3 / 18
1巻
1-3
しおりを挟む
そしてそんな父を、母が困ったように見つめている。
――さすがにそううまくはいかないものなのかもしれないわ。
前回と同じように進もうとしている人生を無理やり変えようとすることは、きっと並大抵の努力では難しいのだろう。
だがそれでも、私は諦めるつもりはなかった。
「フローラ」
黙り込んでしまった私を見て、少し厳しく言い過ぎたと思ったのだろうか。
突然これまでの声色とは打って変わって優しく名を呼ばれ、正面に腰掛ける父の方へと視線を向ける。
「この舞踏会は、お前の婚約者探しも兼ねているのだよ。お前ももう十八だ。立派な貴族の元へ嫁いで幸せになってもらいたい」
「私は結婚はまだ……」
この台詞も、もちろん一度目の人生とは違うものだ。
案の定、両親たちは私の反応に戸惑いの色を隠せないでいる。それもそのはずだろう。
以前の私は、舞踏会で運命の男性と出会い一刻も早く幸せな家庭を築くことを夢見ていたのだから。父からの舞踏会への打診に張り切って頷いたことを、昨日のことのように覚えている。
――ですがお父様。私はこの舞踏会で愛する人を見つけて結婚したけれど、うまくいかなかったのです……
幸せだったのは最初だけで、長く苦しい日々だった。
しかしそんなことを今の父に言ったところで、わかってもらえるはずもない。
「そう言っているうちに、将来有望な者はどんどん他の令嬢たちと婚約を結んでしまうぞ。せめてどんな男性が参加しているか、それくらいは見ておきなさい」
「お父様……」
「いいかいフローラ。これは父としてだけでなく、ウィルソン侯爵としての命でもある」
そう言われてしまっては、もはや私に断ることなどできるはずもない。
――舞踏会から逃れることはできないみたいね。でももう絶対に、飲み物を選び間違えたりはしないんだから。
エドガー様と知り合うきっかけとなったあの出来事が起きなければ、たとえ舞踏会に参加したところで彼と出会うことにはならないはず……
そう考えた私は、渋々と父の命に対して頷いた。
「わかりましたわ……舞踏会に参加いたします」
「わかってくれればいい。舞踏会までまだ少し時間がある。ドレスなどもキャロルと相談して決めておくんだよ」
父は私の返事を耳にした途端、にっこりと微笑みながらいつもの娘に甘い父へと変貌を遂げたのである。
「侯爵様は舞踏会について、何かおっしゃっていましたか?」
父の執務室を出て自室へと戻ると、待ち構えていたキャロルからそんなことを尋ねられた。
「欠席してもいいかと尋ねてみたら、珍しく怒られてしまったわ」
「まあ、舞踏会を? 一体なぜそのような……以前からお嬢様は、素敵な男性と結婚して家庭を築かれることを楽しみにしておられましたのに」
私の答えを聞いたキャロルは、先ほどの両親と同じく驚いたように瞳を丸く見開く。
彼女がそう思うのも無理はない。舞踏会は貴族の男女の出会いの場なのだから。
昔は家同士が決めた見合い結婚が貴族の主流であった我が国でも、今では恋愛を経て自然な形で婚約を結ぶ男女が見られるようになった。
舞踏会で言葉を交わし、文通などを続けた上で後日改めて顔合わせをおこなうのが一般的だろうか。
貴族の娘は基本的に舞踏会や茶会などがなければ、屋敷から出る機会はほとんどないに等しい。
それは私にも言えることであり、そうなると貴族男性と知り合う機会などそうそう生まれるはずもないのだ。
だというのに以前から幸せな結婚を夢見ていた主人が、突然その出会いの場である舞踏会を欠席したいと言い出した。
しかも舞踏会を主催するのは、この国でも大きな力を持つ高位貴族のルーズベルク公爵家である。
国中の貴族たちが一堂に会する貴重な一晩となるに違いない。
「結婚に焦りを持つのは、あまりよくないと思うようになったの……」
「なぜそのような……?」
再びキャロルに尋ねられた私は、思わず言葉に詰まってしまった。
――あなたが昨日まで見ていた私と、今の私は別人なの……なんて言えるわけがないわね。
先ほど目を覚ました時点で、昨夜までのウィルソン侯爵令嬢としての私は死んだのだ。
ここにいるのは一度目の人生の記憶を持つ、元コルドー公爵夫人としての私である。
「結婚は人生で一度きりのものでしょう? 早まった真似をして、後でやっぱり違った……なんてことになったら困るもの」
この国では離縁はよほどの理由がなければ認められておらず、女性の方から離縁を申し出るということもよしとはされない風潮がある。
だから私も、エドガー様とナターシャの姿をコルドー公爵夫人の立場から黙って見つめることしかできなかったのだ。もっと簡単に離縁することができていたならば……心が引き裂かれてしまう前に、身を引くことだってできていたかもしれないのに。
