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その後のお話編:彼女にまつわるエトセトラ
異世界お宅訪問編 (元)王子様のお宅にて ③
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『ぶっちゅぅぅぅぅ』
漫画のような擬音が幻聴の様に響く中、私は大きく目を見開いて座り込んで身動きも取れないまま、思考停止した。
「……………」
小さい頃は天使のように可愛らしかった『弟』と、優しくて頼りがいのあるイケメン(元)王子様である『夫』が、姉であり妻である私の目の前で熱く激しい口づけを交わしており、その衝撃で目を逸らすこともできなかった。
かつて10代の学生時分に、腐った沼に片足突っ込みかけた過去を持つ私ではあるが、流石にこの状況を「きゃっ」と言いながら両手で顔を覆い、指の隙間からチラチラと覗き見るような気分にもなれない。
もちろん、二人が私に見せつけるように、頬染め合いながらイチャイチャと熱いベーゼを交わしている様であれば、こちらとしても強引に割って入って「やめんかいっ!」と突入するのも吝かではないし、逆に「ひどいわっ!裏切りよっ!」と泣きながら走り去っても良いと思う。
思うんだけども―――あ、参加していく方向はナシで―――大きなソファの上でバランスを崩して座り込んだまま、私は気圧されてゴクリと息を呑む。
そして、金縛りにでもあったかのように固まったまま、ただただ間近で繰り返される二人の殺気立ったセッションを見守っていた。
双方が不敵な笑いを浮かべながら至近距離で見つめ合い―――ではなく、睨み合いながら文字通り火花を散らし(注:魔力のぶつかり合い)『ガッガッ』と鈍く硬質な音を立てて歯をぶつけ合っているとなると、その熱気に思わず目を細めた。
むしろ、何故か見たこともない闘犬の小競り合いでも見物しているような気分に陥り、軽く目眩がしてくる始末だ。
至近距離過ぎて視線なんて合ってないと思うけど、何故かお互い目を閉じるどころかカッと開いて唇を押し付けあっており、遠目で見れば、激しいキスの真っ最中にしか見えないだろう。
……いや、間近で見てもキスのはずなんだけど。
逞しい自身に比べれば幾分細い弟の腕をソファに押し付けて、一方的に攻めているクリスティアンと、受け身に回っている颯太の攻防の様に見えてはいるが、その実双方全く互角の争い……だと思う。
ある意味強襲したクリスティアンの不敵な嗤いよりも、突然襲われた颯太の方に、全く動揺した様子が見えないのも、彼の抵抗のバックボーンにあるものが何かと考えると、空恐ろしい。
加えて、人間顔なので忘れがちだったが、クリスティアンは両親・兄など一族郎党が獣ヘッドの獣人の一族で、獣人の国の王子様である。ひょっとしたら、こういう動物チックな交流も―――どういう意味の行為なのかはともかく―――獣人世界の中ではありふれた一般的な行為なのかもしれない。かも知れない。知らんけど。
ただ、そうなると、やっぱりそこに文字通り食らいついていく颯太の心理が謎すぎる―――と思考を繰り返せば
そう言えばこの子…ものすごい負けず嫌いだったわね。
生まれて間もない頃から現在に至るまで、優しげな顔して意地っ張りの頑固者だった事を思い出した。
いきなり仕掛けてきたクリスティアンに対して、『なんじゃこらぁっ!?ヤんのか、おぉっ!?』と、まるで武闘派ヤンキーの様に好戦的な気持ちになっているのだろうと、その眼光から推測するのであるが。
フンスフンスと、どちらからとも知れずに漏れる鼻息も荒々しく室内に響いている様が雄々しい。
互いの口の端から溢れる唾液もそのままに、技巧を凝らした口撃力もほぼ拮抗している…のだろうか?
