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2巻
2-2
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もちろん、カーティスとダリルが晴れて両思いになり婚姻関係が正式なものとなった後、アドレイドやレイラに挨拶をする予定だった。しかし、アドレイドは国境付近の動きに怪しい動きがあってその対応で忙しく、レイラは体調が優れず、なかなか顔合わせができなかったのだ。
二人とも今夜の夜会でダリルに会うのを楽しみにしてくれているらしいが、本心は分からない。
いくらカイルやカーティスに頼まれた契約結婚だったとはいえ、身内からすればダリルの印象はあまりよくないだろう。
しかもダリルは、一応侯爵家の出ではあるが、元使用人だ。契約期間中あらゆる手段を使ってカーティスを陥落させたのではないかと邪推されても無理はない。
それほどまでに、客観的に見ればダリルとの結婚はカーティスにとって何ら得はないのだ。
アドレイドやレイラがどんな人物かは分からないが、考えれば考えるほどダリルの中の不安と緊張は増していく一方だった。
「大丈夫だよ」
まるで心の内を見透かしたような言葉に、ダリルは驚いてカイルのほうを見る。
カイルは目が合うと、ふっと目元を和らげた。
「きっと二人ともダリルを気に入るよ。なんて言ったって、この僕が認めたんだから」
どこか得意げにカイルが言うものだから、ダリルは思わずくすりと笑った。
「そう言ってくれると心強いなぁ。ありがとう、カイル」
「まぁ、ダリルは気の抜ける顔しているから、滅多なことで敵意を向けられることはないよ」
「気の抜ける顔って……」
確かに息を呑むほどに顔立ちが整っているカーティスやカイルに比べれば締まりのない顔かもしれないが……
そう苦笑するダリルをちらりと見てから、カイルは肩をすくめるようにして軽く溜め息をついた。
「安心しなよ。それでも万が一︑二人がダリルに何か言うようなら、僕が守ってあげるからさ」
素っ気ない言い方だが、そこには絶対に約束を違えないだろう誠実さが感じられた。素直でない、ある意味カイルらしい優しさにダリルは微笑ましい気持ちで目を細めた。
「ありがとう。頼りにしてる」
素直に礼を言うと、カイルは「子供を頼りにするなんてダリルらしい」とわざと嫌味っぽく言って返したが、その顔は満更でもなさそうだった。
****
クレア侯爵の屋敷に着いた四人を出迎えたのは、当主であるフィリップ・クレアと、本日の主役、レティシア・クレアだった。
痩せ型で寡黙なフィリップに反して、レティシアはふくよかな明るい女性で、急遽参加することになったネイトも快く迎え入れてくれた。
「かっこいい殿方が増えるのは大歓迎!」
レティシアが朗らかに笑う。声も身振りも大きいが、快活さの中に品があり、少しも嫌な感じがしない。きっとこの屋敷に訪れた人間の多くが、家門の付き合いだけでなく、彼女の人柄によって集まったのだろうと察せられた。
「ああ、そういえば、大事なことを忘れるところでしたわ」
軽い談笑を挟んでから、レティシアは傍のメイドから手籠を受け取り、にこにこと無邪気な少女のような笑みを浮かべた。
「ここからひとりひとつずつ紙を取ってください」
差し出されたその中から、ダリルたちは言われるがまま小さく折り畳まれた紙を選ぶ。
ダリルの紙には、薔薇の絵と数字の六の文字が記されていた。
「パーティーで使う大事なものですから、なくさないように持っていてくださいね」
「何に使うんですか?」
「ふふっ、それはあとからのお楽しみですわ」
ダリルの質問に、レティシアは何かを企んでいるような笑みでもって返したのだった。
「なんだろうね、これ」
ホールへ向かう途中の廊下で、カイルが冷めた目で手元の紙を見ながら呟いた。カイルの紙には小鳥の絵と数字の三が書かれている。
少し不機嫌なのは、「子供はこっちの籠よ」と子供扱いを受けたせいだろう。
「うーん、なんだろう……。あ! もしかして豪華景品が当たるくじ引きとか?」
「なんで誕生日を祝いに来た人間が物をもらう気満々なの」
呆れ気味に言われ、ダリルは途端に恥ずかしくなって肩をすぼめた。それを見咎めたネイトが、目尻を吊り上げ抗議する。
「何を! 兄さんらしい無邪気な発想じゃないか!」
「や、やめて、ネイト。成人男性が無邪気はきつい……」
擁護されているはずなのにまるで追い打ちをかけられたような気持ちになり、堪らずダリルは止めにかかる。そのやり取りを、傍らで見ていたカーティスが静かに笑った。
弟に庇い立てられる場面を見られ気恥ずかしくもあったが、カーティスの笑みが柔らかで微笑ましげですらあったので、ダリルは胸がくすぐったくなった。
過保護ではあるが大切な自慢の弟だ。カーティスの笑みには、そんなネイトの存在ごと自分を受け入れてくれているような、温かな包容力が感じられたのだ。
ホールに入ると、アリシア学園の懇親会の時と同じように、貴族たちが次々とカーティスのもとへ挨拶に訪れた。
未だ社交界での挨拶に慣れないダリルは、ひっきりなしに挨拶に来る人々にすっかり疲弊しきっていたが、カイルとネイトは少しの疲労も見せずに実に堂々と応対していた。
人の波が引いたところで、カイルが手洗いに行った。ダリルが一緒について行こうかと言うと「ひとりで行けるよ」と子供扱いを不服とした様子で断られた。
ハウエル公爵家の従者、チャドがついているが、それでも遠く離れていく背中をつい目で追ってしまう。すると、ネイトが小さく溜め息をついた。
「兄さんも僕のこと言えないじゃないか。結構な過保護っぷりだよ」
「いやいや、俺とカイルじゃ歳が全然違うから」
「目が離せないのは一緒だよ」
肩をすくめながら言われ、ダリルはむくれた。
「目が離せないって子供じゃあるまいし……。カーティス様もそう思いませんか?」
振り返ってカーティスに賛同を求める。しかし、カーティスはすぐには頷かず、口元に手を当て小さく笑った。
「確かに君は子供ではないが、カイルとは違う意味で目が離せない。……目で追ってずっと見ていたくなる」
愛おしげな眼差しを向けられ、ダリルの頬が熱を帯びる。言葉以上に饒舌な彼の瞳から甘い感情が伝わってきて、不意を突かれたようにどぎまぎした。
そんな甘い雰囲気を察知したネイトが、サッと二人の間に割り入る。
「本当にそうですよねっ、ハウエル公爵のお気持ち、すごく分かりますよ。僕もずっと兄のことは目で追ってきましたからね、子供の頃からずっと」
にこやかにカーティスの言葉に賛同しつつも、さりげなく自分のほうがダリルとの付き合いが長いことを誇示するネイト。しかし、幸いにもカーティスはその幼稚な対抗心には気づいていないようで「子供の頃のダリル君もさぞ可愛かっただろうな」と鷹揚に目を細めていた。
(なんか、威嚇する猫と、ゆったりした象みたいだな)
二人のどこか噛み合わないやり取りを聞きながら胸の内で苦笑していると、「やぁ、カーティス。久しぶりだね」とカーティスに気さくに話しかける声がした。
