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アナザールート その118 さよなら
そうして、ベッドの中で丸くなってどれくらい経っただろうか。僕は毛布に包まったまま、いつの間にか微睡みに深く、深く落ちていた──まるで、このまま何もかも忘れてしまいたかったかのように。
このままずっと、意識の底で、全ての苦痛から逃れていたいと魂が願っていた。
「……れ……時雨……」
ふと気づくと、誰かが僕の名を呼んでいた。
その声がご主人様のものだと朧げに理解した瞬間、全身の毛穴が開き、心臓が跳ねる。
しまった! ご主人様のお出迎えもせず、夕食の用意もせず、なんて無様な……!
瞬時に意識が覚醒し、毛布から恐る恐る顔を出すと、ベッドの上から僕の顔を覗き込むご主人様と視線が絡み合った。
僕はベッドの上で、跳ねるように上半身を起こし、ベットに額が触れるほどにご主人様に頭を深く下げた。
羞恥と罪悪感が、僕の頬を熱く染める。
「ご……ご主人……様……っ、ずっと……っ、寝ておりました……っ。申し訳、ありませんでした……っ!」
そうして、うなだれる僕の頭に、ご主人様の大きくてゴツゴツした、大人の男の手が、唐突に、そして、そっと乗せられた。
「ひっ!」
その瞬間に、医者に前髪を鷲掴みにされながら嬲られた深い恐怖と屈辱が、鮮やかに、ぞっとするほどリアルに蘇った。
このまま殴られるんじゃないかと思って、僕は反射的に身体を硬直させ、両手を上げて顔を必死に庇った。
全身が小刻みに震え、瞳には止めどなく熱い涙が溢れ出した。
だけど、ご主人様の手は僕を傷つけなかった。
それどころか、細い髪の毛をすくように僕の頭をそっと、穏やかに、慈しむように撫でてゆく。
その指先が、僕の髪の根元を愛おしむように触れ、微かな電流が頭皮を駆け抜けた。
痛みを予想した身体に流れ込む、予想外の優しさ。
その落差が、僕の神経を痺れさせる。
「へぁ……?」
その不意打ちの優しさに、僕は間抜けな、情けない声をあげてご主人様と目を合わせた。
怒っている……そう思い込んでいたその瞳には、深く、優しく、そして僕の存在そのものを気遣う、暖かな光が宿っていた。
「体調が悪いんだってな、謝らなくていい。」
どうやら、早川さんが僕の体調のことを、ご主人様に伝えておいてくれたらしい。
僕の胸には、安堵と、同時に言いようのない罪悪感が入り混じった。
「それより大丈夫なのか? 病院で何かあったのか?」
「それ……は……っ」
僕は言葉に詰まり、ご主人様から目を逸らした。
あの悪夢のような出来事を、僕を気遣ってくれるご主人様にどんな言葉にすればいいのか、喉が詰まって声が出なかった。
あの診察室で味わった極限の快感と、それに伴う屈辱を、どう説明すればいいのか。
それは僕だけの、汚れた秘密なのだ。
裸にされ、写真を撮られた。
アナルをクスコでこじ開けられ、中を“触診”で弄ばれた。
内視鏡を捩じ込まれ、敏感な尿道粘膜から膀胱まで串刺しに貫かれた。
どれも、言葉にすれば診察の範囲内だ……気が狂いそうな程の快感で僕が悶絶したのは僕の勝手だ、と言われれば、反論のしようがない。
僕が、あの医者をそうさせたのだ。
僕の奥底に眠る「魔性」が、彼のサディズムを呼び覚ましたのだ。
“時雨ちゃんが悪いんだ”
医者のあのねっとりとした声が、頭の中で何度も、何度も、残酷に繰り返される。
僕が……変態でマゾだから、だからあんな目に遭わされたんだ……。
そう思うと、瞳が熱い涙で潤み、何も言えない。
ただ、唇をぎゅっと噛みしめ、震える身体を必死に堪える。
喉の奥から、嗚咽がせり上がってくる。
「あ、あ…………っ」
僕はもう耐えられず、ご主人様の胸に縋りつくように抱き付き、その温かい胸に顔を深く埋めて声を上げて、嗚咽を漏らして泣いた。
