トマトの指輪

相坂桃花

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10黄昏の告白

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「どうぞ」

 サファイアから身体を離し、涙の絡んだ声で応答する。身体を離す際、サファイアは少し名残惜しい気配を漂わせていたが、ルビーは気づかない。

「ルビー。いいか? って、なんだ。サファイアもいたのか」

 現れたのは、ギルバートだった。本日二度目の面会である。
 ギルバートはルビーの顔を見て笑い、サファイアの姿を確認すると少し驚き、すぐにいつもと同じ表情に戻った。

「かわいい妹の部屋にいて、何か問題でもあって?」

 涙を拭き、サファイアは言う。ルビーもギルバートに見つからないように、濡れた目元と頬をぬぐった。

「別にそういうわけでもないけどさ」

 おっ、と。
 ギルバートの顔が一瞬だけ、何かを発見したような顔になる。

 おそらく、二人して涙を流していたことがバレてしまったのだろう。
 けれども、このことに関してギルバートは詮索してくることはなかった。

「それで、ギルバートはルビーになんの御用? いくら幼馴染でも、年頃の淑女の寝室にそう何度も来るものではなくってよ」

「そう言うなよ、サリー」

 苦笑して、ベッドに近づいてくる。
 ルビーは胸のときめきと、痛みをほぼ同時に感じる。

 しかし、今までほどの傷みは感じなかった。ギルバートもサファイアも、同じくらいに愛しい。その愛情の種類に違いはあるけれども、大好きな二人がともに幸せに歩ける道ならば、身を引くことができると、ルビーは穏やかな気持ちで思った。

 諦めるという後ろ向きの決め事ではなく、想いを昇華して、受け止めて、自分の中で折り合いをつける……そんな感じだろうか。

「ルビー、夕食前に少し話があるんだが……いいか?」

 大好きな二人のやりとりを他人事のように見ていたルビーは、不意に自分の名前を呼ばれて目を瞬いた。

 よくよく考えれば、自分の寝室を尋ねてきたのだから、そう驚くことではないのだけれども……サファイアではなく、どんな用事が自分にあるのだろう?

 小首をかしげていると、サファイアがほんの少しだけ子供みたいな表情を作って、じっとりとギルバートを見上げた。

「それは。わたくしはお邪魔ということかしら?」

「言葉を包み隠さずに言えば、そうなるな」

「…………」

 ギルバートの返答に、サファイアは口を閉じた。

 ルビーは少なからず驚き、交互にギルバートとサファイアの顔を見る。
 自分の知らないところで、何かしら仲違いをするようなことが、あったのだろうか。

 二人の間で流れている雰囲気が、いつもよりも尖っているような気がしてならない。

 気安い関係の二人は、度々軽い言い合いのようなことになることはあったけれども、今日のようにギルバートがサファイアに席を外すように促すところを見るのは、初めてだった。

 なんということだろう。

 自分が二人の関係を認め、見守る決意をした矢先に喧嘩でもしてしまったのだろうか。
 口に出した決意ではないけれども、仲違いをしているように見えてしまう二人に、ガーンと青ざめる。

 仲良すぎるのも気落ちするが、仲違いをしているのを見るのも心が落ち着かない。
 オロオロとしている妹の頭を撫でて、サファイアはため息を落す。

「わかったわ。作法に沿って、退室させていただくわ」

 どことなく納得はしていない雰囲気を醸し出しつつも、サファイアは謎の言葉を残して退室してしまった。作法に沿って、とはどういう意味なのだろう?