声のほうを振り返ると、男装の麗人といった装いの女性が、金色の長髪を揺らしながらこちらへ向かってきていた。隣には黒髪の小柄な女性を連れ立っている。
彼女のほうへ向き直ったカーティスの表情は、一見では分かりにくいが柔らかくなり、ダリルにはカーティスが彼女たちと懇意な関係であることが容易に分かった。
「お久しぶりです。アルバーン辺境伯」
「ははっ、お堅い感じは変わらずだが、だいぶ表情が柔らかくなったな。やはり結婚すると人は変わるものだな」
にやにやと茶化すように言いながら、男装の女性はダリルのほうへ視線を遣った。
「初めまして。君がダリル君だね。話はカーティスからよく聞いているよ。私はアドレイド・アルバーン、カーティスの叔母だ」
名乗ったアドレイドは、スッと手を差し出した。女性にしては少し低いが、自信に満ちた張りのある声は、威厳と気さくさを兼ね備えていた。
「ダリル・ハウエルです。どうぞよろしくお願いします」
差し出された手をとり挨拶すると、力強く握り返された。瞳こそカーティスと同じ赤色だが、彼とは違い豊かな表情がそこにはあった。
「ご挨拶になかなか伺えず申し訳ございませんでした」
「いや、こっちがいろいろ立てこんでいたからね。気を遣わせてすまなかったね」
辣腕を振るう女辺境伯という噂を聞いて、ダリルはアドレイドが厳しい人だと想像していたが、思いの外、気さくでホッとする。
「ところで隣の色男は誰だい? まさか間男なんてことはないだろうね」
「ち、違いますよっ」
明らかなからかいだと分かっていても、ダリルは慌てて否定した。
「紹介させていただきます。こちらは弟のネイトです」
「ネイト・コッドです。どうぞよろしくお願いします」
緊張してぎこちないダリルと違い、ネイトは一歩前に出て余裕ある秀麗な笑みを浮かべた。
「おやおや、若いのに随分堂々としているね。いい男になるに違いない。アドレイド・アルバーンだ、よろしく」
冗談交じりに褒めながら、アドレイドはネイトと握手を交わした。
「さて、私も妻を紹介させてもらおう。ダーラ」
「はい」
アドレイドに呼ばれて、隣の黒髪の女性が半歩前に出る。長身のアドレイドの隣に立つとその小柄さが目立つ。
「私の妻、ダーラ・アルバーンだ」
「どうぞよろしくお願いします」
愛想程度にも微笑まず挨拶をするダーラの声は、溌剌としたアドレイドの声とは対照的に、囁くようなか細いものだった。
いや、声だけではなく二人はすべてが対照的だった。きらびやかな顔立ちのアドレイドに対してダーラは素朴な顔立ちで、表情の乏しさがそれをさらに際立たせている。
服装も華やかで明るい色を基調にしたアドレイドとは真逆で、黒に近い紫色のドレスを身にまとっており、ともすれば無表情さと相まって喪服に見間違えそうなほどだ。
だが不思議と、彼女から冷たさを感じることはなかった。
「こちらこそどうぞよろしくお願いします」
挨拶を交わす二人を満足げに見ながら、アドレイドが不意に「フッフッフッ……」と妙な笑いを漏らし始めたので、思わずダリルは首を傾げた。
「あの、どうかされました?」
「いや、失礼。ただ、私好みの二人が並んで実に壮観な光景だと思っただけさ」
「え?」
うっとりと微笑んで言うアドレイドの言葉に、ダリルはきょとんとして、ダーラは心底辟易した顔で眉根を寄せた。
そんな二人の反応などお構いなしに、アドレイドは恍惚交じりに嘆息した。
「あぁ……っ、何と可愛らしい。まるで野の端で控えめに咲く野花のようだ。叶うことならまとめてお持ち帰りしたい……っ」
「誘拐罪で連行されますよ」
微塵も冗談の気を見せず冷淡に言うダーラに、アドレイドの頬がさらに緩む。
「はははっ、すまない、妬かせてしまったね」
「妬いていません」
「大丈夫だよ。私は生涯ダーラ一筋さ」
「叶うことなら私も期限つきの契約結婚でありたかったものです」
ダリルへの嫌味などではなく本心から漏れた独り言のように、ダーラは溜め息をつきながらそう言った。
「そんな寂しいことを言わないでおくれ。永遠の愛を誓った仲じゃないか」
「誓わされた、の間違いです」
「だが、誓った事実には違いない」
肩を抱き寄せにこりと微笑むアドレイドに、ダーラは心底うんざりしたような表情を見せたが、溜め息を呑みこむような間を置いてからダリルのほうへ顔を向けた。
「……ダリル様」
「は、はいっ」
不意に名前を呼ばれ、ダリルは反射的に背筋をビシッと伸ばす。
「カーティス様は紳士的な人格者ですが、ハウエル公爵家の血筋の人間はこのように強引なところがありますので、どうぞお気をつけて」
アドレイドを軽く睨みつけながら忠告するダーラに、どう返していいか思いあぐねる。とその時、くすくすと笑う可憐な笑い声が後ろから聞こえ、ダリルは振り返った。
「ひどいですわね。それでは私もその強引な血筋を引いているということかしら」
そこにはダリルと同年代と思われる、褐色肌の女性が立っていた。
「レイラ。体調は大丈夫なのか」
カーティスが短く声をかける。声量は控えめだが、その響きには相手を気遣う思いがしっかりと滲んでいた。
「ええ、お兄様。今日は本当に調子がいいんです」
レイラと呼ばれた女性は、にこりと柔らかく答えた。カーティスは何か言いたげに唇を動かしたが、結局、口を閉じた。
その様子を察したレイラが、言葉を継ぐ。
「ふふ、心配なさらなくても大丈夫です。念のため、レティシア様に休むためのお部屋を準備していただいていますから」
「……そうか。それならいい」
ホッとしたように、カーティスの目元がわずかに緩む。それだけで、彼がどれだけ妹を大事に思っているかがダリルには伝わってきた。
「やぁ、レイラ。体調がいいようで何よりだ」
「ええ、おかげさまで。アドレイド叔母様は相変わらずのようですね。元気があり余っているようで羨ましい限りです」
アドレイドと軽い会話を交わしてから、彼女はダリルに微笑みを向けた。
「初めまして、レイラ・ハウエルです。兄がいつもお世話になっております」
淡紅色の目をにこりと細めレイラが挨拶をする。
年齢はダリルの三つ上と聞いていたが、それでも大きな瞳が印象的な、どこか幼さが残る可憐な顔立ちは美少女と言って差し支えないだろう。
「ダリル・ハウエルです。よろしくお願いします」
「ふふ、ダーラ様が仰るように強引なところがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
悪戯っぽく笑うレイラに嫌味な感じはなかったが、ダーラは気まずかったのか「……強引なのはハウエル公爵家の男性に限ります」とぼそりとつけ加えた。
そんなダーラを見て、レイラがくすりと笑う。
「あら? アドレイド叔母様はいつ男になったのかしら」
「ほとんど男性みたいなものですよ、あの人は」
「本当にダーラ様は可愛いですわ。さすがアドレイド叔母様、女性を見る目がありますわね」
「ハハハッ、そうだろう、そうだろう。もっと褒めてくれて構わないぞ」
得意げに胸を張るアドレイドだったが、視線の先に何かを捉えて目を見開く。しかしすぐに相好を崩すと、腕を上げて大きく手を振った。