熱い涙がご主人様のシャツを濡らし、僕の嗚咽がご主人様の胸に吸い込まれていく。
この抱擁が、僕を汚れた存在から浄化してくれるようにも、あるいは、さらに深く奈落へと引きずり込むようにも感じられた。
診察で何度も絶頂を強いられた後、医者にレイプされた……だけど、あれは……無意識にとはいえ、僕が、僕自身が誘ったんだ。
僕の身体が、意識とは裏腹に、あの快楽を求めていたのだ。
そんな、汚れた真実を、ご主人様に言える訳がない。
言えば嫌われて…捨てられる。
そんな恐怖が、僕を縛り付けた。
「あああ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ご主人様の胸で、僕は号泣する。
痛みと苦しみが、僕の身体を内側から食い破り、身体が震えて呼吸はひきつけを起こした。
「時雨、どうした、何があったんだ?」
ご主人様は困惑しながらも、僕をそっと、力強く抱き締め、優しい声をかけてくれた。
その腕が、僕の壊れそうな心を、まるで守るかのように包み込む。
ご主人様の体温が、僕の冷え切った身体に染み渡る。この優しさが、僕の深淵に潜む「もっと、もっと」という渇望を刺激する。
「何も……っ、何も、ありませんでした……っ!」
僕には、そうとしか答えられなかった。それ以上は、何も言えなかった。
これ以上を語れば、僕の「魔性」が露呈してしまう。
ただ、今日僕を診察した医者は“あの夜”のピエロの仮面の男でしたと。
もう二度とあの医者の“診察”だけは受けたくないと。
僕は子供みたいに泣きじゃくりながら、それだけを必死に訴えた。
声にならない悲鳴が、僕の胸の奥で、叫びとなってこだました。
「怖かった……っ、怖かった……っ、怖かったんですっ!!」
ご主人様は、そんな僕をただ黙って抱き留め、優しく頭を撫で続けてくれた。
その手は、まるで壊れ物を扱うように、僕の髪をそっと梳き、僕の混乱した心を鎮めようとしてくれる。
そして僕が落ち着くのを待ってから、病院にあの医者が僕を担当しないよう連絡すると、力強くそして確かな響きで約束してくれた。
「ところで、時雨、腹減ってないか?」
僕が落ち着くのを見計らって、ご主人様が僕の頭を撫でる手をそっと止めて言った。
その声は、僕の心の緊張を解きほぐすように柔らかく、温かかった。
「あ、そう言えば……っ、ちょっと……っ」
ご主人様に言われて初めて、僕は自分が空腹であることに気づく。
意識が現実へと引き戻され、顔を上げて時計を見れば、時間はもう夜の9時過ぎだった。
今日は、ご主人様の帰宅はいつもよりだいぶ遅かったみたいだ。
「ごめん……なさい……っ。お出迎えも……っ、お食事の用意も出来なくて……っ」
メイドの、いや、奴隷としての勤めを全く果たせず、ベッドの中で泣いてばかりいた自分が情けなくて、僕は身体を縮めて、深く、深く頭を下げる。
深い無力感が、僕の胸を締め付け、呼吸を苦しくさせた。
「体調が悪いなら仕方ないさ。適当に買ってきたから、今日はこれでも食って寝ておけよ。」
そう言って、ご主人様が僕に差し出してくれたのは、コンビニのロゴが入ったビニール袋。
中を覗くとペットボトルのお茶やおにぎり、サンドイッチがパンパンに詰め込まれていた。
ご主人様の温かい気遣いが、僕の胸を締め付け、同時に、言いようのない切なさがこみ上げてきた。
この優しさが、僕をより深く縛り付ける鎖になるのだと、本能が予感した。
「じゃあな、ゆっくり休め。明日も休んでいいからな……」
ご主人様はそう言って僕に背中を向け、片手をひらひらと振って、部屋から立ち去ろうとした。
その足音が、僕の心臓に響く。
僕は無意識に、伸ばされたご主人様の服の裾を震える手で掴み止めていた。
