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第二章
◆チャプター15
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「行けるわね」
手薄となったケセン・ヌ・マの市街南西部上空から鮫林寺への接近に成功したスカイレディは、フルフェイスヘルメットの中で口元を緩める。
「こちらにも動きはありません」
彼女の百メートル下では、背中に四枚羽を備えた濃緑基調のスーツに身を包む飛行能力持ち同様に、ソフィアの命を狙うレジスタンスの精鋭が魚雷艇に乗って川を進んでいた。
「所詮国のために戦ったことのない連中。少し探せば、私達はそこにいるのよ?」
フランス人スペクターは自信を込めてそう呟くも、水底では既に反撃の狼煙が上げられていた。
体内に二本走る側線によって水上の敵勢力を察知したサメ人間――今はまだ、四億年前に起源を持つホホジロザメの姿を保っている――が行動を開始する。
悠然と偵察浮上した怪物は澱んだ水面から青白ツートンの頭を出すと、即座にタペータムと呼ばれる特殊な反射膜を備えた瞳に魚雷艇を捉え、再潜航するなり二本の背筋をピストン宜しく使って小型船舶に接近していく。
「ん?」
ナチ嫌いのイギリス人が激しく揺れる薄汚い甲板上で異変に気付いた。
「あれは……?」
ステン短機関銃をスリングで肩に掛けた彼は、暗い水面を移動する『何か』を凝視する。
それは二等辺三角形の背ビレだった。
サメだ!
あ れ は サ メ だ !
サ メ が い る の だ !
「サ……ッ」
直後、瞬時に魚雷艇との距離を詰めたサメ人間は大口開けて水面から飛び出し、立ち上がって叫ぼうとした元英軍兵士を水中に叩き込む。
「助けて! 助け……っ!」
着水の衝撃で右腕が千切れたことにより彼は解放されたが、船上からの銃撃を回避しつつ一旦距離を取った執念深い怪物は獲物を逃すつもりはなかった。
サメ人間は顔の内側に存在し、心臓の鼓動や筋肉の動きが産み出す微弱電気を探知して相手との距離を測るロレンチーニ器官を使い兵士の位置を特定すると、周囲の水を赤く染め上げる男に別方向から再度突撃した。
「プランB!」
「了解!」
仲間が完全に捕食される様子を空から視認したスカイレディが指示を与えると、魚雷艇は事前に準備していたマグロの血液を撒き散らしつつ手近な陸地に進路を取る。
所謂『狂乱索餌』を起こした海棲獣は我を忘れ、歯に引っ掛かっていた右足を振り捨てて米国製のPTボートを猛追した。
「今だ!」
肉薄される寸前のタイミングで船長が舵を切ると、改造人間の到達点的存在は勢い余って岸に打ち上がってしまう。
そっちはこのまま鮫林寺に強行突入するよう魚雷艇に伝えたスカイレディは、舞い上げられた土煙に対して右手に携えたリボルバー式グレネードランチャーの全火力を解き放つ。
しかし撃ち出された四十ミリ擲弾の数々は革鞭のように振るわれたラブカ頭の触手四本によって尽く薙ぎ払われた。
そして数秒で歩行能力、シュモクザメ頭の右手、ミツクリザメ頭の左手を持つ最終形態に自己進化を遂げたサメ人間は、直立するなり袋をひっくり返す要領で胃を外に出し、先の兵士の頭蓋骨を含む未消化物を吐き捨てた上で、空になったそれを体内に戻してから迎撃行動に入る。
妖光漏らしてホホジロザメ頭を展開した怪物は中に隠していたウバザメ頭から体内の暗黒怨念寄生虫をスカイレディ目掛けて撃ち上げた。
「――ッ!」
ビーム兵器宜しく夜空を切り裂いた蠢く蟲々を回避したスペクターは急降下、ミツクリザメ頭の長く鋭い吻による一閃も空振りに終わらせて懐に飛び込むと、全体重を乗せたローリングソバットを敵に浴びせる。
肉同士が激突する大音響が生臭い空気を震わせた。
「止……ッ!」
スカイレディは渾身の一撃が右の丁字形撞木で受け止められたことに気付き、慌てて重火器を高速で連射しつつ一旦急速後退――ある程度離れてから超低空で再度突進した。
