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第二十四話☆ 下着泥棒

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「ちょっといいかな? 浜松警察署の者なんだけど…」
「えっ? 何ですか?」

 藤岡裕輝ふじおかひろき巡査部長と書かれた警察官手帳を取り出すと、一軒家から出て来た30代前半の男に見せた。あまり大袈裟にしたくないので、警察官は俺と被疑者と歳が近い向井さんが選ばれた。
 夏場というのも少しは影響しているのか、周辺では下着泥棒が多発していた。同じ男として分かりたい気持ちがあるが、『下着だぞ』と言いたい気持ちの方が強い。とくに結婚して、小学生の娘がいる父親がやる事じゃない。

佐藤信太さとうしんたさんで間違いないでしょうか?」
「はい、そうですが…」
「この付近で多発している窃盗事件でお聞きしたい事があります。お時間よろしいでしょうか?」
「えっ…と、これから仕事で…」

 明らかに警察手帳を見せた瞬間から佐藤の顔色が悪くなった。この暑さで寒いはずないのに、赤い半袖のポロシャツから突き出た色白の腕を、両手を組んでさすっている。
 こっちは犯行の瞬間をバッチリと撮影している。嫌だと言っても、逃げても、娘に『パパを連れて行かないで!』と泣かれても、絶対に捕まえる……そういう覚悟でやって来たんだ。
 今、馬鹿な事をやったと死ぬほど後悔しているなら、最初からやるべき事じゃなかった。たかが下着泥棒、されど被害者がいるなら、それは立派な犯罪だ。キチンと罰を受けてもらわないと、被害者女性達が安心して暮らせない。

「失礼ですが、今の仕事が続けられる状況とは私には到底思えません。申し訳ありませんが、ご同行お願いします」
「うぅっ、くぅっ、は、はい……すいませんでした」

 涙を必死に堪えながらも、佐藤の両目から流れる涙は止まらないようだ。ご近所さんの目もあるので、俺と向井さんは佐藤を急いで覆面パトカーに連れていった。
 刑事という仕事は犯人が分かった瞬間は嬉しいもんだ。けれども、逮捕の瞬間はいつまで経っても慣れない。家庭では良き夫、優しい父親なのだろう。でも、犯罪を犯した者は法の下で平等に裁かれなければならないのだ。その結果、一つの家庭が壊れてしまったとしても……。

 佐藤を車に後部座席に乗せると、佐藤の両手に手錠を掛けた。運転を向井さんに任せると泣いている佐藤にハンカチを渡した。同情したからじゃない、車を汚されたら困るからだ。

「佐藤、分かっているとは思うが、家族にも誰にも連絡は出来ない。証拠隠滅の恐れがあるからだ」
「はい」

 警察署に到着するまで時間はある。刑事は被疑者を捕まえたら終わりじゃない。刑事という仕事はそこで終わりかもしれない。けれども、被疑者の人生に終わりはない。被疑者に伝えるべき想いがないなら、今すぐに刑事なんて辞めた方がいい。

「一応捜索令状というものが発行されている。家の中も捜索する事になる。奥さんには詳しい事情を話す必要があるので仕方ないが、いずれ娘さんの耳にも人づてに、お前が何をやったか分かるはずだ。何かをやるなら、娘に聞かれて恥ずかしくない事をやるべきだったな」
「はい」

 佐藤が犯した罪を娘に話すかは奥さんに任せている。おそらく黙っていても、いずれ家に帰って来ない父親に何かあったと分かるはずだ。出来れば父親が犯罪者になった事を知らせたくないが、事件を犯したら実名で報道される。テレビに映る自分の父親の顔と名前を見ない事を祈るばかりだ。

「しっかりと反省して罪を償うんだ。お前が罪を償う人は多いぞ。被害者の女性、奥さんや娘さん、両親に仕事の関係者、友人達……たったこれだけの事で色々な人に迷惑をかけるんだ。こんな事をする前にもっと回りを見ろよ! もっと自分の人生を大切にしろよ! もっと回りの人達を頼っていいんだよ! 家族を……自分を大切にしろよ!」
「はい、すみませんでした! 大変申し訳ありませんでした!」

 佐藤の涙につられて、目頭が熱くなってしまった。ハンカチは佐藤に貸してしまったので拭けやしない。けれども、運転をしていなくて本当に助かった。刑事が交通事故なんて起こしたら減俸もんだ。
 
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