このまま一人にされるのが、たまらなく嫌だった。
僕を支配する存在が、傍から離れるのが耐えられなかった。
そして、僕は蚊の鳴くような、か細く、消え入りそうな声で言った。
「待って……っ、行かないで……っ、下さい……っ。今夜は……っ、ご主人様と、一緒に、いたいんです……っ」
ご主人様は、一瞬の間、何を言われたのか分からない、そんな驚きの顔をして僕の顔を見つめた。
ご主人様の目に映る僕の顔は、羞恥と必死さでぐしゃぐしゃなのだろう。
しかし、すぐに、ご主人様はその顔に柔らかな笑みを浮かべ、そして僕を強く、深く抱きしめた。
その抱擁が、僕の心の奥底に染み渡る。
この温かい腕が、かつて僕を深く深く、縛り付け、痛みを与えた。
そしてこれからも…
それでもなお僕は、この抱擁を求めていた。
不安定な状態の僕の心ごと、僕の全てを包み込むように抱きしめるご主人様の腕は、暖かく、そして力強かった。
僕の中で、不思議なほどに絶対的な安心感が満ち、僕の身体はご主人様の胸に吸い込まれていくようだった。
ご主人様の匂いが、僕の五感を満たしていく。
「ぁ……っ」
そして、その太い腕でご主人様の身体に押しつけられた圧力に、安堵と微かな甘さが混じり合った吐息が漏れた。
僕の心は、この温かい胸の中に溶けていくような感覚だった。
この幸福は、彼の支配下にある僕にのみ許された特権なのだと、僕は感じていた。
「この部屋のベッドは2人で寝るには小さいからな、俺の部屋に行こうか。」
ご主人様はそう言って立ち上がり、僕の手を引いて歩きだす。
僕は手を引かれ、母鳥の後をついてゆく雛鳥みたいに、震える足でご主人様についてゆく。
僕の足は、まるで吸い寄せられるかのように、ご主人様の後に続いた。
行き先は、地下にあるあの拷問部屋ではなく、ご主人様の寝室だ。
多分……ご主人様は今夜は僕を抱かないだろう。
今のご主人様からは、僕を抱く時のいつものギラギラとした、雄の欲望を感じない。
むしろ僕を気遣い、守ってくれようとする柔らかな父性、いや、それ以上の深く、どこか切ない愛情を感じていた。
今夜ご主人様が、僕と一緒にいてくれるなら、僕は抱かれても構わなかった。
だけど、今は、今だけはご主人様の優しさに、ひたすらに甘えていたかった。
ただ二人だけで、ご主人様の暖かさを感じて、ご主人様の腕の中で眠りたかった。
僕の心は、ご主人様の温もりをただひたすらに求めていた。
そして、僕はご主人様の寝室に招き入れられ、豪奢な天蓋付きのベッドに横たわる。
僕を見下ろすご主人様に、僕は震える両手をゆっくりと伸ばし、
「ご主人……さ……ま……っ」
と、途切れ途切れに、切なく呼びかける。
自分から誘うようなはしたない真似をして、きっと僕の顔は羞恥と期待で真っ赤になっているのだろう。
そして僕の目は、熱い涙と甘い潤みで、きらきらと輝いているのだろう。
いつものご主人様なら、有無を言わさずに僕に襲いかかるシチュエーションだったはずだ。
だけど、今日のご主人様は、真っ直ぐ伸ばした僕の腕に導かれるように、ゆっくりと、愛おしむように僕に覆い被さり、そして、僕の唇にご主人様の温かい、甘い唇をそっと重ねた。
それは、まるで僕の魂を吸い上げるかのように深く、優しく、そして限りなく甘美な口づけだった。
ご主人様の唇の圧力、息遣い、全てが僕を縛り付け、この上ない幸福を与えてくれる。
「……んっ……っ」
僕の喉の奥で、甘く、切ない声が鳴る。
僕は目を閉じ、伸ばした両手でご主人様の背中に回し、その太く、重い身体を精一杯に抱き締めた。
ご主人様の硬い筋肉が、僕の腕の中で心地よく軋み、僕の身体にぴったりと重なり、2人の身体の暖かさが、僕の全身に溶け込んでいくようだった。