そうしたら、今頃こうして死に戻るようなこともなかったはず。
「……様。フローラ様」
「えっ……ああ、ごめんなさい」
「本当に今日はどうなさったのですか? まるで別の方がフローラ様になられてしまったような……」
変なことを言い出したかと思えば突然黙り込んだりと、今日の私は確かに様子がおかしいだろう。
「……私ももう十八だし、色々と考えることがあるのよ」
「はあ……左様でございますか」
苦し紛れのそんな言い訳に、キャロルは腑に落ちないといったような表情で頷いたのであった。
◇ ◇ ◇
舞踏会までまだ日はあると思っていたが、そういう時ほど月日の流れを早く感じてしまうもの。
色々と入念に支度を整えているうちに、あっという間にルーズベルク公爵家での舞踏会の日を迎えてしまった。
「やはり私は青い刺繍の入った水色のドレスの方が、お嬢様の髪の色と合っていてよくお似合いかと思うのですが……」
「もう、キャロルったらいい加減しつこいわよ。そのドレスにはしないと、随分前から言っていたじゃない」
自室で舞踏会用のドレスへ着替えた私を見たキャロルは、納得がいっていない様子でそんなことを何度も口にしている。
「確かにそうでございますが、何もそのようなお色になさらずとも……せっかくの美しいお顔を引き立てるためにも、華やかなドレスにした方がよろしいのでは?」
まあ確かにキャロルがしつこく食い下がるのも、無理はないのかもしれない。
なぜなら私が今晩の舞踏会のために選んだドレスは、濃紺の至ってシンプルなデザインのものであったから。刺繍はおろか、レースなどの装飾もほとんど施されていない。
一応これでも実家は侯爵家であり、高位貴族の部類に入るだろう。
まだ嫁ぐ前の、社交界デビューを果たしたばかりの令嬢が着るドレスにしては、あまりに地味すぎる。もちろんそんなことは私も十分承知していた。
ちなみに一度目の時は、キャロルが勧めていた水色の生地に青の刺繍が華やかなデザインのドレスを着て、舞踏会に参加したことを覚えている。
だからこそ、なんとしてもそのドレスは避けなければならないのだ。
――絶対に……絶対に今度こそはエドガー様と出会いたくないの。
今のうちに、少しでも不安要素は減らしておきたいというのが正直なところで……
はっきりとした正解はわからないが以前と真逆の行動を取り続ければ、やがて人生も一度目のものとは違った道に切り開かれるのではないかと私は考えている。
とにかく今晩の舞踏会では目立たぬように壁際でひっそりと時間を潰して、無事にウィルソン侯爵家の屋敷へと帰宅することを目標としよう。
この濃紺の地味なドレスならば私の生来の黒髪と相まって、きっと周囲の華やかさにかき消されてしまうはずだ。
そして何より、父から離れて一人で行動することは避けなければならない。
どれほど参加者たちへの挨拶が億劫だったとしても、どれほど途中で疲労を感じたとしても、絶対に一人にはならないと決めていた。
これは、エドガー様の方から私に話しかける隙を与えないようにするためだ。
「……では、せめてリボンはこちらの明るいお色を……」
「いいえ。リボンもこの紺色のものにするわ」
縋るような眼差しを向けながら差し出された薄桃色のリボンを、私はあっさりと断った。
その意志は固く何を言っても無駄なのだと改めて思い知らされたキャロルは、ため息をつきながら私の髪を梳かし始める。
「わかっておりますよ。お嬢様が一度言い出したら、周りの意見はお聞きにならないことくらい」
「さすがはキャロルね」
「そのようなことで褒められても、全く嬉しくはございません!」
キャロルは唇を尖らせて不服そうな顔をしているが、私にとってはこの何気ないやり取りがとてつもなく幸せに感じられるのだ。
――コルドー公爵家に嫁ぐ時に、キャロルが一緒についてきてくれたなら……
今さら考えてもどうしようもないことが頭をよぎった。
当時の私は、慣れない環境にキャロルを連れていくことへの申し訳なさを感じていた。
そしてコルドー公爵家の古参の侍女たちからの視線が怖く、彼女を公爵家に連れていきたいと提案することはなかったのだ。
エドガー様の方からも、公爵家のしきたり故にウィルソン侯爵家から誰かを連れてくることは難しいかもしれないと言われていた。
もちろんその条件を理解し、納得して彼の元へ嫁いだつもりであったのだ。
しかしその結果、公爵家の中に心から信頼のできる者などいないに等しく、ナターシャがやってきてからその状況はさらに悪化した。
結婚してすぐにエドガー様がアリアを私付きの侍女としてくれ、比較的彼女とはいい関係を築くことができていたと感じている。
