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5:ココに居ていいのだろうか?

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「んっ……んん……?」
「あ、おはようございます」
「……ん……おはようございます。あの、んっ……キス、やめてくらはい」
「可愛くて、つい」

 目を覚ますと唇がふにふにと何度も押し当てられていた。寝起きの舌足らずな口で抗議すると、ようやくキスから解放された。

「髭、薄いんですね。蓄えるの大変だったでしょ」
「Ωにしては濃いんですよ……」

 大変だったのは確かだ。全剃りすると二ヶ月かかる。
 その顎髭を親指ですりすりと撫でると、ぐいっと頭を引っ張られて龍太さんの胸板に顔を押し付けた。

「龍太さん、仕事」
「今日は家でリモートなんで、もう一時間だけ」
「…………はい」

 何も強要される事もなく、ただ優しく抱き締められて、頭や背中を撫でてくれる。とても心地よかった。
 客との事後とは違う。
 なんだろう。これは、なんて言うんだろう。
 落ち着く。このままもう一度寝てしまおうかな……と目を閉じかけた時、胸の内に何かが足踏みをする。
 寝たいのに、寝たくない。

「?」

 この時間を寝て過ごすには、価値が高過ぎる。もっと、もっと龍太さんの温もりを感じていたい。
 どうしてだろう。
 抱かれているわけでもないのに、なんでこの人の腕の中は、こんなに気持ちいいんだろう。
 瞼が重い。トロトロと下がってくる。眠い。でも、寝たくない。もっと龍太さんを感じていたいのに……抵抗虚しく、俺の意識はそこで途切れた。


「三葉様、おそようございます」
「……ごめんなさい」
「いえいえ」

 時刻は午前十一時。ベッドメイキングに来た士郎さんに起こされた。
 リモートに向かった龍太さんは既に居なくて、一人でスヤスヤとベッドで寝過ごしてしまった。

「少し早いですが、昼食にいたしましょうか」
「いえ、龍太さんと一緒がいいです。きょ、今日こそ、椅子に座って食べますので」
「そうですか。では、そのように。着替えはこちらに置いておきますね」
「ありがとうございます」

 使用人とは言え全部任せっきりにしている。着替えの準備まで。
 大人なのだから自分の事は出来るだけ自分でしなければ。
 けれど、士郎さんの邪魔をしない程度に留めないと仕事を増やしてしまう。

「────」
「!」

 龍太さんの声が聞こえた。
 リモート……確か、自宅で出来る仕事だって、客が言ってた。
 気になるけど、仕事場を覗くのはやめておこう。昔それで酷い目にあったし。

 昼まで教科書を読んで、文字の勉強をする。
 まだまだちゃんと読めないけれど、形を捉える事は出来るようになった。ちゃんと、前に進んでいる。そう思うと、字が読めるようになるのが嬉しい。楽しい。

「三葉さん」
「おわ!」

 急に声をかけられて驚いた。
 龍太さんが俺の真後ろに立っていた……近い!

「な、なんですか?」
「ふふ、何だと思いますか?」
「わかりません」
「ご飯ですよ」
「あ、すみません……」

 わざわざ呼びに来てくれたらしい。
 一緒に食卓へ行き、行き先を意識する。

『スッ』
「!」
「きょ、今日は……椅子で」
「…………」

 椅子に腰掛けた俺を見て瞬きを数回。
それから、士郎さんへ視線を送り、意味深に頷く。

「では、私はこちら」
「え? 隣、ですか?」
「向き合うと緊張するでしょ?」
「……はい」

 また、気遣われてしまった。
 ずっと甘やかされている気がする。
 士郎さんの料理は、相変わらず美味しい。
 
「……んぅ」
「箸は……こう」
「こ、こう……?」
「…………こうですね」

 手を取り、箸の持ち方を教えてくれた。
 力み過ぎて箸の向きがおかしくなったけど、龍太さんが修正してくれる。
 俺達のやり取りを見守る士郎さんはニコニコとずっと笑っている。
 食事の後は再び仕事に戻っていく龍太さん。俺も漢字ドリルを開いて、勉強の続き。
 ひらがなとカタカナは全部覚えた。多分、漢字も簡単な物なら大丈夫だ。

