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第7話「夜の電話」
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お茶の約束をしてから、亜由美は落ち着かなかった。
仕事中も、ふとした瞬間に吉村のことを考えてしまう。
晴夏と話していても、上の空になることがあった。
「ママ、聞いてる?」
「え? ごめん、何?」
「だから、明日の遠足のお弁当」
「ああ、ごめん。何がいい?」
「卵焼きと、唐揚げ」
「分かった」
晴夏は、不満そうな顔をした。
「ママ、最近変だよ」
「そう?」
「うん。ぼーっとしてる」
「疲れてるのかな」
「無理しないでね」
晴夏は、心配そうに亜由美を見上げた。
その優しさに、亜由美は胸が痛んだ。
「ありがとう。大丈夫よ」
亜由美は、晴夏の頭を撫でた。
でも、本当は大丈夫ではなかった。
吉村のことを考えるたびに、罪悪感が湧いてくる。
元夫を訴えている弁護士に、好意を抱いている。
それは、裏切りなのではないか。
でも、元夫とはもう何の関係もない。
晴夏の父親ではあるけれど、亜由美の夫ではない。
だから、誰を好きになろうと、亜由美の自由だ。
でも。
でも、相手が吉村だということが、複雑にさせる。
ある夜。
晴夏を寝かしつけて、一人になった時。
亜由美の携帯が鳴った。
非通知。
また、吉村だろうか。
亜由美は、少し期待しながら電話に出た。
「はい」
「篠塚」
その声は、元夫の俊介だった。
亜由美の体が、固まった。
「何の用?」
「久しぶりだな」
俊介の声は、酔っているようだった。
「用がないなら、切るけど」
「待て」
俊介は、苛立った声を出した。
「お前、知ってるか」
「何を」
「俺が、裁判で負けたこと」
亜由美の心臓が、ドクンと跳ねた。
「知らない」
嘘をついた。
「嘘つけ。お前、あいつの客だろ」
「あいつ?」
「吉村だよ。吉村信幸」
俊介は、名前を吐き捨てるように言った。
「あいつの美容室に通ってるって、聞いたぞ」
亜由美は、息が止まりそうになった。
どうして、知っているのだろう。
「誰から聞いたの」
「それは言えない。でも、本当なんだろ?」
亜由美は、黙っていた。
否定しても、意味がない気がした。
「やっぱりな」
俊介は、苦々しく笑った。
「お前、あいつとできてんのか」
「何言ってるの」
「とぼけるな。あいつは俺を訴えた弁護士だぞ。それなのに、お前は」
「私の客よ。それだけ」
「本当か?」
「本当よ」
亜由美は、きっぱりと言った。
「私とあなたは、もう何の関係もない。私が誰と会おうと、あなたには関係ない」
「晴夏の父親だぞ、俺は」
「だからって、私の人生に口出しする権利はない」
「お前」
俊介の声が、怒りで震えた。
「養育費、止めるぞ」
「勝手にすれば」
亜由美は、強がった。
でも、本当は怖かった。
養育費が止まれば、生活は苦しくなる。
「それで困るのは、お前と晴夏だぞ」
「大丈夫よ。私たちは、あなたがいなくても生きていける」
「後悔するなよ」
「しないわ」
亜由美は、電話を切った。
手が、震えていた。
どうして、俊介は吉村のことを知っているのだろう。
誰かが、教えたのだろうか。
それとも、偶然知ったのだろうか。
亜由美は、携帯を握りしめたまま、うずくまった。
複雑すぎる。
全てが、複雑すぎる。
その時、再び携帯が鳴った。
今度は、登録されている番号。
吉村だった。
亜由美は、少し迷ってから、出た。
「はい」
「篠塚さん、今、大丈夫ですか」
吉村の声は、心配そうだった。
「はい」
「あの、もし迷惑でなければ」
「はい」
「今から、髪を切ってもらえませんか」
また、同じ依頼。
でも、今日の亜由美には、断る理由がなかった。
むしろ、吉村に会いたかった。
「分かりました」
「ありがとうございます」
「すぐに店に向かいます」
「お願いします」
電話を切り、亜由美は隣の大家さんに連絡した。
そして、店へ向かった。
店に着くと、吉村はもう待っていた。
でも、今日の吉村は、いつもと違った。
スーツは乱れ、顔は蒼白い。