「カイル!」
嬉しそうに名前を呼ぶアドレイドの声に、ダリルやカーティス、レイラたちが振り返る。
そこには手洗いから戻ってきたカイルが立っていた。しかしなぜかその表情は暗く、気まずげに目を伏せていた。
どうしたのだろうとダリルが心配になっていると、カーティスがサッと足早にカイルのもとへ歩み寄った。そして優しく肩を抱き寄せながら、こちらへ戻ってきた。
「みんなお前に会えず、ずっと心配していたんだ。挨拶しなさい」
決して強要する風ではなく、柔らかな声で促して、カーティスはカイルの背をそっと押した。
カイルは唇を引き結んだまま緊張した面持ちでゆっくりと顔を上げ、ダリルと目が合うと、安堵したように強張った頬をやや緩める。そして、次には背筋を伸ばしてしっかりと視線をアドレイドたちに巡らせた。
「お久しぶりです。長い間、会うのを断ってしまい申し訳ございませんでした。いろいろとご心配おかけしました。今日はゆっくりお話しできたらと思っています」
声にかすかな震えは帯びているが、怯む気持ちを奥へと押しやるようにしてそう言い切った。
その言葉を聞いて、ダリルはようやくカイルがなぜ気まずそうな表情だったのかが分かった。
恐らく、痣が顔にできてからアドレイドたちと会うことを拒んでいたのだろう。もしかすると、拒絶に近い強さもあったのかもしれない。その負い目から、強く緊張しているのだろう。
今日の夜会でアドレイドたちと会うことに、カイルがどれだけの勇気を要したかは想像に難くない。にもかかわらず、夜会前に緊張していたダリルを気遣い、力強く励ましてくれた。そんなカイルを思い出して、ダリルは目頭が熱くなった。
カイルの健気な姿に胸を打たれたのはダリルだけではなかった。
「カイル……!」
レイラが膝をつき、カイルをぎゅっと力強く抱きしめる。
「謝る必要なんてないわ。あなたは子供なんだから、私たち大人に気を遣う必要は少しもないのよ」
感極まって震える声でレイラが言うと、アドレイドがそれに同意するように頷いた。
「レイラの言う通りだ。子供のうちからそんなに気を遣っていては身が持たんぞ。会いたくない時は会いたくない。会いたい時は会いたい。それでいいのだ」
湿っぽさを散らすようにアドレイドがカイルの頭を豪快な手つきで撫でる。
「私を見てみろ。気遣いゼロで生きているからこの若々しさを保てているのだ」
「……アドレイド様のような極端な生き方はおすすめしませんが、今はこの人のこういう厚かましさを見習うべきですよ」
ここにきてダーラが初めて少しではあるものの微笑んだ。それぞれの優しさをその一身に受けたカイルは、目尻に涙を浮かべ小さく頷いた。
「――さて、会わなかった間の話をたっぷり聞かせてもらおうじゃないか」
明るくアドレイドが言って、カイルにウィンクを送る。
アドレイドに促され、カイルは気恥ずかしげに、しかしどこか嬉しそうに学園でのことを話し始めた。その間は誰もが真摯に耳を傾けており、表情は皆一様に微笑ましげで、こうしてまたカイルと話せる喜びを噛み締めているようだった。
その様子を見ながら、ダリルは顔を綻ばせた。
夜会に出る前までは、この結婚について何か物申されるのではないかと心配していたが、彼女たちの今の様子を見てそれは杞憂だったと確信した。
こんなにも優しい言葉と眼差しをカイルに向ける彼女たちが、身分差などといったことを理由に、ダリルを邪険にするわけがなかった。
優しさに満ちたその場の雰囲気は、血の繋がらないダリルやネイトにとっても心地よいもので、自然と笑みが零れたのだった。
カイルとの久しぶりの歓談をたっぷり楽しんだ後、アドレイドとダーラは他の貴族へ挨拶に、カーティスは商談相手に呼ばれ別室に、それぞれ散っていった。
残ったダリルたちは、その後も和やかに談笑していた。
レイラとは初対面だが、歳も近く彼女の気さくな性格のおかげで、ダリルたちはすぐに打ち解けることができた。
「ふふっ、それにしてもダリル様はすごいですわね」
ひとしきり話したところで、不意にレイラが小さく笑って言う。
ダリルは首を傾げた。
「すごいって、何がですか?」
これまでの会話で、褒められるようなことは少しもなかったはずだ。社交辞令にしてはあまりに脈絡がなく、また言い方に屈託がなかった。
「あら、無自覚なんですか? あんなにお兄様を骨抜きにしておいて」
「骨抜き!? いやいやっ、骨抜きになんてしていませんよ」
からかうような表情から冗談だと分かっていても、まるで自分がカーティスを籠絡したかのような言葉の響きに、ダリルは慌てて首を横に振る。その慌てっぷりを見たレイラは、くすりと笑った。
「骨抜きにしていますよ。公の場であんなにとろけた表情を見せるなんて……、ふふっ、ごめんなさい。思い出してまた笑っちゃいました」
レイラが口元に手を添えて無邪気に笑う。しかし、ダリルには彼女がなぜそこまで笑うのかが分からなかった。
もちろん、笑みの柔らかさから他意がないことは明らかだ。だが、それでも思い出し笑いするほど露骨な表情をカーティスは見せただろうか。確かに以前に比べれば若干、表情は柔らかくなったかもしれないが、とろけた表情というのは些か言いすぎのような気もした。
「レイラ叔母様、お言葉ですが、お父様は笑うほどしまりのない顔はしていませんよ」
カイルが不服そうに反論する。レイラがカーティスを貶めているわけではないことは分かっているだろうが、敬愛する父を笑われるのは面白くないのだろう。
「あらあら、ごめんなさい、カイル。だけど別にお兄様を侮辱しているわけではないのよ」
少しむくれたカイルの頭を撫でながら、レイラは謝り弁解した。
「もちろん、お兄様はしまりのない顔なんてしていないわ。ただ、お兄様は気を許した身内には優しい顔を見せるけれど、公の場ではハウエル公爵家当主としての体面を守って滅多に私的な感情を表に出したりしないでしょう? ……だから今日、ダリル様を見つめる柔らかな表情を見てすごく驚きました」
レイラは視線をダリルのほうへ向けた。
「でも、私はとてもいいことだと思います。お兄様は少し真面目すぎるから……。それにお兄様の愛想のなさは社交界ではマイナスポイントですわ。だからあのお堅い冷徹仮面を崩してくれたダリル様には感謝しています」
おどけながらもレイラは朗らかに話す。冗談めかした言い方だが、感謝の気持ちが深く伝わってきて、ダリルは照れくささから顔を赤くした。
「まあ、兄さんの並外れた可愛さを前にしたら、無表情でいられるわけがないからね」
ネイトが得意げに腕を組んで頷く。彼の言葉に、ダリルとカイルは溜め息をつき、レイラは目を丸くした後、すぐに噴き出した。
「ふふっ、ダリル様に骨抜きにされているのはお兄様だけではないようですね」
からかう風ではなく、純粋に楽しそうに言われたので、ダリルは一層、顔を赤らめた。
「レイラ様!」
不意に親しげにレイラを呼ぶ若い女性の声が聞こえ、四人は視線をそちらに向ける。数人の若い令嬢がこちらに駆け寄ってきていて、レイラは微笑みながらその令嬢たちに軽く手を挙げた。