しかし、やはりキャロルの代わりとなることはできなかった。
あの時キャロルがそばにいてくれたなら、彼女は周囲の敵意からきっと私を守ってくれたに違いない。
そんなことを考えていると、なんだか鼻の奥がつんと痛んで視界がぼやけそうになる。
だが私は、唇を噛んでなんとかそれを必死に堪えた。
ここで涙を流すような真似を見せてしまっては、今度こそウィルソン侯爵令嬢は気が触れたとキャロルに思われてしまう。
「今夜の舞踏会で、素敵なお相手が見つかることをお祈りしています」
キャロルは耳の高さで私の髪を一纏めにすると、ドレスと同じ濃紺のリボンでそれを結んだ。
首元はすっきりとしたものの胸元の開きが少ないデザインのドレスでは、いささか寂しく見えてしまうが仕方ない。
キャロルからは何度も「首飾りを……」と勧められたが、私はそれも断った。
――今夜はお父様の命で参加するだけ。目立つわけにはいかないの。
ウィルソン侯爵である父の顔に泥を塗らないために参加するだけであり、今晩の舞踏会で未来の夫を見つけるつもりは今の私には毛頭ないのだ。
支度を終えた私は、キャロルの先導で両親の待つ屋敷の玄関へと向かう。
その足取りは重く、これから待ち受ける舞踏会がどのような結末で幕を閉じるのか、恐ろしくてたまらなかった。
「おおフローラ……なんだかドレスのせいか、かなり大人びて見えるな。それにしても少し色合いが落ち着きすぎなのではないか?」
ようやく到着した私の姿を一目見た父までもが、キャロルと同じようなことを口にする。
その様子に、なんだか張り詰めていた気持ちが少しずつ緩んでいくのがわかった。
「キャロルにも同じことを言われましたが、私は今晩の舞踏会で目立ちたいという気は一切ございませんので」
「先日の件を怒っているのか?」
「いいえ、まさかそのような。お父様のおっしゃることも確かにその通りですもの」
父はそれ以上は何も言わなかった。
そんな私たちの様子を、父の隣に並ぶ母が困ったような顔で見つめている。
「とりあえず、早くルーズベルク公爵家へ向かわねば」
その言葉を合図に御者の手で馬車の扉が開けられると、まず私が先に乗り込むようにと両親に促される。
そして私が腰を下ろしたことを確認すると、彼らも向かい合うようにして馬車へと乗り込んだ。
――頑張るのよ。今夜を乗りきれば、幸せな二度目の人生が待っているわ。
私がそんな決意を秘めているということを、両親は知りもしないだろう。
やがて到着したルーズベルク公爵家の屋敷は記憶の中のものとさほど変わっておらず、豪奢で盛大な舞踏会であった。
少し支度に手間取ってしまったこともあり、私たちが足を踏み入れた頃には既に大勢の貴族たちが集まって歓談を楽しんでいる様子。
父と母はそれぞれ分かれて行動をするらしく、私は父の後をついて回るよう命じられた。
見れば貴族夫人たちは集まってそれぞれに会話を楽しんでいるようで、私と同じように父親に連れられた令嬢たちが挨拶回りに付き合わされている光景が目に入る。
きっと彼女たちも、婚約者探しの真っ最中なのだろう。どの男性が自分の娘にふさわしいか見定めている父たちの姿は、まさに静かな争いに身を投じているかのように見えた。
「フローラ、ご挨拶を」
辺りをキョロキョロと見渡していた私に、父が呆れたようにそんな声をかける。
――本当は、まだ結婚なんてするつもりはないのだけど。
二度目の結婚は、前回の失敗を生かして入念な計画を立ててから決断すると決めている。
愛だの恋だのそのようなものにうつつを抜かしているから、裏切られた時の苦しみも深くなるのだ。最初から条件ありきで相手を選べば、たとえ何かが起きたところで私自身の気持ちも割り切ることができるはず。
そんな思いを抱えながら父に促された通りに挨拶をしようと、向かいに立つ男性の方へと顔を向けたのだが……
「っ……!?」
あまりの衝撃で、息が止まるかと思った。
「な、なぜ……なぜあなたが……」
「フローラ? どうした、失礼にあたるぞ。早くご挨拶をしなさい」
「いや、ですが……はい……」
目の前にいたのは、なんと以前の夫であるエドガー様その人であったのだ。
以前は後ろへと撫でつけられていることの多かった前髪が下ろされているせいか、記憶の中の彼よりも幼い印象を与える。
とはいえ貴族男性の正装に身を包み優雅に微笑むその姿は、相変わらず社交界でも注目を浴びているに違いない。
だがすっかり忘れていたのだ。今ここで私たちは初対面ということになっているではないか。
慌ててカーテシーをするが、心臓が恐ろしいほどの速さで鼓動を刻んでいる。
不自然な態度を取ってしまっていないか、途端に不安になった。
――なぜ……一体なぜエドガー様がここに?
