ダメ忍者に恋なんてしない

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 まるで金属同士がぶつかり合うかの様な甲高い音と共に、侍と鼓は切り結ぶ。鼓のマフラーは布であるはずだが、鉄にも負けない硬度を誇っていた。一撃ぶつかる度、侍の刀は刃こぼれを起こす。日本刀は切れ味こそ凄まじいが繊細だ。鉄板の様なものに何度も打ち付ければボロボロになるのも必然。
「く……この雑魚、こんな力が……!」
 侍が知る鼓はここまで強くなかったらしい。が、今の彼は現代の優れた栄養管理と医学のおかげで回復し絶好調。兵糧丸などというよく分からないもので空腹を誤魔化し、まともに眠れもしなかった頃とは大違いだ。
「このままでは……」
 武器はボロボロ、敵は思ったより手ごわいと侍には不利な状況であった。だが、気合を入れて一歩進み、一撃をマフラーに加える。
「あ……」
「ふっ……」
 さすがにマフラーは耐えきれず、すっぱりと切れてしまう。これで正真正銘、鼓は丸腰。元々優秀ではない忍者、ここまで苦戦したのが単なる間違いなのだと侍は刀を振り上げる。
「勝った! 死ねい!」
「これで!」
 だが、鼓は両腕を突き出すと、その間の空間で刀を受け止めた。間には黒い糸のあやとりが広がっており、それで防いだのだと思われる。
「馬鹿な!」
「教頭先生、という方の言う通りだ……。この糸、拙の技と相性がいい!」
 どうやら教頭先生が一枚噛んでいた様だ。鼓の忍術は糸や布に何らかのエネルギーを流して硬化するもの。そのエネルギーを効率よく伝播し発現する素材に替えたことで、本来のポテンシャルが発揮できるようになったのだ。マフラーは愛着か間に合わなかったのかいつものものだったが、糸は素材を変えている。
「教頭先生が?」
「はい。なんでも『弘法大師が名人たるのは、筆選びから名人ゆえ』とのことで……」
 弘法は筆を選ばず、ということわざがあるのだが、実際には筆を選んでいたという話は有名だ。だが、書道に適した筆を選定し、ケアを行うところも彼を書の名人たらしめた部分である。あの教頭先生は入院中の鼓にコンタクトを取り、アドバイスをしていったらしい。
「馬鹿な……名人であればどのようなものでも一定の成果を産むもの……。道具に頼るのは未熟の証!」
 侍は怒り心頭で反論する。だがそんな古臭い考えは今時子供のひなかさえ看破出来る。
「負け惜しみを! その未熟者にあんたは負けるのよ! 無様にね!」
「減らず口を……」
 口論の際も鼓は攻撃の手を休めない。糸を鞭の様にしならせ、侍を刀のリーチ外から攻撃していく。
「この俺が負ける……? こんな出来損ないの忍者ごときに誇り高き武人が……?」
 侍は徐々に追い詰められていった。鞭は彼の時代に扱う人間がいないばかりか、ここまで長く、そして不可視なものは存在しない。対応が出来ないのだ。
「女! こいつはお前を利用する為だけに近づいていたんだぞ! 忠誠心など、欠片もない!」
 そこで精神を揺さぶる方向へ作戦を切り替える。事実を突き付けられ、鼓の攻撃は精細を欠く。糸が見えるほど速度が落ちた。
「しまっ……」
「ははは、図星かこの蝙蝠め!」
 ひなかは初めから『先祖が仕えていたので自分も仕えにきた』という突拍子もない話を信じていたわけではない。かといって、この侍が言う様に彼女を利用する気だけで鼓が接近したというのも疑問だった。
「せ、拙は……」
「最初からそんなこと知ってたよ!」
 なので、ひなかは言い切る。例えどんなつもりでも、必死に鼓がひなかの為に頑張っていたことだけは事実なのだ。
「何ぃ!」