「あら、お久しぶり」
「お久しぶりです、レイラ様」
「お加減はもう大丈夫なのですか」
「ええ、長く休養していたからすっかり元気になりましたわ」
和気藹々と語らうレイラと令嬢たちだったが、ひとりが本題に入るかのようにしておもむろに口を開いた。
「ところで、そちらの殿方たちは……」
令嬢たちがちらりとこちらに視線を向ける。正しくは、ネイトのほうに。彼は黙っていれば非の打ち所のない美青年なのだ。年頃の乙女たちの注目がそちらに向くのも無理はない。
「紹介しますわね。こちら、ネイト・コッド侯爵令息です」
「初めまして、ネイト・コッドと申します」
ネイトが秀麗な笑みを浮かべ挨拶をすると、令嬢たちの頬が仄かに赤く染まった。
とても先ほど兄に対して呆れるくらいの心酔を見せた人物と同一とは思えない。その猫被りっぷりにダリルは苦笑してしまう。
「そして、こちらが私の甥、カイル・ハウエル公爵令息ですわ」
しゃがんでカイルの両肩に手を置き紹介する。その表情は自慢の甥を誇るようなものだった。
「初めまして。カイル・ハウエルと申します」
大人びた態度で挨拶をするカイルに、令嬢たちが声を弾ませた。
「まぁ、可愛い!」
「しっかりされているのね。さすがレイラ様の甥御様」
「ふふふ、ありがとう」
まるで自分が褒められたようにレイラは嬉しそうに笑った。
「そしてこちらが、お兄様の再婚相手、ダリル様ですわ」
レイラがダリルのほうへ手のひらを向けてそう言うと、令嬢たちは目を見開いた。
「まぁ、あなたが……!」
興味津々といった感じで令嬢たちの目が輝いた。その目を見ていると、懇親会で婦人たちが詰めかけてきた時の記憶が蘇って、思わず身構える。
しかし逃げる隙もなく、令嬢たちはダリルを囲んだ。
「お噂通り素敵なお方!」
「あのハウエル公爵様の心を射止めるなんて、すごいですわ!」
「きっと素敵な馴れ初めがあるんでしょうね!」
好奇心に満ちた瞳は、明らかに甘く壮大なラブロマンスを期待していて、ダリルはたじろいでしまう。
「い、いえ、そんな大層なものは……」
「まぁ、ご謙遜なさって」
「でも、この謙虚さ、亡くなったクリスティーナ様一筋だった公爵様を振り向かせたのも納得ですわ」
うんうん、と頷く彼女たちに顔を引き攣らせながら、ダリルは内心、首を傾げた。
あれだけの美貌と地位がありながら後妻に名乗りを上げる者がいなかったのは、ハウエル公爵家の呪いを恐れてではなかっただろうか。
彼女たちの反応に少し違和感を抱いていると、くすり、と妙に輪郭のはっきりした女性の笑い声が耳に届いた。
「――あらあら、ハウエル公爵家の呪いを恐れて誰も名乗り出ることができなかった、の間違いではありませんこと?」
上品で柔らかな声音だが嫌味っぽい物言いに、皆、眉間に皺を寄せて声の主のほうを見た。
そこには、真っ白なレースのドレスに身を包んだ、白銀の髪を持つ美女が立っていた。胸元にロザリオに似た銀色のネックレスが揺れており、その姿はまるで絵画の中から出てきた女神のようだった。その美しさのあまり、ダリルは思わず息を呑んだ。
周りの令嬢たちは彼女のことを知っているようで、あからさまに顔を顰めた。
白銀の髪の女性はダリルに向かって、にこりと微笑んだ。
「はじめまして、ダリル様。私、オネアゼア国より来ました、ヴィルガ教のカリーナ・オルフィーノと申します」
「ヴィルガ教……」
その名前には聞き覚えがあった。
遙か西の国、オネアゼア国では三百年に一度、神より癒やしの力を与えられた聖女が現れるという言い伝えがあり、その聖女が十数年前にヴィルガ教の教団本部を訪れたという。
彼女の力は本物で、あらゆる病気やケガ、そして呪いをその力で癒やしてきた。だが、その力は相手の病気やケガが死に近ければ近いほど彼女の体力を多大に削るため、頻繁には使えないらしい。大金を出す貴族にのみにその力を使っているという悪評もあり、あまりいい噂を聞かない教団だ。
聞き慣れない遠くの国の話であり、聖女の名前までははっきりと憶えていないが、確かその聖女は美しい白銀の髪の持ち主だということはダリルの記憶にあった。
「もしかして、聖女様ですか?」
緊張しながら問うと、女はふふっと可憐に微笑んで頷いた。
「一応、そのように呼ばれていますわ」
彼女の答えに、ダリルは自分で聞いておきながら驚いた。聖女というどこかお伽話めいた存在が目の前にいることに、ただただ唖然とするばかりだった。
すっかり呆けているダリルに代わって、気の強そうな令嬢がフンと鼻を鳴らした。
「あら、でも聖女様だって、ハウエル公爵家から治癒の依頼を受けたにもかかわらず、呪いを恐れて断ったそうじゃありませんか」
挑発的に令嬢が言うと、カイルは目を瞠ってカリーナを凝視する。しかし彼女は柔和な微笑みを崩さず、ゆったりと答えた。
「ふふっ、そういう風に噂が広がっているのですね。まったく噂とは嘘デタラメばかりですわね」
「デタラメ? でも、断ったのは事実でしょう?」
令嬢が棘のある言い方で、問いかける。
「誤解ですわ。ハウエル公爵家の依頼に応えられなかったのは、これまでオネアゼア国周辺で戦争が絶えず兵士たちの治癒に駆け回っていたためで、決して呪いを恐れたことなどありませんわ。それに――」
そこで言葉を切って、カリーナは令嬢たちを一瞥した。
「傷ついた兵士たちを放ってハウエル公爵家へ駆けつけるなんて、まるでお金で命の選別をする守銭奴のようではありませんか」
他意を含んだ口振りで言って、たおやかに微笑む。
恐らく、大金を出す貴族にのみその力を使う、という噂は本人の耳にも届いているのだろう。その噂を、そしてそれを信じこんでいる者たちの単純さを揶揄するような物言いだった。
令嬢たちがすぐに言い返せずにいると、カリーナはふぅ、とわざとらしいほどに憂いを帯びた溜め息をひとつ漏らした。
「嘆かわしい限りですわ。皆様にそんな誤解を与えてしまうのもすべては私の無力さのせい。もし、私の力が他の者にも分け与えられたら、世界中からやってくる救いを求める声すべてに応えることができるのに、と悔しくてなりません。……カイル様」
カリーナはカイルと目線を合わせるように膝を折り、向き直る。
「私が無力なばかりに、カイル様のもとへすぐに参れず、申し訳ございませんでした。とても辛い想いをされたでしょう。ずっとそのことが気がかりだったのです」
眉尻を下げ、憐憫に満ちた表情で謝るカリーナに、カイルは少し驚いていたが、すぐに大人びた微笑を浮かべて答えた。
「いえ、構いませんよ。カリーナ様もいろいろ事情があったようですし。それに、今はむしろ感謝すらしています」
「え?」
思いがけない言葉に、カリーナだけでなくダリルたちも目を丸くした。カイルは笑みを深めると、ぐいっとダリルの腕を両手で抱き寄せた。
二人とも今夜の夜会でダリルに会うのを楽しみにしてくれているらしいが、本心は分からない。
いくらカイルやカーティスに頼まれた契約結婚だったとはいえ、身内からすればダリルの印象はあまりよくないだろう。
