婚約破棄から押しかけ婚します!

相坂桃花

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1巻

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   序章 婚約者の逃亡


「少し席を外すね」

 結婚の打ち合わせのために初めて顔を合わせた婚約者は、そう言い残して、帰ってこなくなった。
 随分と長い用だと、伯爵令嬢であるセーラ・ホワイトはのんきに構えていたが、実家では決して飲むことのできない高級茶葉を使った香茶こうちゃを三杯おかわりしたところで、「おかしいな」と気づく。
 紅色べにいろの香茶は美味おいしいが、そろそろおなかがタプタプしてきた。
 それに先ほどから、廊下が騒がしい。

「カーク坊ちゃまの姿が見えないとは、どういうことだ!?」
「坊ちゃまは、いずこに……!」
「カーク様! カーク坊ちゃま! いらしたら返事をしてくださいませ!」

 この立派なお屋敷のことだ。ある程度の防音対策はしているのだろうけれど、ああも必死で叫ばれれば、嫌でも聞こえてしまう。

「……」

 それでもセーラは、廊下の騒ぎになど一切気づかないフリをよそおって、香茶を飲む。あくまでも、表面だけは優雅に。
 だが、カップを持つ手は小刻みにバイブレーションしていた。
 許されることならば、「ンな馬鹿なぁああああ!」と悲鳴を上げたいところである。
 ギリギリ理性で耐えているのは、こちらのお屋敷――平民が暮らしているとは到底思えない立派すぎるおやかたに彼女がやってきた理由が、婚約者との婚礼についての打ち合わせだったからだ。

(おおおおおおおおお落ち着くのよセーラ……! ここでパニックを起こして〝地〟を出したら、せっかくの金ヅル――違った、大事なスポンサー、それも違った! 婚約者に逃げられてしまうわ! いやすでに逃げられてるんですけど……とにもかくにも、この婚約をなかったことにされるのだけは、マズイわ! ひとまず、落ち着かなくては!)

 おのれに言い聞かせながら、どうにかこうにか微笑を浮かべた。
 セーラが住むこの世界は、どの国も王制で、厳格な身分制度がある。セーラの生家であるホワイト家はホワイト領を統治する貴族ではあるのだが、とある事情からこんきゅうしていた。そこで、隣国に住む金持ち商人の弟であるカーク・カリスフォードと結婚し、実家を救ってもらおうという算段なのだ。
 幸い、カークの家も商売のために貴族の娘と結婚したがっていた。
 相手側の結婚の条件が〝貴族の娘〟である以上、おそらくセーラに貴族らしい品のある振る舞いを求めているはずである。深窓しんそうの令嬢は多少のことで動じたりしない。少なくともセーラのイメージの中では……
 とにかく、大騒ぎをしてカリスフォード家の人間に幻滅されるのは、得策ではない。今の段階で、素を見せるわけにはいかないだろう。
 幸いなことにセーラは、見かけだけはどこに出しても恥ずかしくないほど令嬢然としている。高貴な生まれの華やかな美貌びぼうを持つご令嬢……というのが、セーラを初めて見る大抵の人間の感想だ。
 もっともそこに、我儘わがまま傲岸ごうがん、派手好きで底意地の悪そうな、という形容詞が、必ずついてくるが。
 彼女の性格は、決してそのような不遜ふそんなものではないのだが、生来せいらいの顔立ちがきつすぎた。
 とくに吊りあがった目と赤い唇は、周囲に、鼻持ちならない女性という印象を与えるらしい。
 普段はそのことに哀しい気持ちになることも多いけれど、カリスフォード家が「いかにも」な貴族令嬢を求めているのなら、決してマイナスではない……と思いたい。
 そんな思いから、セーラは優雅な貴族令嬢という態度を保ち続けていた。
 一方先ほどから、壁際に立っている若いメイドはソワソワと落ち着かない様子を見せている。きっとセーラと同じように、廊下から漏れ聞こえる騒ぎに胸をざわめかせているのだろう。
 立場が立場でなければ、セーラだっておろおろしたい。
 若いメイドの手を握り締め、動揺を示しつつ叫びたい。「仲間よ! わたくしもめちゃくちゃ、戸惑とまどっているわ! カーク様がいなくなったってどういうこと!? この婚約どうなるの!?」――と。

