月の叙事詩~聖女召喚に巻き込まれたOL、異世界をゆく~

野々宮友祐

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第二章 月の国

2-8

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 次の日。結慧はいつものように郵便を受け取って廊下を歩いていた。陽菜もいない、心の穏やかな午後だ。ふと窓の外に目をやる。

「あ、虹きれい」

 空には大きな虹がかかっていた。薄紫色の空にかかる巨大なアーチ。こんなに見事な虹、写真でしか見たことない。それほどに七色の光ははっきりとして、おもわず立ち止まってしまうほど……。

「は?虹?」

 待て待て。どうして太陽もないのに虹が出てるの?
 虹というのは太陽光の屈折でできるもので、つまり太陽が必要で。太陽昇った?まだ月神見つけてないのに?それともここで仕事をしている間に陽菜たちが月神を見つけて太陽を戻した?

「ソウマさん?」

 背後から声がかかる。振り向けば、書類を持ったウィルフリードがそこにいた。

「あ、虹だね」
「ええ、そうなんです……え、驚かないんですか?」
「何が?」

 大混乱する結慧をよそに、ウィルフリードはズボンのポケットを探る。ちゃりり、と金属の擦れる音。

「ちょっと一緒においで」

 

「うわ、すごい!」
「これは見事だね!」

 ウィルフリードに連れていかれたのは役所の屋上だった。持っていた鍵で扉をあけると一面の空、そこにかかる巨大な虹。
 遮るものがない屋上では、虹のすべてが見てとれた。すぐそこにあるかのような大きな半円。まるで橋のように地上すぐそばから伸びているようにみえる。
 思わず声をあげて柵まで駆け寄り、空を見上げる。ほんとうに大きい!

「でもどうして?太陽が出てないのに」
「どういう事?」
「だって虹は太陽の光が空中の水分で屈折して見えるもので……」
「え?」

 二人してハテナをとばす。
 知らないはずないでしょう大の大人が……

「龍がつくるんじゃなくて?」
「りゅう……?」
「うん。……ん?」

 これはもしかして……

「あーそうか、もしかして君って聖女様と一緒の世界から来たのかな」
「お伝えしてなくてすみません!」
「いや、大丈夫だよ。そっか、君の世界じゃ虹ってそういうものなんだね」

 異世界ギャップでした!!
 そういえば自分からは言っていない。つい伝わっているものとばかり思っていた。ちなみに陽菜が異世界から来たというのは周知の事実らしい。聖女というのはそういうものなのだと。

「この世界ではね、虹は龍がつくるものなんだ」
「龍っているのね……」
「まだその辺にいるんじゃないかな?」
「みえるんですか?」
「人によるよ。俺は見えないなあ」

 そっか、見てみたかったな。それにしても龍だなんて、ここはやっぱり異世界なのね。

(あ、もしかして)

 ふと思い付いて、眼鏡をずらしてみた。眼鏡なしだと陽菜の触手が見えるということは、もしかしたら龍も、

「みえた……!」

 真っ白な龍だった。
 虹の近く、空の高いところへ向かっていく。鱗だろうか、時折きらりと輝いては細長い身体をくねらせて空を泳ぐ。なんて綺麗。

「見えましたよエンデさん!」

 ウィルフリードのほうをぱっと向く。

「エンデさん?」
「え、あ、うん……」

 彼はなぜだか、目を見開いて結慧を見つめていた。

「それにしても本当に龍が作るんですね。宝物も龍が隠すのかしら」
「宝物?」
「ああ、こっちの世界にはないんですね。向こうでは、虹の麓には宝物が眠っているっていう伝説があるんです」
「へぇ。いいね、そういうの」
 
 あちらの世界では虹は光の屈折だ。すぐに消えてしまうし角度が変われば虹はすぐに見えなくなる。麓になど辿り着けるはずがないから生まれた伝説。
 この世界にはそんな伝説はないけれど、虹の麓には辿り着けるかもしれない。

「宝物はなくても、いつか行ってみたいわ」
「そうだね、あの虹の麓は、―――うわッ!」

 風が吹いた。
 突然の風はウィルフリードの持っていた書類を一枚浚っていく。ふわりと舞い上がった紙は後方へ。

「持ってて!」

 残りの書類を結慧に投げ渡してウィルフリードは屋上の床を蹴った。
 紙は高く舞い上がっているけれど、遠くには飛んでいない。落下点をめがけて助走、たん、っと強く蹴りあげて、

「とれた!っと……!」

 紙の端を掴んだ指先。勢いそのままに結慧のほうにぐるんと振り返るものだから、バランスを崩してごろりと転倒してしまった。

「大丈夫ですか!?」
「うん、痛っててて……」

 だけど書類は絶対に手放さない。手が空いていればもう少しまともな受け身をとれただろうに。
 その姿に結慧は、

「っふ、ふふ、……ッ」

 なんだかすごくおかしくなって、笑ってしまった。
 座り込んだままのウィルフリードに駆け寄る間も、笑うのを抑えきれないまま。

「ごめんなさ、んふふ、」
「――――……」
「笑うつもりはなかったんですけど、ふふ……つい、」
「……いや、うん、これじゃかっこつかないね」
「そんなことないわ、凄かったです」
「そうかな?」
「ええ、とっても」
 
 結慧は気づかなかった。
 ウィルフリードが結慧にこんなにも普通に接しているのは、仕事だからだと思っていたから。
 だから、ウィルフリードの顔が赤く色付いていたことなんて気付かなかった。

 それから、もうひとつ。
 結慧がこの世界に来てはじめて声を出して笑ったなんてことも、気付かないまま。


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