しかもダリルは、一応侯爵家の出ではあるが、元使用人だ。契約期間中あらゆる手段を使ってカーティスを陥落させたのではないかと邪推されても無理はない。
それほどまでに、客観的に見ればダリルとの結婚はカーティスにとって何ら得はないのだ。
アドレイドやレイラがどんな人物かは分からないが、考えれば考えるほどダリルの中の不安と緊張は増していく一方だった。
「大丈夫だよ」
まるで心の内を見透かしたような言葉に、ダリルは驚いてカイルのほうを見る。
カイルは目が合うと、ふっと目元を和らげた。
「きっと二人ともダリルを気に入るよ。なんて言ったって、この僕が認めたんだから」
どこか得意げにカイルが言うものだから、ダリルは思わずくすりと笑った。
「そう言ってくれると心強いなぁ。ありがとう、カイル」
「まぁ、ダリルは気の抜ける顔しているから、滅多なことで敵意を向けられることはないよ」
「気の抜ける顔って……」
確かに息を呑むほどに顔立ちが整っているカーティスやカイルに比べれば締まりのない顔かもしれないが……
そう苦笑するダリルをちらりと見てから、カイルは肩をすくめるようにして軽く溜め息をついた。
「安心しなよ。それでも万が一︑二人がダリルに何か言うようなら、僕が守ってあげるからさ」
素っ気ない言い方だが、そこには絶対に約束を違えないだろう誠実さが感じられた。素直でない、ある意味カイルらしい優しさにダリルは微笑ましい気持ちで目を細めた。
「ありがとう。頼りにしてる」
素直に礼を言うと、カイルは「子供を頼りにするなんてダリルらしい」とわざと嫌味っぽく言って返したが、その顔は満更でもなさそうだった。
****
クレア侯爵の屋敷に着いた四人を出迎えたのは、当主であるフィリップ・クレアと、本日の主役、レティシア・クレアだった。
痩せ型で寡黙なフィリップに反して、レティシアはふくよかな明るい女性で、急遽参加することになったネイトも快く迎え入れてくれた。
「かっこいい殿方が増えるのは大歓迎!」
レティシアが朗らかに笑う。声も身振りも大きいが、快活さの中に品があり、少しも嫌な感じがしない。きっとこの屋敷に訪れた人間の多くが、家門の付き合いだけでなく、彼女の人柄によって集まったのだろうと察せられた。
「ああ、そういえば、大事なことを忘れるところでしたわ」
軽い談笑を挟んでから、レティシアは傍のメイドから手籠を受け取り、にこにこと無邪気な少女のような笑みを浮かべた。
「ここからひとりひとつずつ紙を取ってください」
差し出されたその中から、ダリルたちは言われるがまま小さく折り畳まれた紙を選ぶ。
ダリルの紙には、薔薇の絵と数字の六の文字が記されていた。
「パーティーで使う大事なものですから、なくさないように持っていてくださいね」
「何に使うんですか?」
「ふふっ、それはあとからのお楽しみですわ」
ダリルの質問に、レティシアは何かを企んでいるような笑みでもって返したのだった。
「なんだろうね、これ」
ホールへ向かう途中の廊下で、カイルが冷めた目で手元の紙を見ながら呟いた。カイルの紙には小鳥の絵と数字の三が書かれている。
少し不機嫌なのは、「子供はこっちの籠よ」と子供扱いを受けたせいだろう。
「うーん、なんだろう……。あ! もしかして豪華景品が当たるくじ引きとか?」
「なんで誕生日を祝いに来た人間が物をもらう気満々なの」
呆れ気味に言われ、ダリルは途端に恥ずかしくなって肩をすぼめた。それを見咎めたネイトが、目尻を吊り上げ抗議する。
「何を! 兄さんらしい無邪気な発想じゃないか!」
「や、やめて、ネイト。成人男性が無邪気はきつい……」
擁護されているはずなのにまるで追い打ちをかけられたような気持ちになり、堪らずダリルは止めにかかる。そのやり取りを、傍らで見ていたカーティスが静かに笑った。
弟に庇い立てられる場面を見られ気恥ずかしくもあったが、カーティスの笑みが柔らかで微笑ましげですらあったので、ダリルは胸がくすぐったくなった。
過保護ではあるが大切な自慢の弟だ。カーティスの笑みには、そんなネイトの存在ごと自分を受け入れてくれているような、温かな包容力が感じられたのだ。
ホールに入ると、アリシア学園の懇親会の時と同じように、貴族たちが次々とカーティスのもとへ挨拶に訪れた。
未だ社交界での挨拶に慣れないダリルは、ひっきりなしに挨拶に来る人々にすっかり疲弊しきっていたが、カイルとネイトは少しの疲労も見せずに実に堂々と応対していた。
人の波が引いたところで、カイルが手洗いに行った。ダリルが一緒について行こうかと言うと「ひとりで行けるよ」と子供扱いを不服とした様子で断られた。
ハウエル公爵家の従者、チャドがついているが、それでも遠く離れていく背中をつい目で追ってしまう。すると、ネイトが小さく溜め息をついた。
「兄さんも僕のこと言えないじゃないか。結構な過保護っぷりだよ」
「いやいや、俺とカイルじゃ歳が全然違うから」
「目が離せないのは一緒だよ」
肩をすくめながら言われ、ダリルはむくれた。
「目が離せないって子供じゃあるまいし……。カーティス様もそう思いませんか?」
振り返ってカーティスに賛同を求める。しかし、カーティスはすぐには頷かず、口元に手を当て小さく笑った。
「確かに君は子供ではないが、カイルとは違う意味で目が離せない。……目で追ってずっと見ていたくなる」
愛おしげな眼差しを向けられ、ダリルの頬が熱を帯びる。言葉以上に饒舌な彼の瞳から甘い感情が伝わってきて、不意を突かれたようにどぎまぎした。
そんな甘い雰囲気を察知したネイトが、サッと二人の間に割り入る。
「本当にそうですよねっ、ハウエル公爵のお気持ち、すごく分かりますよ。僕もずっと兄のことは目で追ってきましたからね、子供の頃からずっと」
にこやかにカーティスの言葉に賛同しつつも、さりげなく自分のほうがダリルとの付き合いが長いことを誇示するネイト。しかし、幸いにもカーティスはその幼稚な対抗心には気づいていないようで「子供の頃のダリル君もさぞ可愛かっただろうな」と鷹揚に目を細めていた。
(なんか、威嚇する猫と、ゆったりした象みたいだな)
二人のどこか噛み合わないやり取りを聞きながら胸の内で苦笑していると、「やぁ、カーティス。久しぶりだね」とカーティスに気さくに話しかける声がした。
声のほうを振り返ると、男装の麗人といった装いの女性が、金色の長髪を揺らしながらこちらへ向かってきていた。隣には黒髪の小柄な女性を連れ立っている。
彼女のほうへ向き直ったカーティスの表情は、一見では分かりにくいが柔らかくなり、ダリルにはカーティスが彼女たちと懇意な関係であることが容易に分かった。
「お久しぶりです。アルバーン辺境伯」
「ははっ、お堅い感じは変わらずだが、だいぶ表情が柔らかくなったな。やはり結婚すると人は変わるものだな」
にやにやと茶化すように言いながら、男装の女性はダリルのほうへ視線を遣った。
「初めまして。君がダリル君だね。話はカーティスからよく聞いているよ。私はアドレイド・アルバーン、カーティスの叔母だ」
名乗ったアドレイドは、スッと手を差し出した。女性にしては少し低いが、自信に満ちた張りのある声は、威厳と気さくさを兼ね備えていた。