そしてハンマーヘッドを盾代わりに使い殺到する鉄撃を弾くサメ人間の頭上を飛び越えた少女はその背中側に着地するなり、
「そらっ!」
流れの中で安全ピンを抜き終えた手榴弾を振り向きながら放り投げる。
向き直る前の爆発でラブカ触手が全て引き千切られ、続く回転式擲弾発射器の一撃によって付け根から抉り飛ばされた化け物の右腕部が宙を舞う。
苦悶の咆哮を上げた大怪物はそれでも左手のブレードを振り上げて突進するが、四歩進んだ所フランス人スペクターが続けて放り投げた小型酸素ボンベを口内に叩き込まれてしまう。
「くたばれ」
スカイレディが白い夜光性塗料で一部染められているアイアンサイトの狙いを青い筒に合わせてトリガーを引くや否や爆発が起き、木っ端微塵になった魚片が赤黒い血に乗せられて天を汚す。
だが彼女に勝利の余韻に浸る時間は与えられなかった。
〇・五秒後、背中側で着地音が鳴り響いたからである。
「こい……つは……?」
右膝を折って身を屈め、開いた掌を土上に広げながらこちらに顔を向けている新たな敵は、たった今自分が撃破したサメ人間をよりヒトに近付けたフォルムを有していた。
「レッツビギンでございますん!」
鮫林寺内の司令室で熱い鼻血を迸らせるイルザが叫ぶと、創造者の命を受けたプロトサメ人間は状況が呑み込めないでいる敵対者に対し、まずは挨拶代わりの飛翔横一閃を浴びせる。
右肘から伸びるヒレを使った鋭撃は急速後退によって回避されたが、量産型の三対七と違い人間・サメの遺伝子比率が真逆となっている存在は即距離を縮め、相手の得物から閃光が瞬いた瞬間に左方向へ跳躍した。
武装親衛隊の黒い軍服姿、左上腕部にハーケンクロイツなしの赤い腕章を巻くプロトサメ人間は再着〇・一秒後に土抉って対応間に合わぬフランス人の左側に降着――まだ右を向いている相手に今度は左ヒレの一撃を見舞う。
これも間一髪の所で避けられると、黄色の双眸を有する試作個体はすぐ近くの防波堤を重力に逆らって駆け登り、ある程度の位置に到達すると全力跳躍を経てスカイレディの背後に着地する。
そして仏蘭西娘の右拳がプロトサメ人間の左手に、プロトサメ人間の右ヒレがスペクターの重火器にそれぞれ受け止められた。
「無茶苦茶な逆恨みなのは百も承知してた」
異形同士が腕四つで組み合う様子を鮫林寺内の高層ビル最上階にある自室からモニター越しに視聴していたソフィアは、特段誰に言う訳でもなく呟く。
西側のスペクターがマスコット的な存在であるのに対し、東側のスペクターは大戦の初期から躊躇なく最前線に投入され、今日に至るまでの戦いでその大半が戦死している。
そして、その多くはソフィアと親しい間柄にあった者達だった。
「でもあの頃の私は、誰かに責任転嫁しないと正気ではいられなかった」
超人的な精神力以外は何一つ持ち合わせていないスペクターは引き出しから、今机に置いているそれとは違い、自分の顔だけが乱暴に削り取られた旧友達との記念写真を取り出す。
アイアンランド時代の彼女が何よりも渇望していたのは、自分の至らなさ故に死なせてしまった者達との楽しく過ごす日々だけだったのだ。
しかし残忍な絶滅戦争の中心人物は、それが絶対に実現不可能であることも重々承知していた。
「人生における最大の悲劇は二つあるの。一つは、欲しいものが手に入ること。もう一つは、欲しいものが手に入らないこと」
だからこそソフィアは強過ぎる罪悪感と深過ぎる後悔によって発狂寸前にまで追い込まれたのだ。
『戦時国債の販促ばかりしている西側のスペクターズが最前線で戦ってくれれば、自分はこんな苦しみを味わうことはなかった』
『だったら、制裁として彼女達に自分と同じ苦しみを与えてやる』
『自分には正当な資格があり、連中には裁かれるだけの十分な理由があるのだ』