こんなことは予想していなかった。
もちろん彼もこの舞踏会に参加していることはわかっていたが、一度目の時は最初の挨拶の際に彼の姿はなかったはずだ。
「は、初めまして……ウィルソン侯爵の娘フローラと申します。見苦しいところをお見せしてしまいました」
おどおどと挨拶する私の姿を目にしたエドガー様は、目を細めてフッと笑った。
久しぶりに見た懐かしいその表情に、幸せだった頃の記憶へ引き戻されてしまいそうになるのを必死に堪える。
「そのようなことは気にしていない。私のことは知っているか?」
「は……いいえ。申し訳ございません……」
本当は知っている。
知っているという言葉などでは不十分なほどに、彼のことならわかっている。
だが私は死に戻り、新たな人生をやり直そうとしているのだ。
咄嗟に彼の問いに対して肯定しそうになってしまった自分を、こっそりと心の中で叱る。
「そうか……」
エドガー様は私の発言を聞くと、なぜか一瞬悲しげな表情を浮かべた。
おや、と思ってその顔を見つめ直すと、今度は困ったような笑みを浮かべている。
その顔には先ほどの悲しげな様子は残っていなかった。
きっとエドガー様は、自分のことを知らないと言われて動揺したのだろう。
それもそのはず。コルドー公爵家といえば、今夜の舞踏会の主役であるルーズベルク公爵家と並ぶ我が国きっての高位貴族だ。
王家にも連なる高貴な血筋に、一族は揃いも揃った美貌の持ち主であると有名で、エドガー様も噂に違わずその美しさを引き継いでいる。
そんな彼が、社交界で話題にならないはずはないだろう。以前の私はそれでもエドガー様のことを知らなかったのだから、本当にあの時の自分の無知さには呆れてしまう。
「これ、フローラ! 申し訳ございません、エドガー様」
エドガー様のことを知らないと言った娘に対して、父は顔面蒼白となって謝罪しようとするがそれを制される。
「いや、構わない。初めましてフローラ嬢。私はエドガー……コルドー公爵家の息子だ」
「まあ……それはご無礼を……お許しくださいませ」
我ながら迫真の演技ではなかろうか。
白々しくそんな嘘をついて頭を下げた私を、エドガー様が上からじっと見つめているのがわかった。
「え、エドガー様! また後ほどご挨拶に伺いますので、これにて一旦失礼いたします」
気まずい空気が、慌てた父の裏返った声により断ち切られる。
「もう行ってしまうのか? まあ仕方ない。フローラ嬢、またの機会に」
「……いえ……はい。失礼いたします」
こうして私は父によってエドガー様の元から半ば強引に退場させられたのである。
またの機会など、あってはならないのだ。
だが縋るような眼差しでそう告げられ、戸惑ってしまったのもまた事実であり……
私は悶々とした気持ちを抱えたまま、大人しく父のあとを追う。
やがて少し人混みが落ち着いている場所までやってくると、父は突然ハンカチで額の汗を拭い始めた。
「コルドー公爵令息相手に顔を知らないなどと……私は生きた心地がしなかったぞ」
「これまであまり舞踏会には参加してこなかったんですもの。ですがこれを機に、もう少し社交界のことも勉強するように努力しますわ」
「そうしておくれ。これでは婚約者が見つかるかどうか……」
「私は別に結婚には焦っておりませんので」
婚約者など、当分見つからなくていい。
せめてエドガー様が、誰か別の女性との婚約を発表するまでは……
彼の幸せそうな姿をしっかりと目に焼きつけて、一度目の人生で報われなかった私の思いを消化させてやりたいと思っていた。
しかし一体なぜ先ほどの挨拶の場面で、エドガー様が登場することになったのだろうか。
死に戻った私があまりに一度目の人生とは真逆の選択を繰り返したせいで、新しい運命が切り開かれてしまったのか……?
だが運命が変わったということは、これから先エドガー様と仲が深まるきっかけとなる、飲み物を取り違えた事件もきっと起こらなくなったということ。
そうすれば無事に今晩の舞踏会を終えて、あとは頃合いを見て新たな婚約者探しに励むのみだ。
――さあ、この舞踏会を無事に乗りきるのよ。
そんな決意を新たにした私の希望は、すぐに打ち砕かれることとなる。
「フローラ……少しだけここで待っていてはくれないか?」
相変わらず額に浮かんだ汗を必死に拭きながら挨拶を繰り返していた父が、突然申し訳なさそうにそんなことを告げてきた。
「えっ、ですがあれほどそばから離れるなとおっしゃって……」
まさに寝耳に水の発言に、私は戸惑いを隠せない。
前回は父や母から離れて一人になったところで、エドガー様から声をかけられた。
そうならないためにも、今回こそは一人きりにはならないと決めていたというのに。
「エリスタイン侯爵と仕事の話をしなければならないことを忘れていた。さすがに娘に聞かせるような内容ではないからな」
「そのようなお話は、舞踏会が終わってから別の日になさればいいではありませんか!」
何もわざわざ今日しなくとも……と必死に訴えるが、その声が父に届くことはない。
「わざわざ後日時間を合わせる方が手間になるだろう。なに、すぐに戻ってくる。飲み物でも飲んでゆっくり休んでいなさい」
「ですが……わかりましたわ」
これ以上何を言っても無駄であると悟った私は、大人しく父の言うことに従うことにした。
――大丈夫、これは一度目とは違うのよ。もう何度も今までとは違う場面を経験してきたじゃない。
そんなことを繰り返し自分に言い聞かせて、ざわつく心を落ち着かせる。
「そうだフローラ。飲み物を受け取る時はあの男性がいる場所ではなく、向こう側の……女性が持っているトレーから受け取るのだよ」
「えっ……」