「どうしたんですか」
「すみません。急に」
「いえ。でも、顔色が悪いです」
「大丈夫です」
吉村は、そう言ったが、明らかに大丈夫ではなかった。
店に入り、セット面に座る。
亜由美は、クロスをかけながら尋ねた。
「何かあったんですか」
吉村は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「脅されました」
「え?」
「今日の裁判の相手に」
亜由美の心臓が、ドクンと跳ねた。
「裁判の、相手?」
「ええ。判決が不服だから、控訴する。そして、僕の弱みを探し出して、潰すと」
吉村は、疲れたように笑った。
「よくあることです。負けた方は、感情的になる」
「怖くないんですか」
「怖いです」
吉村は、正直に答えた。
「でも、仕方ないんです。それが、この仕事だから」
亜由美は、何も言えなかった。
吉村が言っている「相手」は、元夫の俊介だろう。
そして、俊介は、吉村の弱みを探している。
もしかして。
もしかして、それが、自分のことなのだろうか。
吉村の客に、元夫の元妻がいる。
それを知られたら、吉村はどうなるのだろう。
「篠塚さん」
「はい」
「あなたは、僕のことを、どう思いますか」
突然の質問に、亜由美は戸惑った。
「どう、って」
「僕は、冷徹な人間です。仕事のためなら、人を傷つける」
「そんなこと」
「いえ、本当です」
吉村は、鏡越しに亜由美を見つめた。
「でも、あなたの前では、僕は人間でいられる」
「吉村さん」
「あなたは、僕にとって、特別なんです」
亜由美の胸が、熱くなった。
「私も、です」
亜由美は、ついに認めた。
「あなたは、私にとっても、特別です」
二人は、鏡越しに見つめ合った。
そして、吉村が立ち上がった。
「篠塚さん」
吉村は、亜由美に近づいた。
「僕は、もう我慢できません」
「吉村さん」
「あなたを、抱きしめてもいいですか」
亜由美は、答えの代わりに、吉村に抱きつていた。
吉村も、亜由美を強く抱きしめた。
二人は、しばらくそのままでいた。
鏡の中に、抱き合う二人の姿が映っている。
これは、間違っているのかもしれない。
でも、今は、そんなこと考えたくなかった。
ただ、この温もりを感じていたかった。
仕事中も、ふとした瞬間に吉村のことを考えてしまう。
晴夏と話していても、上の空になることがあった。
「ママ、聞いてる?」
「え? ごめん、何?」
「だから、明日の遠足のお弁当」
「ああ、ごめん。何がいい?」
「卵焼きと、唐揚げ」
「分かった」
晴夏は、不満そうな顔をした。
「ママ、最近変だよ」
「そう?」
「うん。ぼーっとしてる」
「疲れてるのかな」
「無理しないでね」
晴夏は、心配そうに亜由美を見上げた。
その優しさに、亜由美は胸が痛んだ。
「ありがとう。大丈夫よ」
亜由美は、晴夏の頭を撫でた。
でも、本当は大丈夫ではなかった。
吉村のことを考えるたびに、罪悪感が湧いてくる。
元夫を訴えている弁護士に、好意を抱いている。
それは、裏切りなのではないか。
でも、元夫とはもう何の関係もない。
晴夏の父親ではあるけれど、亜由美の夫ではない。
だから、誰を好きになろうと、亜由美の自由だ。
でも。
でも、相手が吉村だということが、複雑にさせる。
ある夜。
晴夏を寝かしつけて、一人になった時。
亜由美の携帯が鳴った。
非通知。
また、吉村だろうか。
亜由美は、少し期待しながら電話に出た。
「はい」
「篠塚」
その声は、元夫の俊介だった。
亜由美の体が、固まった。
「何の用?」
「久しぶりだな」
俊介の声は、酔っているようだった。
「用がないなら、切るけど」
「待て」
俊介は、苛立った声を出した。
「お前、知ってるか」
「何を」
「俺が、裁判で負けたこと」
亜由美の心臓が、ドクンと跳ねた。
「知らない」
嘘をついた。
「嘘つけ。お前、あいつの客だろ」
「あいつ?」
「吉村だよ。吉村信幸」
俊介は、名前を吐き捨てるように言った。
「あいつの美容室に通ってるって、聞いたぞ」
亜由美は、息が止まりそうになった。
どうして、知っているのだろう。
「誰から聞いたの」
「それは言えない。でも、本当なんだろ?」
