ありません」
 一真に抱きかかえられて、シートへ戻る。近くの席の人がちらちら見て、何か言ってる気がする。
「恥ずかしい……」
「気にしなくていい、着くまで少し休もうか」
 もういや、帰りたい……やっぱりくるんじゃなかった……

 大阪に着くと、雨は止んでいた。生活保護を受けていた母親は、もう遺骨もなくなった。役所の手続きも、ほとんど彼がしてくれて、私はずっとぼんやりしていて、時々、言われるがまま、署名をするだけ。
 最後に入っていたというケアホームに寄ると、デパートの紙袋ひとつ、遺品だと渡された。中には着古したパジャマと、下着、食器と、写真が何枚か入っていた。
「来てくれはって、よかったです」
 担当のヘルパーさんは笑顔でそう言ったけど、私は早く帰りたくて、俯いたまま。
「ここでは、どんな生活を?」
 気を使ったのか、彼がそう言うと、ヘルパーさんは少しほっとしたように、写真を出した。
「認知が進んではったから、ここに来られた時は、ほとんどわかってはれへんかったかなあ。それでも、時々ね、娘さんのお名前、呼んではりました」
「私の?」
「ええ、聡子、聡子って。ほらこの人形抱いてる人、これが野江さんです」
 指差した写真の人は、私の知っている母親ではなくなっていた。派手な化粧に趣味の悪い服の女はどこにもいなくて、車椅子に座って、窶れた老婆は、髪も薄くて、でも、穏やかに笑っている。
「この人形をね、聡子や、ゆうて、可愛がってました。そやけど、その人形をね、散歩に行った時に失くしたみたいで……それを探しにいつのまにか出たみたいなんです。ほんまに、申し訳ありませんでした」
 そんな話を聞かされたところで、何も変わらない。この人は私を捨てて、私もこの人を捨てた。お互い捨てた者同士、今更何を思えばいいの。
「よかったら、こちらお持ちになられますか」
「いらないわ」
「……そしたら、お写真だけでも……」
「いらんゆうてるやろ!」
 思わず声を荒げてしまって、その場には居辛くて、席を立った。
「すみません、写真も処分していただけますか。長い間、お世話になりまして、ありがとうございました」
 見たこともない母親と、こんな私のために頭を下げてる一真を見て、本当に自分が情けないと思う。

 外に出ると、薄日が差して、蒸し暑くなっていた。レンタカーのエンジンをかけて、彼はなにもなかったように、何か食べようと言ってくれた。
「この辺はファミレスくらいしかないの」
「ファミレスか、たまにはいいな」
 昼下がりのファミレスには、子連れの若いお母さんとか、学生さんがいっぱいいて、ざわざわしてる。
「さっき、ごめんなさい……ダメね、私……」
 彼はとんかつ定食とピザを頬張りながら、うん、と頷いた。
「おまえさ、子供が欲しかったんだろ?」
「なに、急に」
「桐山がそう言ってた」
「もう、昔の話よ」
「いいのか?」
 彼は隣のテーブルで、パスタをこぼしながら食べてる小さな男の子を見ながら言った。
「子供欲しいなら、がんばるよ、俺」
「そんなこと考えてたんだ」
「もう年だけどなあ、まだギリ、いけるだろ」
「一真は? 子供欲しい?」
「俺か? まあ、いたらいたで可愛いだろうなって思うけど、ほら、俺は親の顔も知らねえからさ。自分が親になるってのは、よくわかんないんだよ」
「じゃあ、ネコ飼おうよ。あのマンション、ペットOKだし」
「ネコ? まあ、いいけど」
「子供、うめないのよ、もう。あの火事でね、ダメになったみたい」
「そうか、じゃ、ネコだな。飼えない数はダメだからな」
 そう言って、彼はチョコレートパフェを注文した。よく食べるわね、ほんと。
「優しいのね」
「今頃気づいたのか?」
 冗談ぽく笑って、タバコを吸いに行った。
 周りを見渡すと、子供たちが楽しそうに笑ってる。もしかしたら、私もあんな風に、ママになってたのかな。龍二がパパで……ファミレスで、ああやって……
「お待たせ」
 龍二? 龍二、戻ってきてくれたの?
「どうしたんだよ」
 あ……目の前にいるのは、龍二じゃなくて……
「ううん、なんでもない」
 いけない、私ったら……時々、一真が龍二に見える時がある。なんでだろう、あの人のことなんて、もう忘れてるのに。
「聡子、疲れてるか?」
「大丈夫よ」
「行きたいとこあるんだよ、いいかな」
「うん、いいけど、どこ?」
「おまえのお父さんに挨拶」
「お父さん? もしかして、城田さんのこと?」
「さっき電話したら、署にいるみたいだから」
 城田さんに会うのも何年ぶりだろう。あの火事以来ね。電話は時々くれるけど……なんか緊張する。