突然こんな忠告をしてきた父に、またもや驚きを隠せない。
あまりに前回とは異なる状況が続きすぎていて、もはや対処法がよくわからなくなってしまったというのが正直なところだ。
「……男性の持つトレーには、お酒の入ったグラスしか載っていないからですか?」
「なんだ、知っていたのか?」
まさか私がそのことを知っているとは思いもしなかったようで、父は驚いたように目を見開いた。
――さすがにそううまくはいかないものなのかもしれないわ。
前回と同じように進もうとしている人生を無理やり変えようとすることは、きっと並大抵の努力では難しいのだろう。
だがそれでも、私は諦めるつもりはなかった。
「フローラ」
黙り込んでしまった私を見て、少し厳しく言い過ぎたと思ったのだろうか。
突然これまでの声色とは打って変わって優しく名を呼ばれ、正面に腰掛ける父の方へと視線を向ける。
「この舞踏会は、お前の婚約者探しも兼ねているのだよ。お前ももう十八だ。立派な貴族の元へ嫁いで幸せになってもらいたい」
「私は結婚はまだ……」
この台詞も、もちろん一度目の人生とは違うものだ。
案の定、両親たちは私の反応に戸惑いの色を隠せないでいる。それもそのはずだろう。
以前の私は、舞踏会で運命の男性と出会い一刻も早く幸せな家庭を築くことを夢見ていたのだから。父からの舞踏会への打診に張り切って頷いたことを、昨日のことのように覚えている。
――ですがお父様。私はこの舞踏会で愛する人を見つけて結婚したけれど、うまくいかなかったのです……
幸せだったのは最初だけで、長く苦しい日々だった。
しかしそんなことを今の父に言ったところで、わかってもらえるはずもない。
「そう言っているうちに、将来有望な者はどんどん他の令嬢たちと婚約を結んでしまうぞ。せめてどんな男性が参加しているか、それくらいは見ておきなさい」
「お父様……」
「いいかいフローラ。これは父としてだけでなく、ウィルソン侯爵としての命でもある」
そう言われてしまっては、もはや私に断ることなどできるはずもない。
――舞踏会から逃れることはできないみたいね。でももう絶対に、飲み物を選び間違えたりはしないんだから。
エドガー様と知り合うきっかけとなったあの出来事が起きなければ、たとえ舞踏会に参加したところで彼と出会うことにはならないはず……
そう考えた私は、渋々と父の命に対して頷いた。
「わかりましたわ……舞踏会に参加いたします」
「わかってくれればいい。舞踏会までまだ少し時間がある。ドレスなどもキャロルと相談して決めておくんだよ」
父は私の返事を耳にした途端、にっこりと微笑みながらいつもの娘に甘い父へと変貌を遂げたのである。
「侯爵様は舞踏会について、何かおっしゃっていましたか?」
父の執務室を出て自室へと戻ると、待ち構えていたキャロルからそんなことを尋ねられた。
「欠席してもいいかと尋ねてみたら、珍しく怒られてしまったわ」
「まあ、舞踏会を? 一体なぜそのような……以前からお嬢様は、素敵な男性と結婚して家庭を築かれることを楽しみにしておられましたのに」
私の答えを聞いたキャロルは、先ほどの両親と同じく驚いたように瞳を丸く見開く。
彼女がそう思うのも無理はない。舞踏会は貴族の男女の出会いの場なのだから。
昔は家同士が決めた見合い結婚が貴族の主流であった我が国でも、今では恋愛を経て自然な形で婚約を結ぶ男女が見られるようになった。
舞踏会で言葉を交わし、文通などを続けた上で後日改めて顔合わせをおこなうのが一般的だろうか。
貴族の娘は基本的に舞踏会や茶会などがなければ、屋敷から出る機会はほとんどないに等しい。
それは私にも言えることであり、そうなると貴族男性と知り合う機会などそうそう生まれるはずもないのだ。
だというのに以前から幸せな結婚を夢見ていた主人が、突然その出会いの場である舞踏会を欠席したいと言い出した。
しかも舞踏会を主催するのは、この国でも大きな力を持つ高位貴族のルーズベルク公爵家である。
国中の貴族たちが一堂に会する貴重な一晩となるに違いない。
「結婚に焦りを持つのは、あまりよくないと思うようになったの……」
「なぜそのような……?」
再びキャロルに尋ねられた私は、思わず言葉に詰まってしまった。
――あなたが昨日まで見ていた私と、今の私は別人なの……なんて言えるわけがないわね。
先ほど目を覚ました時点で、昨夜までのウィルソン侯爵令嬢としての私は死んだのだ。
ここにいるのは一度目の人生の記憶を持つ、元コルドー公爵夫人としての私である。
「結婚は人生で一度きりのものでしょう? 早まった真似をして、後でやっぱり違った……なんてことになったら困るもの」
この国では離縁はよほどの理由がなければ認められておらず、女性の方から離縁を申し出るということもよしとはされない風潮がある。
だから私も、エドガー様とナターシャの姿をコルドー公爵夫人の立場から黙って見つめることしかできなかったのだ。もっと簡単に離縁することができていたならば……心が引き裂かれてしまう前に、身を引くことだってできていたかもしれないのに。
そうしたら、今頃こうして死に戻るようなこともなかったはず。
「……様。フローラ様」
「えっ……ああ、ごめんなさい」
「本当に今日はどうなさったのですか? まるで別の方がフローラ様になられてしまったような……」
変なことを言い出したかと思えば突然黙り込んだりと、今日の私は確かに様子がおかしいだろう。
「……私ももう十八だし、色々と考えることがあるのよ」
「はあ……左様でございますか」
苦し紛れのそんな言い訳に、キャロルは腑に落ちないといったような表情で頷いたのであった。