(いったいカーク様はどうしてしまったのかしら……っ)

 カークと直接会うのは今日が初めてだったが、これまで約一年にわたって手紙のやりとりをしていた。実直そうな彼の性格を好ましく感じこそすれ、こんな事態を起こす人には到底思えなかったのに。
 セーラは、きっと彼には彼なりの、どうしようもない事情ができたのではないか、と考えることにした。そしてこれ以上カークの事情を詮索せんさくすることをやめ、今の状況をどうきり抜けようかと知恵をめぐらせる。
 どうあってもセーラは、この結婚を成立させなくてはならない。なぜなら、セーラの生家にはとにかくお金がなかった。その実態は貴族というよりも、平民に近い。
 だからこそ、この家――隣国の大商会であるカリスフォード商会の男性と婚約したのだ。
 カリスフォード商会の代表であるトーマスの弟、カーク。彼との結婚一つで多額の援助金を得ることができる。
 世の中、愛よりも金だ。先立つものは、何ごとにも大事である。

(お金さえあれば、ウチの領民も無事に冬を越すことができる!)

 セーラがこの婚約にこだわっているのには、そんな理由があった。
 大規模な天災が重なり、セーラたちホワイト家が守る領は、近年、ひどい貧困にあえぎ続けているのだ。
 できるかぎりの対策を講じてきたがついに万策が尽き、今年は冬を越せない領民が出るかもしれない。
 セーラは、このどうしようもない有様を打破するために、心配する家族をなだめて、今回の婚約を成立させた。
 そして自分との結婚は、カリスフォード家側にも大きなメリットがある話だったはずなのだが……

(少なくとも、廊下の声を耳にする限りは、この逃亡はカーク様の独断みたいよね)

 カリスフォード家自体にまだセーラとの縁組を望む気があるのであれば、婚約破棄をまぬがれることができる。だが、肝心の婚約者がいなければ結婚できないままだし、援助金も手に入らない。
 いったいどうしたものか……
 そう考えていた直後、扉がノックされ、やや張りつめた声がした。

「――失礼します」

 入室してきたのは、見上げるほどに長身の男性だ。セーラも女性にしては背の高いほうだけれども、彼と並べば小柄に見えるだろう。
 男性は、つやのある白銀の髪を後ろに撫でつけていた。顔は、鼻梁びりょうがスッと通り、非常に整っている。ただ、金褐色きんかっしょくの瞳が、どことなく神経質な印象を与えていた。
 極めて美形ではあるが、近寄りがたい印象を受ける男性である。
 セーラは彼の顔に見覚えがあった。

「あら……確か、トーマス・カリスフォード様でしたかしら?」

 男性は、カークの兄、トーマスだった。
 カークの家族に会うのも初めてだ。だが、隣国の大商人であるトーマスはセーラの国でも評判で、その絵姿を目にしたことがあったのである。
 カークと少し年の離れたトーマス・カリスフォードは、快活かいかつな印象を与えるカークとは異なり、硬質こうしつなガラスのようにかたく、そして繊細せんさいなイメージの男性だ。
 トーマスの姿を目にしたセーラは、少し考えてから、内心でほくそ笑んだ。
 ――別に、婚約者がカークでなくともよいのだ。
 元々、愛情を前提として婚約していたわけではない。利害の一致があったから、結ばれていた関係だ。
 手紙のやり取りをするうちに、カークに対して友愛の情をいだくようになっていたものの、それ以上の深い気持ちはない。
 つまり――この、飛んで火にいる夏の虫のごとくやってきた兄が結婚相手に代わったとしても、セーラは構わないのだ。
 トーマスが紳士的にセーラに挨拶あいさつをする。

「ええ、カークの兄のトーマスです。弟が少し席を外し……少々、帰ってくるのに時間がかかっているようなので、私がお嬢様のお相手をと思い、参上いたしました」
「まあ、嬉しい」

 セーラはトンと小さな音を立ててカップを置く。微笑を浮かべると、トーマスのこめかみの辺りがピクンと小さく反応した。警戒心をいだいているに違いない。
 きっと今の自分は、何かアクドイことをたくらんでいるように見えるのだろう。
 まあ実際、悪いことを考えている。
 セーラは落ち着いた声で、トーマスに話しかけた。