 久しぶりに会った城田さんは、あんまり変わってなくて、相変わらず、おっちゃんだった。
「聡子、久しぶりやなあ、元気やったか?」
「うん、この通りや」
 ついつい大阪弁が出ちゃうけど、まあ、いいよね。
「城田さん、ご挨拶が遅くなりまして、申し訳ありませんでした」
「いや、そんな堅苦しいことやめてくれ。俺もふたりの顔見に行きたいと思いながらな、なかなか忙しいて、悪かったなあ。来るてわかってたら、祝いくらい用意しとったんやけどな」
「お気持ちだけで充分です」
「そやけど、似合いのふたりや。聡子、おまえ、ちゃんとできてんのか?」
「ちゃんとって何よ」
「メシやら掃除やら、辰巳くんの身の回りや。刑事っていうのはな、現場で心身共にすり減らしてるんや、それをしっかり癒して、また仕事いけるようにするんがおまえの役目や」
「してる……してるよね?」
「充分、してもらってます」
「ほら! 私かて、やったらできるんやから!」
「それやったらええけど、わがままゆうてへんやろな。しょうもないことで辰巳くんの足引っ張らんようにな、ほら、またそんな顔して、いつまでも子供やなあ、ほんまに」
「うるさいわ! なんなん、久しぶりにおうたのに、すぐ説教やん!」
 つい昔みたいに言い合いしてると、彼が横で笑い出した。
「いや、ごめん。ほんとに親子みたいだからさ」
「こんな口うるさいオトンいらんわ」
「何を言うねん、こっちこんな出来の悪い娘は願い下げや」
 なんて3人で笑って、不思議……なんだか、本当に家族になったみたい。
「すみません、ちょっと電話が……失礼します」
 彼は電話をしながら、廊下に出て行った。
「しかし、似とるな。龍二によう似とる」
「ちょっと、そんなこと、聞こえるやん」
「おまえ、ああいうのがタイプなんやなあ」
「似てないよ、全然。龍二は龍二やし、一真は一真やもん」
 そうかそうかって、城田さんは笑った。
「……龍二に会ったん」
「あの事件のことでな、久しぶりに連絡してきよった。えらい血相変えてなあ、どうにかしたってくれって」
「そう……」
「もう忘れなあかんで。辰巳くんの方が絶対ええ。龍二はな、中身は変わってへんけど……別世界の人間や」
「警察官やで。昔ゆうてたやん、ヤクザと警察官はやめとけって」
「俺と辰巳くんは例外や。なあ聡子、おまえ、辰巳くんに龍二を見とるやろ、そういうのはな、男はわかるもんや。辰巳くんだけを見るんや、龍二はもうおらん。龍二の代わりやないんやからな」
「そんなこと……わかってるよ」
「わかってない。ええな、龍二のことは、忘れるんや」
 わかってる、そんなこと。でも……どうして?
「時々、龍二に見える時があるねん」
「おまえの気持ちの問題や」
「どうしたらいいの? 私……龍二のこと……忘れたつもりやのに……」
「逃げへんことや。おまえは過去から逃げてる、ちゃんと向き合うんや」
 向き合う……過去と……
「失礼しました」
 彼が戻ってきて、ソファに座った。
「お仕事?」
「いや、事務連絡。それより城田さん、今晩、食事でもいかがですか」
「すまんなあ、行きたいんやけどな、夜勤なんや」
「そうですか、残念です。では、また東京にいらしたときは是非」
 城田さんは、警察署の玄関まで見送ってくれて、別れ際、真面目な顔で言った。
「辰巳くん、聡子のこと、よろしくな。ちょっと気の強いとこもあるけど……可愛い子やから……宜しく頼みます」
 鼻声で頭を下げてる。なによ、そんなことされたら……
「大切にします、絶対、幸せにします、約束します」
 2人はがっちり握手をして、城田さんは私に向き直った。
「聡子、よかったな、やっと、やっと幸せになれるな……ええ人にもうてもうたな……」
「そんなん……城田さん……私、幸せになるから……ほんまに、ありがとうございました……」
「なんや、おまえもそんなこと言えるようになったか」
 そう言って、あの日みたいに、刑務所の門を出たあの時みたいに、優しく抱きしめてくれた。
「幸せにしてもらうんやで」
「うん、幸せにしてもらう」
 幸せ……私、幸せになるために、まだやらないといけないことがある。