僕を押し包むご主人様の重みが、今は何よりも、何よりも嬉しかった。
このまま時間が止まってしまえばいいと、心から願った。
この重みが、僕がご主人様の「もの」であることを教えてくれる。
そんなひと時、数秒のような、数時間のような夢心地の時間が過ぎ、ご主人様は僕の唇を解放した。
2人の唇は、互いを繋ぐ細い銀色の糸が引かれ、そして、ゆっくりと、名残惜しそうに途切れた。
「可愛い時雨……俺のものだ……っ」
そうして、僕を深く抱き寄せ、僕らは大きなベッドの中、身体を寄せ合って眠りについた。
ご主人様の腕の中で、僕は初めて、心から深い安らぎと、言いようのない幸福を感じた。
幸せで……でも、同時に胸が締め付けられるほど切ない夜。
僕はご主人様に、身体は奪われても、どれだけ辱められても、心だけは大好きな織田さんのモノ……そう、ずっと固く信じていた。
だけど、今日、この夜の僕がご主人様を誘って、ただ一緒に眠るそのことこそが、織田さんへの許されない裏切り行為に思え、不意に瞳に熱い涙が、とめどなく溢れ出した。
だけど……僕は、魔性と呼ばれた僕には……多分、優しくて穏やかな織田さんには相応しくないんだ。
僕には……きっと、ご主人様の奴隷として、ご主人様の掌で弄ばれるのが相応しいんだ。
無自覚にサディストを引きつけ、身体も、心も蹂躙されることを望み、全てを踏み躙られて……いつか力尽き、被虐的な幸せの中で僕は息絶える、そんな気がしてならない。
それが、僕に与えられた運命であり、僕の中で蠢く被虐の魔性の真実。
そして、そんな僕を殺す罪を背負うのは、優しい織田さんではなく、残酷で、僕を深く支配するご主人様こそが相応しい。
そう、心の底から、強く思った。
“だから……っ、ごめんなさい……っ”
僕はそう心の中でつぶやいて、泣きながら、ご主人様の腕の中で、深い眠りに堕ちてゆく。
ご主人様は、そんな僕をただ黙って、優しく抱き締め続けてくれたのだった。
その腕の温かさが、僕の冷え切った心を、ゆっくりと、しかし確実に溶かしていくようだった。そして、その温もりは、僕を深い依存へと誘う甘い罠だった。
翌朝、僕はご主人様がまだ深く眠っているうち……いつもの早朝に目覚め、そおっと、まるで夢から覚めるようにベッドから抜け出して自室に戻った。
ご主人様の穏やかな寝息が、僕の耳元で心地よく響いていた。
手早くシャワーを浴びて、メイクを整える。
鏡に映る僕の顔は、毎週大量に投与されている女性ホルモンの効果で、男の子っぽい角が落ちて丸みをおび、まるで本物の女の子のように、繊細に変化していた。
「あはは……っ」
僕の口元から、知らず知らずのうちに乾いた、小さな、しかしどこか虚ろな笑い声が漏れる。
この顔は、もう、優しい織田さんが“天使”と言って愛してくれた、あの無邪気な男の娘の時雨の顔じゃない。
あの医者が「魔性」と呼んだオンナ……ご主人様にどんな酷いことをされても、いや、殺されるまで陵辱されることを望む、醜くも愛おしいマゾメス奴隷の顔なんだ。
「さよなら……っ」
僕は小さく、しかし決意を込めて、別れを告げた。
男の子で男の娘だった、過去の僕に。
大好きだった、遠い日の織田さんに。
そして、親友だった夕立…ハルカに。
もう会えない。もう、あの頃には戻れない。
僕は、この屋敷の中で、ご主人様のメス奴隷として、生きて……そして、ご主人様の腕の中で、死ぬ。
それが、今の僕に課せられた、唯一の狂った幸福なのだ。
このままずっと、意識の底で、全ての苦痛から逃れていたいと魂が願っていた。
「……れ……時雨……」
ふと気づくと、誰かが僕の名を呼んでいた。
その声がご主人様のものだと朧げに理解した瞬間、全身の毛穴が開き、心臓が跳ねる。
しまった! ご主人様のお出迎えもせず、夕食の用意もせず、なんて無様な……!
