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「貴様、よくもわたしからエレノアを奪ったな……彼女は俺の妻となるはずだった! 俺の婚約者だったんだぞ! 」
ルクスは胸元に走る激痛を抑えながら目をそこにやると、じわじわと血が滲み始めていた。
「……っ兄上! 」
兄の異変に気づいたルシアンが駆け寄ろうとするが、ルクスは片手で制する。
「……エレノアのことは、すまなかった」
「そんな謝罪で済むと思うか!? 私はずっと彼女を慕っていた。お前が手ひどく彼女を捨ててから、私は彼女のために何でもした。持てるすべての愛を捧げたんだ! それなのにお前がっ……お前が! 殺してやる! 」
アルマンの表情は狂気に満ちていた。
それほどまでにエレノアに懸想していたということなのだろう。
憧れの感情はいつのまにか愛情へ代わり、やがては執着となってしまったのか。
「っ……だが、エレノアはお前を愛していなかった。彼女が選んだのは……俺だ」
ルクスは気の遠くなるような痛みを堪えながらそう答える。
「そんなことはどうだっていい! 彼女が俺のそばにさえいてくれれば……」
まるでいつかの自分を見ているようだなとルクスは思った。
あの日無理矢理エレノアを犯したとき、ルクスもアルマンと同じことを考えていた。
思いがなくとも、そばにいてくれればいいと。
「ばかだな。それがどれほど虚しいことか……お前もやがてわかる……」
だんだんとルクスの声が小さくなっていく。
じっと耐えていた傷口の痛みは限界に近づいていた。
ジワリと広がる出血も、止まる気配はない。
ルクスは手足が痺れていく感覚と闘いながら遠のく意識を取り戻そうとする。
「兄上! ……くそ、毒が塗られていたのか」
アルマンの短剣の表面には猛毒が塗られていたらしく、胸を刺されたことで出血と共に毒が体内に入ったらしい。
いくら毒に体を慣らされているルクスとはいえ、出血で体力を消耗しているところに猛毒を塗り込まれては命が危ない。
「死ね! ルクス! 」
血走った目を見開き、血濡れた短剣を再びアルマンが高々とかざす。
--ああ、死ぬ時はエレノアの腕の中が良かった。
そんなことを考えながら、ルクスは苦痛に抗うことをやめて意識を手放したのである。
「ねえ、ルー。大きくなっても、こうして一緒に花冠を作ってくれる? 」
「もちろん! だけど大きくなったら本物の冠をエルにかぶせてあげるよ」
「本物の冠? 」
「そうさ! エルは俺のお妃様になるんだから」
ここは懐かしい河原だろうか。
幼いルクスは慣れた手つきで野花を編み込み花冠を作ると、それを恭しくエレノアの頭にのせた。
エレノアははにかみながら嬉しそうにお辞儀する。
「あーあ。またかよ。お前ら毎日やるつもりか? 俺先帰る! 」
「ダメよシオン、あなたも一緒に遊びましょう? 」
「だってエル……」
「あなたも大切な幼馴染だわ」
シオンの顔が赤らんだ。
「あ、こらエレノアは俺の恋人だからな! シオンには渡さないぞ! 」
「わかってるさ、そんなの」
また二人の言い合いが始まった。
仲が良い分彼らはぶつかることも多いのだ。
「もう! 二人とも仲良くしてよ」
そしてそんな二人を仲裁するのは、いつもエレノアの役目であった。
「……ん………」
目を開けると次は見慣れた天井が目に入る。
体を動かそうとするが、全身がムチを打ったように痛み痺れて動かすことができない。
唯一自由に動く目でちらと横を見ると、涙目でこちらを見つめる女性の姿があった。
「……エ……エレ、ノア……」
驚くほどに声が掠れていた。
自分のものではないような声に内心驚きながらも、ルクスはその女性の名前を呼ぶ。
「ルクス……ああ、良かった」