 翌日、私たちは大阪の街へ。昔、雅子と遊んだお店はもうひとつもなくなっていた。すっかり街並みは変わっていて、時の流れを感じる。龍二と暮らしたアパートは、きれいなマンションに変わっていた。勤め先の運送会社は、何年か前に潰れたらしい。そして、あの母親と暮らしたアパートは、駐車場に変わっていて、もうなにもかも、この世からなくなってしまった。
 都会の雑踏の中、ふと、ショウウィンドウに写る自分を見た。立ち止まった私に、彼が聞いた。
「なに、欲しいのか?」
「ううん……ねえ、見て」
 彼は私の視線の先を見て、なに? って不思議そうな顔をした。
 ガラスに写る私は、すっかり年をとっている。派手に着飾った子供の私も、何もかも忘れた地味な私も、そこにはいない。東京に馴染んだ私と、隣にはあれからお洒落になった彼。側から見たら、きっと私たちは……
「お似合い?」
「俺たちか? そうだな、なかなかいいんじゃないか?」
 隣にいるのは、雅子でもなくて、龍二でもなくて、一真、あなたなの。
「いなくならないよね?」
 彼は何か悟ったみたいに、ふと、微笑んだ。
「ずっと一緒だって言っただろう」

 車に戻ると、他に行きたいところはあるかと聞いてくれた。
 行きたいところ、ううん、行かなきゃいけないところがある。ずっと時が止まったままの、あの場所へ。
 あの工場の跡地は、産廃処理場になっていた。大きなゲートには、ひっきりなしに、大きなトラックが出入りする。
「ここは?」
「……私が、人を殺した場所」
 目を閉じると、何も聞こえなくなって、あたりは真っ暗になった。あのブロックの音が響いて、男の顔が……
「聡子、大丈夫か」
 荒く呼吸をする私に、彼は心配そうに手を握ってくれた。
「うん、大丈夫」
 そのまま、手を繋いで、あの道を歩く。
「あの交番にね、自首したの」
 交番は昔のままで、中には誰もいなかった。
「あの交番で、よく城田さんに怒られたの」
「俺も、交番には世話になった」
「え? どういうこと?」
「俺も荒れてたんだよ、ガキの頃は、おまえとあんまり変わらない生活だったかも」
 そうだったんだ、知らなかった。
「どうして警察官になったの?」
「少年院か警察学校か選べって言われてさ、いつのまにかオマワリになってた」
「そうなんだ」
「そうだよ、だから、俺に負い目なんか感じることない。そろそろ行こうか、新幹線の時間もあるしな」

 夕方になって、道路は渋滞してる。沈んでいく夕陽に、彼が眩しそうに、サングラスをかけた。
「混んでるなあ、間に合うかな」
 窓の外を見ると、誰もこちらを見ていない、当たりまえだけど、声だって、外には聞こえない。
「一真、私ね……」
 彼になら、彼にだけなら……ずっと誰にも言わなかったこと、絶対に、守らなきゃいけなかったこと。でも、彼にだけは、嘘をつくことができない気がする。彼にだけは、本当のことを……
「どうかしたか」
「私ね……殺してないの」
 彼は横顔のまま、そうか、と一言だけ。
「ごめんなさい、嘘、ついてたの」
「裁判で、罪は消せる」
「いいの、そんなこと、どうでもいい。殺してないだけで、あれは私の罪だから」
 彼は優しく、手を握ってくれる。
「もう、許してやれ」
「なにを?」
「おまえを。そうじゃないと、友達もつらいままだ」
 この香り……この甘い香りは……雅子の香水の香り?
「さとちゃん」
 今、雅子の声が……
「雅子? 雅子、どこにいてんの?」
「ここにいてるよ、私、いっつもさとちゃんの側にいてる」
 突然、周りが真っ白になって、道路の喧騒も聞こえなくなった。

