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9流れ落ちる姉妹の雫
しおりを挟む夕暮れが近づく。
ルビーはベッドの上で上半身を起こしながら、窓の外を見ていた。
寝室から見える夕焼けは綺麗で、哀しいこともすべて忘れることができそうだった。
紅の色はひどく美しく、胸を打つ。美しさのあまりに、涙が出そうだ。
自分が感傷的になっていることには気づいていたが、誰もいないのだから許して欲しい。日中にやってきたギルバートは、大切な話を夕食の際にすると言っていた。
きっと、今夜――ギルバートは姉へと愛を告げる。
誓いの指輪を与える。
彼女の名前を関する、蒼い美しい宝玉を携えた指輪を。
きっと、その指輪は誰が持っているものよりも美しく、姉を幸せに彩ることだろう。
「姉さま……」
どうか、幸せになってほしい。
そして、ギルバートを幸せにしてほしい。
自分には、どうすることもできないことを、胸の中で姉へと託す。
いっそのこと、姉のことが憎いと思えればよかった。
美しく優秀な姉が、物語にでて来るような意地悪な姉だったら、少しは救われたかもしれない。
けれども、姉は何もない自分を懸命に愛してくれた。何物からも、守ろうとしてくれた。大好きだと、愛していると言葉や態度で示してくれた。
そんな相手を嫌いになるなんて、嘘だ。
弱い自分は嫉妬をしてしまうけれども、それ以上の気持ちで姉のことが好きだった。
夕焼けが目に染みて、涙がぽろりと頬をこぼれ落ちる。
「どうして泣いているの?」
不意に声をかけられ、ルビーは肩をビクンと激しく上下させた。
白く細い指が伸びてきて、頬を伝った涙をぬぐう。
「誰かにいじめられたの?」
海の色よりも深い瞳が、夕焼けを吸収して、いつもよりもさらに深い色に見えた。
「ね、姉さま!」
「ドアをノックしたんだけど、返事がなかったから。眠ってしまったのかと思ったけれど、起きているみたいだし……声をかけても、反応がなかったから……」
心配したのよ、と。サファイアはルビーのベッドに腰かけ、その愁眉をひそめた。
蒼い瞳に、自分だけが映っている。
「何か哀しいことがあったの?」
そっと、毛布の上に乗せていた手の甲にサファイアの優美な手が乗せられる。
白魚のような指先が、慰めるようにルビーの手を撫でた。
「……なんでもないのよ、姉さま。目にゴミが入ってしまっただけなの」
本当のことなど言えるはずもなく、懸命に微笑んでルビーは小さな嘘をつく。
「本当に?」
真摯な瞳が、真っ直ぐにルビーを貫く。サファイアは、ルビーの偽りを見破ろうとしているようだったが、息を吐いて諦めてくれた。
「私のかわいいルビー。涙のわけは、もう聞かないわ。きっと、夕日が綺麗すぎて目に沁みてしまったのね」
姉はそう言って、窓の外を見た。
「あなたの瞳のように、美しい夕暮れね」
「そんな……」
綺麗なんて言葉、自分には似合わない。
そう思って否定しようとするけれど、それ以上の早さでサファイアは言葉を紡いだ。
この世界で一番美しいと思っている宝石のような瞳が、自分の姿を映している。
「あなたの瞳は、この世界で一番綺麗だと思うわ。愛しいルビー」
サファイアは言う。
ルビーは目を見開いた。ルビーが世界で一番だと思っているのは、サファイアの海の色を宿す瞳だ。けれども、サファイアはルビーの黄昏色の瞳を一番美しいと言う。
サファイアの瞳は嘘偽りの一切ないと訴えるかのような、一途さがあった。
「あなたは、本当にかわいいのよ。もしも私と血統が異なり、性別が異なっていたら……あなたを、誰にも渡さないと思うの」
「……姉さま」
真面目な顔で、けれどもどこか冗談めいた口調でサファイアは言う。
「誰かに取られるくらいなら、さらって逃げ出したいくらいに、あなたが大好きよルビー」
微笑むサファイアの顔は、見慣れているはずなのに、ハッとするほどに美しかった。
「ねえルビー。あなたにはまだちゃんとお礼を言えてなかったわね」
サファイアの顔が、近づいてくる。
お互いの額をこつんと小さくぶつけて、息のかかる距離でサファイアは瞳を閉じた。
「助けてくれて、本当にありがとう。私は、あなたのように勇敢な心を持つ妹がいて、誇りに思うわ」
囁くような声音に、意味もなく首筋が熱くなってくる。真っ直ぐに伝えられる言葉に、落ち着かない気分になった。
「でも」
くっつけていた額を離し、村中の若者たちが夢中になる麗しい顔が哀しく歪むのを、ルビーは見た。
「お願い。もう、二度と危ないことをしないで。ルビーに何かあったら……私は、自分がどうにかなるよりも、それが辛い」
サファイアの頬に、ぽろぽろと涙が流れ出すのを、驚きを持って見る。
その様に、ルビーは衝撃を覚えた。ギルバートの時もそうだったが、ルビーはサファイアの泣いている姿など、見たことがなかった。
どんな時も優美に、そして毅然とした態度を姉はとっていた。
その姉が、自分のことで――涙を流している。心を乱している。
「ルビー……ルビー……あなたを失わなくて、よかった」
流れ出した涙をとめることなく、サファイアは嗚咽をこぼして泣いた。
見ている内に、ルビーの頬にも同じような熱いものが流れてくる。
申し訳ないことに対する涙なのか、今更ながら安堵の涙なのか、それとも恋を忘れるための涙なのか、もはやルビーにもわからない。
ただ、サファイアと同じように涙を流す。
「ごめんなさい姉さま……ごめん、なさい……」
たまらなくなって、ルビーはサファイアに腕を伸ばした。
細く、女性らしい柔らかさを持った姉の肢体を、懸命に抱きしめる。
「姉さま……大好き。大好きなの、姉さま」
子供じみて、馬鹿みたいな嫉妬はしてしまうけれども。
本当に心の底から、この人を失わなくてよかった、と。
ルビーは思った。
姉妹が互いを懸命に抱きしめ合いながら、しばらく抱き合っていると――ドアを叩く音が響いた。
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