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第三章 月の神殿
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しおりを挟む結慧は大きな門を前に途方に暮れていた。
深い深いため息をついてしゃがみこむ。
完全に勢いで行動した。何も考えていなかった。頭に血がのぼっていた。その結果がこれ。完全に身体ひとつで知らないところに来てしまった。世界を移動する時ですら手放さなかった鞄だって持っていない。つまり無一文。着替えすらない。
膝に顔を埋めて少しの間固まっていた結慧だったけれど、何か音がした気がしてふと後ろを振り返る。
「……嘘でしょ」
背後は坂になっていた。その先を見下ろせばそこには今までいたティコの街。
あの街は山の裾野に広がる街。その背後の山は上半分が神聖だとして禁足地に指定されていた。つまりそれは、世界のどこかに存在するとされている神殿が実はそこにあったからで。
教会が、役所が見える。というか多分、歩いていける。昼間であれば通りを歩く人だって見えるだろう。だってさほど高さのある山じゃない。山も街も横に広いのだ。
「いくらなんでも近すぎよ……」
あんな大口叩いて出てきたのに。
頭を抱えて、しばらく。また溜め息をついて立ち上がる。こうしていても仕方ない。コートだって着ずに出てきたから寒くて凍えそうだ。
最悪、こっそり鞄とコートを取りに行くとして。
門に向き直る。とりあえず入ろう。でもこの見上げる程ある門を手動で開けるとは思えない。見渡して、隅に小さく目立たない通用門を見つける。
どうか開きますように。
そう願いを込めて手に力を込める。カチリ、音がして扉が開いた。
その先に続く、城まで伸びた白いタイル。その上を歩いていく。吹きさらしで風が強い。スカートがはためく。凍死するんじゃないかと思いながら、灯りのついていない城へと進む。せめて、風を凌ぎたい。
入り口まであと少し。その時、ぽっと光が灯った。
扉が開く。誰かが出てくる。
薄く開いたそこから顔を出したのは、初老の男性。
「こんばんは、あの、」
「――――まさか、ヘカテー様……?」
「…………人違いです……」
思わず、そう返してしまった。
***
男性に連れられて、城の中へ。
最低限の照明しかついていない薄暗い廊下を抜けて、とにかく温まった方がいいとこじんまりとした部屋へと通された。
扉を開けた瞬間の暖かさ。暖炉に火が入っている。
渡された毛布で身体を包んで暖炉の前に座らせてもらった。凍った指先がじんわりと溶けていく。
「本当に助かりました。ありがとうございます」
「いいえ、とんでもない事でございます」
その内に女性が紅茶を持ってきてくれて、カップの暖かさにまたホッとする。冷えきっていた身体の内側もじわじわと熱が戻ってくる。
「もう何かお召し上がりになりました?」
「いえ、まだ」
「ではご用意いたしますね。お待ちください」
「何から何まですみません」
微笑んで女性が部屋を出ていく。
二人とも、結慧を見る目は潤んでいるようでなんとなく居たたまれない。
「……あの、ここは月の神殿で間違いないでしょうか」
「ええ、その通りでございます。よくお戻り下さいました、ヘカテー様。本来ならばこのような使用人の部屋をお使い頂くなどあってはならない事ですが、」
「ここで充分ですお気遣いなく……」
「申し遅れました。私はスミティ・マーレ。どうぞスミティとお呼び下さい。それから私は貴女様にお仕えする者。普段の言葉遣いでお話しください」
(やっぱり聞き間違いじゃなかったわ……)
この男性、スミティは結慧の事を本当に「ヘカテー様」だと言っている。きっとそれはいなくなった月神の子。次代の月神。
ぐ、とお腹に力を込める。
どうせ聞かなければならない事なら。
「ではスミティさん。申し上げにくいのですけれど、私は本当に何も知らないでここにいるの。貴方の言うヘカテーというのも分からないわ。だから」
教えて欲しい。
ここで、何があったのか。
「……ええ、もちろんでございます。私はきっと、そのために生き残ったのですから」
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