 俺の一日は、ほぼ勉強に費やされる。
 せっかく与えられた環境を思う存分楽しみたいし、役に立てるようになりたい。俺はもっと知りたい、と貪欲に知識を取り込んでいくようになった。

 夜にはキスだけして眠りにつく。優しく抱き締められて、一ヶ月程で俺も抱きしめ返せるようになった。
 勉強の成果により、書斎の本が読めるようになってきた。辞書片手にだけど。
 教科書より難しい小説を読んで、自分でいろいろ考えたりしてるけど……

「……恋愛物多いな」

 いろんな組み合わせの恋愛小説があり、それを読んでると気分が沈む。

「……愛…………」

 愛にも種類があって、愛し方にもいろいろあるらしい。
 龍太さんが俺を愛してくれているのを小説の文面で知った。だが、今の俺がその愛にどう応えたらいいのかわからない。
 そもそも、愛は好きから派生する。俺はそういう意味で龍太さんが好きなのかどうかさえ、わからない。
 小説の登場人物に共感出来る部分もあれば、なんか客観的になってしまう部分もある。この思考こそが自己を捉えるのに必要な事だと士郎さんに教えてもらった。
 共感部分を型取って、非共感部分を抜き取れば、自分の考えが自ずと見えてくる。
 難しい。俺は何を思って、何を願って、どうなりたいのか……わからない。
 龍太さんの事を、どう思っているのか、わからない。
 
「三葉さんは、努力家ですね。もうこんなに書けるようになったんですか?」
「ま、まだまだです。けど……結構頑張りました」

 就寝前に俺のノートをペラペラと捲る龍太さん。

「こことか、凄いですよ」

 龍太さんが指さした場所に視線を向けると……俺が『自分の気持ちがわからなくて悩んでいる』部分だ。

「自分の気持ちを文字にしたためるって、案外難しいんです」
「そうなんですか?」
「何をどう悩んでるのか、どうすればいいのか、その葛藤が私に伝わっている時点で凄いことなんです。けど、あまり思い詰めないでください」
『ちゅっ』
「ん……ん、ぅ」

 また、龍太さんは俺にキスを落とす。頬を撫でて、不安を取り除くように唇を重ねる。
 温かくて、柔らかい口付けは気持ちいいけど、俺をダメにしそうで怖いからあまり好きになれない。
 もうそろそろ、龍太さんの明日の事もあるから寝なければならない……と身を引いたら「もう少し……」とねだられてしまった。
 舌も絡めない、大人しく穏やかなキス。
 けど、そのキスの優しさが龍太さんからの愛の一角だと思う。それが俺の心にじわじわと染み渡る。