「カーク様が席をお立ちになられて、随分時がちますもの。そろそろ、退屈していたところですわ。ねえ、トーマス・カリスフォード様? あなたの弟君は、どちらにいらっしゃるのかしら?」

 おそらくカークは、すでにこの屋敷内にいないはずだ。
 できることなら、カークの首根っこをつかみあげて、「どういうこと!?」と言いたいところではある。
 しかし、今は婚約者が逃亡したという事実を利用しよう。イニシアチブを握っているうちに、話を進めるのだ。
 このまま、この結婚がなかったことにされたら、たまらない。

つかめ、金ヅル! 領民のために!)
「……まさか、婚約者との結婚の打ち合わせの場――貴族たるわたくしと顔を合わせる席で、無礼にも姿を隠し、そのまま戻ってこない……などということは、ございませんわよね?」

 フフフと、セーラは笑った。高圧的な貴族令嬢に見えるように、きっちりとオドシをかける。
 これなら無理難題をふっかけても、違和感がないだろう。
 内心では、「無礼」なんて生まれて初めて口にしたと、罪悪感にさいなまれているとしても……

「ねえ。トーマス・カリスフォード様」
「……なんでしょう……セーラ・ホワイト嬢」

 普段は大きな商会のトップとして辣腕らつわんをふるっているであろうトーマスの顔に、ありありと「嫌な予感がする」と書かれていた。実際にその勘は大いに当たっているので、セーラは拍手を送りたい気分だ。

(鋭い勘ですこと)

 多分、彼女が平民の娘であれば、トーマスは、なんだかんだと理由をつけて物事を自分に有利な形で進めただろう。
 だがしかし、現状は彼にとって過酷である。
 セーラは、隣国ユーグラシアのホワイト伯爵の娘だ。たとえ貴族とは名ばかりで没落していようとも立場的には強い。
 セーラは覚悟を決めた。
 正直、ものすごく怖いけれど、行くしかない。

(勝負をかける!)
「わたくし、婿様むこさまがカーク様でなくとも構いませんのよ?」


 結婚相手が弟ではなく、兄のトーマスに代わってもよいのだと言外げんがいに伝える。
 そして、セーラはカップを置いた。空いた手で母から譲り受けた大事な扇子せんすを持ち、口元を隠す。
 そうすると、ますます自分の顔立ちが酷薄こくはくで意地が悪そうに見えると、彼女は知っていた。演出としてはぴったりだろう。

(勝負どころだ。ハッタリ上等!)

 人生初の賭事かけである。
 心臓はバクバクと鳴り響き、背中には汗がびっしょりと噴き出ていた。それでも、セーラは精一杯の虚勢きょせいを張って、トーマスをおどす。
 自分は希代の悪女なのだと、自己暗示をかけた。

「フフフ。わたくしの旦那様になるのは、だぁれ?」

 逃げ出した弟か、それとも残っている兄か。
 もはや他に選択肢はないだろうと、セーラは笑いながら迫った。


 半月後、白いウェディングドレスに身を包んだセーラの横には、苦虫を噛みつぶした様子を隠しもしないトーマス・カリスフォードがいた。
 セーラ以外の前では、きちんと幸せな新郎の姿を演じているようだが、少なくともセーラの前で彼は、自分の感情を隠す気がないらしい。
 それでもセーラは満足していた。

「わたくし、きっと幸せな家庭をきずいてみせますわ」

 多額の援助金をもらえるのだ。
 かわりに、必ず役に立ってみせると艶然えんぜん微笑ほほえむ。
 そんなふうに内心で燃えているセーラの姿は、残念ながら彼女のことをまるで知らない他人――たとえば、出会って半月程度しかっていないカリスフォード家の面々には、これからバンバン浪費して贅沢三昧ぜいたくざんまいな生活をする気満々に見えてしまっていた。
 もっとも幸か不幸か、そのことにセーラ自身が気づくことはない。
 伯爵令嬢セーラ・ホワイトと、その隣国の大商人トーマス・カリスフォードの二人による、すれ違いばかりの新婚生活は、こんな婚約者の逃亡劇により幕を開けたのであった。