エレノアは瞳いっぱいに涙を溜めこんで微笑んだ。
その笑顔が何よりルクスの精神安定につながる。
「あなた1週間も眠り続けていたのよ……? 」
よくみれば彼女の目元には疲れが滲んでいるように見える。
だがそんな疲れなど感じさせないほどに、再びエレノアは甘い微笑みを落とした。
「俺は……アルマンに……」
ここでようやくルクスはぽつりぽつりとあの日のことを思い出していく。
リリアンを斬り捨てた後、自分はアルマンに襲撃されたのだ。
てっきりもはやここまでと覚悟したが、今こうして目をさましたということは命は助かったのだろう。
「そうよ。アルマン様に毒を塗られた短剣で刺された後、意識を失ったの」
「アルマンはっ……くっ……」
「だめよ、まだ寝ていなくては」
慌てて起きあがろうとするルクスだが、その瞬間再び胸元に激痛が走る。
慌ててエレノアはルクスの唇に人差し指をあて、落ち着かせた。
「ルシアン様があの場で討ち取ったわ」
「ルシアンは!? 」
「ご無事よ。傷ひとつなく。そんなことよりも、自分の心配をしてくださいな」
呆れたような笑いを浮かべながら、エレノアは愛おしげに彼の頬に手を当てた。
「俺は助かったのだな」
「危ないところだったの。あと少し傷がずれていたら、心臓に直撃していたって。そうしたら心臓に直接猛毒が回ってしまうから、即死だったかもしれないとお医者様が」
「そうか……」
ルクスは自分の胸元を見下ろしてみると、胸から腹にかけて包帯が巻かれている。
よほどひどい傷であったのだろうか。
「あなたに渡したブローチ……」
「ん? ああ、あのモンターン公爵夫妻がエレノアに贈ったやつか。すまない、胸元につけて奇襲へと向かったのだが……汚れたり傷付いてはいないだろうか? 」
「もう! 違うわ。そんなことどうだっていいの」
エレノアはむうっと唇を尖らせるが、ルクスにとってはその表情がたまらなく愛おしい。
「そんな表情をされると、たまらない……」
「ルクス、しばらくは安静にしなさいってお医者様が」
「……くそっ」
エレノアは近づきすぎたルクスとの距離を少し離すと、佇まいを直して彼の手を握った。
「私が言いたいのはそういうことではなくて。あのブローチが、あなたの命を救ってくれたんですって」
「……どういうことだ? 」
「アルマン様の剣は、ブローチを掠めてから胸元を貫いたの。そのお陰で狙いが心臓から逸れた。それに、最初の衝撃がブローチに吸収されて剣の勢いが少し落ちたことも、出血が抑えられた理由みたいね」
エレノアから渡されたお守りだというブローチが、まさに守り神のようにルクスをアルマンの手から守ってくれたのだ。
「ブローチは、少し傷がついてしまったけれど無事よ。あなたを守ってくれた傷ですもの。勲章よね」
「エル……俺はお前に助けられてばかりだ。情け無い男だな」
エレノアはその言葉を聞いて一瞬目を丸くした後、ふっと笑った。
「どうして? 情けなくても私はあなたが好きよ、ルー。 それにあなたは生きて帰ってきてくれた。今度こそ、約束をちゃんと守ってくれたわ」
「エル……」
奇跡的な回復を見せたルクスであったが、一時は命も危ぶまれるほどであったらしい。
毒はかなりの猛毒で、いくら毒物に耐性のあるルクスでもかなりの衰弱を伴うことになった。
現に今もまだ手足の痺れは若干残っており、その痺れがいつ回復するのかは医師団にもわからないのだという。
また、アルマンを倒した後ルシアンの手によって宮殿に運び込まれるまで多少の時間を要したため、出血もかなりの量であった。
意識が戻るかも不明であると言われたルクスのそばにつきっきりで看病したのは、もちろん他でもないエレノアだ。
体を壊してしまうから、という周囲の助言も一切耳に入れず、甲斐甲斐しくルクスの世話を焼いていたらしい。