瞬時に意識が覚醒し、毛布から恐る恐る顔を出すと、ベッドの上から僕の顔を覗き込むご主人様と視線が絡み合った。
僕はベッドの上で、跳ねるように上半身を起こし、ベットに額が触れるほどにご主人様に頭を深く下げた。
羞恥と罪悪感が、僕の頬を熱く染める。
「ご……ご主人……様……っ、ずっと……っ、寝ておりました……っ。申し訳、ありませんでした……っ!」
そうして、うなだれる僕の頭に、ご主人様の大きくてゴツゴツした、大人の男の手が、唐突に、そして、そっと乗せられた。
「ひっ!」
その瞬間に、医者に前髪を鷲掴みにされながら嬲られた深い恐怖と屈辱が、鮮やかに、ぞっとするほどリアルに蘇った。
このまま殴られるんじゃないかと思って、僕は反射的に身体を硬直させ、両手を上げて顔を必死に庇った。
全身が小刻みに震え、瞳には止めどなく熱い涙が溢れ出した。
だけど、ご主人様の手は僕を傷つけなかった。
それどころか、細い髪の毛をすくように僕の頭をそっと、穏やかに、慈しむように撫でてゆく。
その指先が、僕の髪の根元を愛おしむように触れ、微かな電流が頭皮を駆け抜けた。
痛みを予想した身体に流れ込む、予想外の優しさ。
その落差が、僕の神経を痺れさせる。
「へぁ……?」
その不意打ちの優しさに、僕は間抜けな、情けない声をあげてご主人様と目を合わせた。
怒っている……そう思い込んでいたその瞳には、深く、優しく、そして僕の存在そのものを気遣う、暖かな光が宿っていた。
「体調が悪いんだってな、謝らなくていい。」
どうやら、早川さんが僕の体調のことを、ご主人様に伝えておいてくれたらしい。
僕の胸には、安堵と、同時に言いようのない罪悪感が入り混じった。
「それより大丈夫なのか? 病院で何かあったのか?」
「それ……は……っ」
僕は言葉に詰まり、ご主人様から目を逸らした。
あの悪夢のような出来事を、僕を気遣ってくれるご主人様にどんな言葉にすればいいのか、喉が詰まって声が出なかった。
あの診察室で味わった極限の快感と、それに伴う屈辱を、どう説明すればいいのか。
それは僕だけの、汚れた秘密なのだ。
裸にされ、写真を撮られた。
アナルをクスコでこじ開けられ、中を“触診”で弄ばれた。
内視鏡を捩じ込まれ、敏感な尿道粘膜から膀胱まで串刺しに貫かれた。
どれも、言葉にすれば診察の範囲内だ……気が狂いそうな程の快感で僕が悶絶したのは僕の勝手だ、と言われれば、反論のしようがない。
僕が、あの医者をそうさせたのだ。
僕の奥底に眠る「魔性」が、彼のサディズムを呼び覚ましたのだ。
“時雨ちゃんが悪いんだ”
医者のあのねっとりとした声が、頭の中で何度も、何度も、残酷に繰り返される。
僕が……変態でマゾだから、だからあんな目に遭わされたんだ……。
そう思うと、瞳が熱い涙で潤み、何も言えない。
ただ、唇をぎゅっと噛みしめ、震える身体を必死に堪える。
喉の奥から、嗚咽がせり上がってくる。
「あ、あ…………っ」
僕はもう耐えられず、ご主人様の胸に縋りつくように抱き付き、その温かい胸に顔を深く埋めて声を上げて、嗚咽を漏らして泣いた。
熱い涙がご主人様のシャツを濡らし、僕の嗚咽がご主人様の胸に吸い込まれていく。
この抱擁が、僕を汚れた存在から浄化してくれるようにも、あるいは、さらに深く奈落へと引きずり込むようにも感じられた。
診察で何度も絶頂を強いられた後、医者にレイプされた……だけど、あれは……無意識にとはいえ、僕が、僕自身が誘ったんだ。
僕の身体が、意識とは裏腹に、あの快楽を求めていたのだ。
そんな、汚れた真実を、ご主人様に言える訳がない。
言えば嫌われて…捨てられる。