「雅子、ごめん、私……私だけ、幸せになってしまって……」
「ふふ、なにゆうてんの。なあ、旦那さん、めっちゃかっこいいやん、ええなあ……そやけどな、さとちゃん、私もな、幸せやってんで。梅木はなんでもしてくれて、私、幸せやったのになあ」
「雅子、社長とうまくいってないって……」
「なんやろ、恥ずかしかったんかな。あの人、普通のおっちゃんやし。さとちゃんにはな……見栄はってたんかな」
「ほんまに、雅子、あんた、ほんまに幸せやったん? 東京で幸せにやってたん?」
「そうやで、さとちゃんがあの時、庇ってくれたからな、私……でも、やっぱり寂しかった。何回も会いに行こうとしてん。手紙も書いてんけど、でも、もしかしたら、さとちゃん、私のこと嫌いになったんちゃうかって、怖くて……周りの大人に監視されて、ドラッグに手出したんは、そのせいや。さとちゃんのせいなんかやない。そやけど、また東京に来てくれて、一緒におれるようなって、なによりな、あの火事のとき、必死で私のこと助けてくれたん、ほんまに……嬉しかった。それやのにな、私、なんか素直になれへんくて……さとちゃん、辛く当たってほんまにごめんなさい。さとちゃんが優しくしてくれればしてくれるほど、私、自分が嫌になって……」
「そんなこといいねん。私、雅子に助けてもらったから……雅子、私、あんたが幸せやったってゆうてくれるなら、それでな、それでいいねん。あの時、そないゆうたやん、私の分まで幸せになってなって」
「そやったなあ……なあ、さとちゃん、ずっと友達でおってくれる?」
「あたりまえやん、私ら、ずっと友達やん」
「よかった。なあ、こっちきたら、またあそぼな。クラブ行ったり、タバコ吸うたり、な、思いっきりあそぼな。こっちにきたらな、自分の好きな歳に戻れるんやで。私、さとちゃんとアホやってる時が一番たのしかってん」
 私も……私も、あの頃が一番……バカみたいに、今だけを楽しんでたあの頃……
「雅子、私も雅子のとこいく、どうしたらいけるん? 教えて、雅子」
「まだあかんよ、もうちょっとな、さとちゃん、その人と、幸せに暮らさな、こっちには来させへんで。それまでな、ちょっとだけ、バイバイな」

 遠くでクラクションが聞こえて、全部、元に戻っていた。
「友達は、取調べで、自供してたそうだ」
 そう、雅子、ダメじゃない、言わないって約束したのにね。なんだか急に、涙が出てきて、でも、なんだろう、とってもあったかい。心がすーっと軽くなって、ねえ、雅子、甘えちゃうね。もうちょっとだけ、この人と、一緒にいさせてね。
「雅子は、友達なの、ずっと、友達なの」
「そうだな、友達だな。いい友達だ」

 東京への新幹線、私たちは駅でお弁当を買って、ふたりでビールを開けて。
「今度は旅行で行きたいなあ」
「もっと違うとこ行こうよ、北海道とか、沖縄とか」
 そうだな、と彼は笑った。いつになることやら。
「ゴミ、捨ててくるね」
 デッキでゴミを捨てて、手を洗いに、洗面台へ。ふと鏡を見ると、そこには……私がいるだけ。
 なんとなく、髪をまとめてみる。左目、目立つかな? でも、これが私だから。
 シートに戻ると、一真が驚いた目で見てる。
「髪、どう?」
「ああ、いい、似合ってるよ」
 こうやって外で左目を出すのは初めてなのよね。なんか、スッキリしたかも。
 窓の外はすっかり暗くなって、ビールのせいか、ちょっとうとうと。気がつくと、彼も私にもたれて、ちょっといびきかいてる。軽く鼻を摘むと、少し目を覚まして、抱き寄せてくれた。
 彼の腕に抱かれると、いつものタバコのにおいと、ちょっとだけ、オヤジ臭。お洒落にはなったけど、やっぱりおっさんね、でもね、私、ほんとはね、お洒落になる前のあなたの方が、好きだったりして。
「一真」
「うん?」
「大好き」
「俺もだ」
 汗ばんだ首筋に、軽くキスをして、私も、目を閉じた。

 もう、あの夢は見ない。

(完)
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