エレノアの祈りがルクスに届いたのだ、と誰もがそう思った。
ルクスは胸元に走る激痛を抑えながら目をそこにやると、じわじわと血が滲み始めていた。
「……っ兄上! 」
兄の異変に気づいたルシアンが駆け寄ろうとするが、ルクスは片手で制する。
「……エレノアのことは、すまなかった」
「そんな謝罪で済むと思うか!? 私はずっと彼女を慕っていた。お前が手ひどく彼女を捨ててから、私は彼女のために何でもした。持てるすべての愛を捧げたんだ! それなのにお前がっ……お前が! 殺してやる! 」
アルマンの表情は狂気に満ちていた。
それほどまでにエレノアに懸想していたということなのだろう。
憧れの感情はいつのまにか愛情へ代わり、やがては執着となってしまったのか。
「っ……だが、エレノアはお前を愛していなかった。彼女が選んだのは……俺だ」
ルクスは気の遠くなるような痛みを堪えながらそう答える。
「そんなことはどうだっていい! 彼女が俺のそばにさえいてくれれば……」
まるでいつかの自分を見ているようだなとルクスは思った。
あの日無理矢理エレノアを犯したとき、ルクスもアルマンと同じことを考えていた。
思いがなくとも、そばにいてくれればいいと。
「ばかだな。それがどれほど虚しいことか……お前もやがてわかる……」
だんだんとルクスの声が小さくなっていく。
じっと耐えていた傷口の痛みは限界に近づいていた。
ジワリと広がる出血も、止まる気配はない。
ルクスは手足が痺れていく感覚と闘いながら遠のく意識を取り戻そうとする。
「兄上! ……くそ、毒が塗られていたのか」
アルマンの短剣の表面には猛毒が塗られていたらしく、胸を刺されたことで出血と共に毒が体内に入ったらしい。
いくら毒に体を慣らされているルクスとはいえ、出血で体力を消耗しているところに猛毒を塗り込まれては命が危ない。
「死ね! ルクス! 」
血走った目を見開き、血濡れた短剣を再びアルマンが高々とかざす。
--ああ、死ぬ時はエレノアの腕の中が良かった。
そんなことを考えながら、ルクスは苦痛に抗うことをやめて意識を手放したのである。
「ねえ、ルー。大きくなっても、こうして一緒に花冠を作ってくれる? 」
「もちろん! だけど大きくなったら本物の冠をエルにかぶせてあげるよ」
「本物の冠? 」
「そうさ! エルは俺のお妃様になるんだから」
ここは懐かしい河原だろうか。
幼いルクスは慣れた手つきで野花を編み込み花冠を作ると、それを恭しくエレノアの頭にのせた。
エレノアははにかみながら嬉しそうにお辞儀する。
「あーあ。またかよ。お前ら毎日やるつもりか? 俺先帰る! 」
「ダメよシオン、あなたも一緒に遊びましょう? 」
「だってエル……」
「あなたも大切な幼馴染だわ」
シオンの顔が赤らんだ。
「あ、こらエレノアは俺の恋人だからな! シオンには渡さないぞ! 」
「わかってるさ、そんなの」
また二人の言い合いが始まった。
仲が良い分彼らはぶつかることも多いのだ。
「もう! 二人とも仲良くしてよ」
そしてそんな二人を仲裁するのは、いつもエレノアの役目であった。
「……ん………」
目を開けると次は見慣れた天井が目に入る。
体を動かそうとするが、全身がムチを打ったように痛み痺れて動かすことができない。
唯一自由に動く目でちらと横を見ると、涙目でこちらを見つめる女性の姿があった。
「……エ……エレ、ノア……」
驚くほどに声が掠れていた。
自分のものではないような声に内心驚きながらも、ルクスはその女性の名前を呼ぶ。
「ルクス……ああ、良かった」
エレノアは瞳いっぱいに涙を溜めこんで微笑んだ。
その笑顔が何よりルクスの精神安定につながる。
「あなた1週間も眠り続けていたのよ……? 」
よくみれば彼女の目元には疲れが滲んでいるように見える。
