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第6章 35歳にして、初めてのメイド喫茶!

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「やっぱりそうだぁ、奇遇だね~!」

顔の横で緩く手を振りながら桜季が近づいてくる。
聖夜は思わず眉根を寄せた。
厨房のスタッフである桜季とはほとんど関わりがないため、あまり話すことがない。
なのでどういう人間なのかはよく知らないが、奇抜な容貌や時折耳に入る噂から、正直言うとあまりかかわり合いたくないタイプの人間だ。
恐らく桜季の方もこちらには少しの興味もないだろう。
きっと自分一人ならまずこんな風に声をかけられることはなかったに違いない。
現に、今も聖夜など少しも気にした様子なく、視線は幸助だけに向けられている。

「あはっ! 青りんご超かわいい格好してるねぇ~! なに、ご奉仕してくれるのぉ?」

白いキャップの上からご機嫌な様子で頭を撫で回す桜季に対して、幸助は顔面蒼白で固まっている。
確かにこんな格好を見られては思考停止するのも無理はない。
これが幸助の趣味だと思われてはあまりに不憫なので、ことの経緯を説明しようとした時、

「ひ、人違いです!」

突然、幸助が叫んだ。
桜季も聖夜も目を丸くする。
幸助はその場にスクッと立ち上がった。

「ぼ……わ、私はここのメイドです! こちらの席に長居しすぎました、すみません!」

(……いや、無理があるだろ)

冷や汗をダラダラと流しながら必死に嘘をつく幸助に、心の中でツッコミを入れる。
どう見ても女の子じゃないし、声も低いし、メイド喫茶で働ける年齢じゃないし……といろいろツッコミどころ満載だが、当の本人は真剣そのものだ。
きっと桜季に笑ってツッコミを入れられるだろう、そう思っていたが、桜季の行動は意外なものだった。

「え!? ここのメイドさんだったのぉ~?」
「はぁ?」

目を丸くして驚く桜季に、聖夜の口から思わず素っ頓狂な声が漏れた。
だが、桜季は気にする様子もなく、顔の前で両手を合わせた。

「ごめんねぇ、あんまりにも知り合いに似てたから間違えちゃった~。人違いなんて失礼だよねぇ、ごめんねぇ」

眉をハの時にして謝る桜季に、呆気にとられる幸助たちだったが、幸助はハッとしてすぐに手を横に振った。

「いえいえ、謝らないでください! あの、似すぎているぼ……私の方こそ悪いのでっ」

嘘をついている後ろめたさからか、桜季を必死に庇う幸助。

(いや、似すぎている方が悪いってどんなだよ……)

心の中で突っ込むが、もちろん当人はいたって真面目だ。

「ほんとぉ? 怒ってない~?」
「もちろんですっ」
「よかったぁ。じゃあこれも何かの縁だねぇ。よろしくぅ。おれ、桜季って言います~」

幸助の手を握ってブンブンと上下に降りながら、にこにこと自己紹介する桜季。
幸助は戸惑いつつも笑顔で応じていた。

(つーか、こいつ本当に気づいてないのか!?)

いや、気づかないはずがない。
どう見ても青葉幸助以外の何者でもないし、桜季という男はこんな分かりやすい嘘に引っかかる奴じゃない。
では、なぜわざわざ騙されているのか……。

「あ、で、では、ごゆっくりお過ごしください。私はここで……」

頭を下げて席から離れようとした幸助だったが、その手をすかさず桜季が掴んだ。
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