「ダリル・ハウエルです。どうぞよろしくお願いします」
差し出された手をとり挨拶すると、力強く握り返された。瞳こそカーティスと同じ赤色だが、彼とは違い豊かな表情がそこにはあった。
「ご挨拶になかなか伺えず申し訳ございませんでした」
「いや、こっちがいろいろ立てこんでいたからね。気を遣わせてすまなかったね」
辣腕を振るう女辺境伯という噂を聞いて、ダリルはアドレイドが厳しい人だと想像していたが、思いの外、気さくでホッとする。
「ところで隣の色男は誰だい? まさか間男なんてことはないだろうね」
「ち、違いますよっ」
明らかなからかいだと分かっていても、ダリルは慌てて否定した。
「紹介させていただきます。こちらは弟のネイトです」
「ネイト・コッドです。どうぞよろしくお願いします」
緊張してぎこちないダリルと違い、ネイトは一歩前に出て余裕ある秀麗な笑みを浮かべた。
「おやおや、若いのに随分堂々としているね。いい男になるに違いない。アドレイド・アルバーンだ、よろしく」
冗談交じりに褒めながら、アドレイドはネイトと握手を交わした。
「さて、私も妻を紹介させてもらおう。ダーラ」
「はい」
アドレイドに呼ばれて、隣の黒髪の女性が半歩前に出る。長身のアドレイドの隣に立つとその小柄さが目立つ。
「私の妻、ダーラ・アルバーンだ」
「どうぞよろしくお願いします」
愛想程度にも微笑まず挨拶をするダーラの声は、溌剌としたアドレイドの声とは対照的に、囁くようなか細いものだった。
いや、声だけではなく二人はすべてが対照的だった。きらびやかな顔立ちのアドレイドに対してダーラは素朴な顔立ちで、表情の乏しさがそれをさらに際立たせている。
服装も華やかで明るい色を基調にしたアドレイドとは真逆で、黒に近い紫色のドレスを身にまとっており、ともすれば無表情さと相まって喪服に見間違えそうなほどだ。
だが不思議と、彼女から冷たさを感じることはなかった。
「こちらこそどうぞよろしくお願いします」
挨拶を交わす二人を満足げに見ながら、アドレイドが不意に「フッフッフッ……」と妙な笑いを漏らし始めたので、思わずダリルは首を傾げた。
「あの、どうかされました?」
「いや、失礼。ただ、私好みの二人が並んで実に壮観な光景だと思っただけさ」
「え?」
うっとりと微笑んで言うアドレイドの言葉に、ダリルはきょとんとして、ダーラは心底辟易した顔で眉根を寄せた。
そんな二人の反応などお構いなしに、アドレイドは恍惚交じりに嘆息した。
「あぁ……っ、何と可愛らしい。まるで野の端で控えめに咲く野花のようだ。叶うことならまとめてお持ち帰りしたい……っ」
「誘拐罪で連行されますよ」
微塵も冗談の気を見せず冷淡に言うダーラに、アドレイドの頬がさらに緩む。
「はははっ、すまない、妬かせてしまったね」
「妬いていません」
「大丈夫だよ。私は生涯ダーラ一筋さ」
「叶うことなら私も期限つきの契約結婚でありたかったものです」
ダリルへの嫌味などではなく本心から漏れた独り言のように、ダーラは溜め息をつきながらそう言った。
「そんな寂しいことを言わないでおくれ。永遠の愛を誓った仲じゃないか」
「誓わされた、の間違いです」
「だが、誓った事実には違いない」
肩を抱き寄せにこりと微笑むアドレイドに、ダーラは心底うんざりしたような表情を見せたが、溜め息を呑みこむような間を置いてからダリルのほうへ顔を向けた。
「……ダリル様」
「は、はいっ」
不意に名前を呼ばれ、ダリルは反射的に背筋をビシッと伸ばす。
「カーティス様は紳士的な人格者ですが、ハウエル公爵家の血筋の人間はこのように強引なところがありますので、どうぞお気をつけて」
アドレイドを軽く睨みつけながら忠告するダーラに、どう返していいか思いあぐねる。とその時、くすくすと笑う可憐な笑い声が後ろから聞こえ、ダリルは振り返った。
「ひどいですわね。それでは私もその強引な血筋を引いているということかしら」
そこにはダリルと同年代と思われる、褐色肌の女性が立っていた。
「レイラ。体調は大丈夫なのか」
カーティスが短く声をかける。声量は控えめだが、その響きには相手を気遣う思いがしっかりと滲んでいた。
「ええ、お兄様。今日は本当に調子がいいんです」
レイラと呼ばれた女性は、にこりと柔らかく答えた。カーティスは何か言いたげに唇を動かしたが、結局、口を閉じた。
その様子を察したレイラが、言葉を継ぐ。
「ふふ、心配なさらなくても大丈夫です。念のため、レティシア様に休むためのお部屋を準備していただいていますから」
「……そうか。それならいい」
ホッとしたように、カーティスの目元がわずかに緩む。それだけで、彼がどれだけ妹を大事に思っているかがダリルには伝わってきた。
「やぁ、レイラ。体調がいいようで何よりだ」
「ええ、おかげさまで。アドレイド叔母様は相変わらずのようですね。元気があり余っているようで羨ましい限りです」
アドレイドと軽い会話を交わしてから、彼女はダリルに微笑みを向けた。
「初めまして、レイラ・ハウエルです。兄がいつもお世話になっております」
淡紅色の目をにこりと細めレイラが挨拶をする。
年齢はダリルの三つ上と聞いていたが、それでも大きな瞳が印象的な、どこか幼さが残る可憐な顔立ちは美少女と言って差し支えないだろう。
「ダリル・ハウエルです。よろしくお願いします」
「ふふ、ダーラ様が仰るように強引なところがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
悪戯っぽく笑うレイラに嫌味な感じはなかったが、ダーラは気まずかったのか「……強引なのはハウエル公爵家の男性に限ります」とぼそりとつけ加えた。
そんなダーラを見て、レイラがくすりと笑う。
「あら? アドレイド叔母様はいつ男になったのかしら」
「ほとんど男性みたいなものですよ、あの人は」
「本当にダーラ様は可愛いですわ。さすがアドレイド叔母様、女性を見る目がありますわね」
「ハハハッ、そうだろう、そうだろう。もっと褒めてくれて構わないぞ」
得意げに胸を張るアドレイドだったが、視線の先に何かを捉えて目を見開く。しかしすぐに相好を崩すと、腕を上げて大きく手を振った。
「カイル!」
嬉しそうに名前を呼ぶアドレイドの声に、ダリルやカーティス、レイラたちが振り返る。
そこには手洗いから戻ってきたカイルが立っていた。しかしなぜかその表情は暗く、気まずげに目を伏せていた。
どうしたのだろうとダリルが心配になっていると、カーティスがサッと足早にカイルのもとへ歩み寄った。そして優しく肩を抱き寄せながら、こちらへ戻ってきた。
「みんなお前に会えず、ずっと心配していたんだ。挨拶しなさい」
決して強要する風ではなく、柔らかな声で促して、カーティスはカイルの背をそっと押した。
カイルは唇を引き結んだまま緊張した面持ちでゆっくりと顔を上げ、ダリルと目が合うと、安堵したように強張った頬をやや緩める。そして、次には背筋を伸ばしてしっかりと視線をアドレイドたちに巡らせた。