双方の巧みな舌使いの餌食となってきた身としても、こんな流血必至な攻撃はされたことがないので、どちらが上かなんて、想像もできなかった。
何ていうか、よーわからんが、漢同士の熱い戦いである。
殺気がだだ漏れ過ぎて、せっかくのクール系イケメン台無しな事この上ないけれども、取り敢えず『こいつには負けん!』という熱意は伝わっている。
いや、だからって獣人式タイマンに持ち込まれて応じちゃう弟のバイタリティには、お姉ちゃん、若干引いてますけど。
そんな事を考えながらも、二人の熱いバイブレーションにあてられて、思わず手に汗握って正座で観戦モードに入ってしまっていた私であった。
その後、二人の美し――さがあるかどうかは兎も角、互角っぽい争いが数十分と続き―――余りに長い膠着状態に、ちょっと飽きて……じゃなく、冷静になってきて、ふと我に返って考えた。
…………どういう状況だっけ? と。今更感迸っている。
クチュ…ジュル…
ガッツン…ガチガチ…フハー…
部屋の中に響く小さくも激しい戦闘音―――にしては汁っぽい―――を耳にしながら、私は首を捻った。
ここで時を、二人の対面前から戻して思考の整理を始めようと思う。
「ふざけんなーーーーっ!!」
15の夜もさながらに、18歳の弟にブチ切れられ、家中の窓ガラスや家具が大破の危機に見舞われた昨夜。
家中破壊されるという悲劇はペット2匹の咄嗟の結界と、精霊ホームセキュリティの活躍により未然に防がれた。
しかし、せっかく溜め込んだ魔力を一気に放出してしまった弟は、再び5歳児の姿まで退化して眠り込んでしまったのだった。
『まだまだ魔力が定着していないので、不安定ニャ』
マーリンは欠伸を噛み殺しながら颯太の姿を眺め、ベッドに寝転ぶ。
私は魔力の放出で力尽きた小さな体をベッドに横たえ、彼を刺激しないように、少し離れた隣に寝転がった。
それを狙っていたかの様に、あどけない寝顔を晒しながら、ゴロゴロと腕の中に転がってくる弟に、私は苦笑しながらそっと毛布を掛ける。
『こいつ…本能で生きているな……』
私達の頭元で寝そべる大型犬が、呆れながら黒い鼻先で颯太の額に顎を乗せて呟くと、その重みと顎下の湿った感触が気持ち悪かったのか、颯太は眠ったまま「むー」と声を漏らして顔をしかめる。
そんな彼らの様子を眺めながら幼い弟の体を抱き寄せーーー「ふふっ」と苦笑しながら照明を消し、私たちはそのまま眠りに落ちていったのだった。
そんな母子の様な距離感だったからだろうか。
クリスティアンとの対面の際―――共に転移するという都合上―――抱き合うような距離で転移を果たしてから、腰に手を回してくるという密着具合にも、広いソファで寄り添い合う様に座ることに対しても、それ程違和感を抱いていなかった。
颯太の隣に座る私を見守るクリスティアンの目が、笑ってない様な気がしなくもなかったけれども、その理由が思い当たらずに、「あれ?」と思った程度だった。
しかし、対面時から不機嫌な無表情で応対する弟の態度にその怒りの深さを感じた時、内心冷や汗が止まらなかった―――自分から会わせろとゴネたくせに、理不尽である。
とは言えどんなに後ろめたくても、それでも頑張って紹介する私であったが、弟の無言の圧に……夫の嗜虐的な愉しみを見出したと言わんばかりの視線に焦り……徐々に冷静さを失っていったのだった。
あああ……3人目の夫って……マジか、私。
自ら重婚晒すとか、声に出して言うと余計に居たたまれないぞ、私。
しかも同じ日本で生活し、似たような倫理観を持ってるだろう弟相手に、何言ってるんだ、私。
いや、でも覚悟は決めたはずだろ、私。