そんな恐怖が、僕を縛り付けた。
「あああ゛あ゛あ゛あ゛!!」
ご主人様の胸で、僕は号泣する。
痛みと苦しみが、僕の身体を内側から食い破り、身体が震えて呼吸はひきつけを起こした。
「時雨、どうした、何があったんだ?」
ご主人様は困惑しながらも、僕をそっと、力強く抱き締め、優しい声をかけてくれた。
その腕が、僕の壊れそうな心を、まるで守るかのように包み込む。
ご主人様の体温が、僕の冷え切った身体に染み渡る。この優しさが、僕の深淵に潜む「もっと、もっと」という渇望を刺激する。
「何も……っ、何も、ありませんでした……っ!」
僕には、そうとしか答えられなかった。それ以上は、何も言えなかった。
これ以上を語れば、僕の「魔性」が露呈してしまう。
ただ、今日僕を診察した医者は“あの夜”のピエロの仮面の男でしたと。
もう二度とあの医者の“診察”だけは受けたくないと。
僕は子供みたいに泣きじゃくりながら、それだけを必死に訴えた。
声にならない悲鳴が、僕の胸の奥で、叫びとなってこだました。
「怖かった……っ、怖かった……っ、怖かったんですっ!!」
ご主人様は、そんな僕をただ黙って抱き留め、優しく頭を撫で続けてくれた。
その手は、まるで壊れ物を扱うように、僕の髪をそっと梳き、僕の混乱した心を鎮めようとしてくれる。
そして僕が落ち着くのを待ってから、病院にあの医者が僕を担当しないよう連絡すると、力強くそして確かな響きで約束してくれた。
「ところで、時雨、腹減ってないか?」
僕が落ち着くのを見計らって、ご主人様が僕の頭を撫でる手をそっと止めて言った。
その声は、僕の心の緊張を解きほぐすように柔らかく、温かかった。
「あ、そう言えば……っ、ちょっと……っ」
ご主人様に言われて初めて、僕は自分が空腹であることに気づく。
意識が現実へと引き戻され、顔を上げて時計を見れば、時間はもう夜の9時過ぎだった。
今日は、ご主人様の帰宅はいつもよりだいぶ遅かったみたいだ。
「ごめん……なさい……っ。お出迎えも……っ、お食事の用意も出来なくて……っ」
メイドの、いや、奴隷としての勤めを全く果たせず、ベッドの中で泣いてばかりいた自分が情けなくて、僕は身体を縮めて、深く、深く頭を下げる。
深い無力感が、僕の胸を締め付け、呼吸を苦しくさせた。
「体調が悪いなら仕方ないさ。適当に買ってきたから、今日はこれでも食って寝ておけよ。」
そう言って、ご主人様が僕に差し出してくれたのは、コンビニのロゴが入ったビニール袋。
中を覗くとペットボトルのお茶やおにぎり、サンドイッチがパンパンに詰め込まれていた。
ご主人様の温かい気遣いが、僕の胸を締め付け、同時に、言いようのない切なさがこみ上げてきた。
この優しさが、僕をより深く縛り付ける鎖になるのだと、本能が予感した。
「じゃあな、ゆっくり休め。明日も休んでいいからな……」
ご主人様はそう言って僕に背中を向け、片手をひらひらと振って、部屋から立ち去ろうとした。
その足音が、僕の心臓に響く。
僕は無意識に、伸ばされたご主人様の服の裾を震える手で掴み止めていた。
このまま一人にされるのが、たまらなく嫌だった。
僕を支配する存在が、傍から離れるのが耐えられなかった。
そして、僕は蚊の鳴くような、か細く、消え入りそうな声で言った。
「待って……っ、行かないで……っ、下さい……っ。今夜は……っ、ご主人様と、一緒に、いたいんです……っ」
ご主人様は、一瞬の間、何を言われたのか分からない、そんな驚きの顔をして僕の顔を見つめた。
ご主人様の目に映る僕の顔は、羞恥と必死さでぐしゃぐしゃなのだろう。