◇ ◇ ◇
舞踏会までまだ日はあると思っていたが、そういう時ほど月日の流れを早く感じてしまうもの。
色々と入念に支度を整えているうちに、あっという間にルーズベルク公爵家での舞踏会の日を迎えてしまった。
「やはり私は青い刺繍の入った水色のドレスの方が、お嬢様の髪の色と合っていてよくお似合いかと思うのですが……」
「もう、キャロルったらいい加減しつこいわよ。そのドレスにはしないと、随分前から言っていたじゃない」
自室で舞踏会用のドレスへ着替えた私を見たキャロルは、納得がいっていない様子でそんなことを何度も口にしている。
「確かにそうでございますが、何もそのようなお色になさらずとも……せっかくの美しいお顔を引き立てるためにも、華やかなドレスにした方がよろしいのでは?」
まあ確かにキャロルがしつこく食い下がるのも、無理はないのかもしれない。
なぜなら私が今晩の舞踏会のために選んだドレスは、濃紺の至ってシンプルなデザインのものであったから。刺繍はおろか、レースなどの装飾もほとんど施されていない。
一応これでも実家は侯爵家であり、高位貴族の部類に入るだろう。
まだ嫁ぐ前の、社交界デビューを果たしたばかりの令嬢が着るドレスにしては、あまりに地味すぎる。もちろんそんなことは私も十分承知していた。
ちなみに一度目の時は、キャロルが勧めていた水色の生地に青の刺繍が華やかなデザインのドレスを着て、舞踏会に参加したことを覚えている。
だからこそ、なんとしてもそのドレスは避けなければならないのだ。
――絶対に……絶対に今度こそはエドガー様と出会いたくないの。
今のうちに、少しでも不安要素は減らしておきたいというのが正直なところで……
はっきりとした正解はわからないが以前と真逆の行動を取り続ければ、やがて人生も一度目のものとは違った道に切り開かれるのではないかと私は考えている。
とにかく今晩の舞踏会では目立たぬように壁際でひっそりと時間を潰して、無事にウィルソン侯爵家の屋敷へと帰宅することを目標としよう。
この濃紺の地味なドレスならば私の生来の黒髪と相まって、きっと周囲の華やかさにかき消されてしまうはずだ。
そして何より、父から離れて一人で行動することは避けなければならない。
どれほど参加者たちへの挨拶が億劫だったとしても、どれほど途中で疲労を感じたとしても、絶対に一人にはならないと決めていた。
これは、エドガー様の方から私に話しかける隙を与えないようにするためだ。
「……では、せめてリボンはこちらの明るいお色を……」
「いいえ。リボンもこの紺色のものにするわ」
縋るような眼差しを向けながら差し出された薄桃色のリボンを、私はあっさりと断った。
その意志は固く何を言っても無駄なのだと改めて思い知らされたキャロルは、ため息をつきながら私の髪を梳かし始める。
「わかっておりますよ。お嬢様が一度言い出したら、周りの意見はお聞きにならないことくらい」
「さすがはキャロルね」
「そのようなことで褒められても、全く嬉しくはございません!」
キャロルは唇を尖らせて不服そうな顔をしているが、私にとってはこの何気ないやり取りがとてつもなく幸せに感じられるのだ。
――コルドー公爵家に嫁ぐ時に、キャロルが一緒についてきてくれたなら……
今さら考えてもどうしようもないことが頭をよぎった。
当時の私は、慣れない環境にキャロルを連れていくことへの申し訳なさを感じていた。
そしてコルドー公爵家の古参の侍女たちからの視線が怖く、彼女を公爵家に連れていきたいと提案することはなかったのだ。
エドガー様の方からも、公爵家のしきたり故にウィルソン侯爵家から誰かを連れてくることは難しいかもしれないと言われていた。
もちろんその条件を理解し、納得して彼の元へ嫁いだつもりであったのだ。
しかしその結果、公爵家の中に心から信頼のできる者などいないに等しく、ナターシャがやってきてからその状況はさらに悪化した。
結婚してすぐにエドガー様がアリアを私付きの侍女としてくれ、比較的彼女とはいい関係を築くことができていたと感じている。
しかし、やはりキャロルの代わりとなることはできなかった。
あの時キャロルがそばにいてくれたなら、彼女は周囲の敵意からきっと私を守ってくれたに違いない。
そんなことを考えていると、なんだか鼻の奥がつんと痛んで視界がぼやけそうになる。
だが私は、唇を噛んでなんとかそれを必死に堪えた。
ここで涙を流すような真似を見せてしまっては、今度こそウィルソン侯爵令嬢は気が触れたとキャロルに思われてしまう。
「今夜の舞踏会で、素敵なお相手が見つかることをお祈りしています」
キャロルは耳の高さで私の髪を一纏めにすると、ドレスと同じ濃紺のリボンでそれを結んだ。
首元はすっきりとしたものの胸元の開きが少ないデザインのドレスでは、いささか寂しく見えてしまうが仕方ない。
キャロルからは何度も「首飾りを……」と勧められたが、私はそれも断った。
――今夜はお父様の命で参加するだけ。目立つわけにはいかないの。
ウィルソン侯爵である父の顔に泥を塗らないために参加するだけであり、今晩の舞踏会で未来の夫を見つけるつもりは今の私には毛頭ないのだ。
支度を終えた私は、キャロルの先導で両親の待つ屋敷の玄関へと向かう。
その足取りは重く、これから待ち受ける舞踏会がどのような結末で幕を閉じるのか、恐ろしくてたまらなかった。
「おおフローラ……なんだかドレスのせいか、かなり大人びて見えるな。それにしても少し色合いが落ち着きすぎなのではないか?」
ようやく到着した私の姿を一目見た父までもが、キャロルと同じようなことを口にする。