頑張れ、スマイルだ私。
最初は見切り発車で出たとこ勝負だと思って、我ながらウザいほど自分を鼓舞していた。けれども、弟の沈黙に、頑張って上げていこうとしていたボルテージが徐々に低下していく過程がわかりすぎる程わかってもいたのだった。
それでも往生際の悪い私は、この期に及んでも尚、『笑顔をキープしなくちゃ』と必死になる反面、自分のサムい言葉に…居た堪れなさに泣きそうになっていた。
だからもう少し待っていてほしかったのに……。
計画的犯行に及んだと思われる、あの憎たらしい笑いを浮かべる白猫に殺意が湧いた。
『夫』どころか、満足に彼氏も紹介したことのない私は、こういうことに対する羞恥が殊の外強い。
もちろん、クリスティアン(元)王子始め、タロウやマーリン、ヨナ神官長のことを家族に紹介するのはやっぱりちょっと気恥ずかしい気持ちは否定できない。しかし、こんな平凡よりやや下側に位置する自分には勿体ない人達だと思う事があっても、誰に言っても恥ずかしい様な人達では決してないと思っている。
凄く大事にされる度に、「なんで自分なんかに……」と、ついつい思ってしまう時もあるが、それはそれ。
私も彼らを大事に思っているから、それでいいじゃないかと―――細かいことには拘らないように決めたのだ。
問題は、釣り合うとか釣り合わないとか、そういう事じゃないのだ。
むしろ、逆に問いたい。
日本の倫理観で生まれ育った記憶を持つ、世の逆ハーレム系主人公様は、自らの状況を親兄弟になんて説明するのかと。
ある意味、元の世界と隔絶された世界であればこんなに悩むことはなく、割り切れたのかもしれない。
だからと言って―――弟と再会できたことは嬉しかったし―――もう2度と家族に会えないと思っていた頃に戻りたい訳じゃないんだけども。
「…………」
ただただ、間近で見下ろす弟の無言の圧がイタすぎて、強ばった笑顔のまま自然とその目は下を向いた。
こんな気持になるって、わかっていた事だというのに。
そして、私のメンタルに決定的なダメージを与えた一言は、愛する夫の口から放たれた。
「俺が女神の夫ではご不満なようだが…あんまり怒らないで欲しい。
やっと女神が俺を夫と認めてくれたんだからな」
……『女神』
本名を明かしてから、以前より親密な関係になったと思ってくれていたのか、彼は二人きりでは、あまりそういう甘い…っていうか、恥ずかしい事を言わなくなっていた。
だから、少し油断していたんだと思う。
…如何にも王子様―――って感じの人間が言う言葉だし、大した意味もないと思うよね。
実際、『姫』とかいうこっ恥ずかしい呼称はスルーしてくれたし―――とも期待した。
しかし、私の目論見とは他所に、弟はもう一つのパワーワードをスルーしてくれなかった。
「…女神……?」
小さくボソッと呟いた一言に、私はビクッと…過剰に反応する。
そして、その単語に反応した弟の言葉に何も答えられず、気まずげにそっと目をそらした。
「……女神って何? 愛する女性に対するセレブ的な隠喩?」
そうそう、そのとおりっ!!
…と、勢い込んで肯定するには、どういう意味合いを含んでいたところで、現代日本人にとっては余りに恥ずかしい単語である。
『異世界転移』なんて、良い年した成人女子にとって、少々現実逃避したくなるような事象とセットで考えると、余計に強い言葉と成り上がる。
そして、弟や私の真意とは裏腹に、熱く語るクリスティアンの言葉に泣きたくなった。
普段そんなキャラじゃなかったはずなのに、いつにない程熱い語りに涙が出る。羞恥で。
やめてーっ!
私そんなに立派な人じゃないのーーっ!
