鏡の中の他人

北大路京介

文字の大きさ
28 / 30

第28話「再会の予約」

しおりを挟む
それから、二ヶ月が経った。

信幸は、退院した。

でも、亜由美には連絡してこなかった。

母親から、時々、近況を聞いた。

「息子は、実家で療養しています」

「そうですか」

「仕事は、まだ休んでいます」

「そうですか」

「でも、少しずつ、元気になっています」

それを聞いて、亜由美はホッとした。

生きていてくれる。

それだけで、よかった。

三ヶ月目のある日。

店の電話が鳴った。

「はい、Oliveです」

「篠塚さん」

その声に、亜由美は凍りついた。

信幸だった。

「信幸」

「お久しぶりです」

声は、以前よりも落ち着いていた。

「元気でしたか」

「はい。あなたは?」

「僕も、なんとか」

少しの沈黙。

そして、信幸が言った。

「予約、入れてもいいですか」

「予約?」

「はい。髪を、切ってほしいんです」

亜由美は、迷った。

また、会っていいのだろうか。

でも、断る理由も見つからなかった。

「分かりました」

「本当ですか」

「はい」

「ありがとうございます」

信幸の声には、安堵があった。

「いつがいいですか」

「来月の、最初の日曜日。午後六時半」

「分かりました」

かつての、月に一度の予約時間。

「じゃあ、その日に」

「はい。待ってます」

電話が切れた。

亜由美は、大きく息を吐いた。

また、会う。

それは、正しいのだろうか。

でも、もう決めてしまった。

予約の日。

亜由美は、朝から落ち着かなかった。

店の掃除を何度もして、鏡を磨いた。

割れた鏡は、新しいものに替えた。

でも、その鏡を見るたびに、あの夜のことを思い出す。

割れた鏡。

流れる血。

信幸の、絶望した顔。

午後六時半。

時間になっても、信幸は来なかった。

亜由美は、少し不安になった。

やっぱり、来ないのだろうか。

それとも、また何か。

その時、扉が開いた。

「すみません。遅れました」

信幸が、立っていた。

短く切った髪。

痩せた体。

でも、目には、以前のような狂気はなかった。

「いらっしゃいませ」

亜由美は、笑顔を作った。

「お久しぶりです」

「はい」

信幸は、セット面に座った。

鏡越しに、二人の目が合う。

あの日と、同じように。

でも、何かが違っていた。

「今日は、どうされますか」

「短く、してください」

「分かりました」

亜由美は、クロスをかけた。

信幸の髪に触れる。

その感触は、覚えていた。

「伸びましたね」

「はい。三ヶ月ぶりなので」

「そうですね」

亜由美は、ハサミを手に取った。

そして、カットを始めた。

チャキ、チャキ、チャキ。

いつもと同じ音。

でも、空気は、以前とは違った。

重くない。

でも、軽すぎない。

ちょうどいい、距離感。

「篠塚さん」

「はい」

「この三ヶ月、色々考えました」

信幸は、鏡越しに亜由美を見た。

「僕が、間違っていたこと」

「信幸さん」

「いえ、聞いてください」

信幸は、続けた。

「僕は、あなたを愛していると思っていました。でも、それは違った」

亜由美の手が、止まった。

「あれは、依存でした」

「依存」

「はい。あなたなしでは生きられない、と思い込んでいた」

信幸は、自分の手を見つめた。

「でも、今は分かります。人は、一人でも生きられる」

「そうですね」

「だから、僕は、もうあなたに依存しません」

信幸は、亜由美を見た。

「これからは、一人の客として、ここに来たい」

亜由美の胸が、熱くなった。

「はい」

「それでも、いいですか」

「もちろんです」

亜由美は、微笑んだ。

「待ってます」

信幸も、微笑んだ。

その笑顔は、以前よりも、自然だった。

カットを続ける。

二人は、時々、鏡越しに視線を交わした。

でも、以前のような、重さはなかった。

ただ、静かな時間。

それが、心地よかった。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

一夜の男

詩織
恋愛
ドラマとかの出来事かと思ってた。 まさか自分にもこんなことが起きるとは... そして相手の顔を見ることなく逃げたので、知ってる人かも全く知らない人かもわからない。

ハイスペックでヤバい同期

衣更月
恋愛
イケメン御曹司が子会社に入社してきた。

密会~合コン相手はドS社長~

日下奈緒
恋愛
デザイナーとして働く冬佳は、社長である綾斗にこっぴどくしばかれる毎日。そんな中、合コンに行った冬佳の前の席に座ったのは、誰でもない綾斗。誰かどうにかして。

たとえ夜が姿を変えても ―過保護な兄の親友は、私を逃がさない―

佐竹りふれ
恋愛
重なる吐息、耳元を掠める熱、そして——兄の親友の、隠しきれない独占欲。 19歳のジャスミンにとって、過保護な兄の親友・セバスチャンは、自分を子供扱いする「第二の兄」のような存在だった。 しかし、初めてのパーティーの夜、その関係は一変する。 突然降ってきた、深く、すべてを奪うような口づけ。 「焦らず、お前のペースで進もう」 そう余裕たっぷりに微笑んだセバスチャン。 けれど、彼の言う「ゆっくり」は、翌朝には早くも崩れ始めていた。 学内の視線、兄の沈黙、そして二人きりのアパート――。 外堀が埋まっていくスピードに戸惑いながらも、ジャスミンは彼が隠し持つ「男」の顔に、抗えない好奇心を抱き始める。 「……どうする? 俺と一緒に、いけないことするか?」 余裕の仮面を被るセバスチャンに、あどけない顔で、けれど大胆に踏み込んでいくジャスミン。 理性を繋ぎ止めようとする彼を、翻弄し、追い詰めていくのは彼女の方で……。 「ゆっくり」なんて、ただの建前。 一度火がついた熱は、誰にも止められない。 兄の親友という境界線を軽々と飛び越え、加速しすぎる二人の溺愛ラブストーリー。

身体の繋がりしかない関係

詩織
恋愛
会社の飲み会の帰り、たまたま同じ帰りが方向だった3つ年下の後輩。 その後勢いで身体の関係になった。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

君と暮らす事になる365日

家具付
恋愛
いつでもぎりぎりまで疲れている主人公、環依里(たまき より)は、自宅である築28年のアパートの扉の前に立っている、驚くべきスタイルの良さのイケメンを発見する。このイケメンには見覚えがあった。 何故ならば、大学卒業後音信不通になった、無駄に料理がうまい、変人の幼馴染だったのだから。 しかし環依里は、ヤツの職業を知っていた。 ヤツはメディアにすら顔を出すほどの、世間に知られた天才料理人だったのだ! 取扱説明書が必要な変人(世間では天才料理人!?)×どこにでもいる一般人OL(通訳)の、ボケとツッコミがぶつかりあうラブコメディ!(予定)

ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

処理中です...