その様子に、なんだか張り詰めていた気持ちが少しずつ緩んでいくのがわかった。
「キャロルにも同じことを言われましたが、私は今晩の舞踏会で目立ちたいという気は一切ございませんので」
「先日の件を怒っているのか?」
「いいえ、まさかそのような。お父様のおっしゃることも確かにその通りですもの」
父はそれ以上は何も言わなかった。
そんな私たちの様子を、父の隣に並ぶ母が困ったような顔で見つめている。
「とりあえず、早くルーズベルク公爵家へ向かわねば」
その言葉を合図に御者の手で馬車の扉が開けられると、まず私が先に乗り込むようにと両親に促される。
そして私が腰を下ろしたことを確認すると、彼らも向かい合うようにして馬車へと乗り込んだ。
――頑張るのよ。今夜を乗りきれば、幸せな二度目の人生が待っているわ。
私がそんな決意を秘めているということを、両親は知りもしないだろう。
やがて到着したルーズベルク公爵家の屋敷は記憶の中のものとさほど変わっておらず、豪奢で盛大な舞踏会であった。
少し支度に手間取ってしまったこともあり、私たちが足を踏み入れた頃には既に大勢の貴族たちが集まって歓談を楽しんでいる様子。
父と母はそれぞれ分かれて行動をするらしく、私は父の後をついて回るよう命じられた。
見れば貴族夫人たちは集まってそれぞれに会話を楽しんでいるようで、私と同じように父親に連れられた令嬢たちが挨拶回りに付き合わされている光景が目に入る。
きっと彼女たちも、婚約者探しの真っ最中なのだろう。どの男性が自分の娘にふさわしいか見定めている父たちの姿は、まさに静かな争いに身を投じているかのように見えた。
「フローラ、ご挨拶を」
辺りをキョロキョロと見渡していた私に、父が呆れたようにそんな声をかける。
――本当は、まだ結婚なんてするつもりはないのだけど。
二度目の結婚は、前回の失敗を生かして入念な計画を立ててから決断すると決めている。
愛だの恋だのそのようなものにうつつを抜かしているから、裏切られた時の苦しみも深くなるのだ。最初から条件ありきで相手を選べば、たとえ何かが起きたところで私自身の気持ちも割り切ることができるはず。
そんな思いを抱えながら父に促された通りに挨拶をしようと、向かいに立つ男性の方へと顔を向けたのだが……
「っ……!?」
あまりの衝撃で、息が止まるかと思った。
「な、なぜ……なぜあなたが……」
「フローラ? どうした、失礼にあたるぞ。早くご挨拶をしなさい」
「いや、ですが……はい……」
目の前にいたのは、なんと以前の夫であるエドガー様その人であったのだ。
以前は後ろへと撫でつけられていることの多かった前髪が下ろされているせいか、記憶の中の彼よりも幼い印象を与える。
とはいえ貴族男性の正装に身を包み優雅に微笑むその姿は、相変わらず社交界でも注目を浴びているに違いない。
だがすっかり忘れていたのだ。今ここで私たちは初対面ということになっているではないか。
慌ててカーテシーをするが、心臓が恐ろしいほどの速さで鼓動を刻んでいる。
不自然な態度を取ってしまっていないか、途端に不安になった。
――なぜ……一体なぜエドガー様がここに?
こんなことは予想していなかった。
もちろん彼もこの舞踏会に参加していることはわかっていたが、一度目の時は最初の挨拶の際に彼の姿はなかったはずだ。
「は、初めまして……ウィルソン侯爵の娘フローラと申します。見苦しいところをお見せしてしまいました」
おどおどと挨拶する私の姿を目にしたエドガー様は、目を細めてフッと笑った。
久しぶりに見た懐かしいその表情に、幸せだった頃の記憶へ引き戻されてしまいそうになるのを必死に堪える。
「そのようなことは気にしていない。私のことは知っているか?」
「は……いいえ。申し訳ございません……」
本当は知っている。
知っているという言葉などでは不十分なほどに、彼のことならわかっている。
だが私は死に戻り、新たな人生をやり直そうとしているのだ。
咄嗟に彼の問いに対して肯定しそうになってしまった自分を、こっそりと心の中で叱る。
「そうか……」
エドガー様は私の発言を聞くと、なぜか一瞬悲しげな表情を浮かべた。
おや、と思ってその顔を見つめ直すと、今度は困ったような笑みを浮かべている。
その顔には先ほどの悲しげな様子は残っていなかった。
きっとエドガー様は、自分のことを知らないと言われて動揺したのだろう。
それもそのはず。コルドー公爵家といえば、今夜の舞踏会の主役であるルーズベルク公爵家と並ぶ我が国きっての高位貴族だ。
王家にも連なる高貴な血筋に、一族は揃いも揃った美貌の持ち主であると有名で、エドガー様も噂に違わずその美しさを引き継いでいる。
そんな彼が、社交界で話題にならないはずはないだろう。以前の私はそれでもエドガー様のことを知らなかったのだから、本当にあの時の自分の無知さには呆れてしまう。
「これ、フローラ! 申し訳ございません、エドガー様」
エドガー様のことを知らないと言った娘に対して、父は顔面蒼白となって謝罪しようとするがそれを制される。
「いや、構わない。初めましてフローラ嬢。私はエドガー……コルドー公爵家の息子だ」
「まあ……それはご無礼を……お許しくださいませ」
我ながら迫真の演技ではなかろうか。
白々しくそんな嘘をついて頭を下げた私を、エドガー様が上からじっと見つめているのがわかった。
「え、エドガー様! また後ほどご挨拶に伺いますので、これにて一旦失礼いたします」
気まずい空気が、慌てた父の裏返った声により断ち切られる。
「もう行ってしまうのか? まあ仕方ない。フローラ嬢、またの機会に」
「……いえ……はい。失礼いたします」