彼らにどんな補正がかかっているのかわからないけれども、この世界の人達はやたらと私のことを過大評価してくるフシがあり、私は未だにそれに馴染めないでいる。
だって、私、本当に何もしてない。
少なくとも、何かをしようと思ってしたわけじゃないし、事の結果が凄すぎただけなのだ。
偶然、精霊さんたちが良くしてくれるような体質だっただけで、そうでなければこんなことになっていなかった。
安心安全な快適引きこもり生活を満喫させてくれることに感謝してるけど、だからって私は私でしか無いのに。
もらった力とか偶然起こった事象で調子に乗るには、私は色々考えすぎるのかもしれない。
だから、未だに限られた人たちの前にか出られないし、出る気もないままで。
彼らと、それに関わる人達に何かがあったら、できる限りのことはしたいと思ってるけど、自分そっちのけで盛り上がってることに関しては、遠くで静かに見守りつつも極力関わりたくないとすら思っている。…だって、責任とか取れないし。
まぁ、そんな感じの小心者で小賢しい考え方で過ごしている私であるが、基本的に事なかれ主義である事は何年経っても変われない。
『女神…? 何も知らない異世界の現住民にそんな呼ばせ方してんの? 姉ちゃんいい年してまだ厨二拗らせてんの?』
なんて、私の黒歴史を知る弟にそんな目で見られてしまえば、羞恥に震えて泣きながら弁解するしかないではないか。
「わ、私はそんな者だなんて、思ったことないし、自分から言ったことないっ!」と。
世の中には、『これを知られたら死ぬるっ!』と思う事柄が誰にでも一つくらいはあると思うの。
突然泣き出した私の姿に驚き、ドン引きして動かなくなったクリスティアンにも気付かず、私は縋るように弟に訴えた。
そのひたすら縋り付く姿勢が良かったのかはわからないが、そんな私に弟は寄り添うようにそっと肩を抱き、優しく微笑んでくれた。
今思えば距離感がちょっとアレだった気がしなくもないが、最近こんな距離で抱っことかしてたから、逆の立場になった所でそれ程違和感はなかった。
「大丈夫、わかってるって」
そう言いながら優しく慰められると、「あああ…ウチの子イケメンっ!」と、まるで親ばかな母親のような心境になって、嬉し涙が溢れてくる始末だった。
ぐいっと掴まれた顎をモニモニされて、ちょっと痛かったけど、昨夜摘んだ小さな弟のモチモチほっぺも気持ちよかった
ああ、弟よ……っ!
涙で視界が歪み、徐々に近づく弟の邪悪な思惑にも気付かずされるがまま、私は急に見せられた懐深さに感動していたのだった。
自分としては、ただそれだけだったはずなのだが。
不意に『グッ…』と後方に引っ張られ、弟の手が、温もりが離れたと感じた直後―――冒頭の擬音からのやり取りに、話が戻るのだった。
漫画のような擬音が幻聴の様に響く中、私は大きく目を見開いて座り込んで身動きも取れないまま、思考停止した。
「……………」
小さい頃は天使のように可愛らしかった『弟』と、優しくて頼りがいのあるイケメン(元)王子様である『夫』が、姉であり妻である私の目の前で熱く激しい口づけを交わしており、その衝撃で目を逸らすこともできなかった。
かつて10代の学生時分に、腐った沼に片足突っ込みかけた過去を持つ私ではあるが、流石にこの状況を「きゃっ」と言いながら両手で顔を覆い、指の隙間からチラチラと覗き見るような気分にもなれない。
もちろん、二人が私に見せつけるように、頬染め合いながらイチャイチャと熱いベーゼを交わしている様であれば、こちらとしても強引に割って入って「やめんかいっ!」と突入するのも吝かではないし、逆に「ひどいわっ!裏切りよっ!」と泣きながら走り去っても良いと思う。
思うんだけども―――あ、参加していく方向はナシで―――大きなソファの上でバランスを崩して座り込んだまま、私は気圧されてゴクリと息を呑む。
そして、金縛りにでもあったかのように固まったまま、ただただ間近で繰り返される二人の殺気立ったセッションを見守っていた。
双方が不敵な笑いを浮かべながら至近距離で見つめ合い―――ではなく、睨み合いながら文字通り火花を散らし(注:魔力のぶつかり合い)『ガッガッ』と鈍く硬質な音を立てて歯をぶつけ合っているとなると、その熱気に思わず目を細めた。