「お久しぶりです。長い間、会うのを断ってしまい申し訳ございませんでした。いろいろとご心配おかけしました。今日はゆっくりお話しできたらと思っています」
声にかすかな震えは帯びているが、怯む気持ちを奥へと押しやるようにしてそう言い切った。
その言葉を聞いて、ダリルはようやくカイルがなぜ気まずそうな表情だったのかが分かった。
恐らく、痣が顔にできてからアドレイドたちと会うことを拒んでいたのだろう。もしかすると、拒絶に近い強さもあったのかもしれない。その負い目から、強く緊張しているのだろう。
今日の夜会でアドレイドたちと会うことに、カイルがどれだけの勇気を要したかは想像に難くない。にもかかわらず、夜会前に緊張していたダリルを気遣い、力強く励ましてくれた。そんなカイルを思い出して、ダリルは目頭が熱くなった。
カイルの健気な姿に胸を打たれたのはダリルだけではなかった。
「カイル……!」
レイラが膝をつき、カイルをぎゅっと力強く抱きしめる。
「謝る必要なんてないわ。あなたは子供なんだから、私たち大人に気を遣う必要は少しもないのよ」
感極まって震える声でレイラが言うと、アドレイドがそれに同意するように頷いた。
「レイラの言う通りだ。子供のうちからそんなに気を遣っていては身が持たんぞ。会いたくない時は会いたくない。会いたい時は会いたい。それでいいのだ」
湿っぽさを散らすようにアドレイドがカイルの頭を豪快な手つきで撫でる。
「私を見てみろ。気遣いゼロで生きているからこの若々しさを保てているのだ」
「……アドレイド様のような極端な生き方はおすすめしませんが、今はこの人のこういう厚かましさを見習うべきですよ」
ここにきてダーラが初めて少しではあるものの微笑んだ。それぞれの優しさをその一身に受けたカイルは、目尻に涙を浮かべ小さく頷いた。
「――さて、会わなかった間の話をたっぷり聞かせてもらおうじゃないか」
明るくアドレイドが言って、カイルにウィンクを送る。
アドレイドに促され、カイルは気恥ずかしげに、しかしどこか嬉しそうに学園でのことを話し始めた。その間は誰もが真摯に耳を傾けており、表情は皆一様に微笑ましげで、こうしてまたカイルと話せる喜びを噛み締めているようだった。
その様子を見ながら、ダリルは顔を綻ばせた。
夜会に出る前までは、この結婚について何か物申されるのではないかと心配していたが、彼女たちの今の様子を見てそれは杞憂だったと確信した。
こんなにも優しい言葉と眼差しをカイルに向ける彼女たちが、身分差などといったことを理由に、ダリルを邪険にするわけがなかった。
優しさに満ちたその場の雰囲気は、血の繋がらないダリルやネイトにとっても心地よいもので、自然と笑みが零れたのだった。
カイルとの久しぶりの歓談をたっぷり楽しんだ後、アドレイドとダーラは他の貴族へ挨拶に、カーティスは商談相手に呼ばれ別室に、それぞれ散っていった。
残ったダリルたちは、その後も和やかに談笑していた。
レイラとは初対面だが、歳も近く彼女の気さくな性格のおかげで、ダリルたちはすぐに打ち解けることができた。
「ふふっ、それにしてもダリル様はすごいですわね」
ひとしきり話したところで、不意にレイラが小さく笑って言う。
ダリルは首を傾げた。
「すごいって、何がですか?」
これまでの会話で、褒められるようなことは少しもなかったはずだ。社交辞令にしてはあまりに脈絡がなく、また言い方に屈託がなかった。
「あら、無自覚なんですか? あんなにお兄様を骨抜きにしておいて」
「骨抜き!? いやいやっ、骨抜きになんてしていませんよ」
からかうような表情から冗談だと分かっていても、まるで自分がカーティスを籠絡したかのような言葉の響きに、ダリルは慌てて首を横に振る。その慌てっぷりを見たレイラは、くすりと笑った。
「骨抜きにしていますよ。公の場であんなにとろけた表情を見せるなんて……、ふふっ、ごめんなさい。思い出してまた笑っちゃいました」
レイラが口元に手を添えて無邪気に笑う。しかし、ダリルには彼女がなぜそこまで笑うのかが分からなかった。
もちろん、笑みの柔らかさから他意がないことは明らかだ。だが、それでも思い出し笑いするほど露骨な表情をカーティスは見せただろうか。確かに以前に比べれば若干、表情は柔らかくなったかもしれないが、とろけた表情というのは些か言いすぎのような気もした。
「レイラ叔母様、お言葉ですが、お父様は笑うほどしまりのない顔はしていませんよ」
カイルが不服そうに反論する。レイラがカーティスを貶めているわけではないことは分かっているだろうが、敬愛する父を笑われるのは面白くないのだろう。
「あらあら、ごめんなさい、カイル。だけど別にお兄様を侮辱しているわけではないのよ」
少しむくれたカイルの頭を撫でながら、レイラは謝り弁解した。
「もちろん、お兄様はしまりのない顔なんてしていないわ。ただ、お兄様は気を許した身内には優しい顔を見せるけれど、公の場ではハウエル公爵家当主としての体面を守って滅多に私的な感情を表に出したりしないでしょう? ……だから今日、ダリル様を見つめる柔らかな表情を見てすごく驚きました」
レイラは視線をダリルのほうへ向けた。
「でも、私はとてもいいことだと思います。お兄様は少し真面目すぎるから……。それにお兄様の愛想のなさは社交界ではマイナスポイントですわ。だからあのお堅い冷徹仮面を崩してくれたダリル様には感謝しています」
おどけながらもレイラは朗らかに話す。冗談めかした言い方だが、感謝の気持ちが深く伝わってきて、ダリルは照れくささから顔を赤くした。
「まあ、兄さんの並外れた可愛さを前にしたら、無表情でいられるわけがないからね」
ネイトが得意げに腕を組んで頷く。彼の言葉に、ダリルとカイルは溜め息をつき、レイラは目を丸くした後、すぐに噴き出した。
「ふふっ、ダリル様に骨抜きにされているのはお兄様だけではないようですね」
からかう風ではなく、純粋に楽しそうに言われたので、ダリルは一層、顔を赤らめた。
「レイラ様!」
不意に親しげにレイラを呼ぶ若い女性の声が聞こえ、四人は視線をそちらに向ける。数人の若い令嬢がこちらに駆け寄ってきていて、レイラは微笑みながらその令嬢たちに軽く手を挙げた。
「あら、お久しぶり」
「お久しぶりです、レイラ様」
「お加減はもう大丈夫なのですか」
「ええ、長く休養していたからすっかり元気になりましたわ」
和気藹々と語らうレイラと令嬢たちだったが、ひとりが本題に入るかのようにしておもむろに口を開いた。
「ところで、そちらの殿方たちは……」
令嬢たちがちらりとこちらに視線を向ける。正しくは、ネイトのほうに。彼は黙っていれば非の打ち所のない美青年なのだ。年頃の乙女たちの注目がそちらに向くのも無理はない。
「紹介しますわね。こちら、ネイト・コッド侯爵令息です」
「初めまして、ネイト・コッドと申します」
ネイトが秀麗な笑みを浮かべ挨拶をすると、令嬢たちの頬が仄かに赤く染まった。
とても先ほど兄に対して呆れるくらいの心酔を見せた人物と同一とは思えない。その猫被りっぷりにダリルは苦笑してしまう。
