私のレンズに写るものは 〜視覚障害を持つ少女〜

梅屋さくら

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 耳に次々と流れ込むオーケストラの音色の濁流。
それと同時に呼び起こされる、この曲を作ったときに考えていたことの記憶。
 mirrorはこの演奏会の最後に演奏されることになっていたが、私より良い評価を得た曲をじっくり聴いていたらあっという間にこの時を迎えた。
 自分の作った曲をオーケストラに演奏してもらえるというのは思っていたよりもはるかに心に響くものがあった。
次は高音で盛り上がる部分、とわかってはいても、心の準備が追いつかないほどに豪華で緻密な音に襲われてくらくらする。
 この時間を、この素晴らしい時間を、私は目を瞑って過ごした。
 気付けば曲を作っていたときの記憶からさらに遡り、清也の撮影に同行していた日のことを思い出していた。
初めて撮影した日の、あの勝手に体が動く感覚。
撮影する清也の隣にいた日の、あの壁を感じた一言。
また胸がぎゅっと苦しくなって、私はあの日のことを思い出さないように努めた。
 今も隣に座っている清也の服の袖が私の服の袖に触れて、彼も同じようなことを考えているのだろうかと思った。
つい思い出してしまっている自分に苦笑して、私はまたオーケストラ演奏の音色の底にこの身を投じた。

 曲が終わってわっと沸き上がる拍手の音に、私は思わず涙ぐんだ。
たくさんの人に私の曲を聴いてもらえた喜びと、あの日々の努力を認めてもらえたかのような充足感が私の心に広がっていくのを感じる。
 ざわざわと人々が各曲の感想を述べながらこのホールから出て行くとき、「私、最後の曲すごく好きだった」という一言がはっきりと聞こえた。
 嬉しさが数倍に増して、再び心に広がる。
“心ってこんなにあったかくなるんだ”そう思った。

「ちょっとお母さんたちCDもらってくるね」

 入賞特典のひとつである、今日の演奏を録音したCDは、ロビーのところに並べてあると先ほどアナウンスがあった。
入賞者は無料でもらえるのだが、その証明であるカードを車に忘れたと父と母が騒いでいる。
 私は椅子に座ったままホールに残って余韻に浸っていたとき、私の手は大きな手に包まれてゆっくりと左に引っ張られた。

「ちょっと、来て?」

 清也は若干緊張を含んだ声でそう言った。
 ホールから出る方向に進んでいるようだ。
途中何度もかけられた「そこに段差があるよ」という優しい声、そして重いドアが軋む音、そして人が多いところ特有の喧騒、そして静かな空気が私の耳を包み込む……どうやら外に出たようだ。
 外に出てからも少し歩き、一層静かなところに来たとき、清也は私の手を腰の横に戻してからそっと離す。
 彼は何も言わないまま、“じっじっ……”となにか機械が動くような音だけ立てた。
 するとチリンと柔らかい綺麗な音が流れ始めた。

「これ俺が小さい頃から好きな曲なんだ。俺がカメラを始めるきっかけになったじいちゃんがよくかけていた曲」
「そしてこの音色はオルゴール……ですか?」
「うん、さすが耳が良いね。俺が作ってみた」
「清也さんが作ったんですか⁉︎」

 その曲は“懐かしい曲特集”などと銘打たれて放送されるTVプログラムで必ずと言って良いほど流れる、50年ほど前に大流行した曲だった。
私も耳にしたことがある。
 言われてみれば、私が知っている曲と半音くらいずれている箇所がいくつか見つけられる。

「この曲、素敵ですよね。けっこう古い曲なのに、そんな気がしないです」

 キャッチーだけどありふれたわけではない、なんだか耳に残るエッジが効いている。
たしか夏の海のことを歌った曲で、今は冬だというのになんだか強い日差しに照らされているような気分だ。
 清也の明るい太陽のようなイメージにぴったりな曲だと思った。

「手を、こう……器みたいにして前に出してくれる?」

 言われた通りにすると、片方の手に重い物が乗せられた。
続けて、もう片方の手に1枚の厚めの紙らしきものが押し付けられて、私は反射的にそれを指で挟んだ。

「オルゴールと、今年の春に撮った花畑の写真」

 こんなことを言って、誰に信じてもらえるだろう。
でもあえて言おう。

「私、この写真の景色が“見えます”……色はついてなくて淡白ですけど……そしてなんだかお花の香りがする」

 清也は笑みの声を少しこぼして、私の頭にその大きい手を乗せた。
 そしてきゅうっと絞られたような、苦しそうな声で、言った。

「俺は、好きな人に自分の撮った写真を持っていてほしいんだ。簡潔に言うと、光穂ちゃんが好き」

 なんだか脳が茹で上がったかと思うくらいぼーっと熱い。
 ふわふわした心地の中、私はどうにか声を絞り出す。
その声は清也のものと似ていた。

「でも私は目が見えません。清也さんの撮った写真も見られないんです」

 清也は声にならないような声を出して、私をぎゅっと力強く抱きしめた。
そして必死に私の頭を撫でて、叫んだ。

「目が見えても写真の奥を感じられない人もいる。けれど君は写真から香りという奥の要素まで感じ取れた。それでもまだ、視覚障害は俺たちにとって大きい壁に感じられる?」

 私の瞳から、熱い液体が止めどなく流れた。
これは撮影に同行したあの日流した涙とは違う。
じわりと顔の皮膚を透過して血液になって体中を巡るような、そんな綺麗な涙だ。
 私は清也の分厚い背中に腕を回し、負けじとその腕に力を入れた。
 手の中にある金属製のオルゴールが、気が付けば私の体温と同じくらい温まっていた。
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