むしろ、何故か見たこともない闘犬の小競り合いでも見物しているような気分に陥り、軽く目眩がしてくる始末だ。
至近距離過ぎて視線なんて合ってないと思うけど、何故かお互い目を閉じるどころかカッと開いて唇を押し付けあっており、遠目で見れば、激しいキスの真っ最中にしか見えないだろう。
……いや、間近で見てもキスのはずなんだけど。
逞しい自身に比べれば幾分細い弟の腕をソファに押し付けて、一方的に攻めているクリスティアンと、受け身に回っている颯太の攻防の様に見えてはいるが、その実双方全く互角の争い……だと思う。
ある意味強襲したクリスティアンの不敵な嗤いよりも、突然襲われた颯太の方に、全く動揺した様子が見えないのも、彼の抵抗のバックボーンにあるものが何かと考えると、空恐ろしい。
加えて、人間顔なので忘れがちだったが、クリスティアンは両親・兄など一族郎党が獣ヘッドの獣人の一族で、獣人の国の王子様である。ひょっとしたら、こういう動物チックな交流も―――どういう意味の行為なのかはともかく―――獣人世界の中ではありふれた一般的な行為なのかもしれない。かも知れない。知らんけど。
ただ、そうなると、やっぱりそこに文字通り食らいついていく颯太の心理が謎すぎる―――と思考を繰り返せば
そう言えばこの子…ものすごい負けず嫌いだったわね。
生まれて間もない頃から現在に至るまで、優しげな顔して意地っ張りの頑固者だった事を思い出した。
いきなり仕掛けてきたクリスティアンに対して、『なんじゃこらぁっ!?ヤんのか、おぉっ!?』と、まるで武闘派ヤンキーの様に好戦的な気持ちになっているのだろうと、その眼光から推測するのであるが。
フンスフンスと、どちらからとも知れずに漏れる鼻息も荒々しく室内に響いている様が雄々しい。
互いの口の端から溢れる唾液もそのままに、技巧を凝らした口撃力もほぼ拮抗している…のだろうか?
双方の巧みな舌使いの餌食となってきた身としても、こんな流血必至な攻撃はされたことがないので、どちらが上かなんて、想像もできなかった。
何ていうか、よーわからんが、漢同士の熱い戦いである。
殺気がだだ漏れ過ぎて、せっかくのクール系イケメン台無しな事この上ないけれども、取り敢えず『こいつには負けん!』という熱意は伝わっている。
いや、だからって獣人式タイマンに持ち込まれて応じちゃう弟のバイタリティには、お姉ちゃん、若干引いてますけど。
そんな事を考えながらも、二人の熱いバイブレーションにあてられて、思わず手に汗握って正座で観戦モードに入ってしまっていた私であった。
その後、二人の美し――さがあるかどうかは兎も角、互角っぽい争いが数十分と続き―――余りに長い膠着状態に、ちょっと飽きて……じゃなく、冷静になってきて、ふと我に返って考えた。
…………どういう状況だっけ? と。今更感迸っている。
クチュ…ジュル…
ガッツン…ガチガチ…フハー…
部屋の中に響く小さくも激しい戦闘音―――にしては汁っぽい―――を耳にしながら、私は首を捻った。
ここで時を、二人の対面前から戻して思考の整理を始めようと思う。
「ふざけんなーーーーっ!!」
15の夜もさながらに、18歳の弟にブチ切れられ、家中の窓ガラスや家具が大破の危機に見舞われた昨夜。
家中破壊されるという悲劇はペット2匹の咄嗟の結界と、精霊ホームセキュリティの活躍により未然に防がれた。
しかし、せっかく溜め込んだ魔力を一気に放出してしまった弟は、再び5歳児の姿まで退化して眠り込んでしまったのだった。
『まだまだ魔力が定着していないので、不安定ニャ』
マーリンは欠伸を噛み殺しながら颯太の姿を眺め、ベッドに寝転ぶ。
私は魔力の放出で力尽きた小さな体をベッドに横たえ、彼を刺激しないように、少し離れた隣に寝転がった。
それを狙っていたかの様に、あどけない寝顔を晒しながら、ゴロゴロと腕の中に転がってくる弟に、私は苦笑しながらそっと毛布を掛ける。
『こいつ…本能で生きているな……』
私達の頭元で寝そべる大型犬が、呆れながら黒い鼻先で颯太の額に顎を乗せて呟くと、その重みと顎下の湿った感触が気持ち悪かったのか、颯太は眠ったまま「むー」と声を漏らして顔をしかめる。
そんな彼らの様子を眺めながら幼い弟の体を抱き寄せーーー「ふふっ」と苦笑しながら照明を消し、私たちはそのまま眠りに落ちていったのだった。