 だが、姉に想いを馳せることができたのは、そこまでだった。

「ルビー」

 名前を呼ばれて、ピクンと肩を動かす。

「は、はい」

 サファイアを追い出してまで、自分のどんな用事があるのだろうか。
 不安に瞳を揺らしながら、ベッドの側に佇むギルバートの顔を見上げる。

 窓から入って来た夕暮れに照らされて、彼の顔も橙色に染まっていた。
 闇夜が迫る時間もすぐそばまで来ているはずだというのに、今日に限っていつもよりも夕暮れが長い気がする。

「身体の調子はどうだ?」

「だいぶ……」
 良好だと、小さな声で答えた。

 心のつかえがとれたためか、身体にも元の力が戻りつつあるのを感じる。
 本当の家族の如く心配してくれるギルバートに、ありがたくも、申し訳ない。

「そうか。それは、本当によかった」

 男らしい笑みを浮かべ、何かを言いかけて、その先をなかなか告げようとしない。

 これもまた、ギルバートにしては至極珍しい態度である。
 先程のサファイアといい、ギルバートといい。

 今日は、滅多に見ることのできない姿を目にする日だと、ルビーは思う。

 それは決して嫌なわけではないけれども、いつもと、どことなく様子が違うので……少し、落ち着かなくなる。

 どうしたのだろう? と、思いつつも言葉を促すことなく、ルビーは大人しくギルバートが続きの言葉を紡ぐのを待った。

 もしかしたら、二人……特に、ギルバートは緊張しているのかもしれない。
 今夜の夕食で、彼は姉へとプロポーズをする決意を固めているはず。

 そして、その事実を……たぶん、姉はその気配を察知しているのではないかと思う。
 だから、二人して……いつもとちょっとだけ、違うのだ。

 そう考えると、納得がいくような気がする。
 ならば……と、ルビーは温かくギルバートを見守ることに決めた。

 自分にできるのは、二人を祝福することだけだ。胸の痛みを、弱い微笑で隠す。
 元より騒がしさよりも静かさを好み、心地よい関係の人とならば、沈黙を楽しめるルビーである。

 その相手が、ギルバートとなれば、空間を共有しているだけで、幸せを感じた。
 一方で、幸せを感じないように己の心を戒めるのは、なんと難しいことだろうかと、ルビーは身に染みて思う。

 けれど、この痛みも――いつかきっと、幸せな思い出にかわるはずだ。

「食事会、ちゃんと出るんだろうな?」

 しばらく沈黙を守っていたギルバートが、突然そう切り出してきた。
 突拍子もない話題に、少し驚きながらもルビーは首を縦にふる。

 するとギルバートどこかホッとした顔を見せ、それからまた少し迷ったように何かを考えた末に、ルビーの手をとった。

 突然、骨ばった大きな手を重ねられ、ルビーの心臓は跳ね上がる。
 目を白黒させるルビーを顧みず、ギルバートは意を決したように言葉を続けた。

「本当は今夜……色々とちゃんとした後に渡そうと思っていたんだけど。すまん、なんか我慢できそうにない。俺、気が早ってんのかな」

 自嘲するように――否、照れているように彼は言って、空いている方の手で己のズボンをまさぐり、そして――

「え」

 意図せず、言葉が漏れる。
 重ねていた手を――ルビー―の小さな手を大事な宝物を扱うように丁寧に、彼はひっくり返し、細く少女らしい指にスッと何かをはめてきた。

 気づくと、指に赤い宝石が輝いていた。
 時間がとまる。どう反応していいかわからない。

 キョトキョトと、小動物のような仕草で指輪とギルバートの顔を見比べた。
 まだ、自分の身に何が起きたのか理解ができない。

「お前が好きだ。お前が、欲しい」

 その言葉はあまりにも現実味がなかった。

 夢なのだろうか。
 夢にしても、ずいぶんと都合のいい夢だと思ったルビーに、「夢じゃないぞ」と真剣な、けれどもどことなく焦っているかのようにも見える様子で、ギルバートは伝えてくる。

 真摯しんしな眼差しをしたギルバートのその頬が赤く染まっているのは、たぶん夕焼けのせいだけではないだろう。

「俺の一世一代の告白を、夢なんかにしないでくれルビー」

「でも……だって、姉さまに……指輪を用意したって……」

 そう、言っていたではないか。
 だから、自分は決意したのだ。諦めると。

 諦めて、二人の為にすべてを捧げようと決意したのだ。

 ルビーの言葉にギルバートはそっと眉間をひそめ、しばらく考えたのちに「ああ」と漏らした。

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