   第一章 元伯爵令嬢の夜会デビュー


「これは実に見事なドレスですね、セーラ嬢」
「まあ。もう夫婦となったのですから、どうぞセーラとお呼びください。旦那様」

 本日は、セーラとトーマスが夫婦になって初日であった。
 即席の夫婦である二人に新婚の甘い雰囲気はなく、会話はどこかよそよそしい。
 それでもセーラは、トーマスと仲良くやっていこうと決意していた。
 元々、故郷では身分に関係なく、誰とでも友好的な関係を作っていたセーラである。生来せいらいのコミュニケーション能力は高い。顔立ちで敬遠されることがなければ、スムーズに知人、友人を作ることができた。
 そのいつもの調子でトーマスに接するのだが、いかんせん、相手の反応はイマイチであった。
 自分のことは名前で呼ぶように頼みながら、精一杯に親しげな雰囲気の笑顔をつくると、なぜか夫の顔が引きつる。

「……では、セーラと呼ばせていただきますが……」
「旦那様……。妻に対し、あまりにも丁寧な物言いは、いかがなものか、と。わたくしは確かに貴族の出ではありますが、今はあなたの妻でございますもの。もっと、砕けた感じでよろしいのではないでしょうか?」

 大商人とはいえ平民であるトーマスが自分に気を遣うのはわかるが、夫婦になったからにはもう少し打ち解けてもらいたい。セーラがそう主張すると、トーマスはどうにか頷いた。

「そうです――いや、そうか。ならば、あなたの望むままにふるまわせてもらう」
「ええ、それがよろしいかと」

 今、二人は次の夜会でセーラが身に着けるドレスを選んでいた。
 選ぶといっても、彼女が持つマトモなドレスは二着しかない。貧困にあえぐホワイト家は、娘に花嫁道具を持たせる余裕などなかったゆえだ。
 一方カリスフォード家でも、セーラがとつぐにあたって何も持ってこなかったのは、家財道具のすべてを夫がそろえるのが当たり前だとでも考えているのだろう、と苦々しく感じていた。
 一応、ホワイト家が多額の援助金目当てにセーラを嫁に出したことは理解していたが、どれほどのレベルで困っているのかまでは把握していなかったのだ。
 乗り込んできたセーラが、派手な美女だったこともあり、自分たちの贅沢ぜいたくによる散財で首が回らなくなったのだろうと予想していた。
 それはともかく、セーラは母から譲り受けた一張羅いっちょうら真紅しんくのドレスを着て夫に微笑ほほえむ。彼からめられ、まんざらでもないのだ。
 トーマスも、少なくとも表面上は満足そうに頷いた。

「――それにしても、これほどまでに立派なドレスには……合わせる装飾品を悩んでしまうな」

 彼は、低くうなる。そして、自身が用意させた美しく高価な装飾品の中からいくつかを見繕みつくろい、セーラに合わせていった。
 セーラは、高価なものにあまり馴染なじみがない自分より、大商人として辣腕らつわんをふるう夫に任せたほうがいいと判断し、大人しく着せ替え人形と化す。

「これなど、いいと思う」
「そうですわね」
「これも、悪くない」
「だと思います」

 ただ、しとやかな態度で、トーマスに頷き続けた。
 気のない返事をしているわけではない。次々に提案されるものがあまりに立派すぎて、緊張しているのだ。
 彼女がこれまで身に着けたことがある装飾品といえば、仲の良い領民からの誕生日プレゼントである木の実のペンダント程度だった。――ちなみに、そのペンダントは、花嫁道具の一つとして大事に持ってきている。もっとも、それを身に着けて夜会に出るのは無理だと、さすがのセーラにもわかっていた。
 今、自分の首につけられている、真っ赤な石をあしらった銀細工のネックレスを見て、彼女は内心で目を回していた。

(ほ、ほ、宝玉ほうぎょくが大きい! すごく立派! めちゃくちゃ高そう!)

