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前半

第3話

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「ジェラルド、この大事な時期にお前は何を考えている?」

 王子が平民の街娘であるアリエルをエルミア王国の王城に連れて帰ると、すぐに謁見の間にいる父親であるフェルナンド国王に呼び出されてしまいました。
 玉座に座る戦士のような鍛えられた肉体を持つフェルナンド国王は、武闘派の国王として、国の内外に広く知れ渡っています。王子と同じ金色の髪をしていますが、王子の柔らかい髪質とは正反対の鋼を思わせるような荒々しい髪質をしています。
 
「父上、民の治安を守る王族の役目を果たしたまでです。馬で街の外に遠乗りした帰りに、街中で地方の伯爵を名乗る男が、街娘を無理矢理手籠にしようとしていたので保護しました。あのまま街に置いておくと、また同じような目に遭うのは目に見えていたので、城の使用人として雇うべきかと…」
「城の使用人か……ブレイズにはお前の部屋の使用人にすると聞いておるが、私は息子の声と忠臣の声、どちらの声を聞くべきか……賢いお主なら分かるだろう、ジェラルドよ」

 王子にとってこれは困った状況です。信じている従者に裏切られた訳ではありません。そもそも従者のブレイズは父親が自分の行動を監視させる為に用意した護衛です。遅かれ早かれ父親に告げ口するのは分かっていたことです。それが予想よりもずっと早かっただけです。

「父上、確かに私は保護した女を自分の使用人にするつもりです。ですが、やましい気持ちは微塵もありません」
「それを私に信じろと申すか? 例え私がその戯言を信じたとしても、お前の婚約者であるララノアは信じると思うか? 兵や民、城に暮らす使用人達が信じると思うのか? 将来、一国を背負う者が若いからといって軽率な振る舞いをするな」

 ジェラルドにとって父親の言葉は我慢できないものでした。連れて来たアリエルには指一本も触っていません。まだ、かもしれないが、触っていないのは事実です。既成事実の一つもない、清廉潔白な自分の身体と心を非難されるのは我慢できません。

「父上! 撤回してください! その言葉は余りにも酷過ぎます! 私はこの国とこの国に暮らす民の幸せを考えているだけです! 私は王子として恥ずべき行ないは一切していません! それとも父上は、地方の変態伯爵が街娘を連れ去ろうとしている時は、私に見て見ぬ振りをしろと——」
「ジェラルド!」
「うっ!」

 王子は胸の中に何年間も溜め込んだ怒りを全てぶち撒けるような勢いで、玉座に座る父親に吐き出していきます。けれども、無駄な抵抗でした。
 国王は玉座からスクッと立ち上がると、王子の怒りの全てを吹き飛ばす大声で王子を一喝しました。その瞬間、王子は蛇に睨まれたカエルのように押し黙ってしまいました。

「お前がそこまで言うなら今は信じてやる。だが、その言葉が嘘偽りだと判明した暁には、お前を第一王子から排斥する。その覚悟がないのなら、今すぐ連れて来た女を街に帰して来い!」
「うっ……」

 王子は父親に何も言えずに、思い悩んでいます。アリエルを保護したいと思った気持ちは嘘ではありません。
 それにアリエルに使用人として城で保護してやる、と言った時に彼女はとても喜んでいました。彼女の笑顔を思い出すと、今更街に帰ってくれとは言えません。王子はアリエルをあの街に帰すのは不安で仕方ありません。

「失礼ながら、陛下。連れて来た娘を今、街に帰すのは得策ではないと存じます」

 玉座の近くに隠れていた屈強な従者ブレイズが姿を現しました。そして、国王の前までゆっくりと歩いて行くと、左膝を跪いて進言しました。

「どうした、ブレイズ? お前がそのような事を申すとは珍しい?」
「ハッ。ですが、城に娘を連れて来て、その日のうちに街に帰すのです。街に暮らす民はどう見るでしょうか? 王子が用済みなった娘を、城から追い出したように思うかもしれません。それこそ、陛下もご一緒に娘に不埒な行ないをしたとも…」
「くだらん。そんなのは邪推や妄想もいいところだ」

 国王は従者の言葉を鼻で笑うと退けました。でも、さっき似たような事が起こったばかりです。国王はもう忘れているようです。

「ですが、先程、陛下が申した通り、その言葉を兵や民、使用人達、王妃様が信じるでしょうか?」
「んんっ……では、どうすればよいと言うのだ!」

 流石は親子、血は争えません。王子のように国王も従者の言葉でキレてしまいました。腹立たしげに従者に八つ当たりしています。

「もう城に連れて来てしまった以上、使用人として雇うしかないと思います」
「くっ、結局は雇うしかないという事か……」

 今度は国王が従者の言葉に頭を悩ましています。娘に金を渡して街に帰せば、金を払って良からぬ事をしたと思われます。逆に何も持たせずに街に帰せば、王子が街娘を雇うと嘘を吐いて喜ばせて、城に連れて行って悪戯したと思われます。
 来月の結婚の儀には他国から多く国賓や要人がこの国に来るのに、娘を今、街に帰して良からぬ噂が広がるのは国の恥を宣伝しているようなものです。
 けれども、城に住まわせると結婚前の王子が間違いを犯す危険もあります。

「分かった。その平民をエルミアとの結婚が終わるまで雇う事を許可する。だが、ジェラルド。良からぬ事をしたと私の耳に入った時には、その使用人を結婚前の王子をたぶらかした女として処刑する。いいな!」
「ハッ!」

 王子は国王にしっかりと返事をすると、アリエルがいるはずの自分の部屋に戻って行きました。
 

 
 

 

 

 

 
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