だがそんな疲れなど感じさせないほどに、再びエレノアは甘い微笑みを落とした。
「俺は……アルマンに……」
ここでようやくルクスはぽつりぽつりとあの日のことを思い出していく。
リリアンを斬り捨てた後、自分はアルマンに襲撃されたのだ。
てっきりもはやここまでと覚悟したが、今こうして目をさましたということは命は助かったのだろう。
「そうよ。アルマン様に毒を塗られた短剣で刺された後、意識を失ったの」
「アルマンはっ……くっ……」
「だめよ、まだ寝ていなくては」
慌てて起きあがろうとするルクスだが、その瞬間再び胸元に激痛が走る。
慌ててエレノアはルクスの唇に人差し指をあて、落ち着かせた。
「ルシアン様があの場で討ち取ったわ」
「ルシアンは!? 」
「ご無事よ。傷ひとつなく。そんなことよりも、自分の心配をしてくださいな」
呆れたような笑いを浮かべながら、エレノアは愛おしげに彼の頬に手を当てた。
「俺は助かったのだな」
「危ないところだったの。あと少し傷がずれていたら、心臓に直撃していたって。そうしたら心臓に直接猛毒が回ってしまうから、即死だったかもしれないとお医者様が」
「そうか……」
ルクスは自分の胸元を見下ろしてみると、胸から腹にかけて包帯が巻かれている。
よほどひどい傷であったのだろうか。
「あなたに渡したブローチ……」
「ん? ああ、あのモンターン公爵夫妻がエレノアに贈ったやつか。すまない、胸元につけて奇襲へと向かったのだが……汚れたり傷付いてはいないだろうか? 」
「もう! 違うわ。そんなことどうだっていいの」
エレノアはむうっと唇を尖らせるが、ルクスにとってはその表情がたまらなく愛おしい。
「そんな表情をされると、たまらない……」
「ルクス、しばらくは安静にしなさいってお医者様が」
「……くそっ」
エレノアは近づきすぎたルクスとの距離を少し離すと、佇まいを直して彼の手を握った。
「私が言いたいのはそういうことではなくて。あのブローチが、あなたの命を救ってくれたんですって」
「……どういうことだ? 」
「アルマン様の剣は、ブローチを掠めてから胸元を貫いたの。そのお陰で狙いが心臓から逸れた。それに、最初の衝撃がブローチに吸収されて剣の勢いが少し落ちたことも、出血が抑えられた理由みたいね」
エレノアから渡されたお守りだというブローチが、まさに守り神のようにルクスをアルマンの手から守ってくれたのだ。
「ブローチは、少し傷がついてしまったけれど無事よ。あなたを守ってくれた傷ですもの。勲章よね」
「エル……俺はお前に助けられてばかりだ。情け無い男だな」
エレノアはその言葉を聞いて一瞬目を丸くした後、ふっと笑った。
「どうして? 情けなくても私はあなたが好きよ、ルー。 それにあなたは生きて帰ってきてくれた。今度こそ、約束をちゃんと守ってくれたわ」
「エル……」
奇跡的な回復を見せたルクスであったが、一時は命も危ぶまれるほどであったらしい。
毒はかなりの猛毒で、いくら毒物に耐性のあるルクスでもかなりの衰弱を伴うことになった。
現に今もまだ手足の痺れは若干残っており、その痺れがいつ回復するのかは医師団にもわからないのだという。
また、アルマンを倒した後ルシアンの手によって宮殿に運び込まれるまで多少の時間を要したため、出血もかなりの量であった。
意識が戻るかも不明であると言われたルクスのそばにつきっきりで看病したのは、もちろん他でもないエレノアだ。
体を壊してしまうから、という周囲の助言も一切耳に入れず、甲斐甲斐しくルクスの世話を焼いていたらしい。
エレノアの祈りがルクスに届いたのだ、と誰もがそう思った。
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