トマトの指輪

相坂桃花

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4自己犠牲という名の愛慕

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 夕暮れの小道を、ルビーはフラフラとひとりで歩いていた。
 屋敷中がサファイアのことで混乱しており、きっとルビーがいなくなっていることに気づいたものはいないだろう。

 それでいい。

 自分が向かっている場所を知られれば、とめられてしまうのだから。
 今日も綺麗な夕陽だ。
 村中が哀しみに暮れているというのに、なんて綺麗な紅(くれない)なのだろう。この道は小さいころ、何度か通っていた。

 大人たちには、近づくなと禁じられていた洞窟。
 だけど、子供というのは禁じられれば禁じられるほど、近づいてしまうのだ。
 病弱で引きこもりがちだったルビーは、他の子供たちに比べれば行った数こそ少ないけれども、場所はちゃんと覚えていた。

 洞窟の入り口で、いつも泣いていたから。
 昔、ひとりはぐれてしまい泣いていた自分を迎えにきてくれていたのは、いつもギルバートだった。あのころからずっと、憧れていた。気づくと、恋心を抱くようになっていた。

 でも、知ってしまうのだ。彼の心が、誰のものか。
 大好きな姉と、恋をしてしまった青年。
 どちらも大切で、幸せになって欲しいから。


(神さま…お願い…一度だけ、私に力を貸して……)


 じょじょにくらくなっていく道を、祈るような想いで歩く。

 洞窟に辿り着いたころにはすでに、暮夜ぼやとなっていた。
 懐かしい光景だったが、やはり昼に見るのと夜に見るのとでは、印象がだいぶ違った。

 洞窟の入り口は存外小さく、大人では身を屈めて中に入らなければならない。けれど、入り口さえ抜ければ中は空間が広がっているのだ。
 洞窟の入り口付近には岩のくぼみがあり、それはまるで器のようになって常に真水をたたえていた。この水はとても綺麗で、昔泣きはらしたルビーの顔をギルバートが洗ってくれていたのも、この水だった。

 なんとなく、水をのぞいてみる。月光とともに、そこには相かわらずつまらない顔立ちをした自分が映っていた。

 白磁はくじのようになめらかな姉の白い肌はとても美しかった。それに引きかえ、白さだけはさほどかわらないけれども、鼻と両頬に散ったソバカスは、ただでさえ地味な容貌に悪い意味でのアクセントをつけている。

 もう少し、誉められる容姿だったら自信もついたのだろうか、などとせんなきことを考えてしまう。

 ルビーはゆるく首をふって、水面に映る自身の顔から目をそらした。
 そのまま、洞窟へと視線を固定する。
 自信のない自分。何もできない自分。

 それでも、助けたいひとがいるから。哀しんでほしくないひとがいるから。
 幸せになって、ほしいから。

「………神さま」

 我知らず呟き、決意をこめた緊張した面持ちで洞窟へと足を踏み出した。
 洞窟の入り口は狭かったが、小柄なルビーは難なく入ることができた。この洞窟に入るのは、何年ぶりだろうか。ほんの少し入ったところまでなら、きたことがある。

 ちょうどこの辺りだと、十歩ほど歩いたところで足をとめる。まだ入り口は見えている。
 夜なのであまり明かりは入ってこないが、昼間ならばこの辺りまでは外からの光が綺麗に入ってくるのだ。

 月明かりが差し込んでいるうちに、予め用意していたランプに明かりを灯す。小さなものだったが、ルビーの見える範囲を明るくするには十分の光明だった。

 ごくりとツバを飲み込んで、自分が進むべき方向を見る。奇跡を起こすと言われる花は、洞窟の奥にある。ルビーはこれ以上、中には入ったことがない。何があるかわからず、怖い。

「大丈夫よ、ルビー」

 小さな呟きは、自分を奮い立たせるための懸命な虚勢だった。
 震えながらも、中へと進んでいく。己の足音が、やけに響いて聞こえた。

 幸いなことに、今のところ道は一本になっている。
 帰る時は、きた道を戻ればいいだけだ。
 無事に帰れることができれば、の話だが。

 靴裏から伝わる、ごつごつとした石と、やたらとやわらかく感じる土の感触。奥に進むごとに、湿った土の匂いはカビ臭くもあった。

 それなのに、唇が次第に乾いていくのを感じる。
 湿度が高いはずなのに、身体が乾いていく。
 不思議な洞窟だ。耳の奥で、何かが鳴っているような気がする。

 生来臆病なルビーは、真っ暗な奥へと足を進めるたびに、不安に襲われていた。
 花がある場所は明確ではない。洞窟の奥だということしか知らない。

 それでも、あると信じて前に進むしかないのだ。
 自分がここで時間を食っている間にも、姉の身体は弱まっているのもかもしれない。

 また、他の犠牲者たちが出ているかもしれない。
 怖い。怖い。でも、足はとめない。

 姉の一大事は、村の存亡へ影響する。
 彼女は、この村にとってかけがえのない人物なのだ。

 失うわけには、いかない。

 何を――自分の身を滅ぼすことになろうとも。








「あれれ。これは懐かしいお客さまだ。お客さまだ」








 唐突な声に、ルビーは思わずランプを落としそうになってしまった。
 慌てて周囲を見渡す。今の声は、なんだ。若い男の声だった。まだ少年といってもいいくらいに。





「ルビーだね、ルビーだね。懐かしいね。懐かしいね。遊びにきたの?」





 声の主は、どこにいるのかまったくわからなかった。
 遠くから響いているようにも思えたし、耳元でしゃべられているような感覚もあった。

(誰?)

 声に出したはずの言葉は、唇の中で消える。極度の緊張に、喉がカラカラに渇く。







「小さいころ、ここによくきていたね。きていたね。泣いてた。すごくかわいかったなー。でも、こんなところまで入ってきちゃいけないよ。いけないよ」







 小さいころ?

 自分がここにきていたことを、この声の主は知っているのだろうか。
 それにどうして、名前まで知っているのだろう。







「ぼくはなんでも、知ってるよ。知ってるよ」






 まるでルビーの考えを読むかのように、的確に相手は答えてくる。
 この時になって、ルビーはようやく相手が同じ言葉を繰り返しながら話していることにも気づく。最初は反響しているせいかと思ったが、そうではないようだ。





「ルビーは奥に行きたいの? 行きたいの?」




 己の言葉を後追いしながら話すことは、どこか甘く聞こえた。

 ルビーはわずかに首をたてにふって、是と答える。
 声は数秒間、やんだ。だがすぐにまた響いてくる。遠くで、近くで。





「本当は奥には入っちゃダメなんだよ。ダメなんだよ。でもいいよ。案内してあげるよ。あげるよ」





 え、とルビーは呟く。謎の声が奥へと案内してくれるというのだ。どう答えればいいべきかとルビーは困惑したまま、オドオドと視線を辺りへと向ける。



 どこにいるかもわからない相手を探すために。




「ここまで入ってきた子は久しぶりだから、案内してあげるよ。ぼくは優しいからね。優しいからね。さあ、おいで」






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