そんな母子の様な距離感だったからだろうか。
クリスティアンとの対面の際―――共に転移するという都合上―――抱き合うような距離で転移を果たしてから、腰に手を回してくるという密着具合にも、広いソファで寄り添い合う様に座ることに対しても、それ程違和感を抱いていなかった。
颯太の隣に座る私を見守るクリスティアンの目が、笑ってない様な気がしなくもなかったけれども、その理由が思い当たらずに、「あれ?」と思った程度だった。
しかし、対面時から不機嫌な無表情で応対する弟の態度にその怒りの深さを感じた時、内心冷や汗が止まらなかった―――自分から会わせろとゴネたくせに、理不尽である。
とは言えどんなに後ろめたくても、それでも頑張って紹介する私であったが、弟の無言の圧に……夫の嗜虐的な愉しみを見出したと言わんばかりの視線に焦り……徐々に冷静さを失っていったのだった。
あああ……3人目の夫って……マジか、私。
自ら重婚晒すとか、声に出して言うと余計に居たたまれないぞ、私。
しかも同じ日本で生活し、似たような倫理観を持ってるだろう弟相手に、何言ってるんだ、私。
いや、でも覚悟は決めたはずだろ、私。
頑張れ、スマイルだ私。
最初は見切り発車で出たとこ勝負だと思って、我ながらウザいほど自分を鼓舞していた。けれども、弟の沈黙に、頑張って上げていこうとしていたボルテージが徐々に低下していく過程がわかりすぎる程わかってもいたのだった。
それでも往生際の悪い私は、この期に及んでも尚、『笑顔をキープしなくちゃ』と必死になる反面、自分のサムい言葉に…居た堪れなさに泣きそうになっていた。
だからもう少し待っていてほしかったのに……。
計画的犯行に及んだと思われる、あの憎たらしい笑いを浮かべる白猫に殺意が湧いた。
『夫』どころか、満足に彼氏も紹介したことのない私は、こういうことに対する羞恥が殊の外強い。
もちろん、クリスティアン(元)王子始め、タロウやマーリン、ヨナ神官長のことを家族に紹介するのはやっぱりちょっと気恥ずかしい気持ちは否定できない。しかし、こんな平凡よりやや下側に位置する自分には勿体ない人達だと思う事があっても、誰に言っても恥ずかしい様な人達では決してないと思っている。
凄く大事にされる度に、「なんで自分なんかに……」と、ついつい思ってしまう時もあるが、それはそれ。
私も彼らを大事に思っているから、それでいいじゃないかと―――細かいことには拘らないように決めたのだ。
問題は、釣り合うとか釣り合わないとか、そういう事じゃないのだ。
むしろ、逆に問いたい。
日本の倫理観で生まれ育った記憶を持つ、世の逆ハーレム系主人公様は、自らの状況を親兄弟になんて説明するのかと。
ある意味、元の世界と隔絶された世界であればこんなに悩むことはなく、割り切れたのかもしれない。
だからと言って―――弟と再会できたことは嬉しかったし―――もう2度と家族に会えないと思っていた頃に戻りたい訳じゃないんだけども。
「…………」
ただただ、間近で見下ろす弟の無言の圧がイタすぎて、強ばった笑顔のまま自然とその目は下を向いた。
こんな気持になるって、わかっていた事だというのに。
そして、私のメンタルに決定的なダメージを与えた一言は、愛する夫の口から放たれた。
「俺が女神の夫ではご不満なようだが…あんまり怒らないで欲しい。
やっと女神が俺を夫と認めてくれたんだからな」
……『女神』
本名を明かしてから、以前より親密な関係になったと思ってくれていたのか、彼は二人きりでは、あまりそういう甘い…っていうか、恥ずかしい事を言わなくなっていた。
だから、少し油断していたんだと思う。
…如何にも王子様―――って感じの人間が言う言葉だし、大した意味もないと思うよね。
実際、『姫』とかいうこっ恥ずかしい呼称はスルーしてくれたし―――とも期待した。
しかし、私の目論見とは他所に、弟はもう一つのパワーワードをスルーしてくれなかった。
「…女神……?」
小さくボソッと呟いた一言に、私はビクッと…過剰に反応する。
そして、その単語に反応した弟の言葉に何も答えられず、気まずげにそっと目をそらした。
「……女神って何? 愛する女性に対するセレブ的な隠喩?」
そうそう、そのとおりっ!!
