月の叙事詩~聖女召喚に巻き込まれたOL、異世界をゆく~

野々宮友祐

文字の大きさ
65 / 91
第二章 月の国

2-49

しおりを挟む

 屋上のドアを開ける。いつかウィルフリードと来たここにもう一度、こんな形で来るなんて思いもしなかった。
 風が吹き抜けていく。真冬の冷たい夜の風。背後の山の上には満月が出ていた。積もった雪が月明かりで光を反射して、夜だというのに街が端まで見渡せる。

 身長よりも高いフェンスを飛び越える。
 翻ったスカートをおさえて眼鏡を外す。
 下から聞こえるどよめきと、こちらに向けて指を指す人。役所の中にいた沢山の人たちも、外へと出て結慧のことを見上げている。

 不思議と、心が凪いでいる。

 何をすべきか、どうしたらいいのか。何故だろう、全部分かる。
 魔術を、ここにいる人全てに声がとどくように。

「皆さん、こんばんは」

 黒髪が風に靡く。
 結慧の声が全員に届いた。
 大声で話しているわけでもない、拡声の魔術でもない。それぞれの人の隣で話しているかのような声が全員の耳元で聞こえる。

「お騒がせしてご免なさいね。皆さんの望み通り、私はここを出て行くわ」

 ゆったりと、まるで仲の良い知人と会話をするような口調で。へりくだって見えないように、弱々しく見えないように、けれど尊大に見えないように。

「でもその前に、一つだけ約束してくださらない?」

 虚勢を張っているのを隠して、凛と背を伸ばして。

「私の事、庇ってくれた人たちがいるの。その人たちをどうかこれ以上責めないで」

 背後で気配が動く。屋上まで追いかけてきてくれた、大好きな人たち。

「すべての責任は私が持って行くわ。だからどうか、誰も彼もが誰かを責める事がないように」

くるりと見渡す。集まった人を、建物の窓からこちらを見る人を。

「それだけ約束してくれるのなら、私は二度と戻らないって誓うから」

 真下を見る。先ほど部署に集まった大臣たちを。
 ラルドがひとつ、頷いた。すまない、と唇が動く。

 それを確かに見届けて、結慧は手を空へと向ける。
 初めて使う魔術。けれど、どうしてだろう、やっぱりやり方は分かっている。

 空中に光が生まれた。
 まるで花蕾が綻ぶように、小さな光が丸く円く開いていく。浮かび上がる曼陀羅のような美しい模様。

 もう知っている。もう分かる。

 大きく大きく、空に描かれていくその美しい紋。結慧だけではない、この国に生きる者なら誰もが知っている。見つめる誰かが息を飲む。

 回転する。カチリと音がして、まるで扉のように円が真ん中から二つに割れていく。
 大型の転移魔方陣。
 割れた間から月が見えた。山の上と、魔方陣の中。二つの月が人々を見下ろしている。

 大きな建物があった。月の真下に聳える城。静かな、けれど確かな威厳を持って在るそれは荘厳な門に守られている。
 門の中央にはレリーフ。
 今、空に描かれたものと同じ美しい紋。

 ――――月の神殿。

 結慧の髪が靡く。
 月の光を受けて艶めく、漆黒の髪が。

「月神様……」

 誰かの声。それに反応するように、人々が膝をつく。神官が祈りの言葉を呟く。誰もが手を組み、祈る。
 まるで、赦しを乞うように。

「じゃあ、約束ね」

 けれど結慧はそれを無視して群衆に背を向けた。
 後ろの彼らに向き直る。ごめんなさい、と口の中で呟いて。
 
 フェンス越しに伸ばされた手を、握り返す事はない。

「ごきげんよう、良い夜を」

 屋上の床を蹴る。ふわりと浮かんで魔方陣の中へ。
 月の神殿へ。

 魔方陣が閉じていく。ぴたりと重なって元通り、くるりと回ってカチリと音がする。
 まるで、鍵を閉めるように。もう二度と開くことなどないとでも言うように。

 そうしてそのまま、夜に溶けていく。
 流れる雲が透けて見え、山の上の月が陰る。
 明るかったはずの夜が暗くなる。

 そうしてついに、雲に隠れて見えなくなった。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

龍王の番〜双子の運命の分かれ道・人生が狂った者たちの結末〜

クラゲ散歩
ファンタジー
ある小さな村に、双子の女の子が生まれた。 生まれて間もない時に、いきなり家に誰かが入ってきた。高貴なオーラを身にまとった、龍国の王ザナが側近二人を連れ現れた。 母親の横で、お湯に入りスヤスヤと眠っている子に「この娘は、私の○○の番だ。名をアリサと名付けよ。 そして18歳になったら、私の妻として迎えよう。それまでは、不自由のないようにこちらで準備をする。」と言い残し去って行った。 それから〜18年後 約束通り。贈られてきた豪華な花嫁衣装に身を包み。 アリサと両親は、龍の背中に乗りこみ。 いざ〜龍国へ出発した。 あれれ?アリサと両親だけだと数が合わないよね?? 確か双子だったよね? もう一人の女の子は〜どうしたのよ〜! 物語に登場する人物達の視点です。

【完結】そして異世界の迷い子は、浄化の聖女となりまして。

和島逆
ファンタジー
七年前、私は異世界に転移した。 黒髪黒眼が忌避されるという、日本人にはなんとも生きにくいこの世界。 私の願いはただひとつ。目立たず、騒がず、ひっそり平和に暮らすこと! 薬師助手として過ごした静かな日々は、ある日突然終わりを告げてしまう。 そうして私は自分の居場所を探すため、ちょっぴり残念なイケメンと旅に出る。 目指すは平和で平凡なハッピーライフ! 連れのイケメンをしばいたり、トラブルに巻き込まれたりと忙しい毎日だけれど。 この異世界で笑って生きるため、今日も私は奮闘します。 *他サイトでの初投稿作品を改稿したものです。

転生してモブだったから安心してたら最恐王太子に溺愛されました。

琥珀
恋愛
ある日突然小説の世界に転生した事に気づいた主人公、スレイ。 ただのモブだと安心しきって人生を満喫しようとしたら…最恐の王太子が離してくれません!! スレイの兄は重度のシスコンで、スレイに執着するルルドは兄の友人でもあり、王太子でもある。 ヒロインを取り合う筈の物語が何故かモブの私がヒロインポジに!? 氷の様に無表情で周囲に怖がられている王太子ルルドと親しくなってきた時、小説の物語の中である事件が起こる事を思い出す。ルルドの為に必死にフラグを折りに行く主人公スレイ。 このお話は目立ちたくないモブがヒロインになるまでの物語ーーーー。

子供にしかモテない私が異世界転移したら、子連れイケメンに囲まれて逆ハーレム始まりました

もちもちのごはん
恋愛
地味で恋愛経験ゼロの29歳OL・春野こはるは、なぜか子供にだけ異常に懐かれる特異体質。ある日突然異世界に転移した彼女は、育児に手を焼くイケメンシングルファザーたちと出会う。泣き虫姫や暴れん坊、野生児たちに「おねえしゃん大好き!!」とモテモテなこはるに、彼らのパパたちも次第に惹かれはじめて……!? 逆ハーレム? ざまぁ? そんなの知らない!私はただ、子供たちと平和に暮らしたいだけなのに――!

【男装歴10年】異世界で冒険者パーティやってみた【好きな人がいます】

リコピン
ファンタジー
前世の兄と共に異世界転生したセリナ。子どもの頃に親を失い、兄のシオンと二人で生きていくため、セリナは男装し「セリ」と名乗るように。それから十年、セリとシオンは、仲間を集め冒険者パーティを組んでいた。 これは、異世界転生した女の子がお仕事頑張ったり、恋をして性別カミングアウトのタイミングにモダモダしたりしながら過ごす、ありふれた毎日のお話。 ※日常ほのぼの?系のお話を目指しています。 ※同性愛表現があります。

本の知識で、らくらく異世界生活? 〜チート過ぎて、逆にヤバい……けど、とっても役に立つ!〜

あーもんど
ファンタジー
異世界でも、本を読みたい! ミレイのそんな願いにより、生まれた“あらゆる文書を閲覧出来るタブレット” ミレイとしては、『小説や漫画が読めればいい』くらいの感覚だったが、思ったよりチートみたいで? 異世界で知り合った仲間達の窮地を救うキッカケになったり、敵の情報が筒抜けになったりと大変優秀。 チートすぎるがゆえの弊害も多少あるものの、それを鑑みても一家に一台はほしい性能だ。 「────さてと、今日は何を読もうかな」 これはマイペースな主人公ミレイが、タブレット片手に異世界の暮らしを謳歌するお話。 ◆小説家になろう様でも、公開中◆ ◆恋愛要素は、ありません◆

聖女なんかじゃありません!~異世界で介護始めたらなぜか伯爵様に愛でられてます~

トモモト ヨシユキ
ファンタジー
川で溺れていた猫を助けようとして飛び込屋敷に連れていかれる。それから私は、魔物と戦い手足を失った寝たきりの伯爵様の世話人になることに。気難しい伯爵様に手を焼きつつもQOLを上げるために努力する私。 そんな私に伯爵様の主治医がプロポーズしてきたりと、突然のモテ期が到来? エブリスタ、小説家になろうにも掲載しています。

老聖女の政略結婚

那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。 六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。 しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。 相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。 子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。 穏やかな余生か、嵐の老後か―― 四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。

処理中です...