しかし、すぐに、ご主人様はその顔に柔らかな笑みを浮かべ、そして僕を強く、深く抱きしめた。
その抱擁が、僕の心の奥底に染み渡る。
この温かい腕が、かつて僕を深く深く、縛り付け、痛みを与えた。
そしてこれからも…
それでもなお僕は、この抱擁を求めていた。
不安定な状態の僕の心ごと、僕の全てを包み込むように抱きしめるご主人様の腕は、暖かく、そして力強かった。
僕の中で、不思議なほどに絶対的な安心感が満ち、僕の身体はご主人様の胸に吸い込まれていくようだった。
ご主人様の匂いが、僕の五感を満たしていく。
「ぁ……っ」
そして、その太い腕でご主人様の身体に押しつけられた圧力に、安堵と微かな甘さが混じり合った吐息が漏れた。
僕の心は、この温かい胸の中に溶けていくような感覚だった。
この幸福は、彼の支配下にある僕にのみ許された特権なのだと、僕は感じていた。
「この部屋のベッドは2人で寝るには小さいからな、俺の部屋に行こうか。」
ご主人様はそう言って立ち上がり、僕の手を引いて歩きだす。
僕は手を引かれ、母鳥の後をついてゆく雛鳥みたいに、震える足でご主人様についてゆく。
僕の足は、まるで吸い寄せられるかのように、ご主人様の後に続いた。
行き先は、地下にあるあの拷問部屋ではなく、ご主人様の寝室だ。
多分……ご主人様は今夜は僕を抱かないだろう。
今のご主人様からは、僕を抱く時のいつものギラギラとした、雄の欲望を感じない。
むしろ僕を気遣い、守ってくれようとする柔らかな父性、いや、それ以上の深く、どこか切ない愛情を感じていた。
今夜ご主人様が、僕と一緒にいてくれるなら、僕は抱かれても構わなかった。
だけど、今は、今だけはご主人様の優しさに、ひたすらに甘えていたかった。
ただ二人だけで、ご主人様の暖かさを感じて、ご主人様の腕の中で眠りたかった。
僕の心は、ご主人様の温もりをただひたすらに求めていた。
そして、僕はご主人様の寝室に招き入れられ、豪奢な天蓋付きのベッドに横たわる。
僕を見下ろすご主人様に、僕は震える両手をゆっくりと伸ばし、
「ご主人……さ……ま……っ」
と、途切れ途切れに、切なく呼びかける。
自分から誘うようなはしたない真似をして、きっと僕の顔は羞恥と期待で真っ赤になっているのだろう。
そして僕の目は、熱い涙と甘い潤みで、きらきらと輝いているのだろう。
いつものご主人様なら、有無を言わさずに僕に襲いかかるシチュエーションだったはずだ。
だけど、今日のご主人様は、真っ直ぐ伸ばした僕の腕に導かれるように、ゆっくりと、愛おしむように僕に覆い被さり、そして、僕の唇にご主人様の温かい、甘い唇をそっと重ねた。
それは、まるで僕の魂を吸い上げるかのように深く、優しく、そして限りなく甘美な口づけだった。
ご主人様の唇の圧力、息遣い、全てが僕を縛り付け、この上ない幸福を与えてくれる。
「……んっ……っ」
僕の喉の奥で、甘く、切ない声が鳴る。
僕は目を閉じ、伸ばした両手でご主人様の背中に回し、その太く、重い身体を精一杯に抱き締めた。
ご主人様の硬い筋肉が、僕の腕の中で心地よく軋み、僕の身体にぴったりと重なり、2人の身体の暖かさが、僕の全身に溶け込んでいくようだった。
僕を押し包むご主人様の重みが、今は何よりも、何よりも嬉しかった。
このまま時間が止まってしまえばいいと、心から願った。
この重みが、僕がご主人様の「もの」であることを教えてくれる。
そんなひと時、数秒のような、数時間のような夢心地の時間が過ぎ、ご主人様は僕の唇を解放した。
2人の唇は、互いを繋ぐ細い銀色の糸が引かれ、そして、ゆっくりと、名残惜しそうに途切れた。