「あんたに言われるまでもない! 私はまさか本当に忍者が先祖に仕えていたなんて思ってもないし、こいつに利害で他人を利用できるだけの計算高さが無いのも知ってんのよ!」
「忍とは薄汚いものなのだぞ! お前は騙されているのだ!」
 多分鼓をよく知らないであろう侍の発言は頼りにならない。自分の家で雇用しておいてよく薄汚いと言える。カリンの様に自慢の材料にする方がまだマシだ。
「鼓、あんたが私の忍者じゃないなんてことは分かってる。だけどお願い、みんなを守って」
「ひなか殿……」
 警察が来るまでどれだけかかるか分からない。今、刀を持つ侍に太刀打ちできるのは鼓だけだ。
「他でもない、あんたに頼むの」
「……承知」
 ひなかの願いを受け、鼓は構え直す。この先どうするかは考えていないだろうが、今この瞬間はひなかの為に戦うと決めた。
「この忍風情が……!」
「参る」
 侍は逆上して斬りかかる。しかし、鼓は距離を取って糸を振るう。
「この程度の小細工が通じると!」
 侍はもう目が慣れたのか、糸を見切って切り落とそうと刀で弾く。だが、逆に甲高い音と共に刀が折れて地面へ落ちた。
「何?」
 鼓はいつの間にか、糸の先端に石をくくり付けていた。
「そうだ、石!」
 ひなかはそこであることを思いつく。この学校のグラウンドは綺麗に片付けられているが、石が全くないわけではない。投げれば武器になる。
「石投げちゃえ!」
「く、この……」
 ひなかの強いとはいえない投石で気が散った侍は鼓の武器を見失う。その隙に胴体へ勢いよく石がめり込んだ。
「ぐほっ……」
 不審者の情報が学校に伝わったのか、ざわざわと教員たちがさすまたなどを手に集まっていた。しかし相手が折れているとはいえ凶器を手にしているので迂闊に手が出せない。
「この女がああああ!」
 侍は鼓に勝てないと薄々思ったのか、ひなかを狙って走り出す。とことん武士に似合わぬ卑怯者である。
「おま……っ! 誉れは浜で死んだのかーっ?」
 突然のターゲット変更にひなかは動揺する。まさか自分が鼓の足を引っ張ってしまうとは。
「くっ!」
 鼓は即座に侍の腕を糸で結び、拘束する。しかし武器である糸を使ったので攻撃手段を失ってしまった。刀を持っている方を縛ったが、持ち替えられてしまい意味を成さない。
「放せ餓鬼が……!」
「ぐぬぬ……」
 加えて、基礎の筋力は体格差もあり鼓が劣っている。侍によって徐々に引きずられていく一方だ。
「このこの!」
「二度も喰らうか!」
 ひなかが石を投げても避けられてしまう。投擲というのはかなり難度の高い運動であり、単純に身体能力が高くても練習しなければ速度は出ない。
「このー……不審者め!」
 教員もさすまたで距離を測るが、素人では刃物を雑に振り回されただけで入れないくなる。
「そのままです!」
「ん?」
「え?」
 状況が硬直しかかったその時、どこに行っていたのかカリンの声が聞こえた。
「カリン?」
「先生の仇ぃー!」
 カリンはテニスラケットを手にし、それを振り上げていた。まさかラケットで反撃を? とひなかは思ったが、彼女はその場でラケットを振り快音を響かせた。
「な?」
 侍には何が起きているのか分からなかったが、ひなかは狙いを悟った。次の瞬間、侍は何かに頭を撃ち抜かれて転倒する。
「ぐへぇっ!」
「な、なんですなんです?」
 鼓にも分かっていなかったが、硬式のテニスボールが侍に直撃したのだ。
「ぐはっ……」
「今だー!」
 侍が大きな隙を見せたので、教員たちも確保に走った。消火器の中身を浴びせられ、さすまたで地面に固定されそうになる侍。
「うえっぷ! 無礼な、貴様ら! そこに直れ! 切り捨て御免だ!」
 しかし妙にしぶとく、這って消火剤の煙を抜けて折れた刀を振り回し、威嚇する。
「相手は拙です!」