こうして私は父によってエドガー様の元から半ば強引に退場させられたのである。
またの機会など、あってはならないのだ。
だが縋るような眼差しでそう告げられ、戸惑ってしまったのもまた事実であり……
私は悶々とした気持ちを抱えたまま、大人しく父のあとを追う。
やがて少し人混みが落ち着いている場所までやってくると、父は突然ハンカチで額の汗を拭い始めた。
「コルドー公爵令息相手に顔を知らないなどと……私は生きた心地がしなかったぞ」
「これまであまり舞踏会には参加してこなかったんですもの。ですがこれを機に、もう少し社交界のことも勉強するように努力しますわ」
「そうしておくれ。これでは婚約者が見つかるかどうか……」
「私は別に結婚には焦っておりませんので」
婚約者など、当分見つからなくていい。
せめてエドガー様が、誰か別の女性との婚約を発表するまでは……
彼の幸せそうな姿をしっかりと目に焼きつけて、一度目の人生で報われなかった私の思いを消化させてやりたいと思っていた。
しかし一体なぜ先ほどの挨拶の場面で、エドガー様が登場することになったのだろうか。
死に戻った私があまりに一度目の人生とは真逆の選択を繰り返したせいで、新しい運命が切り開かれてしまったのか……?
だが運命が変わったということは、これから先エドガー様と仲が深まるきっかけとなる、飲み物を取り違えた事件もきっと起こらなくなったということ。
そうすれば無事に今晩の舞踏会を終えて、あとは頃合いを見て新たな婚約者探しに励むのみだ。
――さあ、この舞踏会を無事に乗りきるのよ。
そんな決意を新たにした私の希望は、すぐに打ち砕かれることとなる。
「フローラ……少しだけここで待っていてはくれないか?」
相変わらず額に浮かんだ汗を必死に拭きながら挨拶を繰り返していた父が、突然申し訳なさそうにそんなことを告げてきた。
「えっ、ですがあれほどそばから離れるなとおっしゃって……」
まさに寝耳に水の発言に、私は戸惑いを隠せない。
前回は父や母から離れて一人になったところで、エドガー様から声をかけられた。
そうならないためにも、今回こそは一人きりにはならないと決めていたというのに。
「エリスタイン侯爵と仕事の話をしなければならないことを忘れていた。さすがに娘に聞かせるような内容ではないからな」
「そのようなお話は、舞踏会が終わってから別の日になさればいいではありませんか!」
何もわざわざ今日しなくとも……と必死に訴えるが、その声が父に届くことはない。
「わざわざ後日時間を合わせる方が手間になるだろう。なに、すぐに戻ってくる。飲み物でも飲んでゆっくり休んでいなさい」
「ですが……わかりましたわ」
これ以上何を言っても無駄であると悟った私は、大人しく父の言うことに従うことにした。
――大丈夫、これは一度目とは違うのよ。もう何度も今までとは違う場面を経験してきたじゃない。
そんなことを繰り返し自分に言い聞かせて、ざわつく心を落ち着かせる。
「そうだフローラ。飲み物を受け取る時はあの男性がいる場所ではなく、向こう側の……女性が持っているトレーから受け取るのだよ」
「えっ……」
突然こんな忠告をしてきた父に、またもや驚きを隠せない。
あまりに前回とは異なる状況が続きすぎていて、もはや対処法がよくわからなくなってしまったというのが正直なところだ。
「……男性の持つトレーには、お酒の入ったグラスしか載っていないからですか?」
「なんだ、知っていたのか?」
まさか私がそのことを知っているとは思いもしなかったようで、父は驚いたように目を見開いた。
300
あなたにおすすめの小説
婚約破棄の代償
nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」
ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。
エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。
夫が寵姫に夢中ですので、私は離宮で気ままに暮らします
希猫 ゆうみ
恋愛
王妃フランチェスカは見切りをつけた。
国王である夫ゴドウィンは踊り子上がりの寵姫マルベルに夢中で、先に男児を産ませて寵姫の子を王太子にするとまで嘯いている。
隣国王女であったフランチェスカの莫大な持参金と、結婚による同盟が国を支えてるというのに、恩知らずも甚だしい。
「勝手にやってください。私は離宮で気ままに暮らしますので」
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
【完結】20年後の真実
ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。
マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。
それから20年。
マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。
そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。
おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。
全4話書き上げ済み。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている
と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。