「可愛い時雨……俺のものだ……っ」
そうして、僕を深く抱き寄せ、僕らは大きなベッドの中、身体を寄せ合って眠りについた。
ご主人様の腕の中で、僕は初めて、心から深い安らぎと、言いようのない幸福を感じた。
幸せで……でも、同時に胸が締め付けられるほど切ない夜。
僕はご主人様に、身体は奪われても、どれだけ辱められても、心だけは大好きな織田さんのモノ……そう、ずっと固く信じていた。
だけど、今日、この夜の僕がご主人様を誘って、ただ一緒に眠るそのことこそが、織田さんへの許されない裏切り行為に思え、不意に瞳に熱い涙が、とめどなく溢れ出した。
だけど……僕は、魔性と呼ばれた僕には……多分、優しくて穏やかな織田さんには相応しくないんだ。
僕には……きっと、ご主人様の奴隷として、ご主人様の掌で弄ばれるのが相応しいんだ。
無自覚にサディストを引きつけ、身体も、心も蹂躙されることを望み、全てを踏み躙られて……いつか力尽き、被虐的な幸せの中で僕は息絶える、そんな気がしてならない。
それが、僕に与えられた運命であり、僕の中で蠢く被虐の魔性の真実。
そして、そんな僕を殺す罪を背負うのは、優しい織田さんではなく、残酷で、僕を深く支配するご主人様こそが相応しい。
そう、心の底から、強く思った。
“だから……っ、ごめんなさい……っ”
僕はそう心の中でつぶやいて、泣きながら、ご主人様の腕の中で、深い眠りに堕ちてゆく。
ご主人様は、そんな僕をただ黙って、優しく抱き締め続けてくれたのだった。
その腕の温かさが、僕の冷え切った心を、ゆっくりと、しかし確実に溶かしていくようだった。そして、その温もりは、僕を深い依存へと誘う甘い罠だった。
翌朝、僕はご主人様がまだ深く眠っているうち……いつもの早朝に目覚め、そおっと、まるで夢から覚めるようにベッドから抜け出して自室に戻った。
ご主人様の穏やかな寝息が、僕の耳元で心地よく響いていた。
手早くシャワーを浴びて、メイクを整える。
鏡に映る僕の顔は、毎週大量に投与されている女性ホルモンの効果で、男の子っぽい角が落ちて丸みをおび、まるで本物の女の子のように、繊細に変化していた。
「あはは……っ」
僕の口元から、知らず知らずのうちに乾いた、小さな、しかしどこか虚ろな笑い声が漏れる。
この顔は、もう、優しい織田さんが“天使”と言って愛してくれた、あの無邪気な男の娘の時雨の顔じゃない。
あの医者が「魔性」と呼んだオンナ……ご主人様にどんな酷いことをされても、いや、殺されるまで陵辱されることを望む、醜くも愛おしいマゾメス奴隷の顔なんだ。
「さよなら……っ」
僕は小さく、しかし決意を込めて、別れを告げた。
男の子で男の娘だった、過去の僕に。
大好きだった、遠い日の織田さんに。
そして、親友だった夕立…ハルカに。
もう会えない。もう、あの頃には戻れない。
僕は、この屋敷の中で、ご主人様のメス奴隷として、生きて……そして、ご主人様の腕の中で、死ぬ。
それが、今の僕に課せられた、唯一の狂った幸福なのだ。
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それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
身体検査
RIKUTO
BL
次世代優生保護法。この世界の日本は、最適な遺伝子を残し、日本民族の優秀さを維持するとの目的で、
選ばれた青少年たちの体を徹底的に検査する。厳正な検査だというが、異常なほどに性器と排泄器の検査をするのである。それに選ばれたとある少年の全記録。