…と、勢い込んで肯定するには、どういう意味合いを含んでいたところで、現代日本人にとっては余りに恥ずかしい単語である。
『異世界転移』なんて、良い年した成人女子にとって、少々現実逃避したくなるような事象とセットで考えると、余計に強い言葉と成り上がる。
そして、弟や私の真意とは裏腹に、熱く語るクリスティアンの言葉に泣きたくなった。
普段そんなキャラじゃなかったはずなのに、いつにない程熱い語りに涙が出る。羞恥で。
やめてーっ!
私そんなに立派な人じゃないのーーっ!
彼らにどんな補正がかかっているのかわからないけれども、この世界の人達はやたらと私のことを過大評価してくるフシがあり、私は未だにそれに馴染めないでいる。
だって、私、本当に何もしてない。
少なくとも、何かをしようと思ってしたわけじゃないし、事の結果が凄すぎただけなのだ。
偶然、精霊さんたちが良くしてくれるような体質だっただけで、そうでなければこんなことになっていなかった。
安心安全な快適引きこもり生活を満喫させてくれることに感謝してるけど、だからって私は私でしか無いのに。
もらった力とか偶然起こった事象で調子に乗るには、私は色々考えすぎるのかもしれない。
だから、未だに限られた人たちの前にか出られないし、出る気もないままで。
彼らと、それに関わる人達に何かがあったら、できる限りのことはしたいと思ってるけど、自分そっちのけで盛り上がってることに関しては、遠くで静かに見守りつつも極力関わりたくないとすら思っている。…だって、責任とか取れないし。
まぁ、そんな感じの小心者で小賢しい考え方で過ごしている私であるが、基本的に事なかれ主義である事は何年経っても変われない。
『女神…? 何も知らない異世界の現住民にそんな呼ばせ方してんの? 姉ちゃんいい年してまだ厨二拗らせてんの?』
なんて、私の黒歴史を知る弟にそんな目で見られてしまえば、羞恥に震えて泣きながら弁解するしかないではないか。
「わ、私はそんな者だなんて、思ったことないし、自分から言ったことないっ!」と。
世の中には、『これを知られたら死ぬるっ!』と思う事柄が誰にでも一つくらいはあると思うの。
突然泣き出した私の姿に驚き、ドン引きして動かなくなったクリスティアンにも気付かず、私は縋るように弟に訴えた。
そのひたすら縋り付く姿勢が良かったのかはわからないが、そんな私に弟は寄り添うようにそっと肩を抱き、優しく微笑んでくれた。
今思えば距離感がちょっとアレだった気がしなくもないが、最近こんな距離で抱っことかしてたから、逆の立場になった所でそれ程違和感はなかった。
「大丈夫、わかってるって」
そう言いながら優しく慰められると、「あああ…ウチの子イケメンっ!」と、まるで親ばかな母親のような心境になって、嬉し涙が溢れてくる始末だった。
ぐいっと掴まれた顎をモニモニされて、ちょっと痛かったけど、昨夜摘んだ小さな弟のモチモチほっぺも気持ちよかった
ああ、弟よ……っ!
涙で視界が歪み、徐々に近づく弟の邪悪な思惑にも気付かずされるがまま、私は急に見せられた懐深さに感動していたのだった。
自分としては、ただそれだけだったはずなのだが。
不意に『グッ…』と後方に引っ張られ、弟の手が、温もりが離れたと感じた直後―――冒頭の擬音からのやり取りに、話が戻るのだった。
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