亜由美は、黙っていた。
否定しても、意味がない気がした。
「やっぱりな」
俊介は、苦々しく笑った。
「お前、あいつとできてんのか」
「何言ってるの」
「とぼけるな。あいつは俺を訴えた弁護士だぞ。それなのに、お前は」
「私の客よ。それだけ」
「本当か?」
「本当よ」
亜由美は、きっぱりと言った。
「私とあなたは、もう何の関係もない。私が誰と会おうと、あなたには関係ない」
「晴夏の父親だぞ、俺は」
「だからって、私の人生に口出しする権利はない」
「お前」
俊介の声が、怒りで震えた。
「養育費、止めるぞ」
「勝手にすれば」
亜由美は、強がった。
でも、本当は怖かった。
養育費が止まれば、生活は苦しくなる。
「それで困るのは、お前と晴夏だぞ」
「大丈夫よ。私たちは、あなたがいなくても生きていける」
「後悔するなよ」
「しないわ」
亜由美は、電話を切った。
手が、震えていた。
どうして、俊介は吉村のことを知っているのだろう。
誰かが、教えたのだろうか。
それとも、偶然知ったのだろうか。
亜由美は、携帯を握りしめたまま、うずくまった。
複雑すぎる。
全てが、複雑すぎる。
その時、再び携帯が鳴った。
今度は、登録されている番号。
吉村だった。
亜由美は、少し迷ってから、出た。
「はい」
「篠塚さん、今、大丈夫ですか」
吉村の声は、心配そうだった。
「はい」
「あの、もし迷惑でなければ」
「はい」
「今から、髪を切ってもらえませんか」
また、同じ依頼。
でも、今日の亜由美には、断る理由がなかった。
むしろ、吉村に会いたかった。
「分かりました」
「ありがとうございます」
「すぐに店に向かいます」
「お願いします」
電話を切り、亜由美は隣の大家さんに連絡した。
そして、店へ向かった。
店に着くと、吉村はもう待っていた。
でも、今日の吉村は、いつもと違った。
スーツは乱れ、顔は蒼白い。
「どうしたんですか」
「すみません。急に」
「いえ。でも、顔色が悪いです」
「大丈夫です」
吉村は、そう言ったが、明らかに大丈夫ではなかった。
店に入り、セット面に座る。
亜由美は、クロスをかけながら尋ねた。
「何かあったんですか」
吉村は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「脅されました」
「え?」
「今日の裁判の相手に」
亜由美の心臓が、ドクンと跳ねた。
「裁判の、相手?」
「ええ。判決が不服だから、控訴する。そして、僕の弱みを探し出して、潰すと」
吉村は、疲れたように笑った。
「よくあることです。負けた方は、感情的になる」
「怖くないんですか」
「怖いです」
吉村は、正直に答えた。
「でも、仕方ないんです。それが、この仕事だから」
亜由美は、何も言えなかった。
吉村が言っている「相手」は、元夫の俊介だろう。
そして、俊介は、吉村の弱みを探している。
もしかして。
もしかして、それが、自分のことなのだろうか。
吉村の客に、元夫の元妻がいる。
それを知られたら、吉村はどうなるのだろう。
「篠塚さん」
「はい」
「あなたは、僕のことを、どう思いますか」
突然の質問に、亜由美は戸惑った。
「どう、って」
「僕は、冷徹な人間です。仕事のためなら、人を傷つける」
「そんなこと」
「いえ、本当です」
吉村は、鏡越しに亜由美を見つめた。
「でも、あなたの前では、僕は人間でいられる」
「吉村さん」
「あなたは、僕にとって、特別なんです」
亜由美の胸が、熱くなった。
「私も、です」
亜由美は、ついに認めた。
「あなたは、私にとっても、特別です」
二人は、鏡越しに見つめ合った。
そして、吉村が立ち上がった。
「篠塚さん」
吉村は、亜由美に近づいた。
「僕は、もう我慢できません」
「吉村さん」
「あなたを、抱きしめてもいいですか」
亜由美は、答えの代わりに、吉村に抱きつていた。
吉村も、亜由美を強く抱きしめた。
二人は、しばらくそのままでいた。
鏡の中に、抱き合う二人の姿が映っている。
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