 鼓は他の教員に被害が出ない様に、最前線へ飛び出し斬られたマフラーで侍と切り結ぶ。
「強度が足りておらぬぞ!」
「っ……!」
 だが先ほど容易く斬られたマフラーでは防御もままならず、すぐに切断されてしまう。そして、鼓に刃が届きそうになる。
「鼓!」
 ひなかはさすがにもうダメだと感じた。遠くからでは、鼓が斬られた様に見えたのだ。しかし、侍の刀は止まったまま動かない。
「馬鹿な……!」
 なんと、服を買った時に引き取った裾上げの端切れが鼓の手にあったのだ。どうもこれは術と相性がいいらしく、マフラーの様に硬化させることで完全に刃を止めることが出来た。
「二発目ぇ!」
 混戦が止まったことでカリンの狙いが定まった。二発目のボールが侍のこめかみを殴打し、確実に意識を刈り取っていく。
「そんな……ありえぬ……」
「おおおおっ!」
 倒れていく侍に、鼓が端切れを突き立てる。刺さることは無かったが、鳩尾に一撃食らわせ、侍を完全に行動不能へと追いやった。
 侍は口から泡を吹き、気絶した。こうしてちょっとした不審者騒ぎは収束を迎えることとなった。

   @

 その後、警察によって侍は逮捕された。斬られたゴリラ先生は病院に搬送されたが、命に別状はなかった。
「今まで、ありがとうございました」
 鼓はひなかに頭を下げると、背を向けて去ろうとする。声は震えており、事情はどうあれ騙したということに罪悪感を覚えていることは伝わった。
「待って! どこ行くの?」
「どことなりでも……。拙は里に帰れませぬし、ひなか殿のところにもいられません」
 侍の話が本当なら抜け忍であり故郷には帰れない。そうでないとしても、もし本当にタイムスリップしてきたのであれば元の時代になど戻ることは出来ないだろう。
「別に、騙されたとか思ってないけど……。高度な忍者ごっこかなーくらいにしか」
「あの人の言うことは本当です。拙は……行く当てに困ってたまたま見かけたひなか殿に適当言って仕えることでなんとかしようとしたのですよ」
 たまたま、ということはどこからそのつもりだったのかひなかは気になった。
「ん? 不良から助けてくれたのも仕えるため?」
「あ……いえ、その時はそこまで考えて……」
 鼓の言葉は納得しかなかった。たしかに初めから使える気ならばあそこで高らかに名乗っていたはず。主を助けるなら丁度いいポイント稼ぎだ。それが彼は追いかけてきてから仕えようとしたのだ。
「だよね。今思ったら後から思いついて追いかけてきた流れよねあれ」
「うう……申し訳ない……」
 鼓は観念したかの様にこれまでの経緯を話す。
「拙は本来の主殿から、後を追って死ぬ様に命じられました……。ですが出来なかったのです。それで追いかけられて逃げていたら雷に打たれて……気づけばここ、見知らぬ国でした。言葉も通じず元の国に帰っても殺されるだけでしたので……」
「そりゃ帰りたくないわていうか帰れないわ」
 おそらく、その雷がタイムスリップなりワープなりの切っ掛けなのだろう。死ねと言われて実行できる人間など、ほぼいない。当然鼓はやってみてはいたが頓挫し、逃走する羽目となったのだ。その際のひと悶着で侍も一緒に飛んできたというわけか。
「で、たまたま私を見つけて頼ったのね。変な奴とは思ったけど見てて困ってるのは分かってきたから、別に追い出したりはしないけど……」
 最初は面喰らったものの、真剣に仕えてくれることや事情を抱えている様子からひなかは鼓がどうにか安心して暮らせる場所を確保したいと思っていた。なので、出ていかれる方が逆に困るのだ。
「いえ、たまたま見つけたというよりは……、その……夢がありました……」
 鼓はひなかの言葉を少し否定する。帰れないと悟って頼ろうとするまでに少し時間が掛かっただけかもしれないが、不審者情報によると彼はひなかと会う前に数人と話している。
