鏡の中の他人

北大路京介

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第4話「鏡の中の秘密」

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一ヶ月は、またすぐに過ぎた。

その間、亜由美は何度も考えた。

吉村に、本当のことを言うべきか。

でも、その度に、言葉が出なかった。

そして、予約の日が来た。

午後六時半。

吉村は、いつもと変わらず現れた。

「こんばんは」

「こんばんは」

亜由美は、できるだけ普通を装った。

でも、心臓はバクバクと鳴っていた。

吉村はセット面に座り、亜由美はクロスをかける。

「今日も、同じで」

「はい」

亜由美は髪に触れる。その手が、微かに震えていた。

吉村は、気づいただろうか。

シャンプー、カット。

いつもと同じ手順。

でも、今日の亜由美は、いつもと違った。

カット中、ハサミを持つ手が何度も止まった。

吉村の髪を切りながら、亜由美は元夫のことを考えていた。

この人は、今、元夫と戦っている。

法廷で、言葉を武器にして。

そして、元夫を追い詰めているのだ。

亜由美は、吉村の顔を鏡越しに見た。

いつもと変わらない、無表情な顔。

でも、この顔の裏に、どんな感情があるのだろう。

冷徹、と記事には書いてあった。

本当にそうなのだろうか。

「あの」

吉村が口を開いた。

「はい」

「今日は、少し短めにしてもらえますか」

「短め、ですか」

「ええ。明日、大事な裁判があるので」

裁判。

その言葉に、亜由美の手が止まった。

「どうかしましたか」

「いえ」

亜由美は慌てて手を動かした。

「分かりました。少し短めに」

「お願いします」

亜由美は、吉村の髪を切り続けた。

でも、頭の中では、ずっと同じことを考えていた。

明日の裁判は、元夫との裁判だろうか。

もしそうなら、吉村はこれから、元夫を攻撃するのだ。

そう思うと、亜由美の手は重くなった。

カットが終わり、ドライヤーで髪を乾かす。

その時、吉村が鏡越しに亜由美を見て、尋ねた。

「あなたは、仕事と私生活を分けられる人ですか」

「え?」

突然の質問に、亜由美は戸惑った。

「仕事と、私生活」

「ええ」

吉村は真剣な顔をしていた。

「例えば、仕事で嫌なことがあっても、プライベートでは笑顔でいられるとか」

「それは…」

亜由美は少し考えた。

「難しいです」

「やはり」

「でも、努力はしています」

「どうして?」

「娘がいるので」

吉村は少し驚いた顔をした。

「お子さんが?」

「はい。七歳です」

「そうですか」

吉村は、少し考え込むような表情をした。

「それは、大変ですね」

「まあ、でも、楽しいですよ」

亜由美は笑顔を作った。

でも、その笑顔は少し硬かった。

吉村は、それに気づいたようだった。

「僕は、分けられないんです」

「え?」

「仕事と、私生活を」

吉村は鏡越しに亜由美を見つめた。

「仕事で冷徹にならなければいけない時、それがプライベートにも影響する」

「そうなんですか」

「ええ。だから、僕には、家族がいないんです」

その言葉に、亜由美は胸が締め付けられた。

「家族が、いない?」

「結婚もしていません。恋人もいません」

「どうして」

「仕事が、僕の全てだから」

吉村は、静かに言った。

「でも、時々思うんです。これでいいのかって」

亜由美は、言葉が出なかった。

吉村の声には、寂しさが滲んでいた。

「でも、ここに来ると、少しだけ人間らしくなれる気がするんです」

「人間らしく?」

「ええ。あなたの手が、僕を普通の人間に戻してくれる」

亜由美は、目頭が熱くなった。

この人は、孤独なのだ。

仕事に全てを捧げて、でもその代償として、人間らしさを失っている。

そして、この美容室が、吉村にとっての唯一の安らぎの場所なのだ。

亜由美は、吉村の髪を撫でた。

「ありがとうございます」

「いえ」

吉村は、小さく笑った。

「こちらこそ」

カットが終わり、吉村は帰っていった。

一人になった亜由美は、セット面の椅子に座り込んだ。

涙が、一粒、頬を伝った。

吉村に、本当のことを言えなかった。

でも、今日の会話を聞いて、亜由美は決めた。

言わない。

吉村にとって、この場所は大切なのだ。

それを壊したくない。

たとえ、秘密を抱えることになっても。

亜由美は、涙を拭い、立ち上がった。

鏡の中の自分を見つめる。

「大丈夫」

自分に言い聞かせて、亜由美は店の掃除を始めた。
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