「……んっ……ん」
「…………はぁ、ん、三葉さん」
「な、なんですか?」
「……いえ。もう寝ましょうか」
「はい……」

 龍太さんが俺を抱き寄せて眠りの体勢に入る。慣れきった身の寄せ合いに胸が擽ったかった。


※※※

「ケホッ……」

 龍太さんと暮らし始めて三ヶ月目のとある朝。
 息苦しさと嗅ぎ慣れない匂いに目が覚めてしまった。

「ケホッ、ゴホ……なに、っコホ」

 喉がイガイガする匂いの元を首を動かして探すも、原因がわからない。

「龍太、さん……ゴホッゴホッ、起き、て」
「……ぅ、うう」

 苦しそうに呻いた龍太さんが、俺を強く抱きしめる。身体が軋む程、力強く。

「はっ、ケホッ! 龍太さん、龍太さん」
「……ぁ?」

 俺の呼びかけにやっと目を開けた。
 現状を伝えようと口を開くと咳が止まらず言葉が出てこない。

「コホッ……げほっ、ちょ、ちょっとまって、ケホ!」
「……三葉さん、大丈夫?」

 俺の激しい咳き込みに、背を撫でてくれる龍太さん。

「……風邪ですかね?」
「けほっ、多分、風邪、ケホッコホ……じゃ、ないです」

 龍太さんには何も影響は出ていない様子だ。
 一体なんの匂いだ? もったりと喉に張り付く。

「……こほッケホッゴホ! すぐ落ち着きますから、ゴメンナサイ…………ごほっ!」
『コンコンコン!』
「龍太様! こちらまで匂いが漏れておりますが、大丈夫ですか!?」
「……あ!」
「ゲホッゴホッ!」

 士郎さんの切羽詰まった呼びかけに、何やらピンときた様子の龍太さんが俺の頭をよしよしと撫でる。

「すみません。原因は私みたいです」
「龍、た、さん?」
「発情期が来てしまったようで」

 発情期。αにも、発情期があるんだ。
 知らなかった。

「当分接触は避けましょうか」
「え?」

 スッとベッドから降りて身を引く龍太さん。咽せ返る香りが遠ざかり、代わりに鼻の奥に龍太さんの残り香がツンと刺激する。

『ガチャ』
「士郎、すまないが二日程家を空ける」
「かしこまりました」
「三葉さんのケアも頼む」
「はい」

 呼吸を整える俺を置いて、寝室を出て行ってしまった龍太さん。
 入れ替わりで寝室に入ってきた士郎さんが、窓を開けて換気を始めた。

「三葉様、大丈夫ですか? 身体に不調は?」
「……こほ、咳が出るぐらいで、もう平気です。それよりも……龍太さんは大丈夫なんですか?」
「はい、ご心配なく。抑制剤を飲まれればすぐに落ち着きます。龍太様の発情期の事は三葉様にはまだお話しておりませんでしたね」
「…………αにも発情期があるんですね。てっきり、Ωだけかと」
「αとΩでは発情の影響力が全く異なりますので、イコールとは言い難いですね」

 士郎さんにαの発情期について、詳しく聞いた。
 αの発情期は“ラット”と呼ばれている。Ωの“ヒート”とは違い、発情フェロモンの効果範囲がΩ特化であり、発情してもα本人は理性的な為、歴史的にも問題視されるのはαの発情フェロモンに誘発されたΩの発情だったりする。
 αと出会った事がないΩやβは、発情期ラットについて全く知らないという人間も多い。保健体育なる授業でも取り扱うが、Ωの発情期ヒートの印象に負けて大概忘れられているそうだ。

「あの至近距離で咳き込むだけで済んだのは、三葉様の体質が大きいですね。並のΩなら、寝込みを襲ってしまっている程強い香りですから」
「…………そんなに強いんですね」

 発情フェロモンをただの香りとしてしか認識出来ない俺は、やはり欠陥がある。搭載されているメイン機能が機能していないポンコツだ。
 ずっと前からわかってはいたが、久しぶりに自分の体質を意識してしまって、なんとも言えない気持ちになった。

「…………あ、の」
「?」
「俺が……龍太さんの、その、伴侶でいいんでしょうか? 今更ですが、俺は子どもが、産めない身体ですし……奉仕も嫌って」
「ああ、不安にさせてしまいましたか。申し訳ございません。三葉様が気に病む事など何ひとつありません」
「でも……」

 龍太さんは俺の事を好きだと言ってくれるけど、俺は応えるでもなく曖昧に腕を回すだけ。ただ龍太さんの好意に寄生している虫みたいだ。

「龍太様がお帰りになられたら、その事を本人にお伝えする事をお勧めします。三葉様の心配は、きっと晴れますから」
「…………はい」

 そうだな。ちゃんと聞かないとダメだ。
 龍太さんの為にも、はっきりさせておきたい。俺を何故側に置いてくれるのか。

 
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