「そして、こちらが私の甥、カイル・ハウエル公爵令息ですわ」
しゃがんでカイルの両肩に手を置き紹介する。その表情は自慢の甥を誇るようなものだった。
「初めまして。カイル・ハウエルと申します」
大人びた態度で挨拶をするカイルに、令嬢たちが声を弾ませた。
「まぁ、可愛い!」
「しっかりされているのね。さすがレイラ様の甥御様」
「ふふふ、ありがとう」
まるで自分が褒められたようにレイラは嬉しそうに笑った。
「そしてこちらが、お兄様の再婚相手、ダリル様ですわ」
レイラがダリルのほうへ手のひらを向けてそう言うと、令嬢たちは目を見開いた。
「まぁ、あなたが……!」
興味津々といった感じで令嬢たちの目が輝いた。その目を見ていると、懇親会で婦人たちが詰めかけてきた時の記憶が蘇って、思わず身構える。
しかし逃げる隙もなく、令嬢たちはダリルを囲んだ。
「お噂通り素敵なお方!」
「あのハウエル公爵様の心を射止めるなんて、すごいですわ!」
「きっと素敵な馴れ初めがあるんでしょうね!」
好奇心に満ちた瞳は、明らかに甘く壮大なラブロマンスを期待していて、ダリルはたじろいでしまう。
「い、いえ、そんな大層なものは……」
「まぁ、ご謙遜なさって」
「でも、この謙虚さ、亡くなったクリスティーナ様一筋だった公爵様を振り向かせたのも納得ですわ」
うんうん、と頷く彼女たちに顔を引き攣らせながら、ダリルは内心、首を傾げた。
あれだけの美貌と地位がありながら後妻に名乗りを上げる者がいなかったのは、ハウエル公爵家の呪いを恐れてではなかっただろうか。
彼女たちの反応に少し違和感を抱いていると、くすり、と妙に輪郭のはっきりした女性の笑い声が耳に届いた。
「――あらあら、ハウエル公爵家の呪いを恐れて誰も名乗り出ることができなかった、の間違いではありませんこと?」
上品で柔らかな声音だが嫌味っぽい物言いに、皆、眉間に皺を寄せて声の主のほうを見た。
そこには、真っ白なレースのドレスに身を包んだ、白銀の髪を持つ美女が立っていた。胸元にロザリオに似た銀色のネックレスが揺れており、その姿はまるで絵画の中から出てきた女神のようだった。その美しさのあまり、ダリルは思わず息を呑んだ。
周りの令嬢たちは彼女のことを知っているようで、あからさまに顔を顰めた。
白銀の髪の女性はダリルに向かって、にこりと微笑んだ。
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「ヴィルガ教……」
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「あら、でも聖女様だって、ハウエル公爵家から治癒の依頼を受けたにもかかわらず、呪いを恐れて断ったそうじゃありませんか」
挑発的に令嬢が言うと、カイルは目を瞠ってカリーナを凝視する。しかし彼女は柔和な微笑みを崩さず、ゆったりと答えた。
「ふふっ、そういう風に噂が広がっているのですね。まったく噂とは嘘デタラメばかりですわね」
「デタラメ? でも、断ったのは事実でしょう?」
令嬢が棘のある言い方で、問いかける。
「誤解ですわ。ハウエル公爵家の依頼に応えられなかったのは、これまでオネアゼア国周辺で戦争が絶えず兵士たちの治癒に駆け回っていたためで、決して呪いを恐れたことなどありませんわ。それに――」
そこで言葉を切って、カリーナは令嬢たちを一瞥した。
「傷ついた兵士たちを放ってハウエル公爵家へ駆けつけるなんて、まるでお金で命の選別をする守銭奴のようではありませんか」
他意を含んだ口振りで言って、たおやかに微笑む。
恐らく、大金を出す貴族にのみその力を使う、という噂は本人の耳にも届いているのだろう。その噂を、そしてそれを信じこんでいる者たちの単純さを揶揄するような物言いだった。
令嬢たちがすぐに言い返せずにいると、カリーナはふぅ、とわざとらしいほどに憂いを帯びた溜め息をひとつ漏らした。
「嘆かわしい限りですわ。皆様にそんな誤解を与えてしまうのもすべては私の無力さのせい。もし、私の力が他の者にも分け与えられたら、世界中からやってくる救いを求める声すべてに応えることができるのに、と悔しくてなりません。……カイル様」
カリーナはカイルと目線を合わせるように膝を折り、向き直る。
「私が無力なばかりに、カイル様のもとへすぐに参れず、申し訳ございませんでした。とても辛い想いをされたでしょう。ずっとそのことが気がかりだったのです」
眉尻を下げ、憐憫に満ちた表情で謝るカリーナに、カイルは少し驚いていたが、すぐに大人びた微笑を浮かべて答えた。
「いえ、構いませんよ。カリーナ様もいろいろ事情があったようですし。それに、今はむしろ感謝すらしています」
「え?」
思いがけない言葉に、カリーナだけでなくダリルたちも目を丸くした。カイルは笑みを深めると、ぐいっとダリルの腕を両手で抱き寄せた。
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他の番外編も少しずつアップしたいと思っております。
◇ストーリー◇
孤高の悪役令息×BL漫画の総受け主人公に転生した美人
姉が書いたBL漫画の総モテ主人公に転生したフランは、総モテフラグを折る為に、悪役令息サモンに取り入ろうとする。しかしサモンは誰にも心を許さない一匹狼。周囲の人から怖がられ悪鬼と呼ばれる存在。
そんなサモンに寄り添い、フランはサモンの悪役フラグも折ろうと決意する──。
互いに信頼関係を築いて、サモンの腰巾着となったフランだが、ある変化が……。どんどんサモンが過保護になって──!?
・書籍化部分では、web未公開その後の番外編*がございます。
総受け設定のキャラだというだけで、総受けではありません。CPは固定。
自分好みに育っちゃった悪役とのラブコメになります。
冷酷無慈悲なラスボス王子はモブの従者を逃がさない
北川晶
BL
冷徹王子に殺されるモブ従者の子供時代に転生したので、死亡回避に奔走するけど、なんでか婚約者になって執着溺愛王子から逃げられない話。
ノワールは四歳のときに乙女ゲーム『花びらを恋の数だけ抱きしめて』の世界に転生したと気づいた。自分の役どころは冷酷無慈悲なラスボス王子ネロディアスの従者。従者になってしまうと十八歳でラスボス王子に殺される運命だ。
四歳である今はまだ従者ではない。
死亡回避のためネロディアスにみつからぬようにしていたが、なぜかうまくいかないし、その上婚約することにもなってしまった??
十八歳で死にたくないので、婚約も従者もごめんです。だけど家の事情で断れない。
こうなったら婚約も従者契約も撤回するよう王子を説得しよう!
そう思ったノワールはなんとか策を練るのだが、ネロディアスは撤回どころかもっと執着してきてーー!?
クールで理論派、ラスボスからなんとか逃げたいモブ従者のノワールと、そんな従者を絶対逃がさない冷酷無慈悲?なラスボス王子ネロディアスの恋愛頭脳戦。
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