 実際の値段はわからないものの高価だということだけは、ヒシヒシと伝わってくる。これを夜会で身に着けるのだと思うと、大変動揺した。
 けれど、トーマスはそんなセーラの態度を違う意味にとったようだ。眉をひそめて、妻の顔をうかがう。

「……この中に、あなたを満足させるものはなかったのかな?」
「え?」

 セーラは思わず頓狂とんきょうな声を出してしまった。貴族令嬢らしからぬ態度に、あわてて誤魔化すように笑う。

「おほほ。……な、なぜソノヨウナ?」
「いえ、あまり反応がないようなので……」
「そ、そんなことはございませんわ。あまりに立派な品々に、言葉を失っていただけです」

 本音を伝えるが、トーマスの反応はあまりかんばしくなかった。あきらかに納得していない表情のままだが、それ以上の追及はない。

「……ならば、いいのだが」

 そして何か言いたげな雰囲気を残しながら、セーラの装飾品をそろえていった。
 しばらくして、セーラが母親から譲り受けたお古のドレスは、トーマスの用意した装飾品のおかげでよりいっそうきらびやかなものになった。黒檀こくたんのように深い闇色のセーラの髪が際立つ。
 それを見たトーマスは、満足そうにつぶやいた。

「実に美しい」

 そこに、恋情めいたものは一切ない。ただ、自分の手で作り上げた商品を鑑賞しているような態度だ。
 それでも、夫にめられることが嬉しく、セーラはあでやかな大輪の薔薇ばらのように微笑ほほえんだ。


   ※ ※ ※


 トーマスが代表を務めている大商会カリスフォード家には、あり余るほどの資金がある。
 そのがくは、そこら辺の貴族よりもよほど多い。
 それでも、いくら金を積み上げようと手に入れられないものがあった。
 それが、生まれ持った位だ。
 平民の生まれであるトーマスは、正攻法ではこの国の貴族と知り合いになることすらできない。だが、商売をより手広くやるには、どうしても貴族との繋がりを作りたい。そのために、婚姻という形で貴族と親戚になる必要があった。
 けれども、平民の家に嫁に行くということは貴族の娘たちにとって、がたいものだったようだ。カリスフォード家の資産を欲していても、貴族としての矜持きょうじゆえ、名乗りを上げる家はない。
 ようやく探し出せたのが、隣国ユーグラシアのホワイト伯爵の令嬢、セーラ・ホワイトである。
 他国の貴族であろうとも彼女の夫としてであれば、この国の貴族と付き合うことができる。
 折よく彼女の家は、多額の援助をしてくれるとつぎ先を探していた。
 貴族との繋がりを切望するカリスフォード家と、財力を求めるホワイト家の望みは一致した。
 とはいえ、トーマス自身にセーラと結婚する気はなかった。だから、彼女と年齢の近い弟のカークに任せるつもりだったのだ。
 そもそも、夜遊びの激しい自分に高貴な生まれのご令嬢の旦那が務まるとは考えられない。
 けれど、婚約者であったはずのカークに逃げられた後、セーラは迫力のある笑みを浮かべてトーマスに迫ったのだ。

「これは利害の一致による、ビジネスのようなもの。婚礼の式を挙げ、紙切れ一枚にサインをすれば終わる代物しろもの。そうでございましょう?」 

 相手は誰でもいいのだと、彼女は口角を上げる。そして、ドレスの端をつまげ、淑女の礼をとりながら言った。

「どうかわたくしを、お嫁さんとして買っていただけませんこと?」

 我侭わがままな貴族娘の相手をするのは苦痛だ。
 だが、トーマスの夜の『社交』――女性関係を知っているらしいセーラは、自分にマトモな結婚生活を求めないと暗に言う。代わりに得るのは、貴族社会への招待状かぎ
 それが、セーラとトーマスの間で交わされた約束である。
 そして今、その鍵をもたらした妻は、トーマスの前で婉然えんぜん微笑ほほえんでいた。
 夜会用の真紅しんくのドレスに身を包み、カリスフォード商会が用意した宝玉ほうぎょくでドレスアップしたセーラは美しい。
 その姿を見つめ、トーマスは感嘆の息を漏らす。
 彼女のおかげで、貴族と言葉を交わし、商談へ持ち込むことができる。

「――実に美しい」

 思わずつぶやくと、妻の微笑が深くなった。

「では、今度の夜会にはこちらの格好で参りましょう」

 バッと開いた扇子せんすを口元に当てながら、セーラが宣言する。
 トーマスは、数日後に開かれる夜会での成功を確信した。


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