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第2話 洞窟の中の白雲トンネル

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「お、お腹が膨れて、げ、元気が出て来たんだな」

 食後に少し休憩したから、清は元気になったと思っている。
 だが、それは大間違いだ。時間が経って、有毒キノコの症状が出て来ただけだ。
 疲労が取れたのではなく、疲労を感じなくなっただけだ。

「か、川も現れたんだな。こ、この先に湖があるんだな」

 元気に立ち上がると、清は周囲を見回した。
 なんとなく人がよく通って踏み固められた一本道と、雨によって出現した大きな川が見える。
 もちろん見えている気になっているだけで、そんな道も川も存在しない。
 だが、今の清にそんな事は分からない。清にしか見えない川の隣を歩き出した。

 雨で柔らかくなった地面に、下駄底の二本歯はよく沈む。ズブズブと泥沼のようだ。
 清は植物ではなく、雨の匂いが強くなってきた山の中を進んでいく。

「ん? ど、洞窟なんだな。み、湖は洞窟の中にあるのかな?」

 幻覚キノコの影響ではなく、実際に清は洞窟を見つけた。
 長い年月を風雨で削られて、岩の壁が剥き出しになっている。急斜面の所為で木は生えていない。
 その垂直に近い灰色の岩壁に、黒い洞窟の入り口が縦にポッカリ開いている。

「お、お邪魔しますんだな」

 清は赤い傘を畳んで、洞窟の中に挨拶して入った。熊も猪も暮らしていない。
 誰も住んでいないはずの洞窟だが、少し湿った洞窟の中を進んでいくと……
「おわっっ!」と予想外のもの、者を見つけて、清は驚いてしまった。

「し、死んだふりなんだな。ず、ずっと死んだふりしてると、ほ、本当に死んでしまうんだな」

 どう見ても死んだふりではなく、死んで白骨化した人間だ。
 山で遭難して力尽きた人間の末路が、洞窟の壁にもたれかかっている。
 頭には麦わら帽子、ボロボロの汚れた半袖シャツ、長ズボンはブルージーンズ。
 靴はつま先とカカト部分が、濃青色のゴムのスニーカーを履いている。

 地面にはフタが緑色、ケースが透明な四角い虫カゴと、竹製の柄の虫取り網が落ちている。
 虫カゴの中にはカブト虫の残骸が、かろうじて残っている。
 山に虫取りに来て、自分が大自然という大きな虫カゴに囚われてしまったようだ。

「な、なんまいだ、なんだな。お、お供え物は持ってないけど、お、お供え物は描けるんだな」

 薄暗い洞窟の中に目が慣れてきたとはいえ、絵を描くには少し暗い。
 清は洞窟の入り口まで戻ると、リュックサックからスケッチブックと黒鉛筆を取り出した。
 24枚入りのスケッチブックの残り枚数は、半分まで減っている。
 6枚は使用済み、6枚は焚き火に使用した。

 清は右手を動かして、サラサラと真っ白な紙に丸い物体を立体的に描いていく。
 ミカンではないようだ。丸を二つ描いて、ピンク色の色鉛筆を取り出した。
 片方の丸の内側だけをピンクに塗り潰していく。あっという間に紅白饅頭の絵が完成した。
 絵は上手いが、骸骨にとっても、清にとってもめでたい日とは思えない。

 だが、幻覚キノコを食べた今の清に正常な判断力はない。
 洞窟の中に戻ると、骸骨に紅白饅頭の絵を渡して、線香代わりにマッチを一本だけ燃やして手を合わせた。
 墓を作る力も、山の下まで運ぶ体力もない。今はこの程度の供養で我慢してもらうしかない。

「ん? 何なんだな? 何かあるんだな?」

 マッチの火に僅かに照らされた洞窟の奥に、清は白い何かを見た。
「ち、ちょっと借りるんだな」と清は骸骨から麦わら帽子と虫網を借りた。
 熊はいないかもしれないが、コウモリぐらいはいるかもしれない。
 麦わら帽子を頭に、右手に赤傘、左手に虫網を装備して、完全武装した。
 防御力はないが、猿ぐらいはギリギリ追い払う事は出来そうだ。

「だあ! だあ! だあ!」と清は大声で叫びながら、警戒しつつ洞窟の奥に進んでいく。
 頭が恐怖でイカれた訳じゃない。熊避けの鈴を持っていないから、大声を鈴代わりに使っているだけだ。

 だが、洞窟の奥はきっと行き止まりだ。
 熊はいないが、熊がいた場合は追い詰められた熊が襲いかかって来る可能性が高い。
 かなり危険な行為だが、何度も言うが、今の清に正常な判断力はない。
 それにこの洞窟に熊はいない。もちろん、猪もコウモリもいない。

「く、雲なんだな。な、何で雲があるんだな?」

 清は洞窟の奥に進むと、グルグルと渦巻きのように回る、白い雲のようなものを見つけた。
 楕円形の大きな白雲は、人がスッポリと入れる程に大きい。
 清は試しに虫網の丸い網を雲に入れて、雲をすくってみた。
 結果は何もすくえなかった。丸い網は無傷で濡れてもいない。
 触っても問題なさそうだ。

「き、きっと湖の霧なんだな」

 洞窟の中の湖があって、白鳥がいるなら、絵に描きたくなる風景かもしれない。
 だが、この先に湖はない。その前におじいさんが言っていた湖はとっくに枯れている。
 大雨で溜まった水溜りを、ジジイが湖だと勘違いしただけだ。
 明日、山の中を探し回れば、何個か水溜りの湖が現れているだろう。

 そんな事実は清もジジイも知らないが、清は白雲の中に赤傘を広げて、盾代わりに突入した。
 少しモヤッとしたが、ヒヤッとはしなかった。無味無臭の煙の中を進んでいるような感じだ。

「ど、どこまで続くんだな?」と清の感覚では5分は進んでいる。
 警戒してゆっくり進んでいるから、分速60メートルぐらいだが、洞窟が300メートルも続く訳がない。
 真っ直ぐ進んでいるつもりだが、清は試しに横に進んでみた。
 洞窟の横幅は2メートルもなかった。すぐに壁にぶつかるはずだ。
 
「お、おかしいんだな。ど、どこまでも続くんだな」

 そう思ったのだが、1分程進んでも壁にぶつかる事はなかった。
 こんな大洞窟はあり得ない、清は小走りを始めた。怖くなったから走ったのではない。
 今の清は幻覚キノコの影響で恐怖はそこまで感じない。純粋な好奇心だ。
 吉○新喜劇のように壁にぶつかる危険は覚悟してないが、走り続けた。
 その結果、ボフッと清は白雲を抜けて、外に飛び出した。

「……ど、何処なんだな?」

 白雲のトンネルを抜けると、清は周りに木が一本も生えていない、踏み固められた薄茶色の地面に立っていた。
 明らかに山の中ではない。雨は止んでいて、空には青空が広がっている。
 清は洞窟の不思議雲を抜けて、異世界にやって来てしまった。
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