「夢?」
「その……仕えるのなら美しくて優しいお方がいいと思っていました。ですからひなか殿に、忍が贅沢な願いだと思うのですが……」
 突然投げられた爆弾に、ひなかは顔が熱くなる。特に飾ることも遜色もなく、綺麗だから仕えた、と言われればこうもなろう。
「な、なな……」
「少しの間、夢が叶って幸せでした。見立てた通り、優しいお方で……。ですから、拙はもう行きます」
 ひなかが動揺している間に、鼓は小走りで去ってしまう。彼女は全速力で追いかけ、その手を掴む。ダメ忍者でも忍者は忍者、小走りでもかなり速いので追いつくのに一苦労だ。
「待って!」
「ひなか殿……?」
 息を荒げて引き留める彼女に鼓は動揺する。
「例え利用するためだとしても……私の為に頑張ろうとしてくれたのは本当のことじゃん!」
 先祖が仕えていたというのは嘘だ。だが、その後にひなかの忍として尽くしてくれたことには何一つ偽りがない。カルチャーショックで上手くいかないことも多いけれど、それでも真面目に家電の使い方を覚えて、少しずつ出来ることを増やしていった。命令しないと食事も睡眠も取らないほど、決められた忍の規則には従っていた。どうしようもないほど、忍であろうとしたのは事実だ。
「それは……」
「あんたとずっと一緒にはいられないかもしれないけど……もう少し、ちゃんと落ち着く先が決まるまでは私の忍者でいなさい!」
 故にひなかはしっかりと命じる。せめて彼が独り立ちできる目途が立つまでは、新しい夢が見つかるまでは、叶わぬと諦めていた夢をみせてあげたい。
「え……それは……いいんですか? 拙などが忍で……」
「あんたがいい、のよ。鼓」
 ひなかがハッキリと指名すると、鼓は大粒の涙を流しながら笑顔を見せる。
「拙が……いいんですか……。そんなこと、初めて言われました……」
 侍のあの態度を見るに、さほどいいお家ではないので雇う忍者を選べず仕方なく鼓を選んでいたのだろうか。鼓は片膝を付くと、以前ひなかに仕えると伝えた時以上に明瞭に、その旨を伝える。
「不肖、この鼓、望月ひなか殿を主として生涯お仕えいたします」
 だが、ひなかも忘れていた。結構ここは野次馬がいて、かなりの目撃者がいるということに。年下の男の子を傅かせているシーンは女子校の学生にとって刺激的過ぎる。
「ま、まって! そんな改まらなくていいから! 今まで通り、ね!」
 ひなかも膝をついてなんとか表を上げさせる。鼓も文化的な違いに気づき、ハッとしてからはにかんだ。
「あ、この国ではそうでしたね……」
 今まで見せたことのない、心を許した穏やかな笑顔。今までは騙している後ろめたさから、少し硬かった表情もすっかりほぐれた。それは鼓が女だったとしても見惚れる様な、可憐な花を思わせるものであった。
「……」
 ひなかはその顔に胸が高鳴った。思い返せば、初めて会った時から彼からは目が離せなかった。それがポンコツ故のはらはらであったのか、それとも別のものだったのかは判然としない。だが、今になって分かった。最初から真摯で、懸命な鼓の姿にひなかは焦がれていたのだ。
 勝ち目のない不良に立ち向かって助けようとしてくれ、バカ正直に極寒の中待ち続け、見ていない時くらいこっそりサボればいいものを真面目に眠らず食わず耐え忍ぶ、そんな鼓の必死さがひなかの心をいつしか揺さぶっていた。
(いやいや……この子がダメ忍者だからヒヤヒヤしてるだけで……吊り橋効果! 吊り橋効果だから!)
 それでも、彼女は認めない。ダメ忍者に恋なんてしないのだと。
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