殆ど正気を失いかけていたソフィアはそう思うことによって境界線ギリギリに辛うじて踏み止まった。
「悪いことをしたとは思うけど、別に謝るつもりもない」
ハウニブから中継される映像内では、前蹴りで距離を取ったプロトサメ人間の左ストレートがスカイレディの右手で受け止められている。
「だって私は、彼女達ではなく自分の人生を生きてるんですもの」
猪口才なとばかりに左手を引き抜いたプロトサメ人間は縦方向の回転で強烈な右踵落としを見舞うが、直撃即死亡の蹴撃はグレネードランチャーを代償にした防御によって防がれた。
「それに」
ソフィアはモニターから掌の記念写真に視線を落とす。
「自分の目的を達成するために価値のない他人を踏み台に使うのは」
やがて伍長にも鋼鉄の人にも知られずに第三帝国の天才科学者であるイルザを囲い込んだアイアンランド王は、それまでの傭兵派遣業で報酬として得た対価を湯水のように注ぎ込んで彼女にサメの改造人間を開発させるに至る。
「非道徳であっても非合理じゃないのよ」
そしてV2ロケット内に格納したサメ人間を米本土と英本土の計五十六箇所に撃ち込む当初の計画は、東欧に位置する武装要塞国家のナチスとの合流によって更に大規模かつ恐るべきものとなり、『鮫の日』として、あの陰惨な大戦の終結に決定的な役割を果たした。
とは言え実際の所、当時のソフィアにとっては『恐るべき蛮行を防げなかった西側のスペクターが死ぬまで消えぬであろう無力感を味わい、自分と同じように何をやっても心の空白を埋められない苦痛を植え付けられる』という初期目標の達成以外は内心どうでも良かったのではあるが。
「悪いけど、貴方の言葉はここまで届かない」
浮遊するUFO型VTOL機に気付いたスカイレディが顔上げて何か叫んだが、その向こう側にいる亡霊王は黙って足を組み、頬杖をついたままモニター越しに冷ややかな視線をただ返す。
「貴方が口にする向こう側が透けて見えるような言葉は、幾百の地獄を味わい、幾千の絶望を経験した私には何一つ届かない」
本末転倒にも空に気を取られたスカイレディとプロトサメ人間が交錯して背で向かい合った直後、両方の腕を付け根から切り離されたスペクターの胴体部から一拍遅れて滝めいた鮮血が溢れ出す。
「この話はこれから終わるんじゃないの」
温度なきロシア語を響かせたソフィアはスカイレディが血池に倒れ込む映像を確認してからモニターを切ると、静かに立ち上がって執務室の窓から覗く夜景の西側だけをカーテンで覆う。
「この話はもう、全て終わっているのよ」
そして再び腰掛けた革椅子に背を預けて目を閉じ、大きく息を吐いた。
手薄となったケセン・ヌ・マの市街南西部上空から鮫林寺への接近に成功したスカイレディは、フルフェイスヘルメットの中で口元を緩める。
「こちらにも動きはありません」
彼女の百メートル下では、背中に四枚羽を備えた濃緑基調のスーツに身を包む飛行能力持ち同様に、ソフィアの命を狙うレジスタンスの精鋭が魚雷艇に乗って川を進んでいた。
「所詮国のために戦ったことのない連中。少し探せば、私達はそこにいるのよ?」
フランス人スペクターは自信を込めてそう呟くも、水底では既に反撃の狼煙が上げられていた。
体内に二本走る側線によって水上の敵勢力を察知したサメ人間――今はまだ、四億年前に起源を持つホホジロザメの姿を保っている――が行動を開始する。
悠然と偵察浮上した怪物は澱んだ水面から青白ツートンの頭を出すと、即座にタペータムと呼ばれる特殊な反射膜を備えた瞳に魚雷艇を捉え、再潜航するなり二本の背筋をピストン宜しく使って小型船舶に接近していく。
「ん?」
ナチ嫌いのイギリス人が激しく揺れる薄汚い甲板上で異変に気付いた。
「あれは……?」
ステン短機関銃をスリングで肩に掛けた彼は、暗い水面を移動する『何か』を凝視する。
それは二等辺三角形の背ビレだった。
サメだ!
あ れ は サ メ だ !
サ メ が い る の だ !
「サ……ッ」
直後、瞬時に魚雷艇との距離を詰めたサメ人間は大口開けて水面から飛び出し、立ち上がって叫ぼうとした元英軍兵士を水中に叩き込む。
「助けて! 助け……っ!」
着水の衝撃で右腕が千切れたことにより彼は解放されたが、船上からの銃撃を回避しつつ一旦距離を取った執念深い怪物は獲物を逃すつもりはなかった。
サメ人間は顔の内側に存在し、心臓の鼓動や筋肉の動きが産み出す微弱電気を探知して相手との距離を測るロレンチーニ器官を使い兵士の位置を特定すると、周囲の水を赤く染め上げる男に別方向から再度突撃した。
「プランB!」
「了解!」
仲間が完全に捕食される様子を空から視認したスカイレディが指示を与えると、魚雷艇は事前に準備していたマグロの血液を撒き散らしつつ手近な陸地に進路を取る。
所謂『狂乱索餌』を起こした海棲獣は我を忘れ、歯に引っ掛かっていた右足を振り捨てて米国製のPTボートを猛追した。
「今だ!」
肉薄される寸前のタイミングで船長が舵を切ると、改造人間の到達点的存在は勢い余って岸に打ち上がってしまう。
そっちはこのまま鮫林寺に強行突入するよう魚雷艇に伝えたスカイレディは、舞い上げられた土煙に対して右手に携えたリボルバー式グレネードランチャーの全火力を解き放つ。
しかし撃ち出された四十ミリ擲弾の数々は革鞭のように振るわれたラブカ頭の触手四本によって尽く薙ぎ払われた。
そして数秒で歩行能力、シュモクザメ頭の右手、ミツクリザメ頭の左手を持つ最終形態に自己進化を遂げたサメ人間は、直立するなり袋をひっくり返す要領で胃を外に出し、先の兵士の頭蓋骨を含む未消化物を吐き捨てた上で、空になったそれを体内に戻してから迎撃行動に入る。
妖光漏らしてホホジロザメ頭を展開した怪物は中に隠していたウバザメ頭から体内の暗黒怨念寄生虫をスカイレディ目掛けて撃ち上げた。
「――ッ!」
ビーム兵器宜しく夜空を切り裂いた蠢く蟲々を回避したスペクターは急降下、ミツクリザメ頭の長く鋭い吻による一閃も空振りに終わらせて懐に飛び込むと、全体重を乗せたローリングソバットを敵に浴びせる。
肉同士が激突する大音響が生臭い空気を震わせた。
「止……ッ!」
スカイレディは渾身の一撃が右の丁字形撞木で受け止められたことに気付き、慌てて重火器を高速で連射しつつ一旦急速後退――ある程度離れてから超低空で再度突進した。
そしてハンマーヘッドを盾代わりに使い殺到する鉄撃を弾くサメ人間の頭上を飛び越えた少女はその背中側に着地するなり、
「そらっ!」
流れの中で安全ピンを抜き終えた手榴弾を振り向きながら放り投げる。
向き直る前の爆発でラブカ触手が全て引き千切られ、続く回転式擲弾発射器の一撃によって付け根から抉り飛ばされた化け物の右腕部が宙を舞う。
苦悶の咆哮を上げた大怪物はそれでも左手のブレードを振り上げて突進するが、四歩進んだ所フランス人スペクターが続けて放り投げた小型酸素ボンベを口内に叩き込まれてしまう。
「くたばれ」
スカイレディが白い夜光性塗料で一部染められているアイアンサイトの狙いを青い筒に合わせてトリガーを引くや否や爆発が起き、木っ端微塵になった魚片が赤黒い血に乗せられて天を汚す。
だが彼女に勝利の余韻に浸る時間は与えられなかった。
〇・五秒後、背中側で着地音が鳴り響いたからである。
「こい……つは……?」
右膝を折って身を屈め、開いた掌を土上に広げながらこちらに顔を向けている新たな敵は、たった今自分が撃破したサメ人間をよりヒトに近付けたフォルムを有していた。
「レッツビギンでございますん!」
鮫林寺内の司令室で熱い鼻血を迸らせるイルザが叫ぶと、創造者の命を受けたプロトサメ人間は状況が呑み込めないでいる敵対者に対し、まずは挨拶代わりの飛翔横一閃を浴びせる。
右肘から伸びるヒレを使った鋭撃は急速後退によって回避されたが、量産型の三対七と違い人間・サメの遺伝子比率が真逆となっている存在は即距離を縮め、相手の得物から閃光が瞬いた瞬間に左方向へ跳躍した。
武装親衛隊の黒い軍服姿、左上腕部にハーケンクロイツなしの赤い腕章を巻くプロトサメ人間は再着〇・一秒後に土抉って対応間に合わぬフランス人の左側に降着――まだ右を向いている相手に今度は左ヒレの一撃を見舞う。
これも間一髪の所で避けられると、黄色の双眸を有する試作個体はすぐ近くの防波堤を重力に逆らって駆け登り、ある程度の位置に到達すると全力跳躍を経てスカイレディの背後に着地する。
そして仏蘭西娘の右拳がプロトサメ人間の左手に、プロトサメ人間の右ヒレがスペクターの重火器にそれぞれ受け止められた。
「無茶苦茶な逆恨みなのは百も承知してた」
異形同士が腕四つで組み合う様子を鮫林寺内の高層ビル最上階にある自室からモニター越しに視聴していたソフィアは、特段誰に言う訳でもなく呟く。
西側のスペクターがマスコット的な存在であるのに対し、東側のスペクターは大戦の初期から躊躇なく最前線に投入され、今日に至るまでの戦いでその大半が戦死している。
そして、その多くはソフィアと親しい間柄にあった者達だった。
「でもあの頃の私は、誰かに責任転嫁しないと正気ではいられなかった」
超人的な精神力以外は何一つ持ち合わせていないスペクターは引き出しから、今机に置いているそれとは違い、自分の顔だけが乱暴に削り取られた旧友達との記念写真を取り出す。
アイアンランド時代の彼女が何よりも渇望していたのは、自分の至らなさ故に死なせてしまった者達との楽しく過ごす日々だけだったのだ。
しかし残忍な絶滅戦争の中心人物は、それが絶対に実現不可能であることも重々承知していた。
「人生における最大の悲劇は二つあるの。一つは、欲しいものが手に入ること。もう一つは、欲しいものが手に入らないこと」
だからこそソフィアは強過ぎる罪悪感と深過ぎる後悔によって発狂寸前にまで追い込まれたのだ。
『戦時国債の販促ばかりしている西側のスペクターズが最前線で戦ってくれれば、自分はこんな苦しみを味わうことはなかった』
『だったら、制裁として彼女達に自分と同じ苦しみを与えてやる』
『自分には正当な資格があり、連中には裁かれるだけの十分な理由があるのだ』
殆ど正気を失いかけていたソフィアはそう思うことによって境界線ギリギリに辛うじて踏み止まった。
「悪いことをしたとは思うけど、別に謝るつもりもない」
ハウニブから中継される映像内では、前蹴りで距離を取ったプロトサメ人間の左ストレートがスカイレディの右手で受け止められている。
「だって私は、彼女達ではなく自分の人生を生きてるんですもの」
猪口才なとばかりに左手を引き抜いたプロトサメ人間は縦方向の回転で強烈な右踵落としを見舞うが、直撃即死亡の蹴撃はグレネードランチャーを代償にした防御によって防がれた。
「それに」
ソフィアはモニターから掌の記念写真に視線を落とす。
「自分の目的を達成するために価値のない他人を踏み台に使うのは」
やがて伍長にも鋼鉄の人にも知られずに第三帝国の天才科学者であるイルザを囲い込んだアイアンランド王は、それまでの傭兵派遣業で報酬として得た対価を湯水のように注ぎ込んで彼女にサメの改造人間を開発させるに至る。
「非道徳であっても非合理じゃないのよ」
そしてV2ロケット内に格納したサメ人間を米本土と英本土の計五十六箇所に撃ち込む当初の計画は、東欧に位置する武装要塞国家のナチスとの合流によって更に大規模かつ恐るべきものとなり、『鮫の日』として、あの陰惨な大戦の終結に決定的な役割を果たした。
とは言え実際の所、当時のソフィアにとっては『恐るべき蛮行を防げなかった西側のスペクターが死ぬまで消えぬであろう無力感を味わい、自分と同じように何をやっても心の空白を埋められない苦痛を植え付けられる』という初期目標の達成以外は内心どうでも良かったのではあるが。
「悪いけど、貴方の言葉はここまで届かない」
浮遊するUFO型VTOL機に気付いたスカイレディが顔上げて何か叫んだが、その向こう側にいる亡霊王は黙って足を組み、頬杖をついたままモニター越しに冷ややかな視線をただ返す。
「貴方が口にする向こう側が透けて見えるような言葉は、幾百の地獄を味わい、幾千の絶望を経験した私には何一つ届かない」
本末転倒にも空に気を取られたスカイレディとプロトサメ人間が交錯して背で向かい合った直後、両方の腕を付け根から切り離されたスペクターの胴体部から一拍遅れて滝めいた鮮血が溢れ出す。
「この話はこれから終わるんじゃないの」
温度なきロシア語を響かせたソフィアはスカイレディが血池に倒れ込む映像を確認してからモニターを切ると、静かに立ち上がって執務室の窓から覗く夜景の西側だけをカーテンで覆う。
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