月の叙事詩~聖女召喚に巻き込まれたOL、異世界をゆく~

野々宮友祐

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第三章 月の神殿

3-17

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「いくわよ!せーのッ」

 壁を消す。瘴気の暴風が身体に吹き付けてくる。
 重い。まるで重力が増したかのような重さが結慧にのしかかってきた。

 月の国。地上から見える空は黒さを増して、今や辺りは真夜中のように暗い。泥のような暗雲が不気味な音をたてて迫る。空が崩れる。落ちてくる。
 役所でも窓を開け全員が空を見上げて世界の終わりを肌で感じていた。けれど。

「またあの子は無茶をして」
「本当にな。後で絶対ぶっ倒れるくせに」
「無理してんのバレバレなんスよね」
「ま、そこが可愛いんだけどな」
「ウェーバー、喧嘩なら買うけど?」
「フラれた奴が何か言ってらぁ」
「まだフラれてないよ!」
「部長、現実を見た方がいい」

 表情も声も明るく、絶望はどこにもない。それはここだけではなく、国中のどの家でも。
 だって彼女が、自分達の神が大丈夫だと言ったのだ。人間を信じるとそう言ってくれた。だから大丈夫。あんなの平気だ、なんでもない。あんなものに負けたりしない。

 落ちる暗雲が速度をさげた。
 まるで地上から何かに押されているかのように。
 
 結慧は床を蹴った。
 空中に浮かぶ階段を、ドレスの裾をたくしあげピンヒールで駆け上がる。頂上まで到達しても、巨人の腰よりも低い位置。
 巨人が腕を振り上げる。結慧を取り込もうという動きではない、ただ叩き潰そうというだけの動作。
 迫り来る黒い拳ですら結慧よりも大きくて、もはや現実味などどこかへ行ってしまった。

 右足を引く。拳を握る。
 キィン、と高い音がして集中する力。
 神紋が浮かぶ。ひとつ、ふたつ、みっつ重なる。

 魔術で攻撃できたなら良かったんだろう。武器を持って立ち向かえたなら格好がついたんだろう。けれど結慧にはそんなことはできないし、そんなものは持っていない。できることは、ただひとつ。

 ゴッ、

 鈍い音。防御などしない。拳に拳をぶつける純粋なる力勝負。円形に広がる衝撃波に結慧の黒髪が靡く。

 負けたのは巨人。

 巨躯が仰け反る。ぐらりと後ろへ倒れながらも腕を滅茶苦茶に振り回して。瘴気が吹き荒れ、まさに大嵐。乱気流が結慧を襲う。息ができない。立っていられない。

「ユエ!!」

 声と共に伸びる、九つの光。下から伸びたそれが巨人の軀をぐるりと捕らえて縛り付けた。固定された闇色が踠くけれど、光の鎖は動かない。
 今。

 跳躍。嵐の中を上へ上へ。ドレスが翻る。暗い暴風の中にあっても尚黒く、澄んで煌めく漆黒が舞う。
 同じ黒でも、同じ闇でもここまで違うものなのか。


「いい加減にしなさい!!」

 
 その美しい闇が暗黒を切り裂いた。

 遥か天から落ちた鉄鎚が、巨人の脳天を貫いた。風船が割れる時のよう、ぶくりと膨らんだ身体が耐えきれずに弾け飛ぶ。
 拡がる瘴気をすべて道連れにして。






「――――――ああ、」

 いつも通りの夜明け前の空がそこにあった。遥か向こうで太陽が今にも顔を出そうとしている、そんないつも通りの空が。

「ウトゥ!!」
「分かってる!!」

 時間がない。あと一分と誰かが叫ぶ。転がっていた太陽の宝珠を手に取りウトゥが走り出す。
 天に伸びる階段を数段飛ばしで駆け上がるその横を、役目を終えた結慧が落ちて行く。
 夜と朝が入れ替わる。

「我が名はウトゥ、新たな太陽、正義の光で真の道理を照らす者!」

 今、日の出の時刻前に戴冠しなければ二大神がどちらも不在、今度こそ世界の均衡が完全に失われてしまう。世界が終わる。
 儀式の場に登ってからでは間に合わない。全力で走りながら口上を叫ぶ。

「太陽よ、再び蘇り世界に光を!」

 輝きを失っていた太陽の宝珠が燃え上がる。階段を上り切り辿り着いた頂点で、それを頭上に掲げて宣言するのは

 

「――――さぁ、朝だ!!」



 太陽。



 世界の端から溢れた目映い光が海を、山を、街を金色に染めてゆく。見慣れた薄紫が空の隅へと追いやられ、金から白、そして青へと色を変える。
 
 真冬の澄みきった空にはただ一つの雲